YUKISHITOBLOG
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2012

夢とは缶詰に入った缶切りのようなものだ、と某国民的botは呟き、
人は叶えたい夢ばかり数える、と某弱虫バンドは嘆き歌う。

新しい夢を見つけたあの日から、5年になる。

あれからいくつもの夢を叶え、それ以上に何度も失望してきた。

でも、たった5年で一体何が分かるというのだろう?

多分それは虹を目指して走るようなもので、目の前に広がる美しいものに惹きつけられ進みながら、でも実は目的地がどこかわからなくて、辿り着く術を持ち合わせていなくて。
きっと一番近い場所まで辿り着いても気づかないし、辿り着いた頃には消えていて、また別の虹を眺めている、そういう類のものなのだろう。

今いる場所は、5年前には想像もつかなかったような所だし、でもそれは当たり前で、今目指している場所に立つ頃には、また新たな目的地を見ているはずで。

4年間走り続けたものの、この一年は図らずも足を止めざるを得なくなり、必然周りを見る時間が増えた。振り返ってみたり先を見てみたり、走っている人を眺めてみたり。当然、そこには自分が走っている時には見えなかった世界が広がっていた。

止まったからこその出会いや再会もあって、それはやはり自分にとっては必然的なもので、走っている間にポロポロと零していた自分の欠片を再び拾い集めるような、劇的に言うならば運命的なものだった。

きっと神様だか仏様だかその他諸々のどちら様かがくれたチャンスには違いなく、盲目的になりがちなこの世界で一歩離れた場所から周りを眺めることの出来たこの一年間は紛れもなく貴重な財産で、だからこそ次に走り出す時には今までよりも強く走れるはずで。



そうしてまた虹を目指し、色んなものを零し投げ捨てながら走る、そんな日々が始まるのだ。
失望や絶望をプラスのエネルギーに換えて。

自分REST@RT

タイトルで釣られた人、ごめんなさい、多分ご期待にはそえないので予めご了承下さい。


タイトルの意味がわからない人は、ググってみて下さい。そして一番最初に出てくる動画でも見てみて下さい。


そんなわけで、世の中には本当に素晴らしい作品が無数に溢れているのです。
別に自分なんかが作らなくても既に存在している、所謂名作をすべて観て、聴こうと思ったら、きっとそれだけで一生が終わっちゃうくらいにはあるのではないでしょうか。
それに引き換え、自分が作るものが現時点でどれだけ社会から必要とされているか、と聞かれれば、それは限りなくゼロに近いもので、社会的価値としてはプラスかマイナスかで言えばかろうじてプラスかな、くらいなものだと思うのです。つまり、自分が作品を作る必要なんて全くない。

それでも自分は作ることを辞めるつもりは今のところありません。何故なら、作る、という行為そのものが好きだからです。他の誰のためでもなく、自分のために作ります。
それがたまたま他の誰かに喜んでもらえたなら、その時に初めて社会的価値が生まれてくるのでしょう。

ここを履き違えている自称芸術家はきっとたくさんいて、必死に自分たちの社会的価値をアピールしている団体または個人をよく見かけるけど、それってどうなの?ってよく思います。
まぁ自分たちがそれでいいならいいと思うんですけどね。ただ、自分にはどうしても嘘臭く見えてしまう。

もちろん、社会的価値のある目的があって、その手段として何かしらのものを作る、ということも往々にしてあるでしょうし、それはとても有意義なことだと思います。
ただ、そういうことは既に実力の十分な、社会的価値を認められた人たちがやればいいのであって、必死に自分たちの価値を作り出すためにやることではないのではないかな、と思うのです。

なんだか自分の頭の中を整理するために書き始めたのにどんどんよくわからない批判に走ってしまったので、ここらで話を戻します。

つまり、自分は作ることが好きなんです。不思議なことに作ってる間は忘れがちなんですけども、きっとこれは間違いないのです。そして、誰かのためにものを作るのではなく、自分が作りたいものを作りたいように作りたいのです。

悲しいことに、自分は他人の良い所よりも悪い所を見つけるほうが圧倒的に得意です。
だから誰かと一緒に何かを作る時は、ほぼ間違いなく、自分のことは棚どころか屋根の上に上げて、その相手の作ったものの気に入らない点を指摘し、よりよいものを要求してしまいます。
そしてその度に思うのです。だったら自分でやってみろよと。全部一人で作ってみろよと。

だから、次は出来る限り一人で作ってみようと思うのです。

そのために、仕事替え、家を替え、色々あって環境を整えるのに半年近くかかってしまいました。
しかし、まぁ、なんとか年内に収まりそうなので良しってことで。

やっと、再始動です。

『ユーリンタウン』と紫陽花革命

原発再稼働に対するデモを見ていると、どうしても頭をよぎる舞台作品がある。

『ユーリンタウン』だ。

この作品との出会いはかれこれ8年前、まだ私が高校生だった頃のことである。

※以下『ユーリンタウン』のネタバレを含むので、これからなんらかの形で観るつもりのある方はご注意下さい。(とは言っても本作品ではオープニングナンバーでエンディングのネタバレしてるのでそこまで気にする必要はないとは思いますが。)


というわけで、『ユーリンタウン』あらすじ

その街では長期的な干ばつによる水不足が起こっていた。
節水のためトイレの使用は有料化、ある企業によって独占的に管理されている。
そんな中、企業による更なるトイレ使用料値上げに激怒した市民が革命を起こし、トイレ使用の自由化に成功し、見事にその街から水がなくなり…というお話である。


当時の私は、これをとても深い話だと思った。とても深い話だと思ったが、それはやはりどこか他人事で、いつかどこかで起こるかもしれない遠い未来のお話で、そんな先のことまで考えてる人がいるのかー、くらいにしか思っていなかったと思う。

ところが、だ。言わずもがな、今のこの国の状況は、まさにこの作品の舞台に酷似している、ように見える。きっと同じように感じている人もたくさんいるのだろう、ここ数年は毎年のように東京近郊でもこの作品が上演されている。

さて、ここで考えたいのが、この作品の示すところの「水(=天然資源)」を今の日本では何に置き換えて考えるべきなのか、ということである。

真っ先に思い浮かぶのは、「電気」だ。
政府や某企業は電力の確保に必死っぽいし、目的が怪しすぎる計画停電なんてものまで生み出して使用制限してみたりしてるし、妥当な気がしないでもない。
では市民が今デモを起こしているのは「電気」が欲しいからだろうか?
答えはノーだ。
確かに政府が守っているのは「電気」であり、またそれに付随する諸々である。
では、「電気」を求めていない市民は今何を求めてデモを起こしているのだろうか?
それは、「安全な土地」である。
市民は、「電気」を得る代償となっている「安全な土地」を求めてデモを起こしているのである。それも、自由に使わせろと言っているのではなく、守ってくれ、と訴えているのだ。もっと分かりやすく言えば、「安全な土地」を、消費しないでくれ、と言っているのである。


ここでもう一度考えてみたい。
「電気」と「安全な土地」
どちらが『ユーリンタウン』で指すところの「水」なのだろうか?
そして、市民に批判されながら、汚いことに手を染めながらそれでも水を守ろうとした『ユーリンタウン』内の独占企業、政府そしてそれを潰した革命家たちと、日本の某企業、政府、それを止めようとしているデモ隊は、本当に同列に扱えるのか?

ここまで読んで頂ければ十分お分かり頂けると思うが、私は原発反対派である。

もちろん、政府の人間も一般市民が考えているよりはよっぽど頭の良い人間の集まりだろうし、頑なに原発を推進するのにはそれだけの理由、主に経済的理由があるのだろう。電気が無くなることによる経済損失、というか、原発を止めることによる経済損失。それによって大多数の人間の仕事がなくなり、当然のようにホームレス、自殺者も出るのだろう。今後更なる原発事故が次に何年後までに起きるとそれによる経済損失はどれくらいで、という期待値的なものまで計算した上で再稼働と言っている、最低でもそれくらいは信じたい。そしてそれを信じた上で、やっぱりそんな計算あてになんねーよ、と言いたい。原発で起こりうる事故の損失は言葉通り計り知れない。この国どころか、この星の未来を滅亡に向かわせる力だ。
はっきり言って、これも増えすぎた人間に対する自然の摂理だと思えないこともないし、放射線の半減期的なスパンで考えれば食料不足とかでどーせ人間は減るだろうし、その頃には世界大戦とかになってるだろうし、それこそ水不足の問題もあるしで考え出したらキリがないが、そんなことよりも、とにかく何よりも許しがたいのは、

原発のせいで自分たちの世代が安心して子供を産むことも育てることも出来ない。

これに尽きる。きっと、結婚ラッシュど真ん中な世代だからこそこう思う部分もあるのだろう。
私が育った地域は、現在ホットスポットと呼ばれている放射線量の高い地域の一つだ。そこには多くの友人が残り、新たな家庭を築き始めている。人々は平然と暮らしているし、きっとこの先もしばらくの間は平和だ。そしてあるとき突然誰かのもとに不幸が訪れ、気づくのだ。或いは最初のうちは運が悪かったで処理されるのかもしれないが。。でもそうなってからでは遅いのだ。


感情に任せて長々と書いてしまったが、常々思うのは、この国は、あらゆる場面で自力で制御できないものに頼りすぎである。本来持ち得ない力を使って今のシステムを作り上げ、後戻りできなくなっている。解決し得ない問題はすべて未来に押し付ける。そんな身勝手なシステムの一つを今、勇気を持って取っ払ってみるべきだと、私は思うのである。

反原発運動もそろそろ悪用を企む人間も出てきているように見えるし、必死になればなるほど視野は狭くなりがちで非常に危険な状態に見える。きっと学生運動というのはこんな感じだったのだろう。妙な連帯感やら正義感やら興奮やらで自分を見失い冷静な判断が出来なくなるのは恐ろしいことだ。
だからこそ、私はここで主張しよう。

原発、反対。
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