洛西14番は勝龍寺ですが、お寺を目指して歩いていた時に城趾を見かけて初めて「あ、勝龍寺城の勝龍寺か!」と気が付きました。京都の近くにあるとは思っていましたが具体的な場所までは知りませんでした。
勝龍寺城は京都の南西にあり、二つの川が合流したり街道が交差したりする交通の要衝で京都の防御拠点のひとつとされてきました。
南北朝時代に築城され戦国時代は松永久秀や三好三人衆に属していましたが、織田信長が足利義昭を奉じて上洛した際に攻め落とされ、細川藤孝に与えられました。藤孝が丹後に転封した後は村井貞勝の与力が城主となりましたが、本能寺の変で明智光秀に占拠されます。その後はあまり重要視されず、江戸時代初期に廃城となります。
1992年に公園として整備され模擬櫓が建造されました。
城内の桜がちょうど満開で賑わいを見せていました。
そんなに高い石垣ではなく、小規模なお城ですね。
藤孝の嫡男・細川忠興と明智光秀の娘・お玉(細川ガラシャ)が結婚したのはこのお城にいた時だそうです。転封前に二人の子宝に恵まれています。
お堀端の柳の枝も風情を感じます。奥に長岡京駅前の村田製作所の本社ビルが見えます。
お城の南側に勝龍寺があります。長岡京駅からは徒歩15分くらいです。
恵解山勝龍寺
■真言三宝宗
■御本尊:十一面観音立像
■長岡京市勝竜寺19-25
■洛西観音霊場第14番、ぼけ封じ三十三観音第3番
平安時代初期に空海によって開創され、空海が唐の都・長安で学んだ青龍寺と同じ寺号でしたが、962年に村上天皇の命で千観上人が雨乞いの祈祷を行い龍神に勝って雨が降ったことから勝龍寺と改められました。
御本尊の十一面観音立像は鎌倉時代の作で国の重要文化財に指定され京都国立博物館に寄託されています。
勝龍寺の子坊のひとつだった専勝坊が戦乱の被害をくぐり抜け現在まで法灯を守り伝えています。
枝が折れてしまった桜の老木も満開を迎えていました。
鐘楼。勝龍寺はたびたび兵火の被害に遭い、この鐘は3度めに鋳造されたものだそうです。
境内の弥勒地蔵。ここにはお地蔵様が鎮座していましたが昭和39年に盗まれてしまい、近くの陶芸家の方が弥勒地蔵を寄贈されたそうです。
勝龍寺に隣接して春日神社という神社があります。同じ敷地みたいに見えますが違うようです。
由緒が書かれた看板。この地区の氏神さまで1174年に関白・九条兼実によって創建され、勝龍寺の子坊が管理していたようです。
小さいながら立派な屋根の御社殿です。