初回に出てきたラハブの時代からダビデの誕生まで、実に366年の歳月が流れます。
物見の塔の BC607年説 の間違いにより空白の20年が加算されますので、実際年号は違いま
すが、混乱を避けるためにあえて物見の塔式年号で行きますと。 イスラエル国民が約束の地に侵
入開始するのが BC1473年です。 そしてその時ラハブが活躍しました。 ダビデが誕生したのが
BC1107年で、引くと 366年になるわけです。 しかしこの間に名前の挙げられている男子は、
サルモン、ボアズ、オベデ、エッサイ、のたった四人しか存在していません。 これは何を意味するの
でしょうか? 単純計算でこれを四人で割ると一人当たり91年の割り当てになります。
しかもラハブは侵入開始時期にはすでに遊女だったわけですから、普通に見積もって20歳ぐらいと
考え、これに平均値の91歳を加算すると、彼女がボアズを産んだ年齢は、なんと111歳となります
もちろんすべての人が平均値で次の子を得たわけではないので、もっと若かったのでしょうが、
それにしてもラハブの出産年齢を若くすれば若くするほど、そのしわ寄せは後の三人の男子に加算さ
れてゆきますので、ラハブが30若くて81歳にすると他の三人はそれぞれに10年加算され、みなが
101歳となり、さらに30若くて51歳にすると、他の三人はみな111歳になります。
いずれにしてもラハブは結婚してボアズを宿すまでには相当長い時を待ったことでしょう。 元カナン
人の遊女ということもあって、周りから長い間白い目で見られていたのかもしれません。
しかし、マタイ 1:5 で確かに彼女はサルモンの妻として記されており、後にモアブ人ルツの夫とな
るボアズを産んだのです。 こうしたことを考えると、すでにサルモンには当然のことながら妻も子供も
いたことでしょう。 やがてその妻も老齢で死に、その後になってやっと、かつて二人の斥候をかくま
った功績がありながら子供も持たないまま消滅しようとしているこの信仰の女性に憐れみを感じ、
是非とも彼女に胤を残してあげたいという純粋な動機からボアズは生まれてきたのでしょう。 こうし
たすぐれた特質がエホバの心を動かし、サルモンとラハブはキリストに至る家系に預かる者となった
に違いありません。
またこの時代は、際立った指導者であるヨシュアの死後、背教が脱疽のように広がり、そのたびに裁
き人が起こされることを繰り返していましたが、神からの祝福が取られたゆえに近隣諸国民からの度
重なる迫害や飢饉も起きていたようで、死ぬ人も多かったはずです。 そんな中にあってもユダ族の
一部の人たちは、自分たちの部族に語られた預言の言葉に注意を払い(ペテロ第二1:19)、胤を絶
やさないようにできるだけの努力をしたことを、この四代も続く100歳近い男子たちによる胤の後継ぎ
連続業からうかがえます。
そうした忠実さがエホバの目に留まり報われた結果、ダビデという特定の人物がメシアに係わる預言
の予表者として確定し、その王座は永久のものとなりました。 実に今日も似たような状況にあるの
ではないでしょうか? 自称、「地上で唯一神に用いられる組織」 が間違ったことを言ったり行ったり
したからといって、それによって神の約束が無くなったわけではありません。 依然として私たちには
聖書の預言、神の約束があります。 それは予め語られた歴史であり、起きることが定まっているこ
とを決して忘れないようにしましょう(啓示1:1)。 そして古代の忠実な証人たちのように決して希望
を捨てないようにしましょう。