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2003年7月11日 日本=>タイ

2003年7月11日、5年前のその日。

僕は日本を発った。

長く、熱く、身の深い深い芯まで熱く、通るほど

人生を変えたその二年は、今でもこの心と体の根元にある。

忘れえぬ思い出を得た、その熱い2年間と日々へ。

出会った、すべての人々へ。

ただただ感謝の気持ちでやまない。


「オーストラリアに住みたい。世界を見たい、」その想いだけを叶えようと、

小さな夢を叶えようと、ただ純粋に想い描き、やっと開けたスタート。

僕は、その日、日本を発ち、タイへと飛んだ。




BKK,Baiyoke Skyを望む



タイは、20歳の時、初めて一人旅に出た時訪れた思い出の地だった。

その時、色々な場所を訪れて、すっかり虜になったしまった僕は、

オーストラリアを訪れる前に、この場所を訪れることを決めた。


久しぶりに戻った、その街はとても暑く、そして優しかったのを覚えている。

そして、時間に制約される事無く、回れるその自由を、

ただ僕は感じていた。


そして、7月14日僕は、夜行バスに乗って、北の街チェンマイへと向かった。





2003年3月卒業



2003年3月


4年間、4年間長い時間を過ごした大学に別れを告げる時がきた。。。

気づけば、いつもバスケばかりしていた。

けど、いつも凄く自由なその時間を楽しんでいた。

ダイビングをし、旅に出て、日々を楽しんでは、日々を生きた。


大学に入って、出会った一番の宝は、仲間たち。

地元のバスケ仲間に恵まれ。

サークルの仲間に恵まれ。

バイトの仲間に恵まれ。

4年間練習相手をしていた高校生たちに囲まれて。

そして、大切な親友たちに恵まれ。

気づけば、そこには、みんながいた。


僕は、マイペースだ。

不器用だ。

オーストラリア行きまで、後3ヶ月ほど。

その時を、ただただ懸命に、一生懸命生きたい。

ただ、あの頃はそれだけを考えていた。


その裏で、支えてくれた仲間がいて・・・

僕は、ただただ前を見て、走ることができた。

大学卒業というひとつの区切りは、

桜が咲いて散り、また緑という新しい息吹を得るのと同じように。

一つの終わりであり、一つの始まり。

また新しい日々が始まっていく。


長い学生生活に終止符を打ち、

新しく始まる日々。

僕は自分の道に決断をし、友はまたその道を進んでいった。

あの時も、いまも、変わらずに言えること。

あの時、迷わず、日本を去れたのは、皆がいたから。

あの時、日本を任せられると思ったのは、

皆だったからこそ。


ただ、面と向かって言えなかった言葉を、

心の中で暖めていた言葉を、伝えたい。


ありがとう・・・




生きること

人が生きることの意味を。

人を愛することの意味を。

人生という長い道のりの中で、僕らは少しずつ、少しずつ学んで、その歩を進めている。


時に迷い、時に憂い、時に悲しみ、

そして、笑い、喜び、怒り、楽しみ、

様々なエッセンスが人生を織り成す。


ただ忘れてならないのは、生きることの意味。

一つ一つの命には、等しく意味があって、

その人にしかできない事が、必ずある。


だからこそ、豊かな国に生まれたことの意味を。

責任を。使命を。そして運命について考えなければならないと思う。

正直、今の自分には何もできてない。

歯がゆく感じることが多いくらいだ。

それでも、今できることを一生懸命やる事で、

自分の足りない部分を埋めようとしているのかもしれない。


そして・・・

忘れられない想い。

旅の途中に出会った、ストリートチルドレンの子供たち。

一緒に遊んだ彼らの手のぬくもりは、今も暖かく、心に残ってる。


ともすると、道をはずしかねない中で、

いつも人を繋ぎ止めるのは、絆で。

愛や友情があるから、僕らは歩を進められる。

責任や、託された思いがあるから、前を向ける。


人が生きることの意味・・・

未来へ・・・