昭和の巌窟王・吉田石松の不撓不屈の精神に教えられる | くにまさのブログ

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     (『新・人間革命』第7巻より編集)

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 吉田石松の再審の初公判は、昭和三十七年十二月に開かれた。

 

 そして翌年一月三十一日に論告求刑が行われたが、検察はここでも、無期懲役を求刑した。

 

 だが、二月二十八日の判決で、彼は、とうとう無罪となったのである。

 

 逮捕から、実に五十年、既に彼は八十三歳になっていた。

 

 判決の最後に、裁判長は「当裁判所は、被告人、否、ここでは吉田翁と呼ぼう」と述べ、切々とこう語りかけた。

 

 「われわれの先輩が翁に対して犯した過誤をひたすら陳謝するとともに、実に半世紀の久しきにわたり、よくあらゆる迫害にたえ、

 

 自己の無実を叫び続けてきたその崇高なる態度、その不撓不屈のまさに驚嘆すべきたぐいな精神力、生命力に対し深甚なる敬意を表しつつ翁の余生に幸多からんことを祈念する次第である」

 

 裁判長による異例の謝罪である。しかし、冤罪を晴らすために費やされた、この半世紀の人生の苦汁を、いったい誰が償えるというのだろうか

 

 山本伸一は、「昭和の巌窟王」吉田石松の無罪判決に喝采を送った。

 

 犯罪者の汚名を晴らすために、最後まで戦い抜いた吉田の強靭な信念は、不滅の輝きを放っている。

 

 そして、戦わずしては、人権は守り抜けないことを教えているともいえよう。

 

 伸一は、公明会の名古屋大会で、力強く訴えた。

 

 「本来、国家の権力は、国民を守るために行使されるものでなければならない。また、そのための政治であります。・・・魔性をもっております

 

 公明会は、その権力に監視の目を向け、権力が牙をむいたならば、民衆の幸福、・・・、身を賭して戦う勇者であっていただきたいのであります」