とあるMLに投稿されたというメールを読んで、頷けるところがたくさんありました。私も3月11日以来、この方と似たような思いを持ってきたので、ここに考えをまとめてみたいと思います(このメールは転載歓迎ということなのですが、エコブログではコピペが禁止されているので貼り付けられません)。

日本に住むすべての人々が多かれ少なかれ、原発事故による放射能汚染にさらされている今、ひとり親として2人の子を育てている私は、この子らを守るべく情報を収集し、自分なりに分析したり、考えたりしてあらゆる対策を講じてきました。そのために政府や東電の発表を参考にするつもりは当初からまったくありませんでしたが、そうはいっても何が本当で何がそうでないのかを判断する物差しは自分の直感とこれまでの人生で積み上げた知識だけです。

「すべての人が信頼できるような情報網があればいいのに」とか、「せめてこの子らを思う気持ちが自分と同じぐらい強い大人とこの作業を共有できたらどんなに気持ちが楽だろうか」と思いながら、それでも最後には「とにかく今できることを今してやりたい。今できるのは自分しかいない」と思い直してやってきました。

同時に、同じ母親として東北にいる被災者の方々やそのお子さんたち、そして私たちよりもずっと原発の近くにいる関東のお母さんたち子どもたちはどうしているのだろうか、なんとか逃げることができるよう手助けすることはできないだろうかと、これもまた行政や東電がまったくあてにならないことは自明だと考えていたので、自分なりにできることを検討していました。

そんななか、取るものも取りあえず被災地へ救援物資を運びに行くという人が町内にいました。ちょうど月末に行う予定のイベント用に準備していた食材がたくさんあったので、すぐに役に立ちそうなものを見繕い、またチェーンソー用に蓄えておいたガソリン、子どもたちと出し合ったカンパ金などを託し、「子どもたちを置いて行けない私の代わりに行ってくれてありがとう!」という気持ちで見送りました。

しかし、情報が集まるにつれ現地で被曝する危険がどれほどのものなのかもわかってきます。私の荷物を運んでくれた彼は大丈夫なのだろうか、また彼よりもさらに若い人たちが次々に被災地に乗り込んで行っていることも知り、「それは本当に危険を承知してのことなのだろうか?」と案じました。それでも行政の手が足りないのであれば「行くしかない」と決意する人の気持ちもわかる、自分だって状況が許せば行ってしまったかもしれないと思います。

とりあえず原発施設内で大量の被曝をして即死してしまうかもしれないような問題とは程度が違うのだから、それならば私が熟練した治療家になって、彼らが10年、20年後に発病しても支援できるよう励もうとでも考えるしかないような気がしています。

またその頃、沖縄で母子避難者の受入れ活動が始まったと知り、徳島でも同じことができないだろうかと考えてみたりもしました。しかしそうしているうちにだんだんとわかってきたのは、自分が住む土地を離れて余所へ行こうと考える人たちはたいへん少ないらしいということでした。小さな子どもたちが日々被曝しているのに、放射性物質は花粉や黄砂と違って目に見えないため危機感が薄いのですね。もちろんそれを逆手にとって「安全です」と力説する行政や企業、マスコミが拍車をかけているのでしょう。

「危険」であると言ってしまえば「避難」を促さなければならず、それには多額の費用負担が伴います。また「安全」であるとしておけば、後々に健康被害が出たとしても、「事故とは無関係」であると主張する根拠に使えるわけです。だからチェルノブイリ事故の影響も全体的には過小評価されてきたし、予防接種にしても公害問題にしても同じことでした。

つまりは、人を人と思わない政策によって、お金のために一部の(たまたま貧乏クジを引いてしまった)人を見殺しにしてしまうのが今の日本の政府です。その政府は日本の国民、つまり私たちが選んだことになっています。

私のブログ記事を読むような人のほとんどは、今の政府に大きな不満を感じており、日本をなんとか変えなければならないと考えているのではないでしょうか。しかし、そうした考えを持つ人はほんの一握りであるため、これまでもずっと政治に反映されることはありませんでした。結局は原発を止めるには至らず、だからこそ今回のような事故が起こることになってしまったのです。

「だからずっと反対してきたのに!」― 自分の国ではなく遠く離れたヨーロッパの国々が出してくれる放射性物質拡散予測図を見ながら今後数日の予定を決め、今日のように放射性物質が飛散してくる日には本当に情けない気持ちになります。福島からは700kmも離れた四国にあってさえそうなのですから、さらに近い地域や、風向きが頻繁に影響するところに住むお母さんたちはどのような気持ちでいることかと思いを馳せます。

しかし、流れ来る放射性物質に対する反応は実にさまざまです。「被曝する覚悟を決めた」という人、「この先どうなるかわからないから、とにかく毎日を楽しく過ごせるようにということを優先している(子どもを外に出さない、マスクをかけるなどの措置もとっていないとのこと)」という人、「すべてを信頼することにしている」という人、「関西だから気にしない」という人、「福島でも大丈夫!救援がまず第一」という人。

私も、大人の自分をどう守るかについてはさほど神経を使ってはいません。もちろん以前から心身の健康に気を配っていたので、それと同じ程度には考えるようにしています。しかし子どもたちについては、「適切に」怖がり、それなりに対処する必要があると思っているのです。大人と子どもの感受性は大きく異なり、子どもにはより速く、より大きな被害が出ることを知っているからです。

過剰な恐怖というのは人の免疫を弱めますから、無暗やたらに怖がることは体によくないと私も思います。しかし、実際には怖くもないことを怖がることは不健康ですが、本当に怖いことをきちんと把握して「適切に」怖がることは大切なことではないでしょうか。「危険物があれば触らない、触るのであればそれなりの注意をする」「崖があったら近寄らない、近寄る場合は落ちないように気を付ける」というのと同じです。

たとえばこの四国にも、この2か月余りの間に何度か放射性物質が風に乗ってやってきました。その間わが家では外出を避けるとか、マスクをかけるとか、雨が降ったら当たらないようにするとか、内部被曝を避けるために葉物の野菜は当分の間食べないなどの対策をとっていますが、それほど難しいことであるとは思えません。

仮に私たちが放射性物質が絶えず流れてくる東北や関東に住んでいたら、事態が収拾するまでそこを離れることが最善の策だと考えるでしょう。子どもたちの健康被害を気に病みながらノイローゼのようになりながら日々を過ごすのも、逆に危険性を度外視してこれまで通りの日常を送ることも、「適切に」怖がっている状態とは思えません。

しかしながら、これはあくまでも自分に置き換えたときの話であって、今現在東北や関東に暮らす人々がどのような行動をとるかはその人たちの自由意思によるものだと思います。もちろん、この四国にあっても同じことです。スーパーも地元の野菜販売所も、扱う食品にさほど留意しているようには見えません。しかし私は茨城県産の納豆を買うのはやめて、買い置きしてある青大豆で自家製造することにしました(作る気力のないときには食べないことを選びます)。

私が葉物野菜や納豆にまで注意を払っているのは、子どもたちの体内に放射性ヨウ素を取り込んでほしくないからです。おそらくこのブログを読んでいる人はもうご存知だと思いますが、人体に必須な微量元素であるヨウ素はたいへん貴重であるため、体は直ちにそれを取り込み甲状腺に集めます。そして一度取り込んだヨウ素はほとんどが排出されずに蓄積されていくので、放射性ヨウ素が体内に入らないように気を配る(外出しない、マスクの着用、水や食物、とりわけ葉野菜への留意)ことや、自然界に存在するヨウ素(海藻など)を先に摂って放射性ヨウ素を取り込む隙を与えないようにすることが大切だと考えているのです。

先日、生後半年ほどの赤ちゃんがいるお父さんに会った際、赤ちゃんであればなおのこと母乳をあげているお母さんの生活に左右されてしまうのではないかと案じてそうした話をしてみたのですが、「ずいぶん調べているんだね、ご苦労様」「僕らはすべて信じていくことにしている」「この町でほかにもいろいろ調べている人はいるけど」と、まるで怖がりの気の毒な人を見るような目で見つめられてしまいました。そのとき、「ああ、そうだな、人により望む生き方はそれぞれであり、私のしたことは余計なお世話であるに違いない」と感じたのです。

私が知っている程度のことは、その気になれば誰であっても調べることができるはずです。たとえ被災地にいたとしても(もちろんがれきの下に埋まっている状態ではさすがに無理でしょうが)、「原発が壊れたら大変なことになるのでは?」という危機感をはじめから持っていれば、実際にこうなったときに情報を集めようと努力するだろうし、今の日本であれば何らかの方法で求める情報は手に入るはずだと思います。

そうであるのに求めないというのは、その人の意思によるものですから、これはもう他人がとやかく言う必要はないだろうというのが私の意見です。これは自分自身が尊重してほしいと願っている自由を他人にも同じように保障したいという気持ちがあるからです。人がどう生きるか、どう死ぬか。健康とか病といった問題は、つまりは生き方の問題なのですよね。

ですから、これまでにも予防接種、医療、食、子育て、環境といったいろいろな問題に対してとってきたのと同じスタンスで、求める人には惜しみなく与え、求めない人にまで余計な手出しをすることなく、まずは自分の立っているところからだんだんと、ジワジワと、愛や癒しの波動が広がるように丁寧に暮らしていこうという結論に落ち着くのでした。






この日記は「原発」と「食」どちらのテーマを選んだらよいのか悩みましたが、「食」としました。

現在、わが家では葉野菜を買っていません。自分の家の畑にある葉物も食べていません。

風に乗った放射性物質は四国にもやって来ました。土の上で計測すると普段の3倍程度の放射線量が確認されたということを聞いています。もちろん徳島県も計測はしているのですが、おそらく数メートルから十数メートルほどの上空で行っているのでしょう。文科省のHPでデータを見ると、普段とまったく変わりないように表示されているので。

水からも放射性物質は検出されていないことになっていますが、どこの水源を測ってそう言っているのかが定かではなく、安全ではないのに「安全」という嘘を繰り返す政府をとうてい信用することはできず、よって文科省の発表するデータもどこまで信じてよいのかはわからないと私は考えています。

ドイツは4月早々に、日本政府への提言を行いました。その中には「日本に居住する人は、葉野菜、サラダ菜、山菜などの摂取を断念することをお勧めします」と書かれています。

田中優さんによれば、ドイツの調べではチェルノブイリ事故の後、たったの0.09マイクロシーベルトの放射線量であっても、子どもの白血病が2倍に増えたということがわかっているそうです。

白血病はストロンチウムの蓄積によるものではないかと言われていますが、もっと怖いのが甲状腺を攻撃するヨウ素であることは多くの人が何らかの媒体から情報を得ていることと思います。

しかもこのヨウ素、自然界には放射性物質として存在することがなく、たいへん貴重な元素であるものですから、とくに成長期にある子どもなどは即座に体内に取り込み、甲状腺に蓄積し、その98%を再利用する(つまりは体外に排出しない)ということです。

ヨウ素は青い葉っぱにも多く取り込まれるので、ニュースで話題になっているホウレン草だけではなく、小松菜もレタスも山菜の葉っぱも危険なわけです。「青菜を食べないほうがいい」というドイツの提言はもっともなことだと私は受け取りました。

もちろん、心配するほどの放射性物質は取り込まれていないのかもしれません(洗えば大丈夫という時期はもうとうに過ぎていると思いますが)。でも、入っているかもしれないのです。それならば、本当に安全なのかどうかがわかるまでの間は、乾燥野菜や青汁(ドイツは缶詰や瓶詰を勧めてくれていましたが、日本では缶詰や瓶詰の野菜というのはあまりないですよね。つまりは放射能汚染以前に作られた保存食という意味なのでこれでよいと思います)を代用品として食べたらよいのではないかと私は考えているのです。

わが家の食材庫には乾燥小松菜と乾燥大根葉、青汁をストックしてあります。ほかには、アメリカの輸入オーガニックですが、レッドクローバー、アルファルファ、マスタードシードなどを買ってあったので、これらを発芽させてスプラウト食もしています。

緑色の芽も出ますし、発芽食品には強いエネルギーがあり、なおかつ発芽することによって種としての頑固な性質を失っているので、お腹の中でしつこく居残ることがなく、消化吸収がよいのです。

水は水道水を浄水器に通したものに、備長炭とゼオライトの石を入れてタンクに詰めたものを使っています。これについても効果をハッキリと確認できているわけではないのですが、経験と直感でとりあえず安心できています。(純水を作るRO逆浸透浄水器などは放射性物質を除去はしてくれるのですが、同時にミネラルなど水に含まれていてほしい自然な物質まで除去してしまい、結果としてたいへん不自然な水になってしまうことが気になるのです。水分を補給するというだけであれば用を足してくれるのでしょうが)

もちろん海藻も食べています。ワカメ、昆布、寒天、海苔などが主なところです。



わが家のメニューの一例を紹介すると、

・発芽玄米ご飯(水につけて冷蔵庫内に2~3日置く。途中で水を替える。替えた水は捨てずにペットボトルなどに入れて暖かいところに置くと乳酸発酵してきます。これを畑や庭に撒くといいですよ~)
・乾燥小松菜とワカメの味噌汁
・たくあん

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・昆布と干しエノキの出汁で、乾燥小松菜、もち麩を入れた雑炊
・カブの塩漬け(カブは3月に購入して漬け込んだもの)の菜種油炒め

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・5分搗き米ご飯(もちきび入)
・緑豆を発芽させたモヤシとワカメ、干しエノキの味噌汁
・レッドクローバーのスプラウトとワカメの和え物



阿波神山 momのスローな暮らし-スプラウト

          (オリーブオイル、リンゴ酢、醤油で和えて白すりゴマをふりかけました)


と、こんな具合の粗食です。

もちろん塩は自然塩、醤油は3年熟成、味噌は自家製、漬物も自家製、油は未精製、お米は玄米保存で自家製米(搗きたて)です。素材がいいから粗食でもおいしく満足できます。

たくさん食べるのがよいこと、何でもよく食べる子はいい子と言われますが、わが家では昔から好き嫌い容認(子どもは必要なものを選んで食べていると思うので)、小食奨励(少しずつ何度も食べる)なのです。

砂糖や甘いものは避けているという話を以前ある小学校でしたとき、保健の先生らしき女性が理由を尋ねてきたので、「それは私の好みです」と答えたら、「親の好みで食事を偏らせるなんて!」というような批判を受けたことがありました。

私が敢えて「好み」という表現を使ったのは、食については諸説入り乱れて何が正しいかということは結局わからず、数々の情報を得てそこから何を選択するかは人それぞれの好みによるのではないかと考えてのことでした。(「理解してもらえなくて当然」と思っていたので、それを説明はしませんでしたが)

私は砂糖を摂りすぎるのはよくないと思うのです。甘いものをダラダラ食べるのも好きではないのです。(かといって全面禁止にしているというわけではなく、人様からいただいた甘いものを家族で食べることもあります。別のお宅に回してしまうこともありますが)

世間とはちょっとズレた食生活なので、子どもたちが保育園や学校に通っていたとしたら大変だったろうと思います(実際に、わずかな期間通ったフリースクールでも多少の摩擦がありました)が、学校へは行っていないし、泊りに行くのもごく少数の親しいお家で、ある程度の理解をいただいているのでたいへん気楽です。

今回の原発事故によりあちこちでホウレン草から出た、牛乳から出た、食物連鎖が心配などと聞いても、普段からホウレン草を食べない(シュウ酸が多すぎて体によくないと思うから。あのギシギシ感がどうしても好きになれませんし。なぜ人はホウレン草などを栽培し始めたのでしょう?「ポパイみたいに強くなる!」なんて言い聞かされた記憶がありますが、ポパイが食べていたのはジャワホウレン草=アマランサスだったそうですよ~)、牛乳を飲まない、肉や魚を食べない私たちにはあまりインパクトが感じられなかったりします。(ホウレン草は小松菜その他の青菜を代表しているだけということはわかっています)

「免疫を上げる食事はこれだ!」と言われても、「なぁんだ・・・ずっと食べてきた内容とたいして変わらないじゃないの~!」ということなんですよね。

それでも、「一度に食べ過ぎないようにしようね」「う~ん、昨日お菓子もらって食べたから今日はもうやめとこうか」「これ食べといたほうがいいんじゃない?」などなどの言葉に、子どもたちの反応が以前にも増して素直になっているように感じます。

「○○食べないと病気になるよ!」といったような脅しは使うまいと心がけて来たというのに、環境自体が脅威になってしまっているというのは、やはりあまり幸せなことではないなぁと思います。













関西に住む知人が赤ちゃんを連れてわが家に来ました。震災や原発事故とは関係ないのですが、お家が水害(上階からの水漏れ)に遭ってしまい、工事の期間10日ほどをどこかで過ごさなければならないということで、四国に避難して来たのでした。神山の民宿で1泊し、わが家にも1泊し、今日は高松に向けて発って行きました。

生後10か月になる男の子を、ひとりで産んでひとりで育てています。(先日来た別のシングルマザーも、離婚してシングルなのではなく、最初からシングルという勇敢なお母さんでした・・・私には真似できそうにありませんが)

半年近く前に会った時にはベッドの上に寝たきりだったのが、今はお座りもハイハイもつかまり立ちもするのですから、子どもの成長には本当に目を見張ってしまいます。

スリングに抱かれている赤ちゃんの姿を久々に見たのですが、可愛いですね~。


阿波神山 momのスローな暮らし-赤ちゃん




このL字型の恰好がたまらなく好き!こんなの見てると、「やっぱりもうひとり欲しいわぁ~」と思っちゃいます。

そうそう、彼女たちと食事中に話していて思い出したのですが、小学校を卒業する時に埋めたタイムカプセルの中に、2001年の自分に宛てた手紙が入っていたんです。「2001年の真弓さん、たぶんお母さんになっていると思います。子どもの頃に自分がしてもらえなかったこと、してほしかったことを、自分の子どもにたくさんしてあげてね!」と書いてありました。

当時の私は、学級委員やら生徒会役員やらをテキパキとこなし、当時流行っていた「結婚しないトンでる女性」予備軍であると自他ともに認めるようなタイプだったので(実際私の母は何年か前に、「この娘が子どもを産むとは思わなかった」と言ってました)、数十年後の自分が母親になっていると予想していたことに驚きました。

(ほかには「給食だより」が入っていたんですよ。「なぜ~?」と一瞬疑問に思ったのですが、当時からすでに潜在意識の中で、食の重要性や給食制度が孕む問題などに気づいていたのかもしれないと思ったりしました・・・)

私が第一子のユウを妊娠する前(というか、ユウの父親と出会う前)、「私が人生においてすべきことは?マザーテレサのように多くの子どもたちの母になることであればその道に、たったひとりの子の母になることであればその道に、早く導いてください」と漠然と祈ったことも思い出しました。

そして私はトントン拍子に母となり、子(つまりは人間)を産んで育てるという事業の壮大さ、素晴らしさに気づき、今後10年を母として授乳服一筋で過ごそうと決め、乳房を出せない服のすべてを箱詰めしたのです。(結局12年近くを授乳服で過ごすことになりましたが)

自分の天職は母業だったんだなぁと思うことがあります。「自分が生まれてきたのは何のためなんだろう?人はなぜ生きているんだろう?」と子どもの頃からずっと疑問に感じていたのですが、子どもを産んで育てるということは生き物として当然の本能的な行為でもあるわけで、そこには何の理由も必要ないような気がします。

生きて行くために必要なこととはつまり「いのちをつなげる」ために必要なことなのですよね。

ただ、人間というのは動物とは一線を画しており、自我(エゴ)が自分とともに存在しています。つまりは選択の自由を持っているわけなので、そこに哲学も加わり、人により実に多様な生き方を選ぶことになります。

原発事故で放射性物質が飛散している。危険だから逃げたほうがいい。それでも逃げることができない。生まれ育った土地に住み続けたいとか仕事を辞めたくないなど人それぞれの理由が邪魔をします。生き延びることを第一に考えるわけにはいかないときがあります。野生動物が地震などの天災を予知して集団で逃げるというのとは大違いです。

もちろんそれぞれの意思が尊重されてしかるべきだとは思うのですが、危険であることに気づかない(教えてもらえていない)だけだったらどうだろうかと思います。

福島にいる子どもや妊婦さんたちを守ろうという署名があったので、ギリギリのところで協力を呼びかけています。政府が動いてくれれば、たくさんの子どもたちの健康と笑顔を奪わずに済むのではないかと思うのです。

つながろう全国のママ達、子どもたちの未来のために!
Moms to Save Children from Radiation


署名のお願い
Moms&Children Rescue FUKUSHIMA


















上映会といっても、原発関係の映画というわけではなく・・・5月の末に公開されるというディズニー(ちょっと癪だけど・・・)の『パイレーツオブカリビアン 黄金の泉』を友達同士で見に行きたいということなので、まだ前作を見たことがない子のために、ようだい家でお泊り上映会を開いたのでした。

ようだい君がヤフオクで落としたプロジェクターと、私が生成りの帆布で作ったスクリーン(初使用!)。

省エネ生活のようだい家では、1か月の電気代はなんと500円台!ですが、このプロジェクターが届いて以来、調子に乗って映画を何本も見ていたら一気に電気代が1000円を突破してしまったのだそうです。それで最近は上映は控えめにしていたということなのですが、ま、たまにはこんな夜があってもいいかなということで。

男の子ばかり5人、ようだい君と準スタッフのKくんと私の総勢8人が参加。実はこの日、子どもたちは『あすたむらんど』という大きな公園で目いっぱい遊んで来たところだったのですが、帰ってから役割分担でカレーを作り、楽しい夕飯を済ませてから上映開始となりました。

1~3まで一気に上映したのですが、ようだい君が1の途中からリタイア(居眠り)、Kくんは2話が終了したところで帰宅(明日バイトがあるとかなんとか・・・)、ミンミも2話の途中で眠ってしまったので、車に運んでもらって私と2人リタイア就寝。

ここのところ四国には放射性物質を運ぶ風は吹いて来ず、こんなことしているとすべてが夢だったかのような気さえして来るのです。子どもたちにはこんな息抜きが絶対に必要だなと改めて思いました。

危険を理解し、正しく怖がり、被災地のことを思いやる気持ちを持つなども確かに大切なことですが、やはり子どもたちにはのびのびと毎日を過ごしてほしい!そう願っています。

さて、一夜明けて4月の最終日は、町内で初節句を迎える赤ちゃんの家に行き、鯉のぼり用の杉丸太を立てる作業を見学しました。


阿波神山 momのスローな暮らし-鯉幟



といっても参加したようだい君と見学した私の2人以外は、好き勝手に漫画読んだり昼寝したり・・・思い思いに過ごした挙句、丸太が立つ前にお暇してしまったのですが。

またみんなで集まって遊べるといいね。







昨日は早朝4時に目覚ましをかけ、夜明けとともにヨモギを摘み、黒砂糖と塩とニガリで漬け込むというヨモギ酵素作りをしました。

夜明けに摘むのは、ヨモギの爆発成長点を最大限に活用するため。摘んだら1時間以内に漬け込まねばならないとのことで・・・「ヨモギさん、ありがとうね、ヨモギの力を貸してね」と声をかけながら30分ほどの間に約1㎏のヨモギを摘むことができました。


阿波神山 momのスローな暮らし-ヨモギ酵素



この日はなぜか俄然やる気が出ていて、冷凍保存していた米糀を全部使い切って味噌を仕込もう!と思い立ち、4.5kgほどの糀に対して5kgの大豆を水に漬けました。(私の場合、たいてい5月あたりになってしまう味噌作り・・・寒いとどうにも動く気分になれないんです)

午後になって豆がすっかり水を吸って戻ったので、大型の圧力鍋3つ分を順次薪と炭で蒸し煮しましたが、これがなかなか時間を食う作業で、結局終わったのはなんと夜中の3時でした~。(なんと23時間起きていたのです・・・)


阿波神山 momのスローな暮らし-大豆加熱

          (左は薪を使ったキッチンストーブ、右は備長炭と消し炭利用の七輪)

阿波神山 momのスローな暮らし-今年の味噌

          (これで約10kgのお味噌になります! 1年使って十分余ります)


阿波神山 momのスローな暮らし-去年の味噌かぶせ

          (今年の味噌の上から去年の味噌を薄くかぶせて味噌蓋にします)


途中で、前日の草刈りのとき集めた椿の花びらを煮詰めて染液を作ったり、発芽玄米や発芽大豆(これでお豆腐を作ります)を仕込んだり、炊き上がったやわらかい大豆の一部を納豆にしてみたり、火の番をしながら外キッチン周辺の草を刈ったり、中身が丸見えのコンポストに板壁をつけたり、まあ我ながらよく働いた一日だったと感心したりして。


阿波神山 momのスローな暮らし-椿染液
          
          (椿の花びら。奥は煮詰めたもの。手前はまだ美しい生の色です)


阿波神山 momのスローな暮らし-コンポスト板壁

          (コンポストの壁を取り付ける前の姿。外でご飯食べるとき気になります)



これはほんの序章で、これからやらなきゃならないこと、やりたいことが山ほどあります。原発事故の影響で、外に出られない日もあったりするものですから、貴重な時間を大事に大事に使わなければ・・・と考えるようになったことは不幸中の幸いなのかもしれません。

ヨモギ酵素も味噌も、発酵食品の力が放射能対策に役立つからというので背中を押された感もあります。やろうやろうと思いながら後回しにしてきたんですよね。

私の場合、寒さが苦手で『寒仕込み』がどうしてもできないんですよね・・・その上4~5月はなぜか気が重い時期で、毎年だいたい5月の終わりから6月にかけてようやく味噌を仕込むのが習慣になってしまっていました。今年はギリギリ4月中にできたなんてたいしたもんです!

この調子で気がかりだったあれこれを片付け、自分らしい毎日を取り戻したいと思っています。