佐々瞬個展「犬がいない場合、とりあえずの家庭菜園」
をみにいきました。
初夏の日差しのなか、学芸大学駅から線路ぞいをてくてく。

作家自宅での個展。
住宅地の、家と家の間に、現れる白い骨組みの小屋?
はしごのような階段をのぼると、2階には「家庭菜園」が。
水をはったお皿や容器に元気に育つ、かいわれやじゃがいもやにんじんたち。
ビニールでおおわれている小屋のなかは、むわっと野菜の匂いと湿気にみちている
そして、なにかなつかしいような、せつないような、なごむような
そんな気持ちになる。
ちょうど昔のたのしかったことを思いだすときのような。

降りようとすると、階段のわきに一枚の紙切れが貼ってある。
そこには、この作品のつくられたわけと、展示が始まってから変化していった作家の思いが
走り書きのようにして、つづられていた。

作家いわく、小さいころから飼っていた犬が最近亡くなり、
そのどうしようもない悲しみやむなしさから、「とりあえず」野菜を育て始めた。
しかしどうしたって、野菜は野菜なのであって、そのむなしさはどうにもならなかった。
やはり全然違うのだ、と気づいたが、それでも野菜は育ち続けるから世話をやめるわけにもいかず


作家がいるときには、自宅内にもつづく展示も見ることができる。
2階の窓から外と見ると、さっきの「小屋」がじつは犬の顔のかたちをしていて、
なんだかじっとこっちを見ているみたいだ。

とても個人的なテーマを、あえて個人的な手法のままで見せている。
一見とても内向きな印象だが、なぜかとても共感できる。
作家の素直さが、すっとこちらへ入ってきて、すでになつかしささえ感じてしまう。
もちろんわたしは初対面だったのだが。

作家自身と話してみて、そのわけもわかったような気がした。
内向きなことを出せる人は、内向きではない。
当然のようだが、なにかこちらまで、勇気をもらったような気分になった。

会期延長中。
くわしくはこちらに。
佐々瞬ウェブサイト
http://www.sasashun.com/news.html