(『新・人間革命』第6巻より編集)
130
〈若鷲〉 21
(つづき)
しかし、釈尊の法華経の迹門不変真如の理も本門隨縁真如の智も、大聖人の仏法から見れば、ともに、理であり、迹門(影)にすぎません。
釈尊の法華経では、本門であっても、現実に、末法の衆生を救うことはできないからです。
仮に、日蓮大聖人および御本尊を建造物とすれば、法華経二十八品は設計図にたとえることができる。
家を建てるには設計図が必要ですが、最後に大事になるのは、実際の家です。
『観心本尊抄(かんじんのほんぞんしょう)』には・・・ 。
釈尊が成仏する因となった修行と、その結果として得た功徳が、妙法蓮華経の五字、すなわち御本尊には、すべて具わっている。
したがって、御本尊を信じて、唱題するならば、仏が得たいっさいの功徳を譲り受けることになる。
ゆえに、大聖人は、『帰命とは南無妙法蓮華経、これなり』と、真実の、絶対の幸福を確立するためには、御本尊に帰命する以外にないことを、宣言されているのです。
・・・ 『御義口伝』の予習に際しては、必ず、この『経』『釈』『論』の出典にあたって、引用された箇所の前後も含めて、徹底的に調べてきてほしいと思う。
そうでないと、『御義口伝』の正しい理解はできません。私も、御書を研鑽する時は、常にそうして原典にあたってきました」
伸一は、受講生に、教学に取り組む基本姿勢から教えていったのである。