真夜中の砂布巾 -4ページ目

真夜中の砂布巾

真夜中にネットをさすらっている中年おやじの、たわいもないひとりごとです。

テレビのドキュメンタリーで、地方議会での障害者議員の話が放送されていた。

聾唖や重い障害で、話すことが出来ない議員に対して、パソコンによる機械音声での
読み上げや、事務職員による代読をなどの対処をしている地方議会が多い。

しかし、ある議会でがんによる手術でしゃべることが出来なくなった議員が、パソコン音声での
質問ではなく、事務職員による代読を申請したところ、議会で承認され無かったことに
焦点を当てたものだった。

議会としては、代読かパソコン音声のどちらかにするよう要請しているのだが、この議員は
どちらも要求をしていて引かないため、話がこじれてしまったようだ。

私としては、どちらにも問題があると感じている。たいした問題ではないのだが感情的にもつれてしまい
どちらも妥協しないので、解決が出来ないでいるのだ。

こんなことを障害者の人権問題に絡めてドキュメンタリーとして放送するマスコミ自体に疑問をかんじてしまう。

他の議会の例として、聾唖者の議員一人のために手話通訳1人と要約筆記者を2人もつけている議会もあった。地方議会としては、厳しい予算の中で大変なことだろう。

マスコミはこういう問題を「障害者の人権問題」として、捕らえたがる。
しかし、議員は一般の人間とは異なる。有権者の投票によって選出され、重い責任を付託されているのである。それなのに、個人的感情に固執して、本来の仕事をないがしろにしては本末転倒である。

この議員は、そういう意味で「議員失格」と言ってよいのではないだろうか。
また、反対する側も、「全員で決めたこと」と多数決の論理を持ち出して固執している。
おそらく背景には、議員や党派の確執があるのだろうが、まったく情けない。

そういう措置をとることは、予算的に厳しいとか、議事進行に時間がかかるとか具体的な問題点が
あるのなら、それを主張すればよいことである。

どうも、今回の話の本質は、地方議会にあるくだらない確執に発しているだけだと思う。

こういう問題を「多数決にしたがう」とか「少数意見を聞く」などと言う問題にすりかえれば、反響を呼ぶと思っているのだろう。

こういう問題は「人権」とか「障害者」などを持ち出さずに、論理的に解決して欲しいものだ。
障害を持った議員も選挙で選出された以上、有権者を代表する一人なので、他の議員と同様にきちんと働いてもらわなければならない。

それに必要な措置はとるべきだし、そういうことにはきちんと予算を使って欲しいと思っている。

ただし、現在の地方議会が本当に必要な仕事をしているかどうかは、はなはだ疑問だが。
朝鮮総連本部の土地建物が、元公安調査庁 長官によって行われていたと言う
衝撃的なニュースが駆け回っている。

なんとも、言いようの無い事件なのだが、その裏に潜むものまで暴き出されるかどうかは
分からない。

金総書記の重病説、IAEAの査察受入準備など、北朝鮮情勢があわただしくなってきたようだ。

自民党政権には、心して対処して欲しいものである。

ところで、このようなニュースをに対する反応を他のブログやmixiなどで、見ているのだが
ひとつ気になっていることがある。

反北朝鮮、韓国、中国の立場をとる若者が増えてきている。
それ自体は悪くは無いのだが、あまりにも二元論で物を見ていることである。

正か邪か、好きか嫌いか。なんでも簡単に割り切って、一方的にまくし立てる。
「朝鮮民族」「中国人」などと、民族問題を持ち出して、すべてを否定してしまう。

その場の感情や、好き嫌いだけで判断する実に稚拙な思考方法なのである。
こういうことから脱却して物事を考えられるようになることが、大人になると言うことなのだが
30代、40代になっても、このような思考から抜け出せない例が大勢になっていることに
危惧を感じてしまう。

幼いと笑ってすごすわけには行かないのである。
世界の紛争を見てみれば、すぐに分かるだろう。
裏の事情としては、権力や富の争奪ではあるが、そういう紛争に民衆が駆り立てられているのは
こういう単純な二元論からなのである。

一神教同士の宗教対立、民族間の対立。
ネット上で見かける、今の嫌韓、嫌中の思想はこれらと同根に感じてしまう。

現代の日本人より、もう少し理性的で大人であったろうと考えられる昭和の時代の人々も
政府、軍、そしてマスコミのプロパガンダに巻き込まれて、悲惨な戦争に突入してしまったのである。

そして、そのうねりが、大きくなりすぎてしまい、潮時を逃し、失敗を繰り返し敗戦へとつながってしまったのだ。

現代のマスコミは、戦前、戦時中となんら変わりが無いのである。
大衆に受ければ、それでよいのであるから、一方的に悪者を仕立て上げ攻撃をして
民衆のカタルシスをお膳立てしていくだけである。

ジャーナリズムとか報道の良心なんて、かけらも無い。

しかし、ネットと言う、もうひとつのメディアが出来て、ここから情報を得たり、発信できるようになったのだから
もうすこし、二元論から脱却して欲しいと考える。

戦後、「自由、平等」を掲げたプロパガンダによって、日本の直面する危機から目をそらされていたように。
逆に、危機を煽られ、近隣諸国に対する民族的嫌悪感や敵対心だけを植えつけられるのも、実に危険なことなのである。



なんとも殺伐とした事件が続いている。

その一方、生後300日以内の出産について妊娠の時期が
離婚後であれば父親を再婚相手と認めるという法の改正が
行われるようだ。

この件に関しては、実に報道が偏っており、家族や知人に
質問しても誤った解釈が多い。

離婚前の妊娠の場合、何も手段が無くすべて無国籍になる
と言う認識が多いようだ。

これは、まったくと言って報道に責任がある。
手段は無いのではなく、きちんと手続きをしない母親に非
があるのである。

そして離婚前の妊娠に関しては、間違いなく「不倫」であ
る。そういう、責められるべき事実はどこかにおいて、自
身の子供を盾にとり人権を訴えているに過ぎないのだ。

こういう解釈や、情だけに訴える事後措置が、すべての秩
序や公正と言うものを破壊していっていることに気づかな
い人が多過ぎる。

DVなど、夫に関する問題を訴えて仕方が無いなどと、コメ
ントする馬鹿な芸能人やコメンテーターが多い。

どうして結果だけを捻じ曲げる手段を認めたがるのだろう。

それは実に簡単なことだからだ。どんな不都合な過程があ
ったとしても、結果さえ収まればそれでよいと、考えてい
るのだろう。

そういう安易さが、現代の悲惨な出来事を生んでいる。

DVが問題であれば、そちらをなくす努力をすればよい。
離婚調停に時間がかかるならば、それを改善するほうを考
える事が大事だ。

赤ん坊を産み、育てられずに捨てたり、虐待をする。
そのために引き受ける場所を作るのは簡単だ。しかし、安
易に引き受けてくれる場所が出来たからと言って、そうい
う不幸な子供が減ることは無い。逆に増えることを危惧す
るべきだ。

子供のときから、倫理観や性に関するきちんとしたしつけ
を行わなければ子供たちはサルのようになってしまう。
その結果は育てた親にも帰ってくるのだ。

性情報の氾濫にも、なんら打つ手が無い。なぜなら親世代
が自身でそういう情報を望んでいるからだ。
子供をしつける場合、自分自身も襟を正さなければ出来な
い。

簡単に不倫をして出来た子供の権利を声高に叫び、自分の
不始末にはホウカブリでは教育など出来はすまい。

社会の風潮としても、こういうことに同情的な流れになっ
ていくのは、自分自身に置き換えたときに許して欲しいと
言う甘えが根底にあるのだろう。

しかし、そういう風潮が子殺し、親殺しを増やしているな
どとはまったく気づいていない。

権利を叫ぶ前に襟を正さなければ。
NHKでアフガニスタンの麻薬問題をやっている。

アメリカによるタリバン掃討からずいぶん時間が経っているのだが
まだ戦争状態は続いているようだ。

すぐあとに、イラク問題がおこり、それに続いてイラン、北朝鮮と問題が続いているので
世界の耳目はすでに、アフガニスタンからは離れてしまっているが、悲惨な状況は
まだまだ、続いているようだ。

私たち日本人も、このことから目を離してはいけないだろう。

日本の安全保障上、アメリカとの同盟は欠かさざるものではあるが
アメリカによる世界支配のほころびは、いたるところで出てきている。

日本国内での格差問題などは、とるにとらないことだ。
世界で起きている悲惨な格差は、広がるばかりである。

こういう事態に目をつぶりつづけることが、良いことなのか。

しかし、悲しいかな日本にはパワーが無い。
他国のために力をつけようとすると「帝国主義の復活」などとそしりを受ける。

平和や平等を標榜する人たちは、こういう自体をどう考えているのだろう。

以前ブログで取り上げた「青木 鈴香」ちゃんが小学校入学と言うことで

またもや、マスコミがこぞって取り上げている。

みんながみんな、「よかった。」「笑顔がすばらしい。」と言うコメントを聞いていると

「大本営発表」の危うさを感じていまうのは、私だけだろうか??

確かに、彼女は実に屈託がなく、かわいらしい笑顔を持っている。

娘を三人持っている自分としては、この子にいつも笑顔でいて欲しいと感じるのは

禁じえない。

しかし、である。

このような感情、心情を前面に打ち出して視聴者を一定方向の意見に導こうとする

マスコミのやり方は大変危険に感じる。

この子の裁判のせいか、自治体に予算が交付され、看護士を学校におくことが検討されているようだ。

この動きも、マスコミの世論操作の結果といえるだろう。


「がけっぷち犬」しかり、「拉致問題」しかり。

お涙頂戴に弱い、判官びいきの日本人の琴線に触れるように、そしてやさしさがない人間は

人間じゃないとでも言うような論調で言論を封殺するように。

看護士配置の予算は、結構なことだと思う。そういう動き自体は反対じゃない。

しかし、こういう障害者や子供、高齢者の所謂「人権問題」になると、右向け右で

すべてのマスコミが反対意見や危険性について絶対に報道しない状態は

「人権ファシズム」とも言える。

そろそろ、そういうことに気づく人も増えてきたようだが、マスコミ自体はまだまだ悪い方向に

向かっているようだ。

しっかりとした国家あっての、自由だし人権だ。

貧しい国々では毎日「人権」が蹂躙されている。

子供たちが、流れ弾や不発弾に当たって、体中破片だらけになっている。

己の国の繁栄に胡坐をかいて、くだらぬ「お涙頂戴ショー」に振り回されないで

繁栄の足元を揺るがしている事態に敏感にならなければならない。

日本が貧しい他国のために何かしようとすれば、経済力だけでなく、外交力、軍事力の

裏づけも必要となるのだ。