ここしばらく、湿気の重さは感じるものの、
穏やかな日々をすごしていました。
すこし物足りないとかんじるくらいに。

アルバイトの仕事も始まり、ぼちぼちとやれています。
けれど、疲れもあるのか、たまに出てくるネガティブ感情。
落ち込みというよりは、発作的に、
「今までの人生は無駄だった、何もしてこなかった」
「なにもかも中途半端でどうせ何もできない」
というお決まりの考えが浮かんできてしまう。

今朝、ひさしぶりに寝起きがわるく、起きぬけに涙の発作。
「これは感情じゃない、吐き気や腹痛と同じ症状なだけ」
と言い聞かせ、あまり深みにはまらずにすみました。

「何もしてこなかった」というのは
「何かしてきたはず」と思いたい願望、
「何もできない」というのも
「何かできるはず」と思いたいだけ、
そもそも何もできなくて当然、とひらきなおる
いつものうつを抜ける過程をなんとか言い聞かせているところです。

すこしずつ、いろいろなことのペースをおとしていくのが
よさそうな予感。


眠気と重さが出るので、
リーマス 300mg/日
にしてます。

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5月19日、診察日でした。
かなりおちついてきています。
先生からも「見るからにそうみたいね」と太鼓判。
「ギンギンなにか発してるかんじがなくなった」とも。
やっぱギンギン発してましたか。

夜も早めに寝たり、朝も二度寝ができるくらいまったりできてます。
家の倉庫を貸しアトリエにする計画も、ひとまず保留に。
まずは貸しスペースの不定期お店番が決まったので、
そちらをぼちぼちやって、いろいろ勉強してからということに。

ジプレキサをやめる話も出ましたが、
今増やしているリーマスの方が、だるさ眠気の副作用が出やすいので、
リーマスをもとの量に減らしてもらいました。

「今のかんじがなるべく長く続くといいね」
と言われました。

ただ、わたしとしては、ちょっとエネルギー不足に感じる日がちらほら
出てきたような感触です。
これくらいでちょうど良いのかもしれませんが。
いくつか約束もセーブせざるを得ず。

もともと、春の湿気が出てきたあたりから、いつもならごーんと落ちている
はずが、わりと動けてここまできたことを考えれば、これでも御の字なのかも、
とはおもったり。

まあこれから、梅雨のどんよりもやってくることだし、
すこしずつペースをおとしていって、どんと落ちずにせめて、ふんわり着地、
くらいをめざしてみよう。

季節は、かならずめぐりゆくものだから。
さからわず、柳のように、しなって波をやりすごそう。


今回の助っ人↓
リーマス300mg、ジプレキサ1.25mg/日

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黄金週間も明けて、診察日。

ジプレキサ2.5mg×1錠で、ものすごい眠気に襲われてしまい、
半分に割って飲むようにしてから、約一週間。

おちついてきました。
うん。

ひとまずこの方向でよしよし、といったかんじです。
やりたいことが次々にわいてぐるぐるするかんじもなくなり、
頭のなかで鳴り続けてた椎名林檎と東京事変メドレーもやみ、
騒がしかった(あたまのなかの)村人たちが、ようやくそれぞれのお家に帰って
もとの暮らしに戻りつつあります。
村長ひとあんしん。

ただしまだまだ、「24時間じゃ足りない」という感覚はあるので
以下のアドバイスをもらいました。

・約束は二つ返事でオッケーせず、ワンクッションおいて考える。
・「一日おきルール」復活させる。→外出の予定は一日おきにおさえる
 (これはうつ対策にもなる。)(先生いわく「うつ対策=そう対策でもある」)
・じぶんと向き合う、静かな時間をたいせつに。
・働くことはもう少し様子見がひつよう。

ということで、ひきつづき波をおさえつつ、じっくりと。

この2週間の助っ人たち↓
リーマス400mg、ジプレキサ1.25mg/日
佐々瞬個展「犬がいない場合、とりあえずの家庭菜園」
をみにいきました。
初夏の日差しのなか、学芸大学駅から線路ぞいをてくてく。

作家自宅での個展。
住宅地の、家と家の間に、現れる白い骨組みの小屋?
はしごのような階段をのぼると、2階には「家庭菜園」が。
水をはったお皿や容器に元気に育つ、かいわれやじゃがいもやにんじんたち。
ビニールでおおわれている小屋のなかは、むわっと野菜の匂いと湿気にみちている
そして、なにかなつかしいような、せつないような、なごむような
そんな気持ちになる。
ちょうど昔のたのしかったことを思いだすときのような。

降りようとすると、階段のわきに一枚の紙切れが貼ってある。
そこには、この作品のつくられたわけと、展示が始まってから変化していった作家の思いが
走り書きのようにして、つづられていた。

作家いわく、小さいころから飼っていた犬が最近亡くなり、
そのどうしようもない悲しみやむなしさから、「とりあえず」野菜を育て始めた。
しかしどうしたって、野菜は野菜なのであって、そのむなしさはどうにもならなかった。
やはり全然違うのだ、と気づいたが、それでも野菜は育ち続けるから世話をやめるわけにもいかず


作家がいるときには、自宅内にもつづく展示も見ることができる。
2階の窓から外と見ると、さっきの「小屋」がじつは犬の顔のかたちをしていて、
なんだかじっとこっちを見ているみたいだ。

とても個人的なテーマを、あえて個人的な手法のままで見せている。
一見とても内向きな印象だが、なぜかとても共感できる。
作家の素直さが、すっとこちらへ入ってきて、すでになつかしささえ感じてしまう。
もちろんわたしは初対面だったのだが。

作家自身と話してみて、そのわけもわかったような気がした。
内向きなことを出せる人は、内向きではない。
当然のようだが、なにかこちらまで、勇気をもらったような気分になった。

会期延長中。
くわしくはこちらに。
佐々瞬ウェブサイト
http://www.sasashun.com/news.html
やっぱりなんだかんだいって
あれこれほしくなるんだけど
しあわせはきづかないくらい
ごくごくちかい、すぐそこの
あたりまえのようなところに
ほんとにあるものなんだって
そんなふうに、ちょっとだけ
そうおもえた、かもしれない

なにもかえなくていいのかも
いろいろやってみたけれども
このままじゃあいけないとか
すかれたいがためのうそとか
いろいろやってみたけれども
ほんとはすでにあったのかも
ここにあるものがすべてでは
けしてないのはたしかだけど
ここにもっているものすべて
まっすぐにみてたしかめたら

しあわせはたぶんそこにある
すでにそこによういされてる
みていないだけでそこにある

もうわざわざくるしいほうを
えらぶようなことはしないで
ためらわずにまっすぐにみる
そこにすでにあるしあわせを
そしてこのてでつかみとろう

むずかしくかんがえていても
じつはきっとかんたんなこと