私が小学校のころ、母は邦楽の師匠を
していました。


小唄、長唄、常磐津、歌澤の名取で、
特に小唄と歌澤は、遠くまでけいこ
に出かけて指導していました。


小唄では、当時の家元から2代目の
打診が来たようです。


しかし家元になるためには、東京の
花柳界でパトロンを見つけて、それな
りのサポート基盤を作ることが必要
だったようです。


当時は幼い子供を抱えて、東京に出
ていくことが困難だったのでしょう。


夢が私の成長に切り替わったのでした。


母はもう亡くなって17年になります。


今思えば、恩返しできていなかったな
と後悔しています。

子供のころの記憶って何歳くらいから
ありますか?


私は2才のころ父親の会社のカメラマン
さんがうちに来て写真を撮られた記憶が
あります。(父は新聞社の営業でした。)


でも写真があるので後付の記憶かもしれ
ません。


あと、見ず知らずの人に(たぶん父の関
係の人)に道端でシボレーのオープンカー
のおもちゃをもらったり。


たぶん3歳か2歳の記憶だと思います。


そのころ、どこからか父が来て数日家に
いた記憶があります。


私が父に会った記憶は、その時と中学校

の修学旅行で京都で一緒にご飯を食べた

こと。


大学進学の時どこに行くのかを話した時、

その3度だけです。


子供の頃って 何も考えていなくて本当
に幸せだったなと思います。


5歳くらいの時、出入りの呉服屋さんが
今住んでいる家がシロアリにやられてい
る、というような話をしていて、自分が
自立して家を建て直さないといけないと
切実におもってから、悩みが始まったよ
うな気がします。


それから今に至るまで悩み多き人生です。

幼稚園に入園して初めて認識した
のですが、私は他の園児に比べて
大きかったのです。


卒園時の集合写真を見ると、先生
といい勝負していて、同級生が私
の肩のところくらいです。


今思うと、ほかの園児の父兄は私
のことを、2~3歳年長だと思っ
ていたのかもしれません。


1年保育だったので、留年はない

のですが。


それ以降、高校3年になるまで、
学年の一番後ろでした。


ただし1年下に197cmの子がいた

ので、学校内で一番ではなかった

のですが。