(『新・人間革命』第7巻より編集)
66
〈萌芽〉 39
(つづき)
それを行おうとして、初代会長の牧口先生は、軍部政府の弾圧を受け、牢に繋がれ、獄死されました。
第二会会長の戸田先生も投獄されました。
しかし、生きて出獄された戸田先生は、恩師の遺志を受け継いで、広宣流布に立ち上がられた。
そして、学会は、これまでに、現実に三百万世帯を超える人びとを救ってきました。
私たちは、悩める友の中に飛び込み、同苦し、励まし、勇気づけ、宿命の転換の道を教え、一人ひとりを人生の勝利者にしてきました。
しかも、それは全部、無償の行為です。
ところが、その学会が、貧乏人と病人の集団であると蔑まれ、また、ファッショであるとか、暴力宗教であると言われ続けてきた。
だが、それでも、会員は一歩も退かずに、人びとの幸福のために働いてきました。
こんな団体は、ほかにないではありませんか。
人間として何が尊いのか、いかなる生き方に最高の価値があるのかを、あなたも明確に見極めていくべきです」
春山富夫は、早稲田大学の経済学部を出て、難関といわれた商社に入り、エリートコースを驀進してきた有能な青年であった。
入会は昭和二十九年で、先に入会した両親の姿を見て、自分も信心を始めたのである。
彼は、信心に励むなかで、題目の力は実感してきたようであったが、本格的に学会活動に取り組むことはなかったし、広宣流布をしていこうという自覚も乏しかった。
また、はっきりとものを言う性格で、頑固で、皮肉屋な一面もあった。
しかし、伸一は、彼が学会のすばらしさを心から理解すれば、大きな力を発揮していくであろうと確信していた。