SEでドラマーでブルガダ症候群で -4ページ目

③.食生活、睡眠時間の話

①.手術直後の仕事の話
②.手術直後の精神状態の話
③.食生活、睡眠時間の話  ←今ここ
④.性生活の話
⑤.仕事(転職)の話
⑥.幸せ敏感肌の話


ブルガダと診断されたあの日
僕の働き方はマジで最悪で、食生活も睡眠時間も崩壊していました。
社畜、とかブラックIT企業、とかそういう悪いイメージまんまの働き方でした。
(会社も悪いけど、僕も悪かった。)

睡眠時間は明らかに足りておらず、慢性的な睡眠不足でした。
夜中帰ってきて、朝9時には会社にいる、という生活。
平均睡眠時間は3,4時間ぐらいだったかなと思います。徹夜もありました。それが月~土。

実家暮らしだったので、ごはんに関しては夜のみしっかり栄養はとれていたと思います。
が、
朝:食べない
昼:外食(スーパーの弁当とかカップ麺)
夜(残業前に会社で18時頃):菓子パン
夜(家に帰ってから25時頃):ちゃんとしたご飯

という感じで時間帯が不規則でした。

食べる事が大好きなので栄養不足ではなく過多気味の不健康のベクトルだったと思います。


そんな生活を続けていたので、おかしくなったワケですが医者からは
「ブルガダ関係なく誰でもおかしくなるわ。」
という事でした。

と、まぁ、ブルガダきっかけにその辺を改善していき
10年弱経った今ではだいぶ健康的な生活が意識できていると思います。

まず、ブルガダと仲良く付き合うためには睡眠時間。
すごく大事。

睡眠不足が続くと発作も起きやすいそうなので、しっかり寝て健康になるべきです。

しかし、ブルガダは睡眠時に発作が起きやすい病気・・・

二律背反!!!

と思われがちですが、そうは言ってもしっかり寝て健康的に保つ方がリスクは減ります。
ここが訓練の一つで、「寝たら発作起きるかも・・・」という眠る恐怖を如何に昇華するか、
というのがブルガダ人のひとつの課題なのです。
睡眠に対して向き合う。大事です。

メンタル的なコントロールと、負担なく眠れる環境づくりです。

***

メンタル的には最初はやっぱり夜が凄く怖かったです。
不安でした。

僕は
「つっても対策しようもないし、発作おきたらコイツ(ICD)が助けてくれるし」
と開き直って眠っています。
だってどうしようもないもん。

後は、全然関係ないことを考えるとか、自分にあった方法を模索するといいです。


あとは眠りやすい環境づくりです。
布団とか枕はあってるか、とか。

気にしすぎは良くないですが、眠りやすくする環境づくりのため見直してみるのもイイです。

僕がやっているのは睡眠30分~1時間前ぐらいに部屋の電気を消して
間接照明(なんてオシャレなものは無いからキャンプ用のLEDランタン。)で
薄暗くして過ごしています。

***

食生活についても同じくバランスの良い食事が大事です。
男一人暮らしならテキトーでいいか、となりがちですが
栄養考えながら、3食しっかり食べると意識することで一歩健康に近づきます。

至極当然の事しか言ってないわけですが、ブルガダを期に今一度見直して
「健常者の人よりも意識高めて生活してるんですよ」
が、将来的な自分の自信だったりモチベーションに繋がります。

仕事の話と関連しますが、
内部障害の人全般に言える事と思いますが、
見た目は健康体なので、職場の人とか慣れてくると障害の事をスッパリ忘れちゃうんですよ。
それで無茶な仕事を振られたりします。

そこで改めて障害を周知してもらうと共に
「健常者の方と同じ生活のフィールドに立つために、ちょっと意識して生活している」
という前提を知ってもらえると、より理解が深まると思うんです。

そういった後ろ盾としても自身の健康管理は超大事です。



なんか話が逸れたな。
今日はこんなところで。

②.手術直後の精神状態の話

①.手術直後の仕事の話
②.手術直後の精神状態の話  ←今ここ
②.食生活、睡眠時間の話
③.性生活の話
⑤.仕事(転職)の話
⑥.幸せ敏感肌の話



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ブルガダと診断されICDを埋める事になった多くの人は、
今まで健常者として過ごしてきたのに急に障害者手帳をホイッと渡されて(しかも重度身体障害)
「えっ、今まで健康だったのに俺やべーの?」と混乱されているのではないでしょうか。


私もその一人でした。
中学校では運動部でハードなスポーツをしてきましたし、
社会人になってからお酒もタバコも普通に嗜んでいたので、まさに青天の霹靂。

前回の仕事の話でも書きましたが、入院明けに休職を経て一度も会社に戻ることなく退職したので、
激務だった日々から生活は大きく変わり、のんびりとした生活になりました。
そして障害持ちになりそういう生活をしてもいい理由ができたので、少し嬉しかったのを覚えています。
(不自由な思考回路なもんで、理由がないと休めないのは不便ですね。今思うと。)

社会的な扱いも、環境も変わり、精神的な変化も大きくありました。

そんな話をしようかと思います。

 

***

 

入院明けに会社も退職し、
激務の時にはなかなかできなかった趣味のドラムができたり、ゲームができたり、
ゆっくり睡眠がとれるっていう事だけでも嬉しかったのを覚えています。

何も無い日がこんなに素敵だとは。

明日は何しようか、明後日は何しようか。

毎日休日のようだから何でもできるな、と。

日々ワクワクしておりました。



しかし、そんな状態も長くは続きませんでした。

お金が尽きたわけでもなく、環境が変わったわけでもなく、
なんと自分のメンタルが持たなくなったんです。


不思議な話で、のんびりしすぎると不安になってきたんです。
社会から疎外されている感じで。

『待ちゆく人に「平日の昼間っからイイ歳の男がふらふら歩いてるよ」って思われてるんだろうな・・・。』

と。(誰もそんなこと気にしちゃいないのに。)

そうなるまで3か月持たなかったです。
そこからはもうドロドロで、惰性で生きる生活がはじまります。
気晴らしに遊びに行っても、家にいても、罪悪感というか背徳感が常にどこかにありながら生活していました。
土日はみんなが休むので、少し気が楽になるのですが
これまた不思議なことに日曜日の終わりに向けて、「明日は月曜日か・・・」と、憂鬱になるのです。
「明日から平日だけど俺何もないや・・・」と。

半年もするともう重症です。
思考することも喋る機会も激減するため、人と会話する時に全然頭も口も回らないんです。
言葉が出てこない。
四肢も五感も正常なのに、言葉にならない悲しい感情だけが渦巻いていました。

そして自責にかられ、無力感・・・。

と、負のループになりました。


障害が発覚した時も恐怖でしたが、これはまた別の恐怖でした。
社会から不要になっているんじゃないか。という帰属の欲求が全く満たされない恐怖。
これこそ、退院後に気を付けなくてはならない副作用だと痛感しました。

それでも幸いにも、失業手当の受給期間が切れる直前で転職先が見つかりました。

メンタル的に沈んでいる時は当然ながら面接を受けても受かるワケはありません。
だって元気ないの丸わかりだし、そりゃ印象悪いですよね。

そんな私を変えてくれたのは親友でした。

こんな腐りきった状態の僕を外に連れてってくれて、真剣に悩みを聞いてくれました。

「メンタルが病んでしまっている事を、自分の責任と責めがちだけど、
 そういうのは自然現象と同じ『事象』と考えるといいよ。」

という言葉を言ってくれて、ハッとしました。
そうです。気持ちの浮き沈みも天気と同じように事象で、
自分の力ではどうすることもできないので、責任を感じすぎる必要はない。と。

当時の自分には涙が出るほど貴重なアドバイスでした。
そう言ってくれる事で少し心が軽くなり次のステップへの励みとなりました。

そこから面接で落ちても「頑張ろう」という気になり、手当たり次第様々な会社を受けました。
その結果、小さい会社から内定をもらうことができ、無事社会復帰することができたのでした。



***


今思い返してみても、当時のメンタルは正常ではなかったです。
診断こそ受けていないものの、鬱状態でした。

そして激務だった時にあれほど欲しかった「自由」は幻想だったと痛感しました。
「自由」は忙しい中にあるからこそ「自由」でした。

本当に周囲の人の助けが無ければ今頃どうなっていたか・・・。
そういう経験もあり、今は少し強くなりました。

病気になったからこそ体は大事にしないといけませんが、戦わないと行けません。

そして、遊び呆けているとツケが回ってきます。

それも這い上がるのが難しいツケです。

 

本当にあの期間はもったいなかったなと思います。

それでこそ今があるのですが、沈む期間はもっと少なくてもよかったかな、と・・・。

これからブルガダ人になる方で、かつ心が沈んでいる方に
僕と同じ道を歩まないよう、この想いが伝わればいいなと思います。

もし悩んでいたら周りを頼りましょう。

頼る人がいなかったら、探しましょう。

外に出ましょう。物理的でなくとも、ネットでも、本でも。

 

①.手術直後の仕事の話

①.手術直後の仕事の話    ←今ここ
②.手術直後の精神状態の話
②.食生活、睡眠時間の話
③.性生活の話
⑤.仕事(転職)の話
⑥.幸せ敏感肌の話

 

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手術する前から務めていた会社は、残業が多いため続けるのは無理だと思っていましたが
入院中に会社から「働ける環境を作るから、戻っておいで」とありがたくも言ってもらえました。

が、結局戻りませんでした。
さんざんぶん殴ってきた相手に「もう殴らないから」って言われても、そりゃ信用できないよな、と。

当時はそんな風に思っていましたが、今思い返してみれば、本当に配慮してくださってたんだなと思います。
ありがたい言葉だったと思います。

本当に今でこそ感謝できます。そして後先考えずに勢いだけで去ってしまって申し訳なかったなと思います。


それでも戻らなくてよかったと思います。
その言葉に甘えて復職しても、言葉に騙されて激務に戻ったとしても、どっちでも幸せでなかったと思うので。

そんなあまのじゃくの自分だから経験できたこともあるので、
ブルガダビギナーの若者に経験談を伝えられればいいなと思います。

***

さて、退職したは良いけどもお金はどうするか。

私の場合、退職後に失業手当を受けました。

当時は、(今の制度は変わってるかもしれないです。)
会社を辞める際の退職理由が「傷病による」場合は、
自己都合退職と異なり待期期間なく失業手当を受ける事ができたので(場合によります。念のため。)
失業手当を受けながら求職活動+療養に充てました。

加えて、場合によっては障害年金が受給できます。

障害年金は超がつくほど手続きが大変だった記憶があります。

何度も年金事務所に通った記憶があります。

 

時間がたっぷりあるタイミングで申請してしまいましょう。
***

さて、そんなありがたい失業手当ですが一生もらい続ける、なんてそうは問屋が卸しません。
特別障害になったとはいえ働かざるもの食うべからず。次の仕事を探さないといけません。

勢いに任せ退職した私は当時20代前半。
当然ながら転職経験もなく、技術も、話術も、常識も、何も持っていなかったので本当に苦労しました。
まず最初に知った事は『障害者は基本採らない』というスタンスの会社が多い事です。

大企業が多い都市部ではその限りではないかもしれませんが、そうではない地域の方が多いかと思います。


いくら法定障害者雇用率が定められているとは言っても、障害者当事者からすれば現状は厳しいです。

が、悲観的になることはありません。
これもまたチャンスなのです。

転職の云々は『⑤.仕事(転職)の話』で詳しく書こうかと思いますが、
「ブルガダですけど雇ってください!」

と千尋ばりに元気よく言っても
「黙れぇぇぇぇぇ」

と湯婆婆(人事)に言われる事が多いです。(多くないです。)

若しくは、面接ではニコニコ聞いてくれても、人事の人が自分のデスクに戻ってから
「さっきの人の障害聞いたことねぇな・・・"ぶるがだしょうこうぐん"・・・と、」とググって
「致死性の不整脈があるやべー障害」の一文を読み、パタンと履歴書を閉じ、不採用のハンコを押して返送。というのが関の山。

世間一般に認知度の低いこの病気に対して、
自分が誤解を解かないと雇ってくれる企業なんてない!と痛感しました。

どうするかっちゅーと、人事にググられる前に誤解を解け!ということです。
面接で「そんなヤバくない病気ですよ」ってことを伝えるわけです。

そんなこんなで何社か受けてやっと、次の転職先が決まったわけです。
その転職先でも色々トラブルが・・・。
と、この続きは5章で話そうと思います。

***

人生の分岐点を考えた時、「働ける環境を作るから、戻っておいで」と言われた後に
元の会社に戻るのも選択肢だったと思います。

ブルガダと診断され、復職するか悩んでいる方もいるかと思います。

復職できる環境があるなら、是非戻るべきだと思います。
信頼できる仲間と働きやすい職場環境、これが揃っているなら障害云々関係なく幸せな事です。
不安はあるかと思いますが、戻ってから合わなかったら転職すればいいです。

逆に、
・戻っても腫物を触られるような対応が想像できる、
とか、
・嫌みを言われそう
とか、
・自分が会社に甘えちゃいそう
とか、そういうのが容易に想像できて、それが嫌だと感じるならスパッと辞めて転職したらいいです。
ブルガダと診断された今、間違いなく人生の転機なのでその機会に乗っかっちゃえばいいと思います。
(責任はとれませんが。オススメします。)

***

 

内容が散漫してしまいましたが、退院〜1年ぐらいはざっくりとでもプランを考えておいた方がいいです。

退職される方、復職される方に共通と思いますが、

 

・自分の体のことを知る。

・障害の概要を伝えられる文章を考える。(1分程度におさまる量で。)

・何ができて、何ができないかを箇条書きでまとめる。

 

この辺を整理しとくと、自分を守るアイテムになるかもしれません。

 

だらだら書いてしまった。今日はこの辺で。