夕日
今日、久しぶりに、のんびりと新宿のカフェで物思いに耽りながら、
空を眺めていた。
遠くにドコモタワーが見えて、雲空にちょっぴり、晴れ間が見えて、
そこに沈み行く太陽の''赤''が少しずつ差込み、青から赤へ、
そして、黒へと色を変えて、一日の終わりを告げていった。
何気ない風景が、とても美しく見えて。
毎日変わりなく同じように続いているその風景が、
建物の中で過ごしている自分にとっては、ただただ特別で・・・
よく、島に行くと、何でずっと夕日を眺めているの?と聞かれた事がある。
旅するときに、僕は毎日、夕日をどこかで眺めようとする。
何故かというと、夕日が一日の中で一番綺麗な時だから・・・
夕日って、実は見ているようで、落ちていく瞬間や、空が青から赤へ、
そして黒へ変わる瞬間って実は皆見ていない。
だから、自分にとっては、凄く特別で。
特に水平線の先に沈み行く太陽を見ることなんて、
人生で何百回も見るもんじゃない。
その表情は、同じ場所でも、見事に違う。
青いときもあれば、ピンクのときもある。
真っ赤のときもあれば、闇に深く染まるときもある。
同じものなんて無い。
同じ瞬間なんて無い。
そんなことを思い出しては、ただ心が安らぎ、島であろうと、街であろうと、
等しく訪れる一日の終わりに、僕は一種の安らぎを感じていた。
Pai,Thailand(2)
パイで過ごした時間、それはすべてが、
せせらぎを流れる水のように、ゆったりと流れていく。
本当に五感で感じ、自然に感謝する・・・
ある日、僕は自転車を借り、Mae Muangと呼ばれる滝を目指した。
タイは、滝が多く、よく地元の人たちも水浴びに行く。
風が凄く心地よくて、とても気持ち良かった。
けれど、結局約15kmほどこいだが辿り着かず、帰りのことも考えて、切り上げた。
それから、昼寝をして、パイの町を一望できる、丘の上の寺へ。。。
上まで上るのに、階段を登らなければならないのだけれど、
ワクワクしながら、上へと登っていった。
そこから見える、パイの町や山々。
空、畑、それらが織り成す景色は本当に綺麗で・・・
とても美しく壮大だった。
たまたま4人組のドイツ人がそこに来ていたのだけれど、
「きっと同じ事を考えているんだろうなあ・・・」
と思わず、嬉しくなりながら、ただただその眼下に広がる自然と町並みの調和を、
遠くに見える山脈の連なりを僕はただただ眺めていた・・・
本当にPaiは美しいと、心から感じた・・・
町から寺へと続く道を眺めながら、ふと'道'について考える。
道ってきっと人生と同じなんだろうな、と。
辿った道を眺めては、それまでのことを思い出し。
まだ見ぬ先へつながる道を眺めては、
どこへつながっているのだろう?とただただ胸が躍る。
そんな事を考えながら、どれだけの時間を過ごしただろう。
静けさの中、夕日が山の奥に少しずつ少しずつ、その姿を隠してゆく・・・
ゆっくりとゆっくりと。
その光が、寺への道を明るく照らして、物凄く綺麗だった。
そして、お寺の中を響き渡る、お経の声と、そこから見えるパイの景色が相まって、幻想的な空間を創りだしていた・・・
03年7月15日 チェンマイ=>パイ
朝、チェンマイに着いた。
バス越しに見える、朝焼けの空が物凄く、眩しくて綺麗だった・・・
チェンマイアーケードに着くと空が青く、透き通るようで、
急に山間の町Paiへ行きたくなった・・・
Paiはチェンマイからメーホンソンに向かう途中にあるとても小さな町。
特にこの頃は、地球の歩き方にもぎりぎり乗っていなく、
西洋人にも、タイ人にもそこまで知られた町ではなかった。
けれど、自然に囲まれ、ヒッピーやバックパッカーをひきつける魅力があり。
可愛いレストランやカフェもあった。
今でも、Paiは僕の心の中では、変わらず2003年のままで。
凄く素敵な町だったのを覚えている・・・
着いて、小さなせせらぎのほとりの安宿に泊まることを決めると、
僕は町の探索を始めることにした。
手製の地図を描きながら、何も無いところから、
少しずつ、イメージや町の姿・規模・そういったものを創り上げていく。
それがやけに楽しくてたまらなかった。
夜、明かりの無い川の傍を歩き、空を見上げると
瞬く星で空は埋め尽くされていた。
月の灯かりはただただ優しくて、僕はすっかりPaiという町に惚れていた・・・




