(『新・人間革命』第3巻より編集)
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〈仏法西還〉 30
現代人は、葬儀の形式などには、強い関心を持ち始めているが、死という問題自体を、徹して掘り下げようとはしない。
実はそこに目先の利害や虚栄、快楽に流されがちな風潮を生み出している、根本的な要因が潜んでいるといえよう。
山本伸一は、ここで、先祖供養に話を移した。
「さて、苦悩を背負ったまま亡くなった先祖は、どうしているかというと、既に生まれ、宿業に苦しんでいることもあれば、
まだ、生まれていない場合もあるでしょう。
あるいは、生まれていても、人間には生まれているとは限りません。
宿業のいかんによっては、畜生、つまり動物に生まれることもある。これは経文にも明確です。
むしろ、人間に生まれることの方が、はるかに難しい。
しかし、先祖が何に生まれ、どこにいて、いかに苦しんでいても、生者が正しい信仰をもって、その成仏を願い、唱題していくならば、それが死者の生命に感応し、苦を抜き、楽を与えることができる。
南無妙法蓮華経は宇宙の根本法だからです。
ましてや、畜生などに生まれれば、いかに苦しんでいても、自分では題目を唱えることはできないわけですから、私たちの唱題だけが頼みの綱になります。
また、先祖が人間として生まれて来ている場合は、私たちの送る題目によって先祖が誰かの折伏を受け、仏法に縁し、信心するようになるんです。
したがって、先祖を供養するには、真剣に唱題する以外にありません。
お金を出して、塔婆を何本立てれば成仏できるというものではない。もし、そうだとするなら、金の力で成仏できることになってしまう。(つづく)