邪馬台国の風景 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○昨日のブログ『NHK:邪馬台国サミット2021』の最後に、こう書いた。

  ・当古代文化研究所とNHKのどちらが正しいか。それは視聴者が判断していただければ

  判ることである。もうすでに邪馬台国は完全発見されている。それは畿内でも北九州でも

  ない。その詳しい話は次回に述べたい。

○したがって、今回は邪馬台国が何処に存在したかがテーマとなる。そのことについて、前回、次のように書いている。

   邪馬台国や卑弥呼は、中国の正史「三国志」に書かれた史実に過ぎない。したがって、

  「三国志」を読んで、解決しない限り、邪馬台国や卑弥呼の問題は解決しない。肝心の

  「三国志」が読めない考古学者先生には、それはできない。誰が考えても判ることである。

○まことに失礼な発言だが、それが正直な感想である。考古学者先生が生涯を懸けて遺跡や遺物の研究に取り組むように、文献学者は生涯を懸けて文献読解に取り組んでいる。中国の史書は中国の専門史家のみをその読者対象としているのであって、素人に中国の史書は読めない。それが中国の常識である。それが考古学者先生には「三国志」は読めないと言うことの真意である。

○そういうことを端的に著したものに、京都大学の宮崎市定の次の言葉がある。

   このように『史記』においては何よりも、本文の意味の解明を先立てなければならないが、

  これは古典の場合已むを得ない。古典の解釈は多かれ少なかれ謎解きであって、正に著者

  との知恵比べである。そしてこの謎解きに失敗すれば、すっかり著者に馬鹿にされて了って、

  本文はまっとうな意味を伝えてくれないのである。

                        (「宮崎市定全集5 史記」自跋)

○その宮崎市定が「魏志倭人伝」に言及しなかったのは、有名な話である。宮崎市定ほどの碩学でさえも手に負えないと感じたのが「魏志倭人伝」なのである。況んや余人をやと言わざるを得ない。

○それでも世の中にはおめでたい人が多くいて、果敢に「魏志倭人伝」へ挑戦し、悉く討ち死にしている。まさにドン・キホーテが風車に立ち向かって行くようなものに他ならない。あるいは蟷螂がダンプに向かって突進するようなものか。

○中国の正史「三國志」巻三十、魏書三十、烏丸鮮卑東夷傅の中の倭人の条を、日本では特別に「魏志倭人伝」と呼び称している。したがって、ここでもそれに従う。もともと「魏志倭人伝」と言う書物は無い。「三国志」巻三十、『烏丸鮮卑東夷傅』、9448字の一部、倭人の条、1986字が、日本では「魏志倭人伝」と呼ばれている。

○字数にして、僅か1986字だから、何時でも誰でも簡単に読むことができる。誰も読めないのなら、自分が読んでやろう。そういう人が後を絶たない。お陰で、「魏志倭人伝」を読んだと言う本は、掃いて捨てるほどある。しかし、残念ながら、どれ一つ、「魏志倭人伝」を読み解いているものは無い。

○三世紀に「魏志倭人伝」が書かれて以来、1700年が過ぎた。それでも「魏志倭人伝」を読み解くことができない。それ程、「魏志倭人伝」は難解なのである。人によっては、「魏志倭人伝」に問題があるとおっしゃる。しかし、読み解いてみると判るのだが、そういう判断自体が誤りであることが判る。

○第一、「魏志倭人伝」の主題は何か。それすら、満足に解明できていない。「魏志倭人伝」の主題は、あくまで、倭国三十国の案内にある。これまで、それを読み解いた書物は、「完読魏志倭人伝」(2010年:高城書房刊)だけである。

○ちなみに、「魏志倭人伝」の主題である倭国三十国の案内は、次のようになる。

  【渡海三国】
    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  【北九州四国】
    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  【中九州二十国】
    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  【南九州三国】
    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国

○何とも、驚き呆れる見事な表現である。これが中国で正史を書く史家の実力なのである。それを「魏志倭人伝」に、ああいうふうに記録する。それが中国の史書の独特の表現方法なのである。それを読み解くには、相応の奮闘努力が要求されることは言うまでもない。

○これだけでも、陳壽は十分に尊敬に値する。しかし、陳壽の実力はこれだけではない。陳壽はまた中国魏国の帯方郡から倭国の邪馬台国までの道程をも、見事に表現してみせる。これも読み解くと、次のようになる。

  帯方郡⇒狗邪韓國=七千餘里
  狗邪韓國⇒對馬國=千餘里
  對馬國⇒一大國=千餘里
  一大國⇒末盧國=千餘里
  末盧國⇒伊都國=五百里
  伊都國⇒奴國=百里
  奴國⇒不彌國=百里
  不彌國⇒投馬國=千五百余里
  投馬國⇒邪馬壹國=八百余里

○判るように、「魏志倭人伝」に、何の問題も無い。丁寧に「魏志倭人伝」を読むと、こういうことが判る。しかし、これを「魏志倭人伝」から読み解くには、最低でも、20年30年の年月を要している。それが「魏志倭人伝」1986字を読むと言う作業になる。

○最後に。辿り着いた邪馬台国の風景が邪馬台国三山である。

  ・うねびやま=霧島山(1700m)
  ・かぐやま=桜島山(1111m)
  ・みみなしやま=開聞岳(924m)

大和国一宮である大神神社が鎮座まします三輪山から見る大和三山は、そのレプリカである。逆に言うと、邪馬台国三山は硫黄島から眺めるのが正式で、正しい。次回は、そういう話をしたい。