中学2年生の同級生で私と目がよく合う
女の子がいました。

 

目が合うと、じっと見つめあうのです。 


3年生になってクラスが変わり、高校進学

時も別の高校に行ったので、それ以来何

もありませんでした。


ところが、高校3年の11月に彼女から
手紙をもらい、それ以来デートするよう
になりました。


手も握ることなく大学の入試になり、私は

見事に落第し、彼女は志望校に合格しま

した。


それから。いろんなことがあり、結局私は

アメリカの大学に行くことになりました。


アメリカに発つ前にお金を稼ごうと、家庭

教師を2件と、昼は雀球さんでバイトをし

ました。


英語の勉強でエール大学のサマースクー

ルに参加するため1973年の6月17日に

ニューヨークへ旅立ました。


その時も1年後に、地元企業から年間に
60万円の奨学金をいただききました。


これは在学中ずっと継続してくれました。


高校1年の夏前に、肝臓を痛めてしまい
2週間ほど学校を休みました。


復帰して、気分も新たにシューズを新調
したところ、その日の練習でシューズの
靴底のゴムが裂けてしまいました。


そのことが母親に言えずに、バスケット
ボールを止めたのでした。


その年に大阪で万博があり、高校では
8月に希望者(ほぼ全員)を集めて見学
に行きました。


私はこの時も、その費用を出してくれと
言えずに、欠席してしまいました。


そんなこともあり、年の終わりに地元
企業の奨学生募集に担任の先生が

推薦してくれ、私ともう一人が奨学生

になりました。


月に3千円が奨学金として支給された

ので、それをためて、東芝のラジオを

たしか1万7千円で買いました。


サウンドナナハン(RP-77F)は短波

も受信でき、出力500mWの大音量

が売りのラジオでした。


それを深夜音を絞って聞いていたなあ。

亀渕昭信 さんがオールナイトニッポン

のパーソナリティーだったころです。

小学校では野球少年でしたが、中学校
に入ってからは、バスケットボールを
始めました。


先輩がみんな不良少年的人々だったの
で、ほかの人からはいじめられません
でした。


大きかったので、一年生の夏から先発
メンバーで試合に出してもらいました。

2年生の夏の大会では区内で優勝しま
した。


3年生になって、春夏連続優勝をしまし
たが、残念ながら県大会には出場できま
せんでした。


他の学校の人からは、私が1年生の時に
は3年生だと思っていたようで、翌年も
私がいるので、今度こそ3年生だと思っ
ていたら、その次の年も出てきたので、
驚いたと言われました。


練習はつらかったけど、今思うとあんな
達成感は社会人になってからは、無かっ
たような気がします。