武将な寺社めぐり | 大善寺!勝頼、懐かしの乳母 理慶尼のもとで戦勝を祈願(甲州征伐 | 地図付 | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)
「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」 武将な寺社街道めぐり、
大善寺の紹介です。
武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」の史跡めぐりの旅
ともリンクしていますので、よろしくお願いします。

史跡名 ゆかりの武将 住所
大善寺 武田勝頼、武田信勝、北条夫人(勝頼夫人)、理慶尼、行基 山梨県甲州市勝沼町勝沼3559
誤字やリンク切れ等がございましたら、コメントにてお知らせくださいますよう、よろしくお願いいたしますm(_ _ )m
スマホで地図が表示されない場合、一度前の記事に戻ってもらい再度次の記事を読み込みすると表示されるようです。
大善寺は別名ぶどう寺とも呼ばれ、本堂である薬師堂は国宝です。
拝観料:大人500円。
くるまr駐車場があります。

大善寺は、養老2年(718年)行基が勝沼日川の渓谷で修行した際、夢の中に手に葡萄を持った薬師如来が現れ、その薬師像を刻んで安置したことが始まりだといいます。
行基は民のために薬園を作り、その際に葡萄の作り方も伝授しました。
それが今日の山梨の葡萄の始まりと伝わっているそうです。

武田勝頼一行、乳母がいる大善寺で安息の一夜を明かす。
新府城を焼き捨て岩殿城を目指す 勝頼一行は、天正10年(1582年)3月3日、当初の予定通り(小幡豊後守の勧めもあり)、柏尾(勝沼)に逗留します。
その際に宿所としたのが、勝頼の乳母・理慶尼が暮らす大善寺でした。

勝頼一行はこの大善寺で戦勝祈願をしています。
理慶尼が記した「理慶尼記(武田滅亡記)」によりますと、勝頼夫人はこう言っています。
この寺のご本尊は薬師如来と承はる。
今夜是にて通夜(祈願)し、後の世を祈らばやと思うなり。
南無薬師瑠璃光如来。
自ら最後既に近づきぬと覚えてあり。
後の世には、一つ蓮の臺の縁となし給え。

勝頼夫人の心境を考えると泣けてきますね(t_t)
後世ではたまた一つの家族でありたいなんて…。

懐かしい乳母と夫人と息子とで一夜を過ごした勝頼でした。

ここ大善寺には理慶尼の墓 もあります。



daizenji01
仁王門。1798年の再建ですので、勝頼はこの仁王門を見ていません。


daizenji05
仁王像あ。


daizenji04
仁王像ん。


daizenji02
国宝薬師堂(本堂)


daizenji03
庭園もありました。


武将な寺社、街道めぐり topへ戻る
武将が祀られた寺社。武将の生まれた地に建つ寺社、武将が滞在した寺社、祈願所とした寺社、寄進や造営した寺社、禁制を出した寺社、武将ゆかりの品々が残る街道や宿場町、史跡などなど…。そんな寺社、街道をめぐる旅です。

アメブロ以外の方のご意見・ご質問等はこちら まで。
※返信までに時間を要する場合、お答えできかねる場合もございます。ご了承ください。

ライン宣伝07 ラインスタンプ作りました。
喜怒哀楽を兜の前立てで表現した可愛い武将のスタンプ、かわいいたぬきサムライのスタンプなどなど。
気に入ったら使ってくださいね。よろしくお願いします。
スタンプはこちらから。

ブログランキングへ参加中です。ご協力お願いしますm(_ _ )m
パクリはやめましょう!
このブログの記事や画像の無断使用、転載は絶対やめてくださいね。まとめサイトとかもダメです!neverなんて論外です!
この記事作るのにいろんな史料を調べたり、現地に行って写真撮ったり、時間・お金がたくさんかかってます!ズルしちゃだめですよ。
© 2010-2019 siro-sengoku-bushou.