生命が永遠でなければ、 | くにまさのブログ

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  (『新・人間革命』第3巻より編集)

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 〈仏法西還〉 26

 

 伸一は笑顔で言った。

 「ああ、お経を読むことですね。あれはゴンギョウ(勤行)と言うんですよ」

 

 「あら、キンコウじゃないんですか・・・ 」

 爆笑が広がった。

 

 日本で入会はしたが、しっかりとした指導を受けることもないままに、香港にやって来た人たちがほとんどであった。

 

 組織もなく、それぞれが細々と、自分なりの信心を続けてきたのであろう。

 

 伸一は、笑いが静まると、力を込めて語り始めた。

 

 これは極めて重大な問題です。死の解明は、人間の、そして、宗教の重要なテーマです

 

 いくら語っても、語りつきない問題ですので、今日は、その一端だけ、お話しましょう。

 

 現代人のなかには、生命というものは、今世限りだと考えている人も多いようですが、もしも、生命が永遠でなければ、

 

 生まれながらの不公平を、どうとらえてよいのかという問題が残ります。

 

 日本の国に生まれる人もいれば、香港に、アメリカに生まれる人もいる。あるいは、戦火や飢餓の国に生まれる場合もあります。

 

 さらに、金持の家に生まれる子もいれば、貧困の家に生まれる子もいる。生まれながらにして、不治の病に侵されていたり、不自由な体で生まれてくる子どももいます。

 

 生まれる環境も、顔も姿も、千差万別です。まさに持って生まれた宿命という以外にありません。

 

 もし、神が人間をつくったのであるならば、皆、平等につくるべきです。

 

 また、生命が今世限りなら、不幸な星の下に生まれた人は、親を恨み、無気力にならざるを得ません。

 

 あるいは、何をしようが、おもしろおかしく生きていけばよいと考え、刹那主義に陥ってしまうことになる。

 

 この宿命が、どこから生じたのかを、徹底して突き詰めていくならば、どうしても、今世だけで解決することはできない。

 

 生命が永遠であるという観点に立たざるを得ません」

 

 

 

 

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