卑弥呼の肖像 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○ブログ『NHK:邪馬台国サミット2021』から、ブログ『邪馬台国の風景』、『大山祇神の故郷』、『彦火瓊々杵尊と大山祇神』と書いてくると、続けて来るのは『卑弥呼の肖像』しかあるまい。つまり、卑弥呼の正体が何であるかと言う話である。

○三世紀の中国の正史、「三国志」に描かれているのが邪馬台国であり、その女王が卑弥呼だと言うことになる。したがって、邪馬台国や卑弥呼の正体を探すとなれば、「三国志」を読み解くしかないわけである。ところが「三国志」を読み解くことは、なかなか難しい。

○第一、中国の史書は、中国の専門史家のみをその読者対象としている。だから、普通の中国人には「三国志」は読めない。まして、外国人である日本人が「三国志」を読むには、相応の労力と時間を要求されることは言うまでも無い。

○そういう意味で、当古代文化研究所では、少なくとも三十年以上掛けて「三国志」を読んで来ている。陳壽の故郷である南充も敬意を表して訪れて来た。意外と、陳壽が司馬相如の申し子であることも、そこで知った。

○それに、「三国志」を読もうとすれば、日本に居ては駄目だと言うことも判った。「三国志」倭人伝を本当に読みたいと思うならば、中国浙江省の会稽(現紹興市)や寧波あたりで読まないと判らない。もともと陳壽がそういうふうに書いているのが「三国志」倭人伝だと言うことを理解した。なかなか読書するのも大変である。

○もっとも、そういうことは、「三国志」倭人伝を読み解かない限り、理解できないことである。まして、卑弥呼の肖像など、そんなに簡単にできるものではない。ここでは、そういう研究の結果のみを書くことになる。まずは、邪馬台国の所在地から。魏国の帯方郡から倭国の邪馬台国までの道程を、陳壽は、次のように案内している。

  帯方郡⇒狗邪韓國=七千餘里
  狗邪韓國⇒對馬國=千餘里
  對馬國⇒一大國=千餘里
  一大國⇒末盧國=千餘里
  末盧國⇒伊都國=五百里
  伊都國⇒奴國=百里
  奴國⇒不彌國=百里
  不彌國⇒投馬國=千五百余里
  投馬國⇒邪馬壹國=八百余里

○もっとも、これを「三国志」倭人伝を読み解くことは至難の業である。その証拠に、こういう案内をした人は、これまで、誰一人、居ない。さらに、陳壽は倭国三十国を次のように俯瞰してみせる。

  【渡海三国】
    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  【北九州四国】
    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  【中九州二十国】
    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  【南九州三国】
    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国

○ある意味、これが「三国志」倭人伝の主題なのである。何とも凄まじい表現に驚く。こういう芸当ができるのが中国で正史を書く史家の実力であることは言うまでも無い。こういうことを察知するのが中国の史書を読む作法なのである。俗に「春秋の筆法」と言われる。

○面白いことに、八世紀に書かれた日本最古の史書とされる「古事記」や「日本書紀」も、日本の始まりは日向国だと明記している。それがどうして日向国なのか。誰も明らかにしない。それを理解しない限り、日本の歴史は語れないはずなのに。

○日本で、最初に中国の文化文物を手に入れ、発展していたのが日向国だと言うことになる。その日向国の中心が何処であったか。それも誰も知らないし、知ろうともしない。日向国の中心は大和三山だと「万葉集」が教えてくれる。

○と言うのは、大和三山を最もよく世に伝えている書物が「万葉集」なのである。私見によれば、「万葉集」には香具山が十四回、畝傍山が六回、耳成山が三回記録されている。その「万葉集」を読むと、大和三山は日向国のものであることが判る。これにも丁寧な検証が必要なのだが、ここでは結果のみを案内するに留めたい。

○つまり、次の山々が、本当の大和三山となる。

  ・うねびやま=霧島山(1700m)
  ・かぐやま=桜島山(1111m)
  ・みみなしやま=開聞岳(924m)

○したがって、当古代文化研究所では、奈良県橿原市に存在する大和三山と区別する意味で、日向国の本物の大和三山の方を邪馬台国三山と命名して区別している。何故なら、ここに邪馬台国が存在したことが明らかなのだから。つまり、邪馬台国の風景とは、邪馬台国三山を指す。

○それが、ブログ『邪馬台国の風景』であった。

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『邪馬台国の風景』

  邪馬台国の風景 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○その邪馬台国の女王が卑弥呼である。それなら、卑弥呼とは誰か。「古事記」や「日本書紀」で探索すれば、それは大山祇神だとするしかない。そのことについて、前回、触れたばかりである。

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『彦火瓊々杵尊と大山祇神』

  彦火瓊々杵尊と大山祇神 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○その大山祇神の故郷が何処であるかも、以前、述べている。

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『大山祇神の故郷』

  大山祇神の故郷 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○これが邪馬台国の女王、卑弥呼の肖像である。現住所もはっきりしている。それは鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島である。つまり、邪馬台国はすでに完全発見されている。もう10年以上も前に。それを書いた書物が「完読魏志倭人伝」(2010年刊:高城書房)になる。

○もう少し、卑弥呼の肖像について、詳述したかったのだが字数が尽きた。続きは次回に。