あの空へ、いつかあなたと -12ページ目

あの空へ、いつかあなたと

主に百合小説を執筆していきます。
緩やかな時間の流れる、カフェのような雰囲気を目指します。

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――――2週間後。


試験に撃沈した私は、今日から始まる補習に憂鬱な気持ちでいた。

「じゃあ、部長には伝えとくよー」
「うー……お願い、有希」
「まったく情けないなあ」
部活へ向かう二人を恨めしそうに見送って、大人しく鞄からノートを取り出すことにした。

里穂はあれから特に何事もなかったように、元気な姿に戻っていた。
泣いたのもあの時だけ、引きずる様子もなかった。
もしかしたら私たちに見せないだけで、人知れず涙は流しているのかもしれない……でもそれをおくびにも出さない彼女の強さが私には輝いて見えた。


でもそれよりも気になって仕方ないことがあった。

その張本人は窓際の前から2番目に座っていた。
部活の時間になっても外を眺めて動こうとしないその人は、多分私と同じ補習を受けるためにそこにいる。
それなのにまるでやる気のなさそうにボーっとしているだけで、なんの危機感もなさそうに見えた。


鈴森霧子。長い黒髪とすらりと伸びた足が目をひく、はっきり言って美人に属する人間だ。
そして私の見間違いじゃなければあの時保健室で女の人とキスをしていたクラスメイト。
さらに見られたことも、それが私であったことも知っているだろう彼女。

彼女の切れ長の目が、その奥に見える瞳が、確かに私を見ていた。

ありがたいのか不気味なのか、今日にいたるまで彼女は私に対して何も言ってこなかった。
私が意識して避けていたこともあったかもしれないが、彼女からはそんな素振りすら見せてきていない。


目が合った気がしただけかもしれないとも思い始める。
あるいは霧子ではなく他の誰かだったのかも、と。

ならばあの時保健室でキスをしていたのは誰だったのだろう。
聞えてきた吐息を苦しそう、と私は表現したが、キスをしていたのならきっとあれは……


普段と違い、生徒の数がまばらな教室では、余計に霧子の姿が目につく。
頬杖をついたままやる気のなさそうな彼女の姿を見ていて、また新しい疑問が湧いてくる。

私の知る鈴森霧子は、頭の良い生徒だったはずだ。
少なくとも補習を受けるところは見たことがないし、なんというか似つかわしくない。

私はともかく里穂や有希が悠々と超えた赤点のラインを彼女が下回る、そんなことあるだろうか。
そんなことを考えているうちに、補習はあっという間に終わってしまった。


うわの空で聞いていた補習になんの成果もあるはずはなく、ただ長時間座っていた疲労感だけが残った。
ノロノロと鞄にノートを詰めていた時、急に声を掛けられた。

「ちょっといいかな、早川千紗季さん」

その声の正体は他の誰でもない、鈴森霧子だった。
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里穂とは店を出てすぐに別れた。
さすがに明日の試験は勉強しないと大変だという理由だった。

二人でいては勉強そっちのけで話し込んでしまうよ、と。
そう話す私に里穂は笑って頷いた。


お互いの姿が見えなくなるまで手を振り合ってから、私は家に向かって歩き出した。
そしてすぐに足を止めた。

一つ深呼吸をする。早くなりそうな鼓動を、ゆっくりと落ち着かせる。
(……うん、大丈夫……大丈夫)
ずっとハンカチを握りしめていた手はすでに感覚がなく、でも確かに熱がこもっていた。
すっかりよれてしまったそれを、制服のポケットに無造作に押し込む。


半分だけ嘘をついた。

勉強したいから家に帰るなんて、そんな真面目な人間じゃない。
あの空間に居続けることに、涙を流す里穂と一緒にいることに、心の奥底がザワザワし始めたから。
もしそれに耐えきれなくなったら私は、また…………


頭を振って考えを振り切る。
今のままでは明日の試験が目も当てられないことになるのは本当のことなので、おとなしく家路につくことにした。
鞄の中から鍵を取り出そうとする――――




そうして、私はその後学校へと戻る羽目になり、保健室での光景を目撃することになる。
脳裏に焼き付いて離れなかったあれは見事に勉強を手につかなくさせ、試験は散々な結果に終わったのだった。
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誰かを深く愛した分、失ったときの心の傷も深いと誰かが言った。

ならばきっと愛とは鋭利な刃だ。
突き刺さった刃が抜け落ちた時、後に残るのはただの空洞。

愛したという思い出を強さに変える人もいるだろう。
でも心に傷を抱えて、それでも私は生きていける自信があるだろうか。


私は、この心が傷つくことが怖い。
たまらなく、この上なく、どうしようもなく、怖い。



――――保健室での出来事から約1時間前。


「大丈夫だって、すぐにいい人見つかるよ」
そう言って私は目の前にいる里穂にハンカチを差し出す。
彼女はそれを無言で受け取り、目元から頬を伝う涙を拭いた。

綿でできた厚手のハンカチは、微量の液体を事もなげに吸い取る。
私はそれをただ黙って見つめていた。


なんてことはない、恋人と別れたという話を聞いていただけ。
試験休みで部活のなかった私は、特に何の考えもないまま帰り支度を整え、家路につこうとしていた。
そんな時、里穂に呼び止められたのだ。

里穂は有希と一緒で、仲のいい私の友だちだ。
学校でもよく話をするし、放課後遊ぶこともしょっちゅうある。
けどその日の彼女の様子は、いつもと違っていた。


落ち着いたのか、里穂はテーブルの上に置かれた紅茶を一口飲んだ後、大きく息を吐いた。
「……ありがと、もう大丈夫」
「無理しなくていいよ?」
「ううん、ほんとに平気。なんかスッキリしたし」

もう一度お礼の言葉を言いながら、里穂は私にハンカチを返した。
目元は赤く腫れていたが、確かに瞳は明るさを取り戻していたようだった。


「ふーっ。なんかもういいやー早くこの傷を癒してくれる人探さないとね」
「…………うん、それがいいよ」
彼女から受け取ったハンカチを握りしめたまま、私はそう答えた。
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