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「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」 、戦乱の旅です。
武将の足跡、古戦場をめぐります。
武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道」の史跡めぐりの旅を紹介していきます。
このページはブログ更新のたびに随時追記してきますので、よろしくお願いします。
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メラメラ憎しみの岩村城攻め  2016年11月26日更新
岩村城主・遠山景任は織田信長の叔母・おつやの方を娶り織田家に属す。景任死後は、信長の5男の坊丸を遠山家の養子とし、結びつきを強める。坊丸が幼いためおつやの方が後見人かつ城主として武田と戦う。元亀4年に開城し武田方の将・秋山信友と結婚。坊丸を府中(甲府)へ人質として送ってしまう。その報を受け、怒り狂った信長は、天正3年5月に長篠の戦いで武田を破ると、すぐに子・信忠に岩村城奪取を命じる。勝頼の援軍要請に木曽義昌が応じないという事件も発生。武田家の綻びが始まる。
メラメラ織田信忠大将陣に布陣  2016年11月27日更新
信忠は岩村城が見える高台の丘に陣を敷く。武田勝頼が救援に動くが、援軍到着前に岩村城は落城。城の攻防戦は5ヶ月におよんだ。城将・秋山信友らは岐阜へ送られ、城兵は悉く焼き殺される。
メラメラ秋山信友、おつやの方らを長良川で磔にし処刑  2016年11月28日更新
岩村城主の秋山信友をはじめ、その妻おつやの方、大島杢之助、座光寺為清らを岐阜まで連行し、長良川の河原にて磔にかけ処刑。
メラメラ秋山信友、おつやの方らは、大将陣にて処刑か?大将塚の謎  2016年11月29日更新
織田信忠が陣を敷いた「大将陣」に「大将塚」とよばれる盛土があり、そこに秋山信友、おつやの方、大島杢之助、座光寺為清ら計5名の首が埋葬されたと伝わる。5名は「大将陣」にて逆さ磔にされ処刑されたとのこと。長良川ではなくこちらで処刑されたのか?
メラメラ武田家滅亡への序章?新府城を築く  2016年12月1日更新
武田勝頼は穴山信君の勧めもあり、織田・徳川・北条連合軍の来襲に備え新府城を築く。しかし家臣達の中に、築城に疑問を持つ者、出費に不満を持つ者が現れ、しだいに「寝返り」という芽が出始める。
メラメラ引っ越し後すぐに死亡 武田勝頼の長女の墓  2016年12月3日更新
勝頼一行は躑躅ヶ崎館から新府城へと移り住むが、勝頼の長女にとっては難儀であったらしく、引っ越し後すぐに体調を崩しそのまま亡くなってしまう。
メラメラ新府城水堀の伝説 勝頼の長女は将来を憂い身投げした?  2016年12月4日更新
武田勝頼の長女は新府城へ引っ越し後すぐに体調を崩し亡くなったと言われているが、城の堀に身を投げたという伝説が残る。それが城の北側にある水堀のあたり。
メラメラ義兄弟・木曽義昌の離反!木曽義昌の墓  2016年12月5日更新
木曽義昌の妻は信玄の三女・真理姫。武田勝頼とは義兄弟の関係だが、岩村城への援軍要請を断るなど、両者の関係はよいとは言えず。新府城の築城の出費、労力に耐え兼ね、天正10年、ついに織田信忠の調略に応じて武田から離反する。
メラメラ大通寺の真理姫の墓-1 兄・武田勝頼に夫・木曽義昌の離反を報せる!  2016年12月6日更新
信玄の信濃侵攻に伴い木曽義昌に嫁ぐ。その時、義昌は16歳、真理姫は6歳。天正10年、木曽義昌は織田信忠の調略に応じて武田から離反。真理姫は義昌の離反を勝頼に報せ、離縁し木曽の山村に隠棲する。
メラメラ真理姫の墓-2 離縁後は木曽の山村に隠棲し、木曽家再興を願った  2016年12月7日更新
夫・木曽義昌が武田から離反したことに激怒し、自ら離縁。義昌の離反を勝頼に報せ、木曽の山村に隠棲する。武田家滅亡後、義昌は下総へ転封となり、子・義利の代に改易。木曽の山村で旧木曽家家臣と図りながら木曽家の再興を目指すが叶わず死去。享年98歳。
メラメラ木曽家の本城 木曽福島城  2016年12月9日更新
木曽義昌の父・義康によって築かれる。木曽の本城であるものの、各曲輪はあまり広くなく、大勢が籠れる感じではない。武田勝頼が攻め寄せた場合、城に籠るのではなく、木曽の山々に潜み要所要所で撃破する作戦か?
メラメラ裏切り者・木曽義昌討伐! 武田勝頼、上原城に布陣  2016年12月11日更新
木曽義昌離反の報を受け、武田典厩(信豊)に木曽義昌討伐を命じる。武田勝頼・信勝親子、武田典厩は1万5千の兵で新府城から出陣、上原城に入り諸城へ指示を出す。一方、織田信長も武田討伐へと動き出す。織田信忠は即日、森勝蔵(長可)、団平八(忠直)を先陣として、尾張・美濃の兵を岩村方面へ進ませる。
メラメラ織田軍の侵攻-1 天正10年2月2日~15日  2016年12月12日更新
2月3日、織田軍の木曽口・岩村口からの侵攻が始まる。押し寄せる大軍を前にして武田方の滝沢城、松尾城、飯田城が開城、もしくは撤退。さしたる戦いもせずに織田軍は快進撃を続ける。
メラメラ激突!武田軍vs織田軍 鳥居峠の戦い-1  2016年12月17日更新
織田軍と武田軍が鳥居峠で激突。一度目は武田軍が逆転勝利。2週間後、援軍が到着した織田軍と再び激突。戦いは織田軍の勝利に終わり、援軍の織田長益らは桔梗原まで駒を進める。対して武田軍は、馬場昌房・多田治部右衛門が深志城に籠城。
メラメラ鳥居峠の戦い-2 武田軍、織田の猛攻の前に葬沢に果てる!  2016年12月22日更新
鳥居峠の探訪レポート。鳥居峠へは奈良井宿から徒歩で向かった。鳥居峠はまさに「甲乱記」に記されているような場所だった。武田軍vs木曽軍の激戦地・葬沢は今は水が少ないが、かつては武田軍の500の屍で埋まった場所。
メラメラ武田信玄が定めた宿場町奈良井宿 鳥居峠の戦いで炎上!  2016年12月29日更新
奈良井宿は、中山道(木曽路)の宿場町で、現在、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。武田軍と木曽軍(織田軍)の鳥居峠の戦いの際に炎上したとの記録が残る。
メラメラ奈良井宿を統治した 奈良井義高の墓  2017年2月21日更新
木曽氏の人質として育ち、奈良井治郎少輔を名乗る。成人しては信玄を再三悩ませるが、木曽氏の降伏とともに武田家の陪臣になる。鳥居峠の戦いでは木曽義昌とともに武田勝頼軍と戦う。
メラメラ奈良井宿を統治した奈良井義高の居城 奈良井城  2017年2月25日更新
城の大きさは東西60m、南北90mほどで城というよりは館といった感じ。天然の地形を利用し城の2面は崖になっている。堀や土橋などが今でも残る。鳥居峠の戦いの際は、この城から撤退し鳥居峠に陣取る木曽義昌に合流したものと思われる。
メラメラ織田軍の侵攻-2 天正10年2月16日~28日  2017年3月3日更新
2月16日、ついに織田の本隊・信忠軍が岩村城を発する。信忠軍は難なく侵攻し平谷→飯田城→大島城→飯島へと駒を進める。2月25日、遠江・江尻城の穴山信君が離反し躑躅ヶ崎館から人質の妻子を救い出す。2月28日、穴山信君離反の報を受けた武田勝頼は上原城から新府城へと撤退する。
メラメラ武田八幡神社 の北条夫人願文  2017年3月9日更新
八幡神社は武田氏代々の信仰厚く、氏神と崇められた神社。織田の大軍に各城が開城する中、勝頼室の北条夫人が武田家の行く末を憂い、自ら筆を取り武運長久を祈り書き上げ奉納した願文が残っている。
メラメラ武田討伐 総大将・織田信忠、 一夜の城 に布陣  2017年4月20日更新
織田信忠は飯島の陣を発し貝沼原(はいぬまはら)に布陣。降将・小笠原信嶺を案内役とし河尻秀隆、毛利秀頼、団忠正、森長可をさらに先へと進ませ、自らは母衣衆10人余りを引き連れて高遠城を望める高台へと偵察に出向く。
メラメラ織田信忠配下の将兵、宮ノ花八幡社 に布陣  2017年4月23日更新
織田信忠は一夜の城(貝沼原)に布陣。その他の将兵は付近に滞在したはずであり、隣接する宮ノ花八幡社にもおそらく布陣したものと思われる。
メラメラ高遠城遠望 織田信忠、母衣衆を引き連れ高台より偵察  2017年4月27日更新
織田信忠は一夜の城(貝沼原)に陣を敷くと、母衣衆を引き連れ高遠城へ偵察に出向く。三峰川と藤沢川を挟んだ対岸の高台に立ち高遠城を望んだ。
メラメラ武田の意地を見せた仁科盛信、織田信忠の激突 高遠城の戦い  2017年4月30日更新
3月2日、いよいよ織田の本隊・織田信忠軍による高遠城攻めがはじまる。高遠城を守るは武田信玄五男・仁科五郎盛信(信盛)。織田軍対武田軍最大の決戦・高遠城の攻防戦の火蓋が切られる。
メラメラ仁科盛信と織田信忠が激突した名城 高遠城  2017年5月5日更新
高遠城の探訪レポート。山本勘助の縄張といわれ、各曲輪間は広大な空堀で区切られている。
メラメラ全国屈指の桜の名所、赤い花は武田の血の色!? 高遠城の桜  2017年5月9日更新
桜の高遠城の紹介。ソメイヨシノよりも赤みが強いコヒガン桜が咲き誇る景色は圧巻。夜桜も見事。
メラメラ五郎山に眠る! 仁科盛信(信盛)の墓  2017年7月26日更新
高遠城で討ち死にした仁科盛信以下将兵は村人によって五郎山に葬られる。五郎山山頂に仁科盛信が祀られ、そこから下って、小山田備中(四郎山)、渡辺金太夫(三郎山)、諏訪はなの(二郎山)、諸士(一郎山)が祀られている。
メラメラ四郎山に眠る! 小山田備中守の墓  2017年7月30日更新
高遠城で討ち死にした仁科盛信以下将兵は村人によって五郎山に葬られる。五郎山山頂に仁科盛信が祀られ、そこから下って、小山田備中(四郎山)、渡辺金太夫(三郎山)、諏訪はなの(二郎山)、諸士(一郎山)が祀られている。
メラメラ三郎山に眠る! 渡辺金大夫の墓  2017年8月2日更新
高遠城で討ち死にした仁科盛信以下将兵は村人によって五郎山に葬られる。五郎山山頂に仁科盛信が祀られ、そこから下って、小山田備中(四郎山)、渡辺金太夫(三郎山)、諏訪はなの(二郎山)、諸士(一郎山)が祀られている。
メラメラ二郎山に眠る! 諏訪はなの墓  2017年8月5日更新
高遠城で討ち死にした仁科盛信以下将兵は村人によって五郎山に葬られる。五郎山山頂に仁科盛信が祀られ、そこから下って、小山田備中(四郎山)、渡辺金太夫(三郎山)、諏訪はなの(二郎山)、諸士(一郎山)が祀られている。
メラメラ一郎山に眠る! 高遠城諸士の墓  2017年8月8日更新
高遠城で討ち死にした仁科盛信以下将兵は村人によって五郎山に葬られる。五郎山山頂に仁科盛信が祀られ、そこから下って、小山田備中(四郎山)、渡辺金太夫(三郎山)、諏訪はなの(二郎山)、諸士(一郎山)が祀られている。
メラメラ桂泉院に安置される! 仁科盛信以下将兵の位牌  2017年8月11日更新
高遠城で討ち死にした仁科盛信以下将兵の位牌が祀られている。
メラメラ織田軍に略奪され陣鐘とされた 桂泉院の梵鐘   2017年8月14日更新
高遠城侵攻の際、織田軍は開善寺を焼き払い鐘を略奪。その鐘は陣鐘とされ高遠まで運ばれた。高遠落城の後、鐘は城内の法幢院に吊るされ敵味方の法要が行われる。その後、法幢院は桂泉院と改名。鐘には擦り傷の他、乳の摩耗や欠損も見られる。
メラメラ諏訪大社上社本宮  武田領に攻め込んだ織田軍が焼き討ち!  2017年8月17日更新
高遠城攻略の翌日3月3日、織田信忠は上諏訪方面へと進軍し諏訪大社周辺を焼き払った。
メラメラ織田軍が略奪し陣鐘とした 温泉寺の梵鐘  2017年8月20日更新
市田の安養寺の梵鐘は織田軍の略奪にあい、陣鐘とされた。上諏訪のあたりに捨てられるが、後に温泉寺の梵鐘となり現存。擦り傷が痛々しい。
メラメラ松本城 国宝の名城もかつては織田軍の前にはなすは術無かった?  2017年8月23日更新
鳥居峠で武田軍と戦った織田の軍勢が、その勢いのまま深志城(松本城)まで侵攻。城将・馬場民部少輔らは城を明け渡し撤退、織田長益は難なく城へと入る。
メラメラ白と黒のコントラストが雪化粧でさらに美しく! 雪の松本城  2017年8月26日更新
国宝松本城は冬の雪景色も美しい。

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