わたしの いちばん古い記憶は
ベビーベッドに寝かされ
放置され 泣いている自分。
というか、
泣いているのに
放置されていた 自分。
両親が、すぐに来なかったのは、
自分たちの行為に 忙しかったから。
ぼんやりとした記憶は、
集中的に 凝視することで
さらにクリアになりました。
部屋の隅で 寝かされたままの
さみしい赤ん坊 (わたし)の 友達は、
顔の上を歩き 這う
蜘蛛や百足だったんです。
瞼の上を横切る、大きな 蜘蛛の影。
(´-﹏-`;)))))
想像するだけで 怖いですけれど、
その時の わたしにとっては
それすら
『 触れてほしかったときに
触れてくれた 』
ということだったのかな と。
それって、神さまからのお遣い かも (*ฅ́˘ฅ̀*)✨
昆虫は とても苦手なんですが、
不思議なことに
蜘蛛や百足は 怖くないんです。
彼らは 孤独から救ってくれた
友達だったんですもんね ⭐︎
そばに来てくれない両親よりも、彼らに
安心感を持つことができたらしい。
だからといって、
彼らに執着していないのは
すぐに 替わりとなるものを
見つけたのでしょう。
自分が、相当 拗らせているのが
よく分かりました。。。
チ───(´-ω-`)───ン
過去生で 僧侶の弟子をしていた時
わたしは、10かそこらの男の子でした。
お師匠さまに 気に入られていて
( 才能?がある と 思われていたようです )
そのせいで 年上の先輩たちに
嫉妬され、いじめられていました。
見た目も 美しかった?らしく
陰で行われていた いじめは
だんだん エスカレートしてきて
性的なものになっていきました。
「 師匠にも 色目を使ってるんだろう 」
「 恥知らず 」
などと、めちゃくちゃ理不尽な理由。
とにかく、気に入られているのが
許せなかったみたいです。
お師匠さまがお出掛けで 不在の時は
暗くて 狭いところに連れて行かれ
縛られて、
とことん 辱められました。
カラダも心もボロボロなのに
片付けも 全部自分で
しなければなりませんでした。
お師匠さまに バレないように
自分の居場所を確保するために。
自分を守るために
彼らの行為を 大好きなお師匠さま相手だと
思おうとしたことがありましたが
それが 命を落とす
きっかけとなってしまいました。
だって、
お師匠さまは
絶対に そんなことなさらない
から。
一度でも、そんなあさましい想像を
してしまった自分を
許すことができませんでした。
穢れ果てた自分、嘘をついている自分
本当のことが 言えない自分を 責めました。
自分で自分を追い詰め、心を病み、
とても修行どころではなくなり
わたしは、そこを去りました。
絶望し、大きな滝の前で佇んでいる
15歳くらいの少年。
彼は、そこへ吸い込まれ 消えていきました。
ここではないと思いますが
黄河のイメージ 。。。
生きるために いろんなことをして
命を繋いではいましたが、
よく 心の中に見えていた
滝の前に佇む 少年の後ろ姿の映像、
15歳くらいから
自殺願望が目覚めたことなども
その 過去生の記憶と
合致しました。
過去生から持ち越した記憶は、
覚えていないのに
しっかりと カラダに刻まれていて
わたしは 常に、女性でありながら、
男性として、元夫に抱かれていました。
しかも、現在の自分と相手ではなく、
『 他の誰かと誰か 』
という 意味不明な組み合わせ。
まさに、
過去生と、今世での 根源的な記憶により
出来上がった 象徴。
ベッドの中で、父が母を
いじめているように見えたこと
弱いものが 下にされる
薄暗い部屋で 聞こえる声
それは、
赤ん坊が泣いても
すぐに行けないような 恐ろしい状況
だと。
そんな 思い込みの刷り込みが、
乳児期になされたのでしょう。
乳首に わさびを塗られ、無理矢理
断乳させられたのも
相当 トラウマになったと思います。
充分に 甘えられなかった経験は
わたしの中に ぽっかりと穴を開けました。
食べることは好きなのに
信用できない。
自分が作ったものは
安心して食べられるから 自分が作る。
実際に、カラダに拒否反応が出るのも
そういうことかな と思いました。
すべては、一つにつながっているから。
表に出さなければ、
内面がどうかなど 誰も知り得ない。
同性愛を否定しないのも
異性愛を正常としないのも
表面的なことだけでは
測れないから。
だから、わたしは
表面的で 上っ面だけのものが
ものすごく イヤ。
ですが、
他人のものは 他人のもの。
それ以上でも、それ以下でもなく、
わたしのものじゃないんです。
自分が 自分にしてあげることだけが
唯一の真実で、現実です。
わたしたちの大半は、記憶がなくても
様々な トラウマから
別の人間を作っては 演じています。
本当の感情を 感じないための、
ニセモノの自分です。
ニセモノの自分は、
防衛機制から生まれていますが
それは、本当の自分で
生きることができなくなった 悲しみから
切り離すためのもので
救ってくれるものではありません。
ニセモノの自分が 何をしようと、
楽しいかもしれないけれど
それは ニセモノの感情なので
決して 癒されることはありません。
いつも なにかを渇望して
動き回っていたり
恋愛、仕事、趣味、食べ物、薬、お酒、タバコ
人からの賞賛、スピリチュアル etc..
なにも感じないように、活動を停止して
寝てしまったり、
まやかしの幻想の世界へと 誘うんです。
様々なものが、代替品となり得ます。
根本的な 原初の記憶が
いつまでも いつまでも まとわりつき、
どれだけ 癒しても
どんなワークをしても 離れて行かない。
しっかりと、感じ取って
本物の感情を 呼び覚すまでは。
本当に欲しいものを捻じ曲げ
作り上げた象徴を
いつまでも追い求めることになります。
憧れは、決して手に入らないものを
諦められず、
いつか… と
期待してしまっている
自分の姿のように感じます。
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