大神神社と大和三山 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○大和国には大和三山が存在する。

  ・畝傍山(うねびやま、199m)

  ・天香久山(あまのかぐやま、152m)

  ・耳成山(みみなしやま、140m)

○同じように、日向国には邪馬台国三山が存在する。

  ・うねびやま=霧島山(1700m)
  ・かぐやま=桜島山(1111m)
  ・みみなしやま=開聞岳(924m)

○この両者は、もともと同じものであって、日向国から大和国へ移住した人々が故郷の山々の名を冠したのが大和三山である。だから、標高200mにも充たなくても国名を冠している。それが大和三山である。前回、そういう話をした。

○その大和三山は、何処から眺めるのが正しいか。山を眺めるのに作法など無い。何処から眺めても、山は山だろう。そう考えるのは素人である。実は、大和三山には正式に眺める方角が存在する。それが大神神社の鎮座まします三輪山から眺める大和三山である。

○そんな話は聞いたことが無いとおっしゃるかも知れない。それはそのはずである。大和国では、何故、大神神社が大和国一宮であるかの案内すら、誰もなさらない。第一、肝心の大神神社が案内できないのだから、これではどうすることもできない。

○偶々、当古代文化研究所では、大和三山を研究していて、何故、大神神社が大和国一宮であるかを理解することができた。大神神社が斎き祀る大物主大神は紛れもなく、出雲神なのである。大和国一宮が天皇家の神では無くて、何故、出雲神である大物主大神を斎き祀っているのか。誰も教えてくれない。

○本当なら、大神神社自身がそういう故事来歴をご由緒として案内すべき立場にある。しかし、残念ながら、そういう故事来歴を大神神社はすでに遺失してしまっている。そのことは、大神神社のHPを読むと判る。そういう故事来歴がまるで抜け落ちているからである。逆に、大神神社では、

   そして、ご祭神がお山にまるために、当社は古来本殿を設けずに直接に三輪山に

  祈りを捧げるという、神社の社殿が成立する以前の原初の神祀りの様を今に伝えており、

  その祭祀の姿ゆえに我が国最古の神社と呼ばれています。

などと案内するけれども、大物主大神が出雲神である以上、大神神社が他所から勧請された神社であることは間違いない。そうであれば、「我が国最古の神社」ではあり得ない。

○それに、出雲神である大物主大神の故郷も出雲国では無い。出雲神なら、その故郷は出雲国以外に考えられない。そんな狭い了見では正しい日本の歴史を知ることはできない。第一、大和地名そのものも、大和国のものではない。出雲地名は日向国のものである。出雲神である大物主大神も、当然日向国であることが判る。

○そうは言っても、日向国は広い。具体的には、大物主大神の故郷は鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島になる。そのことについては、前々回、次のブログで案内済みである。

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『出雲神の故郷』

  出雲神の故郷 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○つまり、大和国を領知しているのが出雲神である大物主大神であることは、日向国でははっきりしている。硫黄島から見る邪馬台国三山がその風景になる。それは、一番手前右側に『みみなしやま=開聞岳(924m)』があって、その奥、左手に『かぐやま=桜島山(1111m)』が存在し、さらにその奥、開聞岳と桜島山の間に『うねびやま=霧島山(1700m)』が存在する。これが日向国の風景であることは言うまでも無い。

○実は、同じ風景を奈良県桜井市に存在する三輪山山頂から見ることができるはずである。ただ、現在、三輪山山頂は、木々が生い茂っていて、眺望が無い。代わりに、登山口になる大美和展望台から大和三山を望むことができる。その風景は、一番手前右側に耳成山、その奥、左手に香具山、さらにその奥、耳成山と香具山の間に畝傍山を見ることができる。その風景は、まるで日向国の風景と同じであることに驚く。

○それはそうだろう。そういうふうに造作された風景が奈良県の風景なのだから。ただ、そのスケールは全然違う。日向国の風景が雄大であるのに対し、奈良県のものは美しいけれども、小さなものに過ぎない。古代人がこういう風景を造作したことにただ驚くばかりである。

○これが大神神社と大和三山の関係になる。つまり、大神神社の御祭神、大物主大神が領知するところが大和三山のある大和国なのである。したがって、大和地名はもともと日向国のものであることが判る。大和三山が存在するところが大和国であることは言うまでも無い。

○私たちは、大和国を治めていたのは大和朝廷だと信じて止まない。もちろん、大和国を治めていたのは大和朝廷であることは間違いない。ただ、私たちが知っている大和朝廷と、歴史が教える大和朝廷との間には、相当な差異があることも見逃してはなるまい。

○それは「古事記」や「日本書紀」が案内する日本の歴史が、意図的に歴史を改竄した歴史であると言うことに他ならない。そうでない限り、大和国一宮が出雲神であることはあり得ないからである。実はそういうふうに読むのが「古事記」であり「日本書紀」なのである。なかなか歴史は面白い。