○前回、ブログ『卑弥呼の肖像』で、卑弥呼の肖像を描いた。それは卑弥呼の現住所が鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島であって、「古事記」や「日本書紀」が記録する大山祇神だと言うことであった。
○つまり、卑弥呼は、伊予国大一宮の大山祇神社や伊豆国一宮の三嶋大社を始め、日本中で現在でも斎き祀られている神様なのである。更に、硫黄島が出雲神の故郷であることを考えると、卑弥呼を斎き祀る神社はもっと多くなる。それは多分、日本の神社の半分くらいになるのではないか。それほど、邪馬台国の女王、卑弥呼の影響力は、現在でも続いている。
○不幸にして、「古事記」や「日本書紀」に拠って、日本の歴史は書き換えられてしまった。中国の正史「三国志」の倭人伝が、逆に、正しい日本の歴史を伝えていてくれる。「三国志」倭人伝に拠れば、少なくとも、三世紀には、日向国に邪馬台国が存在したことは間違いない。
○前回、ブログ『卑弥呼の肖像』で、卑弥呼の肖像を描いたが、スペースが足りなくて、中途半端で終わってしまった。したがって、今回は、その続きになる。
○卑弥呼の肖像を描く上で、「三国志」の倭人伝を抜きにはできない。「三国志」の倭人伝では、卑弥呼について、次のように案内している。
其國本亦以男子為王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歷年。乃共立一女子為王。
名曰卑彌呼。事鬼道、能惑眾。年已長大、無夫婿。有男弟佐治國。
自為王以來、少有見者。以婢千人自侍、唯有男子一人給飲食、傳辭出入。
居處宮室樓觀、城柵嚴設、常有人持兵守衛。
○ここにある字数は99字。これが「三国志」倭人伝が記録する卑弥呼の肖像である。この中で、卑弥呼を象徴する言葉が「卑弥呼の鬼道」であることは間違いない。つまり、卑弥呼は宗教を以て世の中を治めようとしていたことが判る。
○この記録から、考古学者先生は卑弥呼がシャーマンだと言って憚らない。時代錯誤も甚だしい。「三国志」倭人伝が記録する三世紀の倭国は、明らかに国際交流の只中にある。そんな時代がシャーマニズムで乗り切れると思うことがどうかしている。歴史を見る目が曇っていると言うしかない。
○日本修験道の起源は、七世紀に役の行者小角によって、吉野山で感得されたと言われている。しかし、吉野山の正体を探ると、意外な事実が出現する。吉野山は三山信仰であり、その起源は鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島にあることが判る。
○修験道の起源が硫黄島であり、それが三世紀であるとすれば、日本仏教の起源が見えて来る。日本への仏教伝来も、六世紀とされ、それも朝鮮半島経由とされている。しかし、よくよく日本への仏教伝来を考えると、どうやら、三世紀であって、それも中国本土から直接伝来したことが判る。
○そういうものが全部、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島に集中する。これはどう考えてもおかしい。つまり、「卑弥呼の鬼道」がどうやら、仏教だとするしかないわけである。それ以外に、このことを説明するものが無い。修験道の起源は卑弥呼にあったことが判る。
○その信仰がどういうものであったかも、硫黄島が教えてくれる。卑弥呼は仏教を日本へ招聘しただけであって、本来、仏教は中国伝来のものである。そのルートもはっきりしている。それが前に案内した遣唐使船南島路になる。
・坊津⇒硫黄島(56㎞)
・硫黄島⇒口永良部島(36㎞)
・口永良部島⇒吐噶喇列島口之島(59㎞)
・吐噶喇列島口之島→吐噶喇列島中之島(14㎞)
・吐噶喇列島中之島⇒吐噶喇列島諏訪之瀬島(28㎞)
・吐噶喇列島諏訪之瀬島⇒吐噶喇列島悪石島(24㎞)
・吐噶喇列島悪石島⇒吐噶喇列島宝島(50㎞)
・吐噶喇列島宝島⇒中国浙江省舟山群島(600㎞)
・舟山群島⇒寧波(150㎞)
・寧波⇒会稽(100㎞)
○これは日本から見たものであるが、これを中国側からみれば、それがそのまま日本への仏教伝来のルートとなる。実は、この中に、すでに、伝来先が隠れている。それが中国四大仏教名山と呼ばれるところになる。中国では、次の場所を中国四大仏教名山と呼び称している。
・山西省五台県の五台山 - 文殊菩薩の霊場(世界遺産)
・四川省楽山市の峨眉山 - 普賢菩薩の霊場(世界遺産)
・安徽省池州市の九華山 - 地蔵菩薩の霊場(世界ジオパーク)
・浙江省舟山市の普陀山 - 観音菩薩の霊場
○当古代文化研究所では、すでにこれらの中国四大仏教名山全てに参詣済みである。この中の、普陀山が日本への仏教伝来の地になる。当古代文化研究所では、その普陀山には6回参詣している。
○何故、こういう中国四大仏教名山詣でを繰り返すかと言うと、日本への仏教伝来がどういうものであったかを確認するためでである。中でも特に、日本へ仏教を伝えたと思われる普陀山へ参拝すると、日本へ伝えられた仏教がどういうものであったかが見えて来る。それで何度も訪れている。
○卑弥呼の現住所が鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島であって、「古事記」や「日本書紀」が記録する大山祇神であることの意義は、大きい。それは日本へ伝来した仏教が修験道であったことを証明してくれるからである。つまり、それは神仏混淆の宗教であった。日本へ伝来した仏教は、最初から神仏混淆の宗教だったのである。それが卑弥呼の鬼道の意味内容である。