ミヤマキリシマ | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○今日、2024年5月15日に、高千穂河原から「鹿ケ原」まで、ミヤマキリシマを見に出掛けてきた。天気も良くて、時期的にも、霧島山のミヤマキリシマは、今が盛りなのではないか。圧倒的な美しさであった。

○それで、ブログを、

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『高千穂河原のミヤマキリシマ』

  高千穂河原のミヤマキリシマ | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『鹿ケ原と高千穂峰』

  鹿ケ原と高千穂峰 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『鹿ケ原のミヤマキリシマ』

  鹿ケ原のミヤマキリシマ | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

と続けている。

○何しろ、写真も500枚以上撮って来た。折角の機会である。この際、ミヤマキリシマについて、存分に書いておきたい。

○ミヤマキリシマは、その名の如く、霧島山の名花である。しかし、専売品ではない。九州では、霧島山以外ににも、久住山とか雲仙とか、ミヤマキリシマの名所は、多い。当古代文化研究所では、霧島山以外には、久住山を訪れている。

○もっとも、雲仙普賢岳とかは、噴火するずっと前に登ったことがあるが、残念ながら、花の季節では無かった。花は、その時期に登らない限り、目にすることはできない。その期間は、せいぜい、一か月だろう。つまり、一年で、一か月しか、見ることはできない。

○屋久島に、花之江河と言う名所がある。黒味岳の麓で、風光明媚なところとして知られる。しかし、屋久島の花之江河で、花之江河と言う名を実感できるのは、五月末から六月初めに掛けての一か月だけである。花之江河とは、シャクナゲの花の河の謂いである。

○昔、宮之浦岳山頂で、花之江河を「はなのえかわ」としきりにおっしゃる方がいらっしゃった。花之江河は「はなのえごう」と呼ぶ。気になったので、「はなのえごう」と呼ぶんですよと、さり気なく指摘したら、ムッとした感じで、「でも、ここにも『はなのえかわ』と書いてある」とおっしゃって、パンフレットを見せていただいた。仕方が無いので、「このパンフレットが間違っているのですよ」と応えると、「屋久島のパンフレットが間違うはずがない」と強調されて、呆れたことがある。世の中、なかなか、難しい。

○ウイキペディアフリー百科事典が案内するミヤマキリシマは、次の通り。

      ミヤマキリシマ

ミヤマキリシマ(深山霧島、学名Rhododendron kiusianum)は、ツツジの一種。九州各地の高山に自生する。

1866年には坂本龍馬が新婚旅行で霧島を訪れた際、姉に宛てた手紙の中で「きり島つゝじが一面にはへて実つくり立し如くきれいなり」と書いている。1909年には同じく霧島へ新婚旅行に訪れた植物学者・牧野富太郎が発見し、「深い山に咲くツツジ」という意味で「ミヤマキリシマ」と命名した。『三国名勝図会』で、高原の物産の花卉類の項目に、映山紅が「霧島山中特に多し。叢をなすこと甚廣し。花さける時は、満山錦のごとし。」と記載されているが、これがミヤマキリシマのことである。

和名に冠された霧島山えびの高原のほか、阿蘇山九重山雲仙岳鶴見岳など九州各地の高山に分布する。ミヤマキリシマは、火山活動により生態系が撹乱された山肌で優占種として生存できる。逆に、火山活動が終息して植物の遷移により森林化が進むと、優占種として生存できなくなる。

  ミヤマキリシマ - Wikipedia

○今回は、花を愛でたい。全景ではなくて、花を中心に、写真を載せたつもりである。どの花も、「私を見て」と言わんばかりに見事に咲いていた。目移りして困る風景だった。もちろん、どの花も、申し分なく、美しかった。