さて、今回は、クルアーンが何バージョンあるのか、という問題について書こうと思う。
実は、ついこの間まで、クルアーンは「ウスマーン版クルアーン」ひとつしか存在しないと、思ってました(爆)♪
いや、だって、主要宗派の諸法学派が「イスラームの聖典」として認定しているクルアーンは、「ウスマーン版のクルアーン」ダケなので、「クルアーンはウスマーン版ダケだ」と思い込んでいたわけです(笑)☆
結論から言いますと、
主要宗派の諸法学派が、欽定クルアーンとか、標準クルアーンとか、クルアーンのスタンダードと認定しているのは、ウスマーン版のクルアーンだけです。
でも、このウスマーン版のクルアーンが編纂されるまでに、
少なくとも、2・3種類の先行版があったようなのです。
・預言者ムハンマドの死後数ヶ月以内に編纂し終わったといわれる「アリーのムスハフ」と呼ばれるクルアーン
・アリー版よりもアトでつくられた「アブー・バクルのムスハフ」と呼ばれるクルアーン
・「ハフサ・ビント・ウマルのムスハフ」と呼ばれるクルアーン←いつ、つくられたかはしらない。ウスマーン版よりは前に作られたのはたしかだけど・・・
・アブー・バクル版を編纂する時に既にあった数々のクルアーン←何バージョンあったか迄は不勉強なため知りません
など
で、これらのうち、アリー版とハフサ・ビント・ウマル版や数々のクルアーンについては、個人的なクルアーンであって、公的に共有されるクルアーンではなかったようです。
それに対して、アブー・バクル版の方は、ウンマで共有されるべき官製の標準クルアーン的なモノであったようです。
これらのクルアーンの性格の違いは、その成り立ちの違いにあるようです。
クルーアンというのは、預言者ムハンマド(PBUH)が生きていた頃は、「預言者の口から伝えられた神のコトバ(メッセージ)」のコトでした。
つまり、文書では、なかったのです。
勿論、カレの生前から、クルアーンの書き取り(文書化)は始まってはいましたが、
基本的には、信者が、暗誦するための補助としての、個人的な、部分的な、覚書のようなのものでした。
アリーは、クルアーンの全てのスーラ(章)やアーヤ(節)を暗記していたいわば「人間クルアーン」の一人だったらしいのですが、
かなり早い時期から(一説にはムハンマドの生前から)、色んなひとから、色んなクルアーンのパーツを集めて、クルアーンのスーラ集というかアーヤ集というべきモノをつくっていたようです。
ハフサ・ビント・ウマルのムスハフと呼ばれるクルアーンも、どちらかというとアリー版と似たような性質で、
個人的に集めたクルアーンのスーラ集というかアーヤ集とでもいったものだったようです。
初代カリフのアブー・バクルは、はじめのうちは、標準クルアーンを編纂する予定はなかったようなのですが、
633年(AD)のヤマーマの戦いで沢山の「人間クルアーン」が死んだ時、
ムハンマド(PBUH)の口から伝えられた神のコトバを文書化してカタチにして残す必要性を感じ、
標準クルアーンの編纂事業に着手したそうです。
アブー・バクル版は、様々な都市や部族に「標準クルアーン(一応)」として送られたそうです。
で、イスラム圏拡大に伴い増えたアラビア語が不得手な信者達の数も増えたり、
数種類のバージョンの文書化されたクルアーンがあってややこしい状況になったりして、
「基準」となるクルアーンの必要性が出来たために、
3代目カリフのウスマーン・イブン・アッファーンの時代に、改めて「欽定クルアーン」を編纂し、コレ以外のクルアーンをメディナに集め、燃やしたり水に浸したりとかして、廃棄したそうです。
で、その時以降、この「ウスマーンのムスハフ」と呼ばれるクルアーンが、今のイスラム社会でのクルアーンの原本となるワケですが・・・。
原本、現存しておりません。
原本の写本は、トプカプ文書とサマルカンド文書の2つが、現在も、残っています。
で、トプカプ文書が、最古のクルアーン(ウスマーン版以外のクルアーン含めて)だと思ってたんですが・・・。
実際には、サナア文書っつーモノがあるらしいです・・・。
で、クルアーンのバージョン問題・・・。
実は、今迄述べてきたような現世におけるバージョン問題ダケでは、終わらなかったらしいんです・・・orz。
と、いうわけで、クルアーンのバージョン問題については、また別記事で・・・orz。