○前回の最後に、こう書いている。
大和国一宮である大神神社が鎮座まします三輪山から見る大和三山は、そのレプリカ
である。逆に言うと、邪馬台国三山は硫黄島から眺めるのが正式で、正しい。次回は、
そういう話をしたい。
○邪馬台国三山である、
・うねびやま=霧島山(1700m)
・かぐやま=桜島山(1111m)
・みみなしやま=開聞岳(924m)
は、何処から眺めても良いものではない。物事には作法があって、邪馬台国三山も、実は正式に眺める場所が決まっている。それが鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島になる。
○もちろん、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島で邪馬台国三山を眺める者も誰であるか、当然、決まっている。実は、そのことについては、すでに次のブログで、案内済みである。
・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『大神神社と大和三山』
大神神社と大和三山 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)
・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『出雲神の故郷』
○つまり、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島から邪馬台国三山を眺めている者は出雲神である大物主大神であることが判る。硫黄島では、現在でも四六時中、『八雲立つ 出雲』の風景を見ることが出来る。そういう場所は何処にでもあるわけではない。
○そういう意味では、硫黄島は恐ろしい島である。日本神話の多くの神々が此処で誕生している。ある意味、古代日本を語るのに、硫黄島を抜きに語ることはできない。それで、当古代文化研究所では、これまで次の6回、硫黄島を訪問している。
・2009年5月30日(土)
・2009年6月11日(木)
・2010年10月30日(土)・31日(日)
・2011年3月13日(日)から18日(金)
・2011年11月25日(金)から29日(火)
・2012年8月22日(水)
○硫黄島がどんな島であるかについても、詳細な検証を加えている。主なものを次に案内しておきたい。
・テーマ「三島村・薪能「俊寛」」:38個のブログ
三島村・薪能「俊寛」|古代文化研究所 (ameblo.jp)
・テーマ「硫黄島」:42個のブログ
・テーマ「三島村秘史」:30個のブログ
・テーマ「Camellian硫黄島」:30個のブログ
Camellian硫黄島|古代文化研究所 (ameblo.jp)
・テーマ「ツワブキの硫黄島」:33個のブログ
○ある意味、日本は硫黄島から始まっていると言っても過言では無い。と言うか、間違いなく、日本の始まりは硫黄島である。そんな恐ろしい島だから、このように何度も硫黄島を訪問し続けているわけである。そういう島が硫黄島である。
○それを端的に表現するのが、三島神であり出雲神である。ウイキペディアフリー百科事典では、三島神社について、次のように案内する。
三島神社
三島神社、三嶋神社、三嶌神社(みしまじんじゃ)、あるいは三島社(みしましゃ)は、「三島」を社名とする神社。総本社は伊予の大山祇神社(大三島神社)と伊豆の三嶋大社である。全国に400社余り存在する。
伊予の大山祇神社を総本社とする大山祇・山祇神社(全国に900社前後)と併せ、「大山祇・三島信仰」と総称されることもある。
○同じく、出雲神については、出雲大社項目が存在する。
出雲大社
出雲大社(いずもおおやしろ、正仮名遣いでは「いづもおほやしろ」/ いずもたいしゃ)は、島根県出雲市大社町杵築東にある神社。祭神は大国主大神。式内社(名神大)、出雲国一宮で旧社格は官幣大社。神社本庁の別表神社。宗教法人出雲大社教の宗祠。
○そういう三島神や出雲神の故郷が硫黄島であることに、誰も注目しない。と言うか、そういうふうに日向国を認識できないのである。意外と、一宮の多くは日向国出身の神様なのである。その日向国の中心が薩摩半島であり、信仰の中心が硫黄島だった。
○硫黄島が大山祇神の故郷であることの意義は大きい。大山祇神の娘が木花開耶姫である。木花開耶姫は、天孫降臨の尊、彦火瓊々杵尊と結婚している。その二人から、日本の歴史は始まったと「古事記」や「日本書紀」は記している。
○後世、男尊女卑の思想が広まり、大山祇神は男神へと変容させられているが、もともと大山祇神は女神である。古来、日本では山の神は女神であるのが常識である。その大山祇神の故地が硫黄島なのである。だから、山の神の好物はオコゼと決まっている。オコゼが獲れる海は南の海である。
○したがって、本来、大山祇神を斎き祀るのは、山の民ではなくて、海の民である。そういう歴史を知らないで古代を語ることはできない。何故なら、古代は宗教の時代でもあるのだから。そういう宗教上の聖地が硫黄島なのである。