「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 蘭子は出兵した豪の「生存と存在」を確かめたい。それで、朝早く起き、作業場に掛けてある豪の作業着に触わる。蘭子は、自分の意識を作業着に残った豪の意識波動に合わせ、そして、戦場にいる豪の意識を察知している。彼女が偶然に気づいた愛のテレパシーです。そうすると、蘭子の心が温かくなり、安心できます。のぶ子は、その姿を見てしまった。

 のぶ子は、銀座にいるたっすいがー崇とあんパンテレパシーがほんの少しだけ通じていたのに、今は、よく分からなくなっています。崇からの手紙は届いています。

 昭和13年(1938)1月。のぶ子とうさ子は3月に卒業です。

 うさ子には、お見合いの釣書がたくさん来ています。のぶ子は、母校への配属を希望していますが、回答はありません。

 そんな時、黒井先生がのぶ子たちの部屋を訪れた。彼女は、偽名で送られてくる柳井崇子の手紙ついて、調査に来た。

 柳井崇子とは崇である。まー、筆跡で、手紙の差出人が男であると、初めから容易に想像できたでしょう。

 黒井先生とのぶ子は、誰もいない教室で手紙の経緯について話した。

 のぶ子は「手紙の人は幼馴染で、うちが苦しくて落ち込んでいる時に、うちのために絵を描いてくれた人、そばにいてくれた人、・・・だった・・けんど、「もう手紙が来るがぁはないと思いますきに」と涙ぐんだ。

 たぶん、のぶ子の方から「うちは、銀座に行くつもりはないし、子供たちのために立派な先生になるがきに」と伝えたのだろう。

 長女ののぶ子が朝田家の事を考えるとき、もし、兵隊に行った豪が帰って来なかったら・・と思うと、今、のぶ子が朝田家から出るわけにはいかない。

 この状況を見る限り、のぶ子が1年生の時から黒井先生は、崇子という男からの手紙だと知っていたようだ。黒井先生は、ただ片目をつむっていただけだ。

 もちろん、黒井先生が男女交際について、甘くなることはありません。が、のぶ子の人となりを見れば、常識と節度の範囲を保つと考えたのでしょう。この黒井先生の表に出ない寛容さは、境界知能の生徒が自分勝手に主張するような、えこひいきではありません。正当な人情味です。

 しかし就職を前に、状況を把握する必要があります。女子師範学校としては、卒業生を小学校に推薦するわけですから、生徒についての、一応の全体像を確認しておかなければなりません。信用の問題です。

 黒井先生は、のぶ子の気持ちを確かめたのです。しかし、のぶ子が、もう来ないであろう崇の手紙について涙ぐむので、黒井先生はのぶ子に「結婚し家庭に入り忠良なる子供を育てることも、正しい忠君愛国の道です」と説いた。

 のぶ子は、豪が無事に帰って来さえすれば、銀座の小学校で教師をすることも出来ると思い、黒井先生に、なぜ、家庭に入らなかったのですか?と質問した。

 黒井先生は答えて、一度結婚しました・・3年経っても子供が出来なかったので、嫁いだ家を追われたのです、と隠さない。

 黒井先生は美人さんだから富豪の良家に嫁いだのだろうね。しかし、その家には永遠の愛も愛情もなかった。それだけだ。のぶ子は、自分だけが耐えているのじゃないと思え、人生の深みを知った。

 もしかしたら、黒井先生の本当の気持ちは、忠君愛国の精神なんてどうでもいいのかも知れない。彼女は心の中で『私を不足な女として捨てた人たちを許したら、自分の中に、アンパンマン正義とは意を異にした、ところてんウーマンの正義が芽生えた。それは、女を、幸せな女に正しく育てる意思だ。そして、女の教育は、女の方が向いている』と考えた、のかも。実際に、のぶ子もうさ子も上手く育っている。

 黒井先生は崇の手紙を、学校へ報告しないと伝えた。特に問題は無いし、常識と人情の範囲内に収まると判断した。

 あの当時のように、社会全体に良識と信用が行き渡っていると、こういう味な判断も可能です。ただ、半島系や大陸型人、日本人の一部には、境界知能タイプの人間がいて、彼らは、このようなバランスが理解できない、ようなので困ります。

 数日して、黒井先生から朝田のぶ子の配属先が届けられた。のぶ子が封筒の証書を開けてみると、母校の御免与尋常小学校訓導ニ任ス、とある。そうです、のぶ子の希望が叶いました。彼女は朝田家から通えます。

 のぶ子は小学生に、あんパンをしこたま売るつもりです。嘘です。あはははは。

 ところで、のぶ子は「朝田のぶ」なの?えっ、最初からそうだったのかなぁ?いつの間にか、和至は間違えていた。訂正します。これからは、「のぶ子」ではなく、「のぶ」です。まっいいや。

 うさ子は、黒井先生の指導を受けながら師範学校の先生になるつもりです。女子を育てるのは、しっかりとした女子の先生だと思う。

 そこいらにいるごく潰しのエセリベラル系の先生もどきは、女の幸せと女のわがままを知っているようで、知っていない。だから、女が幸せな生き方を掴めない。幸せになれない。

 女子がちゃんと育ち、母になると、男子がちゃんと育ち、国が栄える、だろう。

 女の腐ったような、男も政治家も官僚もいらないと思う。今の日本は、ちゃんと育った女性の政治家が出て来て、まずは、巷の女子がちゃんと育ちたいと思うような希望の光を示し、社会を育てて行くようにすると、いいと思う。

 たっすいがーの崇も、ハチキンのぶに、だいぶん育てられたところがある。

 のぶとうさ子は、白の胴着に紺の袴、白い鉢巻をし、薙刀の試合をした。

 この女の戦いは勝つための相打ちであり、引き分けです。

 本日は、高知女子師範学校、卒業式の日です。

 黒井先生は、「祖国日本の礎となり、宝となる有為の人材を育成する日々が始まります。あなた方は、熱き血と涙をもって、しっかりおやりなさい」と演説した。

 あのね、涙をもってじゃなくて、喜びをもって、と言って欲しいにゃあ。この喜びとは、辛いことがあったときの涙でも、今、喜びだと感じれるようになるまで、自分を自分で慰めて欲しいということです。ここが難しい。だからこそ、瞑想をするんですね。

 あのっ、大人のおもちゃで慰めても、たぶんエネルギーが足りないと思います。亭主や生身の男を利用しても足りないと思う。

 うさ子は、国家非常のとき、苦難に負けず、教師の務めを完遂する覚悟であります、と宣言した。

 のぶは、勝利の日まで、学びの庭で一命を賭し、奮闘努力いたします、と宣言した。

 そして、生徒一同で、「この戦いの目的は、東洋の平和、世界の安泰、御国の栄光のためである」と唱和しました。

 あれ?これは少し足らないなゃあ。つまり、当時、欧米は植民主義だったのだから、欧米の改心、が不足している。

 あっ、そういうことかぁ。だからかぁー。わかったぞぉー。つまりねー、当時も今も日本の中に、日本の敵や日本を裏切る者がいるけど、その目的は、純正日本人を植民地の奴隷にしたいんだね。まー、現状そのまんまだね。

 植民地と奴隷と言えば、古代エジプトだ。その前のシュメール文明もそんな感じだな。

 シュメールの王であるアヌンナキ系から発した古代エジプトの王たちが今の時代まで、裏で世界に影響を及ぼしているのかも。古代エジプトの王たちの子孫が、エセユダヤと絡んでいる可能性がある。

 だから、最近、日本に中東のイスラム教を入れたがっているんだね。なるほど、つじつまが合う。と言うことは、中国や半島の裏にいるのは、古代エジプトから続いているアラブの王たちだ。そのお金が動いているんだね。じゃぁ、日本のガソリン税はアラブに流れているの?まさかよぉー???

 まーな、モーゼは死んだあと、30日間のお祈りを受け、たぶん、消えてしまい、その後、日本に現れたのだろうと思う。だから、古代エジプトの王たちが死んだ後も、モーゼを追いかけて日本まで来ている可能性がある。霊界の思考波はいろいろありますからね。はい、バレました。

 それらを証明するためには、今の中国と古代エジプト系のアラブの王たちとの関係を表に出せばいいね。すぐわかるよね、お金の流れだから。習近平の裏にはアラブの王たちがいるのかも。あと、いろいろ引っかかるところがあるけど、大義いから書かない。

 そういうことだから、東京裁判でもとにかく日本を悪者にしたかったんだね。つまり、地球上のほとんどの戦争が、モーゼとモーゼの神対エジプトの王たちの戦いだったんだね。それが、植民地支配や奴隷化政策の根底にある思考波だね。イスラム教徒とキリスト教十字軍の戦いもそれにあたるのかも。

 そうなると、エジプト文明の前のシュメール文明が問題だな。アナンヌキとエンキ?などなどだね。

 彼らの根本は、エネルギーの物質化と科学文明なのだろうと思う。だとしたら、笑うしかないね。あははははは。アホだ。

 そういうことであれば、大衆に対して、物質である素粒子が、エネルギー化することを伝えれば、その時点で決着がつく。

 あとねー、分かる人だけでいいんだけど、アヌンナキやエンキ系、等々などの、生き続けたい者は、本当は金色の生命エネルギーが必要なのだと思う。だけど、それが上手く出来なくて、色が同じだから、物質である金塊を手に入れたんだね。しかし、金塊では生き残れないんだって。

 ここを勘違いしたまま、アヌンナキたちは、金塊を採掘するために、シュメール文明の奴隷制度を作ったのだろうね。

 なんと言うか、馬鹿だねー。アホな科学者たちだねー。金色の生命エネルギーは物質じゃないんだって。あははは。この勘違いは、いい迷惑だ。奴らの罪は重い。どうするのっ?まっいいや、どうでも。

 既に、現代では、素粒子がエネルギー化することについて、周知の事実だろうから、シュメール文明の王たちが、エジプト時代を経過し、現代まで引っ張って来た争いの数々は、もう勝負が着いています。終了でっす。

 なんかね、科学者や宇宙意識の科学者たちでも、こんな普通のことが解らないみたいなんだよね。金色のプラナエネルギーと金塊は、その間に「無」があるから存在形態が違うでしょ。

 昭和13年3月、校門のところで、黒井先生はのぶたち生徒を見送った。

 恋以外は、のぶの思い通りになり、彼女は実家へ帰って、母校の御免与尋常小学校の3年1組の担任になりました。

 今日は、武田鉄矢の「金八先生」ではなくて、朝田のぶの「ハチキン先生」の始まりでっす、の一席でした。

 金八先生であれ、ハチキン先生であれ、多様な精神状態の生徒を導くことは困難を伴います。生徒を愛おしく思う一方で、大きなストレスがかかることでしょう。

 だから、空氣体瞑想をして、空(くう)に触れ、エネルギー不足を解消しましょう。この瞑想に熟練してくると、子供たちは、先生の身体から無意識に出ているダルマ法則のエネルギーを見逃さないようになり、慕うと思います。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復の流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 崇がのぶ子に「美しいものを美しいと言えない先生。僕は嫌だな」と言った。崇、コイツ、アホです。

 のぶ子は、これから美しい忠君愛国の先生になり、体育の楽しさを教えようと思っているのです。それなのに、崇はそれを全否定してしまった感じです。彼女は崇に言い返せず、「しゃんしゃん、東京にいね」と言ってしまいました。

 そして、家に帰り、のぶ子は落ち込んでいます。

 崇ものぶ子も二十歳そこそこなので、まだまだ考えが浅いし、分からないことばかりです。仕方がありません。

 二人は、浅はかな考えの違いにより喧嘩別れをしました。

 本当のこと言うと、考えなんて全部浅はかなものです。宇宙は深淵です。しかも時空を超えると個人的パラレルワールドもあるし、集合意識的なパラレルワールドでもあります。しかも、それらは、光の法則が織りなす幻想(現世=うつしよ)です。

 この幻想(現世)は、誤解(邪見)に落ち入りやすくて、宇宙鏡に映る光の反射のようなものだと思います。

 3面の万華鏡みたいに、光を反射する宇宙7面鏡があって、その向こうに、光を反射する宇宙12面鏡があるような氣がします。古代ユダヤ教の教えでは、宇宙の形は正12面体だと言っています。その内が鏡になれば、12面鏡ですね。

 で、普通の鏡は、透明なガラスの裏に色が塗ってあるのだけど、宇宙鏡は、裏の色の部分が、もしかしたら、密集した重力素粒子のようなものだと思う。そして、鏡の透明なガラスの部分が、外宇宙の純粋空よりも少し波動の低い空(くう)だと思います。

 密集した重力素粒子と波動の低い透明な空、この二つが重なる時に宇宙鏡になり、そこに光が反射して、次元によって?位置によって?物理感のある幻想(現世=うつしよ)が体感できるのだと思う。簡単に書くとそんなところです。もちろん、和至の勘と類推です。

 だから、なんなの?と言われれば、

「人が、光のスピード(光の素粒子の回転数?)よりも早い回転数の意識波動になり、その意識波動で光のスピードを超えれば、至福意識に入れるようになるのです。至福意識を認識すれば、二人は永遠に仲良くなれるでしょう」という感じです。まっ、正しく進化して自分の中に至福を確保しましょうということです。

 付け加えるとね、宗教の教えや瞑想で、光の方向へ進めと説くのは、人間の意識波動の回転数を上げ、光のスピードを超えようとしているのかも知れません。これについては、書くと長くなるので、この辺にしておきます。

 まーね、そもそもがこの世は光の織りなす幻想(現世=うつしよ)なんだから、現実の元は光です。聖書では、創造主が「光あれっ」と言って、光の法則によってこの世を造ったとあります。だから瞑想をし、勘違い(邪見)に落ちなければ、そのうちに理解できることだと思います。宇宙人や宇宙意識人もびっくりの話です。あははは。どうでもいいかぁ。

 のぶ子は落ち込んで商店街を歩いています。この商店街が、今の新宿であれば、怪しい男が声をかけて来ます。

 そうです、のぶ子にも声をかける男がいました。健太郎です。怪しくはないけど「お粗末くん」です。

 お粗末健太郎はのぶ子に、崇からのプレゼントが何であったかを尋ねました。しかし、のぶ子は突き返しとは言わずに、「崇の事、よろしゅうお願いいたします」と、頭を下げた。のぶ子は「あんな奴、知らないっ」とは言いません。偉いね。

 それに比べて崇は、プレゼントの紅色のハンドバックを千尋に差し出し「彼女が出来たらプレゼントにしてくれ」などと言っていた。

 あのね、そんな縁起の悪い物を彼女へのプレゼントだなんて、それは、誰もいらないって。美しいハンドバックを、縁起の悪い物にしたのは崇です。たっすいがー崇は、落ち込んで何も思考できていませんでしたっ。ぼけっ。

 お粗末健太郎は、恋する乙女メイコを呼び出し、甘味屋で団子を食べています。

 お粗末健太郎は、たっすいがー崇とハチキンのぶ子を、もう一度仲直りさせたのですが、今日の最終列車で崇と東京に帰る予定です。

 姉2人が切ない恋をしているので、3番目のメイコも恋に憧れています。で、その相手がお粗末健太郎です。恋する乙女メイコは頑張って、「うち、好きな人が出来ました」と告白したつもりです。お粗末健太郎が「だれ?」と質問してきたらメイコ「・・・」。もし健太郎が味方になってくるようなら、脈ありと考えています。

 乙女なメイコは『もうー、うちったらかわいいーいっ・・自分にラブっ。』です。恋する乙女のこういう計算式は、男にはなかなか理解できません。たぶん、チャンスを繋げる、一人芝居の無限ループ方程式です。難解だーなぁ。

 メイコは家に帰り、崇が最終列車で東京に帰ってしまう、とのぶ子に伝えた。

 のぶ子は「しゃんしゃん、東京に帰れっ」と言ったので、そのことを崇に謝ろうと思った。それで、駅まで走った。彼女は走ると幼いときのように風に成れた。風になると何が美しいのかなんて、どうでもよくなり、素直になれる。『うち、崇に謝れるかもしれない・・・』。。。

 のぶ子が駅に着くと、最終列車のひとつ前の汽車が出発した後だった。たっすいがー崇とお粗末健太郎はその汽車に乗っていました。

 まーね、この二人は、まず美術的な美しさを超える必要があると思う。その理由は、時の過行くままにどんな立派な絵でも朽ちるわけだから、そのような見識と境地になり、ものの哀れという感覚を知る必要があると思われるからです。そうすると、詫び寂びの美しさと安心を感じる魂になるので、優れた厚みのある芸術家には成れるでしょう。

 でもねー、芸術学校の生徒たちをみていると、やっぱ、芸術家は、人間に似ているような、人でなしかもしれない。枠が変にズレているか、無いんだよね。

 最終の汽車から降りて来たのは、寛院長です。

 待合室の椅子に座って、寛院長はのぶ子の気持ちを聞きました。

 のぶ子は、崇と仲良くしたいのに、彼に対し、いつもひどいことを言ってしまうと言います。崇がのぶ子を傷つけたことは訴えません。

 のぶ子は「うち、走って風に成れても、成長できんがです」と言う。

 寛院長は、「のぶちゃんはのぶちゃんの風の道を走ればえい。それでえい。不安になる事はないっ。本当のこと言うと、崇は、誰かの日陰で絵を描くしかできんかった奴やきに。それが、銀座と呼ばれる街かも知れんが、ひとりで日の当たるところを楽しめるところまで回復したがや。

 あの崇の絵が入賞したがで、奇跡なゃあ。崇は、兄貴の血を引いていても、まだまだ考えの甘い、いごっそうがじゃ。

 のぶちゃんが自分を責めんでもえい。わしゃー、のぶちゃんに、だいぶん感謝しとるがやで。のぶちゃんが、生まれも性格も違う崇を見捨てずに、本気でぶつかってくれ、泣いてくれたきに、ここまで来た感じがしとるがよ。ありがとうにゃあ。のぶちゃん、ほんとに、ありがとうにゃあ。崇が成長すれば、きっと、のぶちゃんのところに帰って来るがよ。男はいつまでも、引きずるものじゃきに」と諭した。

 寛院長の言葉に、のぶ子は涙が止まりません。

 あのね、本当は、のぶ子役の女優は、涙ながらに何か言うはずだったのだけど、、、アドリブで言うはずだった?と思うのだけど、寛院長役の男優が、本気で芝居をしたものだから、のぶ子役の女優は感動してしまって、本気で泣いてしまったのでしょうね。

 そういえば、この前のシーンでも、寛院長役の男優は、千代子役の女優の目を見つめ続けたので、その女優が照れてしまっていた。

 まーね、どっちも、本当の恋に素直そうなタイプの女性だから、二枚目の男優としては、そうなるわなー。あははは。いいんじゃない。自己責任です。嫁が怖いだけだ。

 今日は、寛院長役の男優が、自他と芝居の境界を超えて、本気の芝居をしたので、相手役の女優が感動したり、照れたりして、テンパリました、の一席です。

 まっ、自他の境や、芝居の壁、幻想(現世=うつしよ)の壁、光の壁などを超えたければ、空氣体瞑想をして、空(くう)に触れておきましょう。正しくあるためのパワーが違ってきます。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復の流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 夏休みののぶ子は、町内会の人たちと朝のラジオ体操をしています。彼女は、尋常小学校の先生になる予定ですが、母校からの返事はまだ先です。

 メイコは健太郎に、乙女心のまま、恋をしてしまいました。彼女は朝食を食べながら夢うつつ。三番目はそうなります。彼女は「うち、結婚したいにゃあ」とほざいています。そうです、女子は隠しているように見せて、みんなに気づいてもらうように、無意識の行動をします。釜爺ぃは、咽てしまいました。

 話は変わるのですが、女子の着物姿って、華があって可愛いね。男の洋服姿は、腑抜けに見えてどうしようもない。男の和服姿がいいかどうかは、女子が決めることだろうけど、いずれにしても、帯を締めると人格がしっかりするのは確かだ。氣の流れが正されるのだろう。日本人は洋服を着てベルトをすると、腹が出るばかりだ。

 ということは、腰回りを帯で締めているような洋服があればいいのかも。(このアイデアを使う場合は、和至へのお礼をよろしくお願いいたします。プロフィール参照。アイデアだけ真似してもたいして売れませんよ。そういう法則ですから。泥棒した人は、みんなそうなっています)

 メイコがあんパンを整えていると、健太郎が買いに来た。メイコは嬉しい緊張でっす。

 健太郎は「デザインの課題があるので、明日、帰るとです。今日は高知市内ば、見てまわろうと思います」と言う。彼は、あんパンを買いに来たふりをして、メイコに会いに来たようです。誘いに来たのかも。

 健太郎が明日帰ると知って、メイコはどうしていいか分かりません。

 あのね、瞬間沸騰の恋は、夢とうつつの自分探し。燃えて危ない火鉢の炭。パチパチパチパチ弾けます。「わかって下さい、切なさを」、咲いて弾ける鳳仙花。困ったもんだよ、乙女の恋は、惚れても腫れても、幸せでっす。

 一方、柳井家の夕食では、家族がウイスキーで乾杯しています。健太郎もいます。

 崇が入賞したので、寛院長は「崇は、たっすいがー(へなちょこ)じゃったが、今は父親に似て、土佐のいごっそうじゃ。自分の道を見つけて歩きよる」と褒めた。そして、千尋に「おまんは、我慢しすぎよ。もっとわがままに生きりゃええがじゃー。おまんの人生じゃ」と話した。千尋は「はいっ。わかりました。お父さんっ」と真面目に答える。反抗はしません。寛院長は「そんな、簡単に分かるなっ。千尋は出来る男やきに、自分の価値は自分で決める、いごっそうになれっ」と語った。

 千尋が文武両道に成れたのは、彼が純粋であるにもかかわらず、その自分を捨てたからです。その空きスペースに神が宿ったと言えるのです。千尋はそのコツを掴んでいます。だから、今更、捨てた自分を取り戻すことなど出来きません。だって、純粋な自分をも捨てて、それ以上に純粋な神や法則が入って来たのですよ。後者の方が優れているので、エネルギーの低い自分には、今更、戻れない。

 寛院長よ、あんたは名医だけど、無茶を言ってはいけません。このまま行くと千尋は、肉体の質が変わるか、肉体が消えるしかない。千尋の肉体は、彼の純粋性の付属品でしかないと思う。肉体と行動だけを観たら、誤診する。その上、文武両道の千尋の精神は、空(くう)や主なる神と同等だから神にも人にも見えないと思う。千尋は波風が立たないように、あえて自分を小さく見せているだけだ。こういう人が、たまーーーーーーーーーにいる。

 なお、「いごっそう」とは、頑固で大胆不敵なことです。博多弁では、「へこにかけ」と言うそうです。響き的には「いごっそう」の勝ちです。あははは。どうでもいいかぁ。

 崇は、のぶ子のためにハンドバックを買っていた。しかし、渡しそびれています。それで、千尋が崇の気持ちを推した。

 千尋は、シーソーのある空き地に崇を待たせ、朝田家にあんパンを買いに行く。

 千尋はあんパンを買うついでに、のぶ子を呼び出し、崇が待っていると伝えた。

 のぶ子が崇に会いに行く後姿を、千尋は切ない気持ちで見送っていた。それを見て、恋心の解り始めたメイコが、「千尋さん、もしかして、のぶ姉ちゃんこと、、、(好とう)」と言いかけてしまった。千尋は焦ります。。。が、バレました。

 そして、二人は、誰にも言わないと約束しました。

 もし、千尋が幸せを感じられる生活をするとしたら、メイコがいいかもしれない。彼女は、千尋の心のひだに勘づいていて、千尋の負担にならないように、何氣に氣配りをする。こういう子は少ない。

 だけど、これはやっぱり、千尋は消える役だな。つまり、戦争に行って死ぬ可能性が高い。彼は純粋な自分を捨てて、そこに、さらに純粋な神様が入っているので、この先は、死んで神様になるしかないやな。それが文武両道の千尋の人生、のようです。

 じっと我慢の千尋は、自分を捨てきり恋も捨てきり、神様になりました。なんか、大天使ミカエルみたい。

 シーソーのある空き地では、崇がポツンと立ち、待っている。そこへのぶ子が来た。崇は、

「小さいときから、のぶちゃんに励ましてもらい、心を支えてもらった。お陰で、僕は入賞出来た。だから、これを受け取って欲しい」と包みを渡した。

 のぶ子が化粧紙を丁寧に剥がしてみると、中には、紅色に金色の留め金を施した美しいハンドバックが入っていた。彼女は、

「たまるかー、こんな美しいもん」と感動した。プレゼントは成功した、、、はずだった。

 しかし、崇が、このバックを銀座のショーウインドウで見つけたと話すから、のぶ子の気持ちが揺らいだ。

 崇は、のぶ子に、いつか銀座へ来てほしかった。もっと言えば、結婚し、二人で銀座へ帰りたかったのです。

 だけどよぉー、のぶ子は今や、心の底から忠君愛国の鏡なのです。紅色のバックを肩にひっかけ、ハイセンスの洋服を着て、ちゃらちゃらしている場合ではないのです。そんなことをしたら、世間から偽善者呼ばわりされます。

 のぶ子は崇に「うちらーと同い年の人が、戦地で戦っているがー、考えたら、受け取れんにゃあ」と返した。崇は、

「戦争はいつかは終わる。美しいものを美しいと喜んで受け入れてはいけないの?のぶちゃんは、そんな先生になって欲しくない」などと主張した。

 いやいやいや、それは崇くん、ダメでしょ。新聞に認められた忠君愛国の鏡ののぶ子ですよ。そこを否定したら、今が美しくなくなるでしょ。上手く行かないにゃあ。

 紅色に金のハンドバックは美しいし、そのハンドバックを作った人の気持ちも美しい。だけど戦地で、命を懸けて戦っている日本兵の精神は、汚れに傷ついていても美しい。無我の自分に神が入り、この世の汚れを背負い、敵味方関係なく消えに、行っているのです。

 紅色に金のハンドバックの美しさも、正義の兵士たちが美醜を超え、美しい精神になっている状態には、勝てません。たとえ、彼らが騙されていたとしてもです。

 崇の絵は、無形のものを形あるものとして、美しくも悲しくも表現しているのです。のぶ子は、形と命のある者が形を無くしても、支えているのです。これはこだわりではありません。真心です。

 つまり、自然の美しさに魅了されるか、自然の美しさを尊ぶかの違いです。崇は前者で、のぶ子は後者です。前者は美しさをお金に替えます。後者は、美しさに近づきます。

 そして、二人の感情から生まれる愛の素粒子は、その方向性が、物質性なのか、精神性のエネルギーなのかを問います。

 答えの解らないまま、戦争という現実の向こう側に美しさがあれば良しとするしかないでしょうね。

 勝つしかない戦争に、忠君愛国の精神を懸けたのぶ子は、紅色のハンドバックを返しました。ハチキンのぶのハチキン返しです。

 今日は、のぶ子が「崇、しゃんしゃん、東京にいね」と言いました、の一席です。

 まー、そのうち崇も千尋も戦争に取られますから、残るのは精神的エネルギーの美しさだけでしょうね。崇の「美しいものを、美しいと認めちゃいけないの?」という理屈は、まだまだ、本物ではないにゃあ。

 本物の美しさになるために、自我を忘れて空氣体瞑想をしましょう。そして、空(くう)に触れ、形に成るまえの本物の美しさを知りましょう。それは、本物の「普遍的愛」の美しさかもね。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復の流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 メイコと健太郎は協力し、のぶ子と崇を仲直りをさせようとしている。二人はある作戦を考えた。不自然な作戦で上手く行くかどうかは疑問です。 

 その作戦とは、健太郎が崇を海に誘い、メイコはのぶ子を海を見に誘う、そして、おにぎりじゃなくて、あんパンを食べ、みんなで歌う計画です。なし崩し方式の仲直りです。

 それにしても、あんパンだけなら工夫が足りないな。牛乳が必要だね。あんパンと牛乳はよく合うから、それで、のぶ子と崇が感動してくれたら、一応、作戦としては成功するでしょう。

 なし崩し方式は、まず、見込みのあることが必要です。そして、損得やプライドの壁を超えるために、感動が必要です。二人を合わせるだけじゃぁ、先は知れている。

 しかも、その感動が、政治家や官僚、企業の営業がやっているようなハニトラや賄賂みたいに、エロくて汚いものだと、先行きの汚れになります。以上です。

 ということで、「おそ松くん」を書いた健太郎(赤塚不二夫)が考えた作戦なので、きっと、お粗末になるでしょう。違うかなぁ?どうだろう。

 高知の海は太平洋に面しているせいもあって、波がドゴー、ドゴー、とダイナミック。恐怖さえ感じる。そして、高知の海は、他の海よりも果てしない広さを感じます。日本海の波とは違います。何処の海にも、高知海岸の雰囲気は出せません。

 高知の海は強い男を育てるのかも知れません。必然的に、女も芯が強くなるでしょう。まっ、実際のところは知りませんけど・・・。

 海の心理作用は、「許し」だろうと思う。だけど、高知の海は違うんだよね。迫ってくるようなエネルギーと力がある。だからこの海の持つ恐怖が平気になると、人は無意識のうちに『生きているうちは、やりたいことをして、時が来れば死ねばいい』、みたいな気持ちになるだろうね。和至は、そう思う。

 健太郎は、崇と千尋を誘って、高知市浦戸半島?あたりの海に来ている。しかし、メイコとのぶ子が来ない。

 健太郎は作戦が順調に進まないので、焦っています。崇は、話をしているうちに豪が出征したことを知る。彼にはショックです。明日の我が身です。

 この三人も、兵隊さんになるかも知れないので、今を丁寧で確実に生きなければ、目の前の波の迫力に負けてしまいそうです。

 と、そこへ、メイコとのぶ子がやっと来た。あんパンがお弁当です。

 のぶ子と健太郎は初顔合わせなので、挨拶をします。

 のぶ子はメイコに促され、自ら崇にあんパンを渡した。

 のぶ子と崇は、なんとなく話しを始めた。崇は、いろいろと思っていたが、たっすがー(へなちょこ)の自分のせいにして優しく謝った。のぶ子も反省しています。どうやら、作戦は成功したようです・・・たぶんね。

 だけど、ほら、ドラマですから、まだ分かりません。だって、このままの流れなら、学生結婚するしかないでしょ。

 あんパンを食べて気持ちが緩んだところで、健太郎のギターに合わせ、みんなで「椰子の実」を歌い始めました。

 健太郎がメイコの声を「心が澄み渡るような、良か声やね~」と褒めるもんだから、メイコは「胸、どっきゅん」でっす。

 メイコタイプの三番目は、誰よりもいい結果を出すのですが、基本的に、あんまり褒められません。なので、無意識の内に自分の存在自体を否定されているかのような思いが沁みついています。

 それなのに、赤の他人の健太郎が、メイコの声を褒めるもんだから、その一言が効いたのです。しかも、女子の自然な声を褒めると言うことは、その魂を褒めいるようなものです。つまり、健太郎は「メイコちゃんの魂は、澄み渡っているばい」と言って、彼女の存在を称えたのです。メイコ、『胸キュン、キュン、キュン』、です。

 ナンパ師は、これで女を落とします。

 あらー、しかし、これは恋ではないな。心の渇きが一時的に埋まっただけなんだよね。女子はそういうのが好きです。だから、とりあえず『萌えーーー』ちゃいます。あーぁ~、だね。

 このメイコ役の女優さんは、本当に三番目かも知れないな。三番目を外から見ると、無邪気で健気なんだけど、それが周囲の神経を逆なでするみたいな感じでもあり、許せる感じでもあって、しかも、それなりにこの世離れした実力があるので、たまたま生まれて、偶然生きている、そんな風に見えるんだよね。それだけです。ハハハッ。見えるだけです。

 解説すると、三番目は意識の回転スピードが速いから、偶然の時間を生きているような無邪気さに見えるのだけど、その中身は、無意識のうちにいろいろと感じ取っているので、結果的な行動として、無邪気で孤独なサムライ精神になるのです。メイコ役の女優さんはそれが板についている。そう感じるから、本物の三番目かも。

 今日は、のぶ子と崇を仲直りさせようとしたら、メイコが健太郎に、勘違いの恋をしそうです、の一席でした。

 でもねー、この場合は、勘違いしたままの恋でもいいかもね。健太郎が赤塚不二夫なら、漫画家として、早くから売れているので、妻のメイコとしても正解かもね。

 つまり、メイコは女の本能的な勘が優れていたのです。健太郎だけでは、何を書いても売れそうにない。メイコのエネルギーのお陰で売れた。

 どう見ても、中途半端な才能しかなくて、売れそうにない人は、空氣体瞑想をして、空(くう)に触れ、無我になり、空の中にある神様の才能を自分にダウンロードしましょう。神様の創造性で自分の創造性を開花させましょう。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復の流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 

 のぶ子たちは、慰問袋購入のための募金活動をしています。のぶ子の純粋な思いは愛国精神の鏡と、されています。

 授業の初めに教壇に立った黒井先生は、のぶ子を呼び出し、戦地の兵隊さんたちからの手紙を渡した。10通以上あります。

 黒井先生は「銃後の士気高揚のため、朝田のぶ子さんがみんなを引っ張って行きなさい」と励ました。のぶ子は「ハイ」と気を引き締めます。基本的には嬉しそうです。

 昭和12年(1937)の夏休みです。のぶ子は帰省しました。そして、なんと、自分で就職口を探すようです。女子師範学校に募集は来ていないのかな?なんなんだろう。

 のぶ子はフーテンのパン屋・草吉を捕まえ、銀座の「美村屋」に勤めていたのかと尋ねた。が、草吉は相変わらず、話をはぐらかします。羽多子もメイコも、その件について、気になっていますが深追いはしません。草吉への思いやりを止め、実情を知ったら、草吉をバカにできなくなります。

 夜になり、のぶ子と蘭子、メイコは三人で寝ます。蘭子は千尋から、明後日、崇が帰省すると聞いていました。

 のぶ子は電話で崇と喧嘩し、言い過ぎてしまったので少し反省しています。

 そのころ東京では、いつもの学生4人と担任の座間先生が集まり、銀座のバーで、崇の入選祝いの飲み会をしていた。座間先生はおごると言いながら、結局、崇の賞金を当てにしている。みんなは、とにかく楽しく飲み始めました。

 その飲み会の帰りに、崇は、ショーウインドーの赤いハンドバックを見つめていた。彼はのぶ子へ、そのハンドバックをプレゼントしようと思ったのです。

 今のぶ子は、とりあえず、心配をして欲しいのだけど、崇はそういう女の不安が解りません。だいたいの男はそんな感じです。だから、男は頑張って、高価なハンドバックを買っちゃうんです。そして、彼女にセンスがないと言われるだけです。

 キャバクラのおねえちゃんなら、センスが無くても高価であれば喜びます。どうせ、質屋などに売りに行くわけですから。。。経済活動でっす。

 のぶ子と崇の愛のテレパシーは、恋の苦しみという形で通じているのですが、まだまだいい方向には復旧しそうにありません。

 二日後、崇と健太郎は後免与駅に着きました。健太郎は芸術学校へ進学したので、親から「一人前になるまで、帰って来るな」と言われています。でも、彼は、夏休みに一人ボッチなるのは寂しいので、崇にくっついて来たのです。健太郎は崇の金魚のフンです。

 漫画「おそ松くん」の作者、赤塚不二夫は寂しがりやさんだったんだね。

 メイコは後免与駅まで、崇たちを出迎えに来た。朝田家への道すがら、三人は、のぶ子が崇からの手紙に返信をしていない、などと話した。

 メイコは「のぶねいちゃん、くよくよしちゅういきぃ、会うて話したら、きっと、大丈夫ですよ」と崇を慰めた。

 朝田家に着くと、メイコはのぶ子を呼んだが、草吉が出て来た。健太郎は草吉を見て、銀座のパン屋にいた人だと言ったが、草吉はとぼけて釣りに行く。

 のぶ子とうさ子は、母校の後免与尋常小学校に行き、就職活動をしていた。

 のぶ子は、恩師の伊達先生に会い、国語と体育の先生として、母校で働かせて欲しいと依頼した。伊達先生は、忠君愛国の鏡となったのぶ子を誇らしいと褒めたが、就職となると、いろいろあるようだ。

 うさ子は、女子師範学校に残って、黒井先生の手伝いをしたいと言っています。

 崇と健太郎、メイコは、商店街をうろうろしてのぶ子を探したが見つからない。メイコが再び家に帰ると、のぶ子は就職活動の手紙を書いていた。

 メイコは、「崇が帰って来て、のぶ子に会いたがちょった」と伝えたが、のぶ子は「そう」と相手にしません。のぶ子は、たぶん、銀座の女たちと比べられるのが嫌なのです。ハチキンのぶ子でも、女子は女子です。

 でもねー、男が他の女子に目をやったとしても、厳密にいえば、えーと、たぶん、自分の彼女とは比べていないと思う。その場合、目の前を歩いている美人を、男は女子として認識するのではなくて、たぶん風景として認識していると思う・・。その風景が動くので、それなりに見ているだけなんじゃないかなぁ?・・・世の中の男子諸君、そうだよねっ。

 ここでアホな男は、その風景の中の女子が、誘っていると勘違いするから、ややこしい。

 だから、イスラム教の女子は、女子の美しいところ隠すためにヒジャブを被せられている。

 これって、不細工なところも隠しているけど、結局、女子を見て欲情する男がいて、それは、肌を見せている女のせいだ、女が悪いと言っているわけでしょ。

 つまり、男の欲情は、女のせいであって、それは人のせいだと言っているの同じで、結局は、女を作った創造主のせいだと言っているわけです。おかしいでしょ。言い逃れは出来ません。

 創造主は生命の喜びのために、この世も男も女も作っているわけです。だから、太陽も太陽神アラーも命を育んでいるのです。そういう実状になっているでしょっ。だから、何でもかんでも人のせいにする大陸型人は、イカンでしょ。生命を育んでないでしょ。馬鹿なの?

 こういうところが、イスラム教信者の全てにあるかぎり、彼らは邪見に落ちているのです。一事が万事です。この辺の邪見について書き始めると長くなので、一事が万事で止めておきます。どの宗教でも、外道には腹が立つだけです。あははは。

 ハチキンのぶ子が銀座の女と比べられたくないのは、崇が手紙で自分の事ばかりを書き、のぶ子の心配をしていないからです。崇は自信がないので、自分の居場所の自慢をしてしまうのです。それが原因で、のぶ子は二人の間の距離を感じ余計に不安になります。

 まっ、のぶ子の心配をしなくてもいいから、崇は、アイラブユーを伝えておくべきです。崇はそこに気づかなければいけませんが、彼にとって、のぶ子は大切な人なので、赤いハンドバックを買ったのです。そして崇は、佳作に入賞したことをのぶ子と喜びたいのです。のぶ子はそのことを知りません。そして、こじれています。

 これねー、気持ちや言葉、思いやりの態度が欲しいときに、得てして、お金や物を渡すのです。お金や物が必要な時に、得てして、気持ちや励ましの言葉を送るのが常です。こういうのが悪循環のドツボに嵌るパターンです。巷に、よくある出来事です。そして、当事者同士は、その思考回路を変えようとしません。頑固です。

 それでも一緒に居ると、だんだんと、物事をずる賢く考えるようになります。例えば「亭主元気で外がいい」、みたいな感じで、奥さんは、亭主については諦めているが、稼ぎがあればいいと言う感じでしょうか?惨めで愛のない役割分担でしょうか?

 別に、夫婦の間でなくても、隣国同士、地球にある国同士でも、最後はずる賢い利害関係に収まろうとします。特に、半島系はそうです。バレているのに、それで上手くやったと思っています。

 思考回路を変えればどうにかなりますが、でも、今までのカルマがあるから出来ないでしょう。修復には時間がかかり過ぎます。いつも嘘ばかりつくのでこじれたのです。

 次元がアセッションして、テレパシーを使えるようになると、嘘が察知できるようになるので、それらの関係は変わるでしょう。

 こういう小さいことと大きことの構造が、善いにつけ、悪いにつけ、その意味する仕組みがよく似ている時に、それを全体から観ると、精神的なプラグタル構造ということが出来ると思います。

 あっ、この場合の精神的プラグタル構造とは、瞑想で内観をし、進化したときに気づく把握形式です。精神的プラグタル構造は器の大きさが違う輪廻ですかね?

 瞑想による内観をした場合、宇宙の形は、球形か、正十二面体のような立体としては把握されると思います。それも間違いではありません。ただ、宇宙を外側からると、トーラス構造だと思われます。

 要するに、エネルギーや心などの形態を超えたものは、同じものでも、外側から観るのと、内側から感じるのでは、形が違うように映るのです。例えば、アバタもエクボ、そういうことです。

 のぶ子も崇も、自分が思っている思考回路のパターンと、相手の心に映っている思考回路のパターンが一致していなのです。だから、自分が正しくても正しくなくても、理屈でも屁理屈でも、どんな感情でも、二人は意地を張るか、耐えるしか方法がなくなるのです。

 ちなみに、ハンドバックを買って来た崇は、誠意を尽くしていると思っています。のぶ子は、忠君愛国の正義と愛を尽くしていると思っています。で、愛のテレパシーはお互いに苦しんでいる感じを伝えているのに、女「なによっ」、男「なんだよっ」とお互いに思っているのです。あははは。

 まっ、人生のお試し期間でしょうかね。

 恋と愛の意地を張って、「あなたにとって、私の(俺の)存在ってなによっ」ということです。

 はい、お答えします、「重荷です。」・・嘘です。神の愛です。あははは。

 のぶ子に言わせれば、「崇、あんた、たっすがー(へなちょこ)のくせに、ひとりで生きて行けるの?」でしょうけど、崇にしてみれば「一度レールの上で死んでいるし、別に生きたいわけじゃないし。男として佳作なら、それぐらいでいいよ」となります。だから、ややこしい。

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 今日は、健太郎とメイコが、崇とのぶ子を仲直りさせようと考えますが、答えが見つかりません。カモメが旅立つ前になんとかなるでしょうか、の一席です。

 このような場合、夫婦であれば、普通は男が迎えに行くしかない。しかし、崇という男の場合は、死にたいとは思っていないが、生きたいとも感じていないだろうから、厄介だ。フーテンのパン屋・草吉と同じです。居た方がいい厄介者です。

 そうなると、のぶ子が泣いてすがるしかないのだろう・・けど、彼女は愛国の鏡だから、「崇、ちゃらちゃらしとらんで、男の生き様を見せてみんがかっ」となりそうです。。。

 これはねー、のぶ子が崇の心の穴を埋められるのか?どうなのか、が問題になります。しかし、心の穴が埋まると、崇は、生きることに執着するようになり、この世に未練を持つだろうね。だから、崇は心の穴を埋めて欲しくないのかも知しれません。困ったね。

 崇をこのジレンマに落としたのは、母親の登美子です。登美子への依存が原因だ。

 ということは、登美子は当てにならないから、崇は、「生きたいわけでもないけど死にたいわけでもない」という依存自体から抜け出す必要がある。なので、初めからのぶ子も当てにならない。崇の生き様の問題なのです。崇は一人で絵を描き続け、自分の心を癒し、本当の意味で、のぶ子を思いやれるようになれば、二人の恋はそれから始まるのかも。

 そうなると、二人で絵にかいたような幸せな生活を送るようになるだろうね。それが、ツインレイの崇とのぶ子の幸福生活かもね。

 要するに、生も死も自我も絵も愛国の鏡も神も佛も超えたら、崇の心の穴が埋まるのかもしれない。そこにアンパンマン正義があって、のぶ子と崇の幸せがあるのかも。

 まっ、崇のように、生きたいわけでもないけど、死にたいわけでもない、というところに依存している者は、空氣体瞑想をして、空に触れ、空(くう)に依存したらいいね。そして、頑張って埋めるほどの、心の穴でもないと思えたら、それでいいじゃないかなぁ。

 意味不明だけど、未来の崇に送ります。

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 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復の流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。