「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 戦争は、だんだんと引き返せない状態になりつつあります。そりゃー、日露戦争の頃から、日本はエセユダヤに騙されているのだから、そうなるよね。勝つしかないのに、防衛戦争をしていたらイケないね。相手は勝つために戦争を仕掛けているのです。。。

 多分、エセユダヤは、古代イスラエル人じゃなくて、ハザール王国の者たちだと思うな。古代イスラム人も主なる神に蹴散らされ、古代ユダ王国は消滅した。だから、つまり、全部、ロクなもんじゃねぇー、だね。

 長渕剛 ろくなもんじゃねえ 歌詞&動画視聴 - 歌ネット

 極めてザックリ言うと、唯一の神は、神格(意識波動)は有っても、宇宙自然の法則であり宇宙自然の道理なのです。ゆえに、広くて多岐にわたっているのです。しかし、その元が理解しにくい。だから、見る者が唯一神の紳格を、勝手に、いろいろな意識波動や形で観ているのであって、元の空(くう)が分からなければ、全部、ロクなもんじゃねぇー、だね。

 だけど、空を理屈や屁理屈で説明するのは無理です。解りますか?道理なのに、理屈や屁理屈で説明出来ないんですよ。あははは。

 だから、それを見越して、悪用する奴もいるのです。そして、世間の大衆は、そういう者の嘘が大好きです。大衆は弱いんです。困ったもんだよ、おためごかしの嘘つきの見せ金が流通します。どうしますぅー。

 ちなみに、世界の借金の総額は、世界のGDPの2.5倍以上あるらしいんだよね。しかも、いつも地下資源を取り合っている。そういうことだから、まー、現実は、おためごかしの嘘つきの見せ金について、文字通りに証明しています。つじつまが合わないのです。もう手遅れかも。

 そんな中、豪と蘭子は、耐え抜いて、純粋な恋心のまま、身も心も契りを交わしたのでした。。。

 のぶ子は蘭子の気持ちを察し、豪に生還して欲しいと心から思っています。

 のぶ子はうさ子と相談し、忠君愛国の元、日本の勝利を願い、慰問袋を作ることにしました。

 うさ子の忠君愛国心はマニアル通りのもので、嘘とは言いませんが純粋な本心とも言い難い。しかし、のぶ子の忠君愛国心は、日本が戦争に勝ち豪に生還して欲しいという、国家と家族を純粋に愛しているところから発しています。

 うさ子とのぶ子では、忠君愛国心の純粋さと器に差があります。それがどのような結果に成るのかが、気がかりです。

 繰り返しますが、そもそも、この戦争は、日露戦争の時から、日本が騙され続けている流れの中での、戦争だと思います。日本が、エセユダヤのおためごかしの見せ金に嵌められた結果だと思う。現代でも、その事情は変わっていません。バレ始めていますが、結果として、現代では、純正日本国民が騙されていると思います。しかも、いずれの時代でも、日本国内にエセ日本人の騙し屋がいます。醜い話です。彼らは、たぶん騙したいだけなのだろうと思う。それか、すぐにバレる嘘をついて、深いところの嘘を見えにくくしているのかもしれない。いずれにしても、嘘は嘘だ。バレています。

 3次元の戦争は、ぶっちゃけた話、騙されたことによるストレス(厄)を、お金で払うか、命で払うか、という感じです。のぶ子とうさ子は、そこに、慰問袋という純粋な愛情と励ましを送ろうとしています。だからこそ、全体、騙されているのです。それでも、戦争には勝つしかないのです。

 そして、悪が消滅すれば、宇宙自然の調和が始まります。生命は栄えます。善が負ければ、人工的な支配になるでしょう。人は生命ではなくなります。生命でないものに、幸せ感はありません。存在しても、虚しさがあるだけです。つまり存在することに意義が無くなります。まるで、スイッチの入らないコンピュータです。使えません。そういうことだから、多く人が強烈な虚しさで自殺したくなるでしょう。その前に、性的快楽が乱れ、小児性愛者なるかも。これは警告です。

 強烈な虚しさを埋めるために、何かのエネルギーが激しく流れるので、自然は荒れ狂うでしょう。だから、余計に宇宙自然の大浄化が激しくなる。ヨハネの黙示録の時代です。

 ただね、浄化が拡大して地球の存在価値が無くなり、この宇宙が壊れたとしても、この宇宙の余命は永いので、外宇宙の超莫大なエネルギー圧力により、宇宙は3日で再生?新生?するかもしれません。これは、和至のイメージ感覚です。

 余談ですけど、どうしてそうなのかは分かりませんが、3日という時間の長さに、変化のための規則性があるようです。あと、プレアデス宇宙人などの宇宙意識の者は、善と悪を二元論に入れていますが、善と悪はカルマ(動きの領域)のものなので、二元論に入れるべきではないと、和至は思います。まっいいや。どうでも。物事は、成るようにしか成らないので、人工的な動きを中和し排除して、自然的な結果が出るのを早めたらいいね。今は遅れています。

 翌日の教室で、のぶ子とうさ子は教壇に立ち、慰問袋を作りましょう、と提案した。

 慰問袋とは、戦地の兵隊さんに、お守りや励ましの手紙、その他の生活用品などを、袋に入れて送るものです。女子学生の生写真もエロ本も入っています、嘘です、入っていません。その資金については、街中で女子学生たちが募金活動をします。クラス者は賛成しました。

 そして、のぶの発案は、学校全体へ広がり、本物で純粋な忠君愛国心が芽生えました。

 その様子は新聞記事になり、朝田のぶ子と女子師範学校は、褒めちぎられてしまいました。のぶ子は、愛国精神の鏡になりました。校長先生も街の人たちも、のぶ子を褒めています。のぶ子は、調子に乗り始めました。

 そんなのぶ子に、柳井崇子(崇です)の偽名でいつもの手紙が届く。崇は芸術学校で、女性のヌードなどを描き、銀座ぶらを楽しみ、遊びながら暮らしています。そして、フーテンのパン屋・草吉が「美村屋」で働いていたことを知り、のぶ子に報告したのです。

 のぶ子は帰省した時、家族から愛国精神の鏡になったことを称賛されました。大変です。純粋さは、大衆を動かすエネルギーとして、政治のプロパガンダによく使われるのです。しょうがないね。ゆえに、戦争は引き返せないのです。おためごかしの嘘の見せ金が、本物のように動きます。

 のぶ子は、フーテンのパン屋・草吉に、銀座の「美村屋」で働いてたのか、と確かめました。草吉はとぼけましたが、この男は戦争に行く前は、真面目なパン職人だったのでしょう。彼はこの世に生きる場所が無いのです。カエル顔なのに「美村屋」に帰ることが出来ない・・。フーテンと言うよりは、糸の切れたフーセンです。しょうがないやな。

 一方、学生芸術家を楽しみ、陽気に遊び惚けている崇は、図案コンクールで佳作に入選しました。その賞金は50円(12万円ぐらいかな?)です。世の中は、そんなもんです。人生だな。。。

 崇はお金ができたので、柳井家に電話をしました。彼は、のぶ子の声が聞きたかった。それで、千尋にのぶ子を呼びに行かせました。

 のぶ子は、銀座の女に目を奪われている崇を想像すると、頭にきて手紙の返事が書けないでいたのです。もしも、崇が「のぶ子、全寮制は不自由で大変だね。よく辛抱しているね。偉いね」などと、一言でも書いていれば、のぶ子も返事を書く氣になったのでしょう。ははは。

 世間の常識の範囲からみると、芸術家は恩知らずです。彼らにとって、恩は自分の後ろにあり、自分の前には創造性とチャンスがあるのでしょう。崇は、一度ボロボロになり倒れいるので、地に足を付けることなく倒れるまで行くタイプです。その上、のぶ子は今、「愛国精神の鏡」と持ち上げられ、有頂天です。あーぁ~だね。

 ということで、柳井家の電話で話をしても、崇とのぶ子の会話が噛み合いません。それどころか、のぶ子は心の中で『うちの気持ちを一言も心配せん』と思っています。それなのに、崇は、東京は自由だ、素敵な街だ、洗練された人々がいる、などと説得口調で、『僕を分かって』と、話しているのです。

 さらに、崇の取り巻きの連中は、入賞した崇が羨ましいのか、電話の邪魔をしてきます。

 さすがののぶ子も、理由なく切れました。そして、「崇、あんた、お国のために命がけで働きゅう兵隊さんの事、考えたことがあるがかぁっ?うち、銀座がどんなとこか知らんが、あんたみたいにチャラチャラ浮かれて、芸術家もどきに囲まれようがぁー、それで、何が自由がかっ。このたっすいがー(へなちょこ)の、ど阿呆ーっ」と叫んで、電話を切った。

 まーそのー、のぶ子も有頂天になっているのですが、彼女の場合は、利他がその根底にあります。そして、自分を忘れたわけではありません。

 崇の順風満帆は、自利なのか、利他なのか、自利利他なのか、未だに不明で芯が見えません。でも、周りに流されて、分かってちゃんのチャラチャラ流れるマジ男をしています。この男のこの性格は、のぶ子でなくてもイラつきます。豆腐にハンペンを刺した感じです。

 そう考えると、もうね、この二人は、恋とか、母性愛とかの関係じゃないよね。ツインレイだ。無我にならないと、忍耐あるのみの関係だ。あははは。

 のぶ子は電話を切って、悔しくて泣いています。何が悔しいのかは分かりません。柳井家の人はのぶ子の味方です。

 今日は、夕焼けに染まった空き地で、のぶ子の思う利他が通じないので、彼女はうずくまっています、の一席です。

 のぶ子は長女として、蘭子と豪の幸せも、朝田家の未来も、国の勝利も、兵隊さんの気持ちも、街の人の賞賛も、愛国精神の鏡という肩書も、背負ってしまいました。でも、分かってちゃんのチャラチャラ流れるマジ男の崇が、たっすいがーで、一言ものぶ子の心配をしないのです。だから、のぶ子はエネルギー不足です。

 そういう時は、空氣体瞑想をして、空(くう)からのエネルギーを補給しましょう。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒しの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 今日は、豪の出征壮行会です。釜爺ぃは町の人達たちをたくさん招き、酒とご馳走を振る舞います。くら婆さんと羽多子、そして三姉妹は準備に大忙しです。

 その合間で、のぶ子は、豪へ告白をするよう、蘭子に勧めた。蘭子は気持ちを伝えようと、豪が一人で仕事をしている石置き場に行った。

 しかし、彼女はなかなか言い出せない。豪もその気持ちが分かったので、自分から「好きだ」と言おうとしたが、言葉を飲み込んでしまう。

 二人の間には気づかいがあった。それは『明日、離れて行くのに、今、好きと言って、どうする?』という思いやりです。言わなくても心の負担、言っても心の負担。未来に希望の少ない現状です。

 釜爺ぃは、豪に生還して欲しいと思っています。しかし、口には出しませんし、客人の手前、出せません。

 だから、釜爺ぃは、たくさんの人たちを集めて壮行会を行い、運を天に任せようとしているのです。宴会に参加した人が、善き思いを保ち、思いの全部を吐き出せば、その場に正しい氣が流れて、善き成り行きになるはずです。

 しかし、日本の勝利を願う宴会が始まると、酔っぱらったフーテンのパン屋・草吉が「戦争に勝とうが負けようが、兵隊は虫けらみたいに死ぬんだよ」と、反発した。

 そんなことは分かっているので、釜爺ぃが「ヤムッ、なにを不吉なことを言うがかっ。豪は15の時から、ここで働いとう。虫けらに墓石は掘れん」と怒り、立ち上がった。

 その場を収めるために、羽多子が豪に、挨拶をするように促した。

 豪は立ち上がり、壮行会のお礼を述べ始めた。そして、朝田家の一人一人に今までのお礼を言う。草吉にも「お世話になりました」と言った。草吉は宴会場を出て行く。

 あのね、草吉は戦場から生きて帰ったくせに、豪が兵隊になったら死ぬことを前提に喚いているわけです。つまり、戦場に行くといい奴が死んで、自分みたいな卑怯者が生き残るのだと言っているのです。草吉は、悲壮な矛盾と辛さを心に抱えています。

 だけどね、戦場で突撃したとしても、豪は足が遅いから、突撃兵の一番後ろを着いて行くことになるんじゃないかなぁ。つまり、卑怯者にならずに生き残る確率が高い。あははは。

 釜爺ぃは三姉妹に、豪の武運長久を願い、「よさこい節」を歌うように命じた。

 のぶ子、蘭子、メイコの三姉妹は、手拍子をしながら悲しくならないように歌うのです。

 しかし、少しずつ雰囲気が明るくなると、豪と蘭子には、その明るさが自分たちとは別の世界のように映ってしまう。

 豪はトイレに行くフリをして席を立つ・・・。そして、用意しておいた荷物を手に、朝田家の玄関で一礼。表の暗い道を歩き始めた。

 それに勘づいた蘭子は、豪の後を追った。それを見たのぶ子も後を追った。羽多子は、蘭子の着替えを取りに行き、3人の後を追った。女の「回答は、今ッ」、でしょう。彼女たちの思うところは同じです。

 つまり、「今」が「永遠」に成るか、という難問です。それは、私の「好き」が「永遠」の次元に届くのか、そういう氣持ちの物語なのです。「好き」の「き」は「氣」であり、女子は本当に好きな人と、その「氣」を「永遠」と、したいのです。なお、どうでもいい男には吐き氣で回答します。

 つまり、女は、本当に好きな男であるならば、その男に責任を求めるのじゃなくて、私の氣と一緒に居て、と望んでいるようです。それは、私の氣に共感して欲しいという感じです。だけど、男にはそれが見えない。

 だから「好き」と「恋」が絡んで、世間では、恋愛のからくりドラマになるのでしょうね。

 梅沢富美雄の「夢芝居」。Bing 動画

 蘭子は暗い道を走り、駅に向かう豪に追いついた。そして彼女は「きっと、きっと、絶対に絶対、一度は、必ず戻って来てよ。」と、未来に怯えながらも願いを言った。

 豪は「蘭子さん、ワシからもお願いがあります。もし無事に帰って来たら、ワシの嫁になって下さい」と、どうなるか分からない約束を求めた。

 蘭子は豪が『今、お前と永遠を契りたい』と言ったように感じた。

 蘭子という女が「今」を「永遠」にしたかった・・・豪という男が「今」を「契り」にしたかった。二人に希望があるのは「今」だけ。

 ゆえに、「死」では逃げられない。「生」なら逃げたくない。

 蘭子は、追いかけて来たのぶ子に促されて、勇気を出した。そして「うち、おまさんのこと、うんっと、好きちゃあ。豪ちゃんのお嫁さんになるがやきぃ、きっと戻って来てよ」と答えた。豪は「ありがとう。蘭子さん。戻ってきます、必ず絶対に」と目をみて、氣の契りを交わした。

 そこへ、羽多子が蘭子の着替えを持ちながら、走って来た。そして、「蘭子、豪ちゃん明日、行ってしまうがで。・・今夜は戻ってこんで、えいっ。・・花嫁衣裳も用意しちゃれんで、御免で。・・豪ちゃん、蘭子をよろしゅうお願いします」と、二人の「今」が「永遠」になるよう、援護した。

 豪は、羽多子にしっかりと頭を下げてから、蘭子の手を取る。

 暗い道を二人は手を繋いだまま駅まで歩き、夜汽車に乗れば、硬い座席で寄り添った。明日は足摺岬の豪のお婆さんに会う。

 尾崎豊 I LOVE YOU 歌詞&動画視聴 - 歌ネット

 今日は、見えていても、諸行無常の現実(物質界)に、「今」は有っても「永遠」は無のです。しかし、見えなくても氣の流れには「今」と「永遠」があります。豪と蘭子に、赤ちゃんが出来かも、の一席でした。

 さて、今日は書かなくてもいいんだけど、まっ、一応、「今」と「永遠」は空(くう)のところにあります。空気体瞑想をして、空に触れておきましょう。

 赤ちゃんの欲しい夫婦は、「今」と「永遠」の融合によって妊娠しやすくなるかもね。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒しの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 崇と健太郎は、夏の銀座をぶらついています。二人は仲良くしています。健太郎は甘いものが食べたくなり、崇の希望で美村屋のあんパンを買うことにした。

 崇は店内に飾ってある集合写真に目をやる。写真をよく見みると、若いときのフーテンのパン屋・草吉が写っていた。相変わらずのカエル顔です。

 崇は息を飲み『どおりで・・・、朝田パンと美村屋のあんパンの味が、似ているわけだぁ』と思った。

 草吉は戦争に行ったことが・・・ある?・・かも。しかし、草吉は死にたくなかった。彼は生き残りたくて、目の前で、質のいい人間ばかりが一心に戦い、死んで行くの見てしまった・・のかも。なので、戦争地獄で生き残った草吉は、自分の卑怯な性格を呪い、開き直ってフーテンのパン屋・草吉になった・・のかも。

 そういうことだから、草吉は、フーテンとしても、パン屋としても、未だに半端者です。あははは。だから、カエル顔なのです。地べたで、ゲロゲロ、ゲロゲロ、と泣く人生です。

 朝田家の屋根裏部屋で、豪と草吉は寝起きを共にしています。草吉は豪を戦争に行かせたくありませんが、豪は「覚悟は出来ちょります。お国のために立派に戦ってきます。やむさん、今までお世話になりました。陛下に御奉公してきます。」と、澄んだ目で言うのです。

 確かに、戦争をするのなら、辛くても透き通った澄んだ目で戦えばいいし、娑婆で暮らすのなら、癒され慈愛の澄んだ目で生活すればいい。・・・それだけだ。

 草吉は、戦争の醜さと、戦いの中にいる人間の醜さを見ても、それでも、それでも、なお、生き残りたかったんだね。

 豪は、死者とその家族のために墓石を掘り、せめてもの思いとして、石に美しい文字を刻んできた。そして、澄んだ目で、国に奉公すると言っているのです。

 そりゃー、蘭子でなくても、好きになるわなー。

 朝田家では豪の壮行会を豪華で賑やかに行おうと話し合った。

 釜爺ぃは、急ぎの仕事は豪が済ませたので、せめて今日だけでもゆっくりせいっ、と豪に告げた。

 豪は墓石を削りたいと言ったが、草吉が魚釣りに誘ったので、豪は着いて行った。

 草吉は、豪を戦争に行かせたくないのだが、豪は戦死することも含め静かに受け止めている。草吉は「地獄に行くと思って、今のうちにやりたいこと全部しておけ」などと言っている。

 あのね、その気持ち、人情としては分かるけど、それを言うと、豪の澄んだ目を汚していることになる。だから、察しがついたとしても、この場合は言葉に出すべきではない。口にするべきではない。

 そして、人の心の裏側を察し、それでも人の情として思いやるのなら、草吉自身が自分を捨て、真面目な豪の役に立つことや、善良な豪のやりたことを察して、何も言わずに出来るようにしてやるのが、思いやりのある人格というものだろうと、和至は思う。酸いも甘いもかみ分けた人間のすることだと思う。

 そういうのが出来ないから、草吉は、醜いあんぱんガエルなんだよ。やっと、飛んだと思ったら、水の中へ、チャポン。あんパンだからもう食えません。お粗末です。あははは。戦争に行って地獄を見ても、草吉はまだ人間界を卒業できそうにありません。ははは。

 一方、蘭子の部屋に、のぶ子、メイコ、羽多子、そして、くら婆さんが集まっています。蘭子はいません。のぶ子は、蘭子が豪を好いているの知っている。それは羽多子も同じです。

 のぶ子は「うち、蘭子に後悔をしてほしゅうないがーよ」と言い、会議が始まった。

 しかし、結論が出ない。蘭子と豪がお互いの思いを知っても、現状が許さないのなら、辛くなる?それでも、幸せになる?そこが見えないのです。

 あれれ?この場合は、豪と蘭子が離れることが決まっているのだから、どっちに転んでも辛いでしょ。そうなると、離れた距離を埋めるしかない。だから、自然法則的なテレパシーで繋がるしかないでしょう。豪と蘭子は、相手の負担にならないように思いやっているから、愛のテレパシーがすでに繋がっている可能性がある。

 郵便局から蘭子がいつもより早めに帰って来た。彼女は豪との時間が大切なんだね。豪も釣りから帰って来た。二人にとって、顔が見られる、それだけで、なんでもいい。

 その夜、三姉妹が床に就いてから、蘭子は起き出し、羽多子のところへ行った。

 そして、両親が結婚した馴れ初めを尋ねた。羽多子がそのことについて話そうとしたら、のぶ子とメイコも来た。

 亡くなった父親の結太郎と母親の羽多子は、お見合いで結婚した。しかも、婚礼の日に、羽多子と結太郎は初めて会いました。結太郎は出張が多く、家にいないので、お見合いをする時間もなかったのです。とにかく、結婚です。で、そのようなことになりました。

 釜爺ぃとくら婆が、金物屋の娘で、気立てのいい、働き者の羽多子を見初めたのです。だから、結太郎の意見は聞かずに婚礼を決めたのです。それなりに善き人が夫婦になれば、それなりに善き家族になるという経験論です。ロマンチックなことは、何もありません。

 まーね、相思相愛のロマンチックな新婚生活でも、3年も過ぎれば、慣れる段階が来るからね。「あれから40年・・・特に言うことはないのです。。。連れ合いが、屁で空気でも、なんでもいいのです。・・悟ります。」

 結婚しても結太郎は出張ばかりなので、彼は、旅先から羽多子へ、愛情のこもった手紙をたくさん書きました。羽多子はその手紙を大切に保管しています。

 羽多子が言うには「お父ちゃんは、結婚してから、あてに恋をしてくれたがやて。あても、同じや。嫁いだ日に初めて会って、それからゆっくりお父ちゃんを好きなった。」と、解説し、愛と愛情を育てるような初恋だった、と語った。

 まー、釜爺ぃとくら婆が考えていた通り、結太郎と羽多子はそれなりに善い夫婦になりました。子供が3人です。

 あのっ、言っておきますけど、結太郎は出張先で、女郎屋(風俗店)に行ったりしません。その罪滅ぼしに、愛情ある手紙を女房に送っていたのではありません。…えっと・・・たぶん・・。あははは。

 結太郎の手紙には「羽多子さん。元気にしてますか?ここは氷点下の寒さです。でも、あなたのことを思うと、わしの心が温こうなります。どんなに離れちょっても、あなたは、わしの此処におります。」と書いています。こういう手紙が、女にとって、男の愛情の証拠品です。

 男にとって、手紙は愛情の証拠品になるのかなぁ?違うような気がするけど、、、どちらかというと、仕事の延長線上であり、責任感や義務感で手紙を書いているような気がする。つまり、男の女に対する責任感や義務感が、女には愛情として感じるのかも。分からんところだけど、男と女は別の個体であって、お互いが意図するエネルギーとその反応ついては、感じ方の中身が違うらしい。しかし、お互いが健全であれば、二人を繋ぐ愛や愛情として感じるのです。そして、夫婦間の愛と情が育って行く。そんな感じだね。

 のぶ子は、「手紙の中の『此処におる』の此処って、どこ?」と尋ねた。蘭子は、胸の内やと思うと答えた。つまり、愛のテレパシーが通じている、と言いたいのでしょう。

 羽多子は、蘭子と豪が離れてしまうので、氣がかりです。しかし、先が見えないので何も言えない。

 今日は、離れ離れになる蘭子と豪ですが、テレパシー能力を向上させるための練習をしたらいいね、の一席です。

 ちなみに、テレパシー波動は、透明な空(くう)の領域を経由して、相手に届きます。なので、空氣体瞑想をして、空に触れておきましょう。

 テレパシー的なものは、現代の量子物理学で認めらています。

 おいっ、汚れた無知ども、愛のテレパシーをなめんなよっ。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒しの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 8月21日に高知市の泰江グランドで体育大会が開催される。のぶ子はそれに参加しようと思った。のぶ子の特技ははちきんダッシュです。はちきんダッシュは純粋性の現れです。

 しかし、のぶ子が黒井先生に相談すると、先生は「ただ走りたいだけなら、野原で走っていなさい」と否定した。

 黒井先生は「女子師範学校の名誉と忠君愛国の精神の元、力いっぱい走りまっす。だから、参加させてください」、そのように、のぶ子に言わせたいのであります。

 立場が上の人の中には、スローガンを力づくで言わせようとする者がいる。彼らは、集合意識をコントロールしようとしているのだろうけど、やり方が違うと思う。

 力づくでスローガンを言わせると、一見まとまっているように見えても、全体としても個人としてもエネルギーが不足し、弱体化してしまいます。その人たちは籠の鳥ようになる。・・・それが目的なのかな?

 でもその仕組みは、北朝鮮や共産主義国、エセユダヤ式大陸型人、エセイスラム教人などと同じで、洗脳(染脳)主義です。彼らはすべて、愛感(幻の愛)に洗脳(染脳)された者でしょう。そういう状態だから、お金をかけていつも洗脳(染脳)を続けるしかないのです。とても不自然です。奴らは在日電通のように心理学を上手く利用しているつもりです。それが証拠です。

 忠君愛国や愛国精神が、愛感(幻の愛)になったら偽物です。日本兵や神風特攻隊は、愛感(幻の愛)ではなかったと思う。

 その理由は、彼らが、「靖国神社で会おう」と自発的な言の葉を交わし、戦場に行っているからです。つまり、彼らは死ぬ気で戦うつもりだったし、それ以上に、永遠の命と魂を感じているからこそ、「靖国で会おう」と、言霊を交わすことが出来たのです。美化ではありません。事実、戦死して、戦後のベビーブームに転生した人がいて、今生の彼は信仰心がたいして無いにも関わらず、初めて東京に行き、帰って来ると、「やっと、靖国神社にお参りすることが出来た」と、とても嬉しそうに言ったのです。彼は自分が転生していることすら知らないんですよ。そういうことです。

 心理学的に考えて、死の恐怖を誤魔化すために「靖国で会おう」と言うのであれば、とても戦場には行けないでしょう。ほんの少し想像してみてください。

 例えば、車に乗って「靖国合おう」、いや、「あの世で会おう」と言いながら、猛スピードで電柱にぶつかってみようすると、それだけで、戦場に行く感覚が解ると思います。

 このような場合、愛感(幻の愛)では、エネルギーが全く足りない。だから、偽物はダメなんです。

 先の戦争は、エセユダヤに騙されて始めた戦争だけど、純正日本人の超本気は、転生を含めた上での別のところにあったと思う。それは明白でしょう。あははは。

 あのね、偽物は本物が一番嫌いなんですよ。だから、偽物の国は「靖国神社に参拝するな」と言うのです。すでに、バレてます。日本の政治家も同じです。政治的配慮は、自分の魂に泥を塗っているようなものです。

 あと、スピリチャルのYouTubeを見ると、日本古来の龍神龍脈が封印してあるとのことですが、それは、外宇宙からの不退転の意識を信じていないことになるので、日本は籠の鳥になってしまうと思う。本当に封印したのかなぁ?愛感で封印できるという、意味が分からん。果たして、現代の日本は籠の鳥なのでしょうか?

 体育大会に出たいのぶ子は、自分の気持ちに嘘をつきたくないので落ち込んでいた。そこへ、うさ子が来て、黒井先生の忠君愛国のスローガンに合わせたらいいと説得した。

 しかし、のぶ子は本物の忠君愛国心を持ちたかった。それに、本物の大和魂を生きたかった。なので、目先のことで、自分の魂に嘘をつきたくないのです。彼女の悩みは、深層意識における、エネルギーバランスの問題なのです。こういうのが神様からの本当の試練です。頑張りどころなので、ハチキンのぶ子よ、自分を信じて頑張れーー。あははは。

 昭和12年(1937)7月。盧溝橋事件が一旦、停戦した。しかし、戦争の影はひたひたと近づいている。世間は不景気です。

 女子師範学校でも、黒井先生が「忠君愛国を肝に銘じなさい。ひとたび男子が戦場に赴けば、その銃後を守るのは女子の役目です」と活を入れている。死ぬ気で戦争するか、死ぬ気で子育てをするか、その二択です。

 一方、そんなご時世ですが、崇と健太郎のクラスでは、女性モデルの裸体をデッサンしています。健太郎はヌードを見るだけで大喜びです。崇は、柔らかさを上手く描けません。クラスメイトの辺見は、天才的なタッチで描いているのですが、本人は納得がいきません。未完成だけど、確かに、裸体と椅子が同じタッチで描かれています。それでも、辺見の絵は生きています。辺見役のモデルは誰だろう?

 デッサンの授業のあと、座間先生はモデルの女性を銀座の高級レストランに誘いました。しかし、フラれました。座間先生は立場を利用して、モデルとエッチしたいのです。

 出ましたー。ざまーみろ。ざまーない。(という、NHK東京の駄洒落です。あははは。)

 崇と健太郎は、座間ー先生のフラれるところを見て、「ざまー、かんかん、河童の屁ーー」と笑いました。

 すると、座間先生は、意味不明の歌を歌い始めました。その歌は、

「わっさわっさわさりんの、もんちきりんのほい、やかんりかんが、ひっきりもっきり、りーしゃつぷらぽー、しゃつぷらぽーわさきゅー、りっきゅらかりきゅらか、ちゃんからぽー、うっ、うっぱいぱい、うっぱいぱい」という、図案化の呪文です。

 図案化というのは、現実化の前段階だから、座間先生はモデルの女性をもう一度口説きたいのでしょうか?たぶん不倫です。

 次の授業で座間先生は、その意味不明な歌の詩を黒板に書きました。それを日本語に訳すようにと、崇を指名しました。崇は雰囲気だけで、

「うれしいじゃないか、みんなで騒ごうぜ。難しい理屈なんて、茶化してしまえ。自由に生きよう。ワサビ酒ひっかけ、シャッポ振って、ブラボー。欝な気分よ、バイバイ。欝な気分よ、バイバイ」と感じるまま、訳しました。すると、その自由な感じをみんなが称賛しました。

 崇は、一度壊れているので、感覚だけで創造したのです。そして、彼は、これが自分の生きる道だと感じてしまいました。

 アーぁ~、危ないなぁ。と思ったら、崇は図書館で、井伏鱒二の「厄除け詩集」なる本を借りました。

 崇という男、コイツはただ者ではない・・・。「お前は、もう、死んでいるし、壊れているが、知っている奴だ」。

 そのころ高知のぶ子は、自分の魂に嘘が付けなくて、落ち込んでいました。崇はのぶ子のために「厄除け詩集」を読むのでしょうか?落ち込んだ時、崇とのぶ子は以心伝心です。

 座間先生は、崇、健太郎、辺見、留年9年目の九ちゃんを連れて、銀座のカフェで飲んでいます。健太郎がギターを弾き、みんなであの変な歌を楽しそうに歌っています。

 そこへ、兵隊さんが入って来て「うるさいから、やめんかっ」と注意した。が、座間先生は、これが自由だ言わんばかりに、止めません。店長が間に入って、その場を治めました。

 さて、御免与町の豪に赤紙が来ました。豪は入隊です。彼は覚悟を決め、釜爺ぃに「ワシも、人並みにお国に御奉公できます」と伝えた。

 豪は「石屋の仕事が出来なくなるので、入隊までしっかり働きます」と告げる。彼は、死ぬ前に思い残すことが無いように行動するつもりです。どうせ死ぬのだから、仕事なんてデタラメでもいいや、とは思わないのです。豪は死を尊重すべき区切りだと考えています。ゆえに、豪は永遠の命を知っている者です。彼は両親を亡くしていますが、足摺岬にお婆さんがいます。

 豪の赤紙に一番ショックを受けたのは、蘭子です。彼女は豪が好きなのです。

 赤紙の知らせを聞いたのぶ子は、帰省すると、蘭子に「豪ちゃんに、好きな気持ちを打ち明けたら、ええ。豪ちゃん、優しいから生きて帰って来てくれるきに」と語った。

 今日は、優しい豪ちゃんの迷いにならないように、蘭子は「好き」の真意を考えています、の一席でした。

 えーと、まず、生死を超えた「好き」は、「愛」でしょうね。

 純粋な愛は透明な空(くう)のところにあります。空のところには、生と死が隣り合わせで存在します。なので、空氣体瞑想をして、空に触れ、生と死と「純粋な愛」を知っておきましょう。

 溢れる愛のはじまり/成底ゆう子[Video Clip フル]Bing 動画

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒しの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ)の支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?(以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 昭和12年(1937)。崇は東京高等芸術学校へ出発です。御免与駅で、柳井家の家族が見送りをしています。のぶ子は、寮生活なので参加していません。

 でも、みんなに内緒で、フーテンのパン屋・草吉がのぶ子の手紙を崇に渡しました。

 女子師範学校では、のぶ子とうさ子が2年生になりました。そして、1年生が入寮してきました。

 室長のうさ子は新入生に対し、寮生活の、掃除、洗濯、挨拶などのしきたりを緊張しながら言い聞かせています。しきたりに理由などは有りません。一年生は、許せる範囲の理不尽を引き受け、それに慣れ親しむとき、それでも何かが解るかどうかという修行です。この仕組みは、人生経路のどこにでも転がっています。例えば、生きたいのに寿命が来れば死ぬと言うのも、その一例です。本当は永遠の命が死の隣にあります。

 のぶ子たちは2年生になり、黒井先生は、ますます厳しい精神教育を学生たちに施しています。

 教室で、黒井先生は学生たちに、「どんな先生になりたいですか?」と質問した。

 うさ子は、家庭科の先生になり、立派なおなごを育て、日本と兵隊さんを間接的に支えます、と言う。

 のぶ子は、体操の楽しさを教える教師になります、と言う。しかし、その答えは黒井先生にとって、不十分でした。

 黒井先生は、先哲の教えである大和魂を持った教師が立派な教師です、と宣言し、大和魂を血肉としなさい、と叱咤した。

 大和魂とは - 歴史から学ぶ大和魂

 あのぉー、現代では、「空氣を読む」と言いますが、その場の雰囲気を察して反応するという意味のようです。目上の権力者から自己を守り、その場の雰囲気を壊さないようにするというような気づかいになっているのでしょう?

 でもそれは、卑怯者の集まりのように感じます。つまり『まっ、どうせこの世は、どこを取っても完全納得できることなどない。だから、適当にやり過ごせばいい』、で、自己弁護としては「みんなの「輪」を壊さなかった。自身はよく頑張っている」と、自分を納得させるのでしょうね?

 でもこれは、「大和魂」の「和(サトワ・大調和)」ではない。自分を閉じ込めている縄跳びの「輪」ですね。

 この精神の根底には、真理や真実なんて、誰も知らないのだから、煩悩のある人間が、汚れた醜い思考回路になるはしょうがない。どうせしょうがないのなら、裏でうまい汁吸いやおこぼれを頂戴すれば、少しは得した感じになる、ということでしょうね?

 ただね、その成れの果てが、フジテレビの女子アナ献上です。半島系の思考回路です。薄汚い話です。あちこちにあります。

 だから、この「輪」は、本来の大和魂の「和」ではありません。ゆえに、現代の空気を読むという「輪」は、頑張っていくら耐えても大和魂の「和」にたどり着けません。成れません。

 だって、半島系と大陸型人の遺伝子意識は、純正日本人の遺伝子意識とはプログラムが違うんです。

 本来の「大和魂」は、サトワ(大調和・宇宙調和)であり、宇宙自然の道理の氣が正しく、純粋に流れる状態ことです。

 「大和魂」とは、精神や魂が、洗脳(染脳)されるのではなく、浄化され進化する状態にあることです。それは、その人に合った瞑想をして、意識波動が精妙化し高周波に進化することです。そのように向上化した精神状態が、やがて行きつく先の境地が、サトワ(大調和・宇宙調和)です。その上もあります。

 つまり大和魂とは、大調和や宇宙調和の意識状態まで、進化した魂の事です。

 さらに解りやすい例をあげると、ランナーズハイなどにも「大和魂」のカケラがあります。芸術家もゾーンに入ると「大和魂」のカケラがあります。ただし、カケラです。

 アンパンマン正義は、大和魂をどこまで解明するのでしょうか?

 ということで、たっすいがー(へなちょこ)の崇は、大和魂を求めて?東京高等芸術学校に初登校しました。しかし、絵の好きなヲタ族学生ばかりです。しかも、彼らは、自分が一番だと思いたいようです。しかし、その割には、世の中に承認されていない自分を知っているので、本来の自信を持っていません。崇も、同類です。

 教室で、崇がおたおたしていると、入学試験に落ちたはずの健太郎が声をかけた。健太郎は補欠合格していたのです。崇は仲間がいたと感じ、急にリラックスしました。

 ・・・えーと、この健太郎のモデルは、誰だろう?「おそ松くん」の作者、赤塚富士夫かなぁ?そう見えるよね。

 そうこうしているうちに、担任の座間先生が入室された。

 学生たちは席に着き、緊張気味です。

 崇は絵を描きたいだけなので、仕事として食べて行ける可能性のある図案科に入学した。こだわるほどの目標も「志」もない。

 座間先生は「デザインの勉強をしたからと言って、それにこだわる必要はないし、小説家やタップダンサーになってもいい。いずれにしても君たちは、とりあえず、銀座に行き、世の中の最先端を知る必要がある」と指導した。

 デザインは、その世の中の流れや、大衆が求めている「形」を肌で感じ取り、その上で、創造性を発揮し作り上げて行くものだろう。だから、いつも答えが未知数な仕事です。

 まずは、当たって砕けろの度胸が必要。だけど、崇の場合は、すでに砕けている。それでも、彼は何かを描きたい。だから、その意味では将来性がある、のかも。

 ということで、崇と健太郎は、先生の指示通りに銀座をぶらついている。彼らの目には、ショウウインドウも街を歩く人々もすべてカッコよく見える。しかも、健太郎の目には、全員が美人に映っている。彼には衝撃です。

 二人は、キネマ座で「フランケンシュタイン」の映画を見た。崇は、最先端の映画を見て、衝撃を受けている。

 健太郎は「美人の数を数えて来る」と言い出し、ひとりで銀座の街を散策した。

 崇が下宿に帰ると、後を付けて来たのか、健太郎が尋ねて来た。

 そして健太郎は、親戚の家に下宿する予定だったが、崇の下宿から通うと言い始めた。崇は「はっ?、???何、コイツ」、です。でも、友達です。

 崇は、柳井崇子という名前で、寮生活ののぶ子に手紙を送った。その内容は、近況報告の他に「東京には自由がある。銀座には美人しかいない。のぶちゃんも、いつか、東京においで、銀座を歩こう」というものでした。

 崇の手紙は、自分のことしか書いていない手紙でした。崇はのぶ子への心配をしたり、励ましたりしないようです。ほんと、崇は、正真正銘のたっすがー(へなちょこ)です。

 でも、のぶ子は、手紙に書かれていた子供の頃の二人の思い出を読んで、嬉しくなりました。しかし、「銀座は美人だらけ」のフレーズに、焼きもちを焼きました。便箋には、楽しそうな銀座の街も描いてあります。ただし、のぶ子のために描いたと言うよりは、崇が描きたいから絵を添えたと言う感じです。

 今日は、東京へ行った崇は自由な気分です。のぶ子は全寮制の厳しい規律の中で生活をしています、の一席です。

 将来は見えませんけど自由に遊んでいる生活がいいのか?確実な将来が見えていて、規律正しく学習している生活がいいのか?いずれにしても、考えていたように進まないのが人生設計と運命でしょうね。

 ならば、空氣体瞑想をして、空(くう)に触れ、瞑想中だけでも、人生設計と運命からワープしましょう。

 ワープして俯瞰できるようになると、日々の生活の中に空の要素が増えるので、現実の見え方が良い方に変わるかもね。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒しの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。