(『新・人間革命』第7巻より編集)
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〈早春〉 19
一月十八日(昭和三十八年)は、会長・山本伸一の一行が、パリを発つ日であった。
午前十時十五分に、パリのオルリー空港を出発した一行の搭乗機は、一時間ほどでスイスのジュネーブに到着した。
空港には、スイスの連絡責任者の本杉光子が迎えに来ていた。
ジュネーブは一面の銀世界であった。
レマン湖のほとりにあるホテルに着き、昼食をとると、山本伸一は、皆で市内を見学しようと提案した。
彼が、こう言い出したのは、雪のジュネーブを歩いて、現地の人びとの冬の生活を実感しておきたかったからである。
「寒い寒いと言って、ぬくぬくとした部屋のなかにいたのでは、何もできずに終わってしまう。
こういう時は、”雪なんかに負けるものか!”と自分に言い聞かせて、外へ出て行けば、寒さも、それほど辛く感じないものだ。
そして、何よりも、行動すれば、縮こまった心の世界が大きく広がっていく。
信心も同じことだよ。批判され、叩かれるからいやだと思って、閉じこもっていたのでは、何も事態は開けない。
しかし、勇気をもって、戦うぞと決意してぶつかっていけば、敵も味方にすることができる・・・」
伸一は、白い息を吐きながら足早に歩いていった。
この日の夜は、一行が宿泊するホテルで、教学試験と座談会が行われた。スイスでは、弘教は実を結ぶには至っていなかったが、仏法対話は着実に進んでいるとのことであった。
座談会には、本杉の双子の娘たちも、元気な姿を見せていた。
また、前回、伸一がスイスを訪問した折に、結婚の相談をした高山サチは、その後、結婚し、サチ・ブルーノとなり、夫ともに出席していた。
語らいが始まると、彼女は言った。