昨日のブログで私は満足者って判定でした。
だけど、後悔はしたくないって気持ちもあります。

世の中が豊かになって選択肢が増えると
後悔することが増えやすく、
結果として不幸な気持ちになりやすい?

ちょっと長いですが、
うつ病への影響や対処法を
研究した結果が紹介されていました。
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豊かさが招く不幸

選択の余地が
まったくない社会には希望もない。

豊かな社会では
いろいろなものを選べるようになっているが

自分が幸せだと感じる人は
それほど多くなく、
抑うつ状態の人も増えている。

選択肢が多すぎると、
かえって不満を抱きやすくなってしまうのだ。

B.シュワルツ(スワスモア大学)



今日の米国人の生活では、
何かを選ぶ機会も
その際の選択肢の数も
以前よりずっと多くなった。

ある程度までは、
選択の機会があることで
私たちの生活はより豊かになる。

魅力的な選択肢があるのなら、
その数が多い方がいいだろう。

理屈の上ではそうなる。

たくさんの選択肢の中から
選びたいという人は
その数が多ければ喜ぶだろうし、
そうでない人は
まだ食べたことのないコーンフレークの類が
273種類もあると知っても気にならない。

だが最近の研究は、
心理学的にはこの仮定が
間違っていることを明確に示している。

確かに選択肢は
ないよりはあった方がいいが、
多ければいいとは限らないのだ。


これは大規模な社会動向とも一致する。

ホープ・カレッジのマイヤース
(David G. Myers)や
エール大学のレーン
(Robert E. Lane)など

さまざまな社会学者が、
人々の幸福感を調べている。

それによると、
米国のような豊かな社会では、
選択肢や豊かさの増加にともない、
実際には幸福感が
低下していることがわかった。

国内総生産(GDP)は
過去30年間で
2倍以上に増加したが、
「非常に幸せ」と感じる人の割合は
約5%ほど減少した。

これは1400万人に相当する。

さらに、
抑うつ状態になる人が増えている。

もちろん幸福感の低下を
1つの要因で説明できるわけではない。

だが、
さまざまな調査から、
選択肢の爆発的な増加が
幸福感を低下させる重要な要因に
なっていることがわかってきた。


豊かになり、
やりたいことができるようになるにつれ、
幸福感が薄れていくらしい。

個人の自主性、選択、決定権が
尊重される時代だというのに。

なぜ不幸の度合いが増えてしまうのだろう?



最近私は同僚とともに、
選択肢が増えると満足ではなく
不満を感じる人がなぜ多くなるのかを調査した。

調査では、
まず、
「常に最良の選択を追求する人」と
「他にもっといい選択肢があろうと
なかろうと満足できるものを目指す人」を
区別することから始め、
前者を
「追求者(maximizer,最大者、
後者を「满足者(satisficer)」と
呼ぶことにした。

満足者という言葉は、
カーネギー・メロン大学の心理学者で
ノーベル経済学賞を受賞した
サイモンHerbert A. Simon)の用語を借りた。


私たちは、
最高・最善を求める意識が
強いか弱いかを調べるアンケートを作り、
数千人に答えてもらった。

アンケートでは
「次善の策で満足したことはない」などに対し、
「まったく同意できない(1点)」から
「まったく同感(7点)」までの
7段階で自己評価してもらい、
平均値を求め、
これを「追求度スコア(Maximization Scale)と
呼ぶことにした。

また、
自分の決断に対する満足度についても調べた。


・最良を求める人 そこそこで満足する人

追求者と満足者を分ける
明確な境界線は設けていない。

だが一般的には、
中間点の4よりもスコアが高い人を追求者、
低い人を満足者と判断した。

追求度スコアが最も高い人
すなわち「最高追求者」は、
何かを購入する際に
商品を比較する時間が
スコアの低い人たちより長く、
また何を買うのか決めるのに時間がかかる。

満足者は自分の基準を満たす商品を見つけると
他のものを探そうとしないが、
追求者はラベルを読み、
消費者雑誌で調べ、
新製品を試すなど、
多大な努力を払う。

購入後も、
他人の持ち物と比べたりする。


普通はすべての選択肢を
調べることなど不可能だが、
追求者はそれをしようとする。

そのため
選択肢の数が増えるにつれ、
決めるのが難しくなる。

さらに悪いことに、
決めた後でも調べきれなかった
他の選択肢のことで絶えず思い悩む。

最終的に見ると、
追求者は
客観的で優れた選択をする可能性が
満足者よりも高いが、
得られる満足感は少ないのだ。


現実には追求者も何らかの妥協をし、
調べるのを止めてどれかを
選ばなければならない。

すると、
他を選んだ方がよかったのではないか
という思いがわいてくる。

実のところ、
選んだものに対する満足度が
最も低いのは最高追求者だった。

最高追求者は、
自分が人よりいいものを
選んだとわかっても、
たいして満足感を得られない。

だが、
うまい選択ではなかったとわかると、
かなりの不満を感じてしまう。

買ったものに
後悔することも多い。

また、
失望した場合はその気分が尾を引き、
元に戻るまで時間がかかる。

気に病んだり考え込んだりする傾向も強い。


・なぜ満足できなくなるのか

一般的に、
追求者は満足者よりも
不幸だということなのだろうか?

幸福感に関する信頼性の
高い指標として知られる
さまざまなアンケートに答えてもらい、
これについて調べた。

予想通り、
追求度スコアが高い人は
低い人に比べて
人生に対する満足感や幸福感、
楽観性が少なく、
抑うつ傾向が強かった。

実際、
最高追求者の抑うつ状態を見ると、
うつ病との境界線上にあると
思われるほど深刻だった。


なぜ選択肢が多い方がいいとは
言い切れないのか?

特に追求者にとって
その傾向が強いのはなぜか?

それはいくつかの要因から説明できる。

中でも重要なのが
「機会費用(オポチュニティーコスト)」だ。


ある選択肢の良し悪しは、
他と比較しなくては評価できない。

何かを決めるときのコストの1つに、
別の選択肢にすれば得られたはずの
機会を失うことがある。

たとえば休暇を海岸で
のんびり過ごすと決めたならば、
おしゃれなレストランには
行き損ねることになる。

この機会費用のために、
一番好ましい選択肢の魅力が
減ると仮定しょう。

すると選択肢が多ければ多いほど
引き算されるものも多くなり、
最終的な決定から得られる満足感は
小さくなっていく。


フロリダ大学の
ブレンナー(Lyle Brenner)らは、
雑誌の定期購読や
サンフランシスコから観光地への
往復の航空券に値段をつけてもらうことで、
機会費用の影響を実証した。

あるグループには
1つの雑誌や目的地について
値段をつけてもらった。

別のグループでは
さらに他の3種類を加えた雑誌や
目的地を見せて値段をつけてもらった。

値段をつけるべきものが複数あると、
単数での評価に比べて
常に低い値段になった。


なぜそうなるのだろう?

たとえばNewsweek誌に値段をつけるとしょう。
他にPeople、New Republic.Usを加えた
4誌がある中で
Newsweek誌に値段をつける場合、
この4誌を比較してみるに違いない。

NewsweekはPeopleより情報量は多いが
面白くはないと判断する人もいるだろう。

他と比べてNewsweekが勝る場合は
評価が上がるが、
劣る場合は減点に、
すなわち機会費用になる。


どんな雑誌でも、
他誌と比較すれば
プラス面とマイナス面の両方がある。

だが、
プリンストン大学の
ノーベル経済学賞受賞者
カーネマン(Daniel Kahneman)と
スタンフォード大学の
トバスキー(Amos Tversky)の研究から、
マイナス点(この場合は費用)は
プラス点よりも
心理的にずっと大きな影響を
及ぼすことがわかっている。

得たことによる喜びよりも、
られなかったことによる失望の方が
大きく響いてしまうのだ。


機会費用に振り回されて
判断が混乱することもある。

たとえばある実験では、
参加者にアンケートに答えれば
1.5ドルを払うと約束した。

回答後に1.5ドルの代わりに
しゃれた金色のペンを差し出して、
こちらの価格は普通2ドルすると言うと、
75%の人がペンを選んだ。

次の実験では、
1.5ドルの現金か2ドルの金色のペンか、
合計すると2ドルになる
フェルトペンのセットを見せる。

すると、
50%以上の人は現金を選ぶ。


機会費用が大きな問題となるのは
追求者にとってだ。

満足者は「そこそこのもので十分」
と考えるので、
機会費用には影響されない。

さらに「そこそこ」という基準があるため、
「最良」を基準とする追求者に比べて、
探したり調べたりすることも少ない。

検討する選択肢が少なければ、
差し引かれる機会費用も少ないのだ。


このように、
人はチャンスを逃したことを
悔しく思うわけだが、
一方では、
自分が選んだ結果に
後悔することもある。

私は同僚と、
後悔しやすさを判定するテストを考案し、
幸福感や抑うつ傾向などとの関連を調べた。

その結果、
後悔しやすい人は
そうでない人に比べて
幸福感や
人生に対する満足感、
楽観性が少なく、
抑うつ傾向が強いことがわかった。


・後悔、役に立たず

当然のことだが、
後悔しやすい人と追求者は重なる傾向がある。

実際、
ある人が追求者になるおもな理由は、
後悔したくないと
心配しすぎるからだと思われる。

決して後悔しないと確信するには、
最善の選択をする以外にない。

だが残念なことに、
選択肢が増えれば増えるほど
機会費用も多くなり、
後悔のタネも多くなる。


私たちが損失を嫌うのは、
1つには後悔をしたくないためだろう。

高い靴を買ったはいいが、
足が痛くなるので
10分も履いていられなかったという
経験はないだろうか?

その靴は捨てるか、
下駄箱の奥につっこんでおくかの
どちらかになる。

捨てるときには、
おそらく嫌な気持ちになる。

靴を買うには実際の費用を払っているからだ。

これは、
支払いずみのコスト、
すなわち「サンクコスト(埋没原価)」だ。

これがあるために、
いつかは払った金額に
見合うものが得られると期待して、
靴をとっておく。

人にあげたり捨てたりすれば、
損失があらわになり、
選択の誤りを認めなければならなくなる。


サンクコストの影響力を
実証した有名な実験がある。

この実験では
期間中は何度でも入場できる
地方劇団のシーズンチケットを
購入してもらった。

この時、
正価で買った人と、
割引価格で入手した人がいた。

その後、
実際に何回芝居を見に行ったかを追跡した。

正価で買った人は
割引価格で買った人よりも
芝居を見に行く回数が多かった。

その理由は、
高価なチケットを使わなければ
損失が大きくなるため、
正価の購入者の方が
後悔も大きくなるからだという。


後悔の強さに影響する要因は2つある。

1つは、
結果に対してどのくらい
個人的な責任を感じるかであり、
もう1つはもっといい代替案を
どのくらい簡単に想像できるかである。

選択肢がある場合、
この2つは明らかに大きくなる。


選択の余地がないとしたらどうだろう?

がっかりすることはあっても、
後悔はしないだろう。

選択肢がなければ最善を尽くすだけだ。

だが選択肢が多ければ
本当にいいものが
どこかにある可能性が増えるし、
それを見つけられると思うのも無理はない。


・薄れていく喜び・・・・・・

順応と呼ばれる現象もまた、
多すぎる選択肢による不満の原因となる。

私たちは物事に慣れてしまうので、
何を選んでもいずれは
期待した満足感が
得られなくなってしまうのだ。

さんざん悩んだ末に
トヨタの高級車レクサスを買おうと決め、
後は他の車の魅力は
考えないようにできたとしよう。

新車を初めて運転するときは
喜びを感じるだろうが、
そのうちに順応が始まり、
満足感が少しずつ薄らいでくる。

すると、
最終的な選択が悪いものでなかったとしても、
二重の打撃を感じてしまう――
選んだものに対する後悔と
選ばなかったものに対する後悔だ。


順応が起こるせいで、
いい経験に対する喜びや熱意は
長続きしない。

ハーバード大学の
ギルバート(Daniel T.Gilbert)と
バージニア大学の
ウィルソン(Timothy D. Wilson)らは、
いい経験による喜びや
嫌な経験による悪い感情が
どのくらい続くかは、
しばしば予測と異なることを
明らかにしている。

時がたつと、
わくわくした気持ちが不意に消えてしまい、
不愉快な気分になってしまうことがよくある。


選択肢が多い社会では、
少ない社会に比べて
失望につながるケースが多いと考えられる。

決定にかかわる機会費用と
それを下すのに使った時間や
努力にかかわる費用は、
いわば固定費として
前もって支払われる。

これらのコストは、
その決定によって購入した品を
使っているうちに
“償却”されていく。

また、
投資した額が大きければ大きいほど、
得られる満足感は
大きいだろうと期待する。


長い時間がたった後にも
十分な満足感が得られているなら、
その決定にかかったコストは
取るに足らないくらいに小さくなる。

だが喜びが短時間しか続かない場合は、
コストが大きくのしかかる。

どのステレオを買うか決めるのに
4ヵ月かけたとしても、
15年間楽しめればそんなに悪くない決断だ。

だがわくわくする喜びが6カ月しか続かず、
その後順応してしまうなら、
無駄な努力をしたと思うだろう。


・期待のしすぎは災いのもと

選択肢が多すぎると
期待も大きくなりすぎて、
別の形で苦痛となることがある。

1999年の秋に
New York Times紙と
CBSニュースは、
ティーンエイジャーに
自分たちの経験と
両親の若い頃の経験を比較してもらった。


裕福な家庭の子どもの50%が、
自分たちの生活の方が大変だと答えた。

さらに聞くと、
自分も両親も期待が大きすぎると答えた。

また、
「何もかもが多すぎる」という。

することも、
買うものの選択肢も、
勉強することも、
多すぎるのだ。

解説者はこれを、
 「子どもたちはプレッシャーを感じている・・・・・・
 後戻りはできない。
 何もかもが先へ進むことばかり・・・・・
 後退は米国の夢なのだ」
と表現した。

このように望みが高ければ高いほど、
低いときよりも落胆は大きくなる。


現代の生活では、
何かを選択する機会の多さが、
期待を高める一因となっている。

数年前に小さな海辺の町で
休暇を過ごしていたとき、
私は夕食の材料を買おうと
地元の食料品店に行った。

その店に置いてあるワインは
12種類くらいだった。

私が買ったのはそこそこの品だったが、
逸品を買えるとは思っていなかったので、
それで満足した。

もっと品ぞろえが豊富な店で
買い物をしていたら期待が高くなり、
同じワインでもがっかりしただろう。


北ブリティッシュコロンビア大学の
マイクロス(Alex C. Michalos)は、
買い物など私たちが行動するときには、
比較によって判断していると指摘する。

過去の経験や要求水準、
期待との比較が、
大きく影響するのだ。

「よかった」と言う場合、
自分の期待以上だったという意味を
ある程度含んでいる。

逆に期待が大きすぎれば、
結果が予想を下回るのは当たり前だ。

追求者にとっては特にそうだし、
後悔や機会費用、
順応などの要素を抜きに
期待だけがつのっている場合は
なおさらだ。


・うつ病とも関連性が

選択肢が無数に存在すると、
がっかりするなどという段階を越えて
苦痛となりかねない。

前述したように米国人の幸福感は低下し、
抑うつ状態の人が増えている。

その大きな要因の1つに、
決断を下した後に
期待通りでないことがわかると、
自分を責めてしまうことがあると思われる。

期待通りでないことは
自分の失敗となる。

しかもそれは
もっといい選択を
していたら避けられたし、
また避けるべき失敗だったと
思ってしまうのだ。


私たちの研究から、
追求者が
最もうつ病にかかりやすいことがわかった。

年齢(年少者も含む)や性別、
教育レベル、
住んでいる場所、
人種、
社会・経済的地位の異なる
さまざまなグループを調べた結果、
追求度スコアとうつ傾向に
強い相関関係があるとわかった。

失望が大きすぎたり、
何を選んでも期待通りにいかなかったり、
失望したことについて
常に自分に責任があると考えたりしていると、
取るに足りないことが積み重なって、
正しいことなど何もできないと思い始める。

それが心に破壊的な影響をもたらすのだ。

うつ病の原因はさまざまで、
選択や追求度との関係は
さらに調べる必要がある。

だが、
選択肢の圧倒的な増加が、
現代社会に広がっている不幸感の
一因となっているのは確かだろう。


・対処法はちゃんとある

ここまでの話はあまり楽しいものではない。

欲しいと思ったものを手に入れても、
期待ほどの満足感は得られないと
わかるだけだというのだから。

では、
選択肢が非常に限られているか、
いっそのこと選択の余地などない方が
いいということだろうか?

私はそうは思わない。

選択と幸福の関係は複雑だ。

重要なことを
自分で選べない人生には耐えられない。


選択できるということは、
人間にとって
非常に重要なプラスの効果をもたらすのだ。

だが、
それにも限度がある。

直面する選択肢の数が増えるにつれ、
心理的な利益は横ばいになり始める。

同時にここに書いてきたように
選択によるマイナスの効果が表れ、
それらは横ばいではなく急増する。


ミシガン大学アナーバー校の
故クームス(Clyde H. Coombs)と
マサチューセッツ大学アマースト校の
アブルーニン(George S. Avrunin)は
以前に、
いい出来事は“飽きがくる”が
悪い出来事は“激化する”と述べている。

同じようなことは
感情についても言える。

選択肢の数がある段階に到達すると、
チャンスよりむしろ不幸が増加する。

米国社会は
その段階を越えて久しいと思われる。


選択肢を制限する法律に
賛成する米国人はまずいないだろう。

だが、
そんな法律を作らずとも、
選択にかかわる苦しみを
減らすことはもちろん可能だ。

それには
練習や自制心、
新しいものの考え方が必要だが、
それなりの効果が期待できる。


・選択の自由を尊重しすぎると

こうした個人レベルの対処だけでなく、
社会も
選択肢を尊重しすぎないように
考えを改める必要があるだろう。

この記事を書いている間にも、
社会保障の民営化
(退職金の運用方法を選択できる)、
メディケア処方医薬品給付の民営化
(自分で健康保険を選べる)。

公教育の選択などについて
論議が続いている。

また医学倫理学者たちは
「患者の自己決定権」という考えを、
きわめて神聖なものであるかのように
論じている。

まるで患者に治療法を選ばせれば、
病気がよくなるのは当然だとでもいうようだ。


パソコンソフトの開発会社は
ユーザ一が自分のニーズと好みにあわせて
カスタマイズできるように
製品を設計する。

煩雑になってユーザーが混乱しても、
ユーザーの自由度を大きくする方が
より重要だと考えている。

どのメーカーも
消費者がもっといろいろな種類を
欲しがっているかのように、
新製品やモデルチェンジした製品を
発売しつづけている。


私の研究が示す教訓とはこうだ。

こうした分野で“進歩“と見なされているものが、
実は非常に誤った前提に
基づいているのではないか?

選択肢は多ければ
多いほどいいという、
誤った前提に。


Barry Schwartz
シュワルツは
スワスモア大学心理学部の
社会理論及び社会行動論の教授として
1971年から教鞭をとっている。
「The Battle for Human
 Nature and The Costs of Living)
などの著書があり、
過剰な選択肢の影響に関する本を出版した。

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後悔したくないなら、
程よい豊かさで満足出来るような環境が
あればいいってことでしょうか。

性格を変えることは無理でしょうし。

洗脳されて選択の自由をなくされれば
偽りの幸福感は得られそうですけど・・・