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バルタンセブンのブログ ものみの塔 JW.org という霊的地所から

聖書を研究し、預言の言葉を最新のものにするための場です。大患難までに油を蓄えておきましょう。マタイ 25:4

 

10月15日 今日はヨハネ21:18以降を扱います。

 

イエスは、これからペテロの身に起ころうとしている迫害の日々について、やんわりとこのように表現なさいます。「きわめて真実にあなたに言いますが、もっと若かった時、あなたはいつも自分で帯をして、自分の欲する所を歩き回りました。しかし年を取ると、あなたは手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせ、あなたの望まない所に連れて行くでしょう」。

しかし、これが彼にとって単なる緩い患難ではないことは、ヨハネによる次の説明で分ります。「これは、ペテロがどのような死によって神の栄光を表わすかを示すために言われたのである。それで、そう言ってから、『引き続き私のあとに従いなさい』と彼に言われた」。

当時使徒ヨハネは、ペテロの近くでこの言葉を聞いていたことでしょう。そして、「はっきりはしないが、何かペテロにとって良くないことが彼の晩年に起きるのだろう」ぐらいに思っていたかもしれません。ところが長い時を経て、ヨハネはペテロの生涯を振り返り、彼の壮絶な最期を知った上で、この言葉と照らし合わせているのです。「神の栄光を表わす」「イエスのあとに従う」とはこのようなものです。かつて「統治体」の中にそのような輝かしい最期を遂げた者が何人いたでしょうか?

 

イエスの戒めの言葉がすべて自分だけに向けられているのを知って、ペテロは急に不公平感を抱き始めたのでしょう。少し離れて後ろから付いて来るヨハネに関して、「主よ、この人は何をするのでしょうか」とイエスに尋ねます。それでイエスは、「私が来るまで彼のとどまることが私の意志であるとしても、それがあなたにどんな関係があるでしょうか。あなたは引き続き私のあとに従いなさい」と語られますが、その結果、「その弟子つまり使徒ヨハネは死なない」という話が弟子たちの間に伝わったようです。確かにペテロをはじめ他の使徒たちは、彼らにとっての「定めの日」である西暦70年前後に次々と殉教していったでしょう。それでも使徒ヨハネだけはなぜか死の難を逃れていました。それで、そのようなころに噂が広まっていったのでしょう。

「私が来るまで」の意味はだれにも分かりませんでしたが、「黙示録」のためのイエスの幻が現われた際、ヨハネだけがそれを悟ったでしょう。それまで彼の命は保たれていたのです。それでもヨハネは、この言葉の意味をこう語っています。「私が来るまで彼のとどまることが私の意志であるにしても、それがあなたにどんな関係があるでしょうか」。

つまり、同じ言葉を繰り返し何の説明もなされていないのです。それはなぜでしょう? 今日のヨハネ級に最後の成就があるからです。ただ、ヨハネ級も死なないわけではない、イエスが来るまではとどまることになっており、そのあと必ず「定めの時」に死に、三日半の後、瞬時に霊者として復活するのです。

 

このことから導き出せるのは、真の「統治体」はすでにほとんどが死んで地上にはいないということです。これは、これまで「統治体」を名乗っていたほとんどの人々が偽物だったということでしょう。そもそも原始キリスト教に「統治体」なるものは存在しておらず、物見の塔組織の幹部が、西暦一世紀の使徒たちとエルサレムの年長者たちの集団を真似て独自の幹部集団を結成し、それらしい「統治体」と言う名称をつけ、信者たちを恐れさせ支配するために力を行使してきたものです。言うまでもなく、今日使徒職などは存在せず、キリストから任命されてもおりません。ただ、長い間続いて来たキリスト教世界から脱却して、聖書の言葉とその意味を出来るだけ神意に添って忠実に再現しようとするグループが19世紀末に起こり、そこから真の良いたよりが全地に広まっていったことは動かしがたい事実であり、それによって迫害され殉教した人々が本物であり、迫害から逃れて贅沢三昧にのうのうと生きているのは偽物なのでしょう。

しかし、贅沢三昧に見えることだけがのうのうと生きている証拠とは限らないでしょう。ペテロとヨハネでは、同じ漁師とはいえ元々生活背景が違いました。ヨハネは大祭司の知り合いでもありましたから、世の中心に接触している、あるいはその中核を担っている者もないとは限りません。お互いにその生活背景に口をはさむことは自分に関係のないことでしょう。