バルタンセブンのブログ ものみの塔 JW.org という霊的地所から

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聖書を研究し、預言の言葉を最新のものにするための場です。大患難までに油を蓄えておきましょう。マタイ 25:4

啓示913で第六のみ使いがラッパを吹くと、いよいよ大いなるバビロンに対する裁きが執行されます。これが単なる警告のラッパではないことは、15節にある「彼らは人々の三分の一を殺すため、その時刻と日と月と年のために用意されていたのである」のことばから分かります。イエスはこれに関してマタイ2436で「その日と時刻についてはだれも知りません」と同様の言葉を使われましたし、その規模は21節に「その時、世の初めから今に至るまで起きたことがなく、いいえ、二度と起きないような大患難があるからです」とあることから、「大患難」という言葉には、バビロンに次いで最後の野獣の支配期間1260日の後に起きるハルマゲドンの戦いによる人類全体の滅びも含まれていることでしょう。こちらの描写は啓示1414~201915~21に記されていますが、大いなるバビロンに関する滅びの描写は、啓示913から始まるここにしかありません。

また、啓示914で「大川ユーフラテスのところにつながれている四人のみ使いをほどきなさい」とありますが、実際の行動部隊は16節にある二億の騎兵隊であり、み使いではありません。これは啓示1716にある「あなたの見た十本の角、また野獣、これらは娼婦を憎み、荒れ廃れさせて裸にし、その肉を食いつくし、彼女を火で焼き尽くすであろう」の聖句とも一致しています。西暦29年からイエスによってはじまった純粋なキリスト教が、2000年の時を経て極限まで腐敗し、多くの血の罪を負って来た原因は、いくつもの国家との霊的売春行為がもはや切り離せないほどまでに癒着しており、そこから莫大な富を得ることによって感覚がマヒしてしまい、偶像礼拝によって神の存在を無いもののように辱めて来たからです。それゆえ、啓示の書のテーマの中で大いなるバビロンの滅びが主要な柱の一つとなっており、繰り返しその滅びの正当性を説いています。

大いなるバビロンを支えているのは、啓示1715にある通りその信者たちです。また、18節に「地の王たちの上に王国を持つ大いなる都市を表わしている」とある通り、現在彼女は世界を牛耳っているはずです。全体としては彼らを切り離すことはできなくても、個人として彼女から出ることは可能です。それゆえ啓示184には「わたしの民よ、彼女の罪にあずかることを望まず、彼女の災厄を共に受けることを望まないなら、彼女から出なさい」とあります。これは起きることが定まっている災厄なので、生きるか死ぬかはこの警告に聴き従うかどうかで決まります。ルカ2135には「それは、全地の表に住むすべての者に臨むからです」とあり、たとえ大いなるバビロンの滅びを地理的な優位性のおかげで逃れたとしても、次に来るハルマゲドンの戦いの際にはだれも逃れられないでしょう。その時やって来るのは人間の軍隊ではないからです。頑丈な地下のシェルターに隠れても火星に逃げても無駄なことです。

では、どうすれば救われるのでしょう? 先ほどの啓示184に「わたしの民よ」とあったとおり、最初のキリスト教、2000年前にイエスとその弟子たちから始まった純粋なキリスト教の意味するところを知り、それを続けること、その意味をより深く追い求めて行くことによって神の民として認めて頂けるでしょう。その前に、今ある腐敗しきったキリスト教とそれによってしみついた悪い習慣を断ち切るため、悔い改めなければなりません。啓示79には「見よ、すべての国民と部族と民と国語の中から来た、だれも数えつくすことのできない大群衆が、白くて長い衣を着て、み座の前と子羊の前に立っていた」とあり、前半後半の二度の大患難から滅ぼされないで生き残る人々が大勢いることが記されています。彼らこそ、最初のキリスト教に注目し、その純粋な教えを取り入れ始めた人々です。その重要な教えが14節後半に「彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした」とあり、完全な命を持つ犠牲の子羊であるイエスキリストが、不完全な命を持って生まれてきた人類のために流された完全な血の価値に信仰を働かせることです。2000年前にイエスから神に支払われたこの愛の贈り物によってわたしたちは贖われ、わずか数十年の寿命でむなしく終わる命ではなく、永遠の命の希望を持てるようになったのです。

したがって、大いなるバビロンが滅ぼされる前には大々的は警告が必須なはずです。その警告が、啓示93から登場するいなごの災厄なのですが、物見の塔の啓示の書籍によれば、それは1919年に始まったとのことです。しかし、当時の人々はみな死んでいませんし、その時には大いなるバビロンの滅びも成就しませんでした。つまり、わたしたちの世代が、再びこの警告を行なうことになりそうです。その前に、底知れぬ深みのあなのかぎがその使いに与えられ、あなが開けられて、いなごが出て来るのです。ですから今はまだあなが塞がれているのでしょう。最近そんな感じがします。

そのようなわけでわたしは、深みのあなが開けられるまでの間、山へ逃げる準備の続きをするため、しばらくここへはこられなくなるでしょう。それでもまた何かあった際はいつでもここへ戻って来ます。