
「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。
おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)
空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。
空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。
過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。
地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。
魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。
主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。
自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。
「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。
その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。
そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。
なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。
「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。
のぶ子たちは、慰問袋購入のための募金活動をしています。のぶ子の純粋な思いは愛国精神の鏡と、されています。
授業の初めに教壇に立った黒井先生は、のぶ子を呼び出し、戦地の兵隊さんたちからの手紙を渡した。10通以上あります。
黒井先生は「銃後の士気高揚のため、朝田のぶ子さんがみんなを引っ張って行きなさい」と励ました。のぶ子は「ハイ」と気を引き締めます。基本的には嬉しそうです。
昭和12年(1937)の夏休みです。のぶ子は帰省しました。そして、なんと、自分で就職口を探すようです。女子師範学校に募集は来ていないのかな?なんなんだろう。
のぶ子はフーテンのパン屋・草吉を捕まえ、銀座の「美村屋」に勤めていたのかと尋ねた。が、草吉は相変わらず、話をはぐらかします。羽多子もメイコも、その件について、気になっていますが深追いはしません。草吉への思いやりを止め、実情を知ったら、草吉をバカにできなくなります。
夜になり、のぶ子と蘭子、メイコは三人で寝ます。蘭子は千尋から、明後日、崇が帰省すると聞いていました。
のぶ子は電話で崇と喧嘩し、言い過ぎてしまったので少し反省しています。
そのころ東京では、いつもの学生4人と担任の座間先生が集まり、銀座のバーで、崇の入選祝いの飲み会をしていた。座間先生はおごると言いながら、結局、崇の賞金を当てにしている。みんなは、とにかく楽しく飲み始めました。
その飲み会の帰りに、崇は、ショーウインドーの赤いハンドバックを見つめていた。彼はのぶ子へ、そのハンドバックをプレゼントしようと思ったのです。
今のぶ子は、とりあえず、心配をして欲しいのだけど、崇はそういう女の不安が解りません。だいたいの男はそんな感じです。だから、男は頑張って、高価なハンドバックを買っちゃうんです。そして、彼女にセンスがないと言われるだけです。
キャバクラのおねえちゃんなら、センスが無くても高価であれば喜びます。どうせ、質屋などに売りに行くわけですから。。。経済活動でっす。
のぶ子と崇の愛のテレパシーは、恋の苦しみという形で通じているのですが、まだまだいい方向には復旧しそうにありません。
二日後、崇と健太郎は後免与駅に着きました。健太郎は芸術学校へ進学したので、親から「一人前になるまで、帰って来るな」と言われています。でも、彼は、夏休みに一人ボッチなるのは寂しいので、崇にくっついて来たのです。健太郎は崇の金魚のフンです。
漫画「おそ松くん」の作者、赤塚不二夫は寂しがりやさんだったんだね。
メイコは後免与駅まで、崇たちを出迎えに来た。朝田家への道すがら、三人は、のぶ子が崇からの手紙に返信をしていない、などと話した。
メイコは「のぶねいちゃん、くよくよしちゅういきぃ、会うて話したら、きっと、大丈夫ですよ」と崇を慰めた。
朝田家に着くと、メイコはのぶ子を呼んだが、草吉が出て来た。健太郎は草吉を見て、銀座のパン屋にいた人だと言ったが、草吉はとぼけて釣りに行く。
のぶ子とうさ子は、母校の後免与尋常小学校に行き、就職活動をしていた。
のぶ子は、恩師の伊達先生に会い、国語と体育の先生として、母校で働かせて欲しいと依頼した。伊達先生は、忠君愛国の鏡となったのぶ子を誇らしいと褒めたが、就職となると、いろいろあるようだ。
うさ子は、女子師範学校に残って、黒井先生の手伝いをしたいと言っています。
崇と健太郎、メイコは、商店街をうろうろしてのぶ子を探したが見つからない。メイコが再び家に帰ると、のぶ子は就職活動の手紙を書いていた。
メイコは、「崇が帰って来て、のぶ子に会いたがちょった」と伝えたが、のぶ子は「そう」と相手にしません。のぶ子は、たぶん、銀座の女たちと比べられるのが嫌なのです。ハチキンのぶ子でも、女子は女子です。
でもねー、男が他の女子に目をやったとしても、厳密にいえば、えーと、たぶん、自分の彼女とは比べていないと思う。その場合、目の前を歩いている美人を、男は女子として認識するのではなくて、たぶん風景として認識していると思う・・。その風景が動くので、それなりに見ているだけなんじゃないかなぁ?・・・世の中の男子諸君、そうだよねっ。
ここでアホな男は、その風景の中の女子が、誘っていると勘違いするから、ややこしい。
だから、イスラム教の女子は、女子の美しいところ隠すためにヒジャブを被せられている。
これって、不細工なところも隠しているけど、結局、女子を見て欲情する男がいて、それは、肌を見せている女のせいだ、女が悪いと言っているわけでしょ。
つまり、男の欲情は、女のせいであって、それは人のせいだと言っているの同じで、結局は、女を作った創造主のせいだと言っているわけです。おかしいでしょ。言い逃れは出来ません。
創造主は生命の喜びのために、この世も男も女も作っているわけです。だから、太陽も太陽神アラーも命を育んでいるのです。そういう実状になっているでしょっ。だから、何でもかんでも人のせいにする大陸型人は、イカンでしょ。生命を育んでないでしょ。馬鹿なの?
こういうところが、イスラム教信者の全てにあるかぎり、彼らは邪見に落ちているのです。一事が万事です。この辺の邪見について書き始めると長くなので、一事が万事で止めておきます。どの宗教でも、外道には腹が立つだけです。あははは。
ハチキンのぶ子が銀座の女と比べられたくないのは、崇が手紙で自分の事ばかりを書き、のぶ子の心配をしていないからです。崇は自信がないので、自分の居場所の自慢をしてしまうのです。それが原因で、のぶ子は二人の間の距離を感じ余計に不安になります。
まっ、のぶ子の心配をしなくてもいいから、崇は、アイラブユーを伝えておくべきです。崇はそこに気づかなければいけませんが、彼にとって、のぶ子は大切な人なので、赤いハンドバックを買ったのです。そして崇は、佳作に入賞したことをのぶ子と喜びたいのです。のぶ子はそのことを知りません。そして、こじれています。
これねー、気持ちや言葉、思いやりの態度が欲しいときに、得てして、お金や物を渡すのです。お金や物が必要な時に、得てして、気持ちや励ましの言葉を送るのが常です。こういうのが悪循環のドツボに嵌るパターンです。巷に、よくある出来事です。そして、当事者同士は、その思考回路を変えようとしません。頑固です。
それでも一緒に居ると、だんだんと、物事をずる賢く考えるようになります。例えば「亭主元気で外がいい」、みたいな感じで、奥さんは、亭主については諦めているが、稼ぎがあればいいと言う感じでしょうか?惨めで愛のない役割分担でしょうか?
別に、夫婦の間でなくても、隣国同士、地球にある国同士でも、最後はずる賢い利害関係に収まろうとします。特に、半島系はそうです。バレているのに、それで上手くやったと思っています。
思考回路を変えればどうにかなりますが、でも、今までのカルマがあるから出来ないでしょう。修復には時間がかかり過ぎます。いつも嘘ばかりつくのでこじれたのです。
次元がアセッションして、テレパシーを使えるようになると、嘘が察知できるようになるので、それらの関係は変わるでしょう。
こういう小さいことと大きことの構造が、善いにつけ、悪いにつけ、その意味する仕組みがよく似ている時に、それを全体から観ると、精神的なプラグタル構造ということが出来ると思います。
あっ、この場合の精神的プラグタル構造とは、瞑想で内観をし、進化したときに気づく把握形式です。精神的プラグタル構造は器の大きさが違う輪廻ですかね?
瞑想による内観をした場合、宇宙の形は、球形か、正十二面体のような立体としては把握されると思います。それも間違いではありません。ただ、宇宙を外側からると、トーラス構造だと思われます。
要するに、エネルギーや心などの形態を超えたものは、同じものでも、外側から観るのと、内側から感じるのでは、形が違うように映るのです。例えば、アバタもエクボ、そういうことです。
のぶ子も崇も、自分が思っている思考回路のパターンと、相手の心に映っている思考回路のパターンが一致していなのです。だから、自分が正しくても正しくなくても、理屈でも屁理屈でも、どんな感情でも、二人は意地を張るか、耐えるしか方法がなくなるのです。
ちなみに、ハンドバックを買って来た崇は、誠意を尽くしていると思っています。のぶ子は、忠君愛国の正義と愛を尽くしていると思っています。で、愛のテレパシーはお互いに苦しんでいる感じを伝えているのに、女「なによっ」、男「なんだよっ」とお互いに思っているのです。あははは。
まっ、人生のお試し期間でしょうかね。
恋と愛の意地を張って、「あなたにとって、私の(俺の)存在ってなによっ」ということです。
はい、お答えします、「重荷です。」・・嘘です。神の愛です。あははは。
のぶ子に言わせれば、「崇、あんた、たっすがー(へなちょこ)のくせに、ひとりで生きて行けるの?」でしょうけど、崇にしてみれば「一度レールの上で死んでいるし、別に生きたいわけじゃないし。男として佳作なら、それぐらいでいいよ」となります。だから、ややこしい。
今日は、健太郎とメイコが、崇とのぶ子を仲直りさせようと考えますが、答えが見つかりません。カモメが旅立つ前になんとかなるでしょうか、の一席です。
このような場合、夫婦であれば、普通は男が迎えに行くしかない。しかし、崇という男の場合は、死にたいとは思っていないが、生きたいとも感じていないだろうから、厄介だ。フーテンのパン屋・草吉と同じです。居た方がいい厄介者です。
そうなると、のぶ子が泣いてすがるしかないのだろう・・けど、彼女は愛国の鏡だから、「崇、ちゃらちゃらしとらんで、男の生き様を見せてみんがかっ」となりそうです。。。
これはねー、のぶ子が崇の心の穴を埋められるのか?どうなのか、が問題になります。しかし、心の穴が埋まると、崇は、生きることに執着するようになり、この世に未練を持つだろうね。だから、崇は心の穴を埋めて欲しくないのかも知しれません。困ったね。
崇をこのジレンマに落としたのは、母親の登美子です。登美子への依存が原因だ。
ということは、登美子は当てにならないから、崇は、「生きたいわけでもないけど死にたいわけでもない」という依存自体から抜け出す必要がある。なので、初めからのぶ子も当てにならない。崇の生き様の問題なのです。崇は一人で絵を描き続け、自分の心を癒し、本当の意味で、のぶ子を思いやれるようになれば、二人の恋はそれから始まるのかも。
そうなると、二人で絵にかいたような幸せな生活を送るようになるだろうね。それが、ツインレイの崇とのぶ子の幸福生活かもね。
要するに、生も死も自我も絵も愛国の鏡も神も佛も超えたら、崇の心の穴が埋まるのかもしれない。そこにアンパンマン正義があって、のぶ子と崇の幸せがあるのかも。
まっ、崇のように、生きたいわけでもないけど、死にたいわけでもない、というところに依存している者は、空氣体瞑想をして、空に触れ、空(くう)に依存したらいいね。そして、頑張って埋めるほどの、心の穴でもないと思えたら、それでいいじゃないかなぁ。
意味不明だけど、未来の崇に送ります。
今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復の流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。
可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。
まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。
そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。
それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。
瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。
透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。
参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。
1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。
人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。
2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。
重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)
3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。
4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)
5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。
6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。
7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?
8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。
9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。
例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。
証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。
さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。
パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。
∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。
10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。
空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。
なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。
11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。
さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。
宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。
これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。
そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?
12,時間について。
時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。
時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。
無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。
永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。
そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。
そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。
感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。
この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。
例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。
13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。
(ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。
今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)
13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。
集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。
今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。
13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。
和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。
そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。
地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。
以上、あくまでも、参考です。