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『しのゼミ』

日常で出会った「気付き・笑い・学び」を綴っています

小4になった長女ちーちゃんは空手が好き.

週に3~4回は近所の空手道場に通っている.

この道場には,ちーちゃんがどうがんばっても逆立ちしても敵わない同級生の娘Nちゃんがいる.

すでに黒帯のNちゃんは全国大会で上位に入るようなサラブレッド.

レベルがちゃうわ~って感じで親ははなっからあきらめムード満載なんだが,

ちーちゃんはどうやら違う.

言わないまでも,いつかは見てろよ私だってNちゃんに・・・・・という気合いというか覇気というか野望を感じる.



先日はこの空手の県大会があって,朝も早くから親もノコノコと応援である.

一・二回戦目は,いかにも初心者なのよっていう白帯の子達を軽くあしらったちーちゃんは,

三回戦目でなっなっなんと好敵手Nちゃんと対戦する破目に.

先ほどの対白帯戦とは打って変わっての気合と技の冴えを見せるも,

審判の旗は戦前の予想違わずというか無常というか当たり前というか,

相手=Nちゃんの勝ちを示してちーちゃんの県大会は終わった.



戻ってきたちーちゃんに「よくやったな」と声をかけても,

釣り上った目と紅潮した頬が負けた悔しさを物語っている.

少し落ち着いてくると,

「わたしは黒帯じゃないから負けたんや・・・・・・」

「審判は帯の色しか見てないんや・・・・・・」

と八つ当たり気味に落胆する始末.

「黒帯になったらNちゃんに勝てるかもね・・・」

そう言って慰めるも「うっるさいな~」と取りつく島もない.



親はまぁそこそこでええんちゃう的な態度だが,

当のちーちゃんはどうなんだろう?

もうちょっとがんばったら・・・

ひょっとしたらNちゃんに勝てて・・・

そしたら全国大会へ行けて・・・

そこで上位に入って・・・

そんなとこまではNちゃんのおかげで野望を描くことができる.

目前のもうちょっとで届くかも・・・という目標があると,

こんな小さな子でもこれだけ夢見て頑張れる・・・

ということを我が子から教えてもらった.

がんばれ,ちーちゃん!
「凡そ事吾が分の已むを得ざる者に於ては,当に之を為して避けざるべし.已むを得べくして已めずば,これ則ち我より事を生ぜん.」

『何事でも,自分の本分として,しなければならないことは,敢然とこれをなして,避けてはいけない(この時は成功する).しなくてもよいことを,やめないでした場合は,自分から問題を起こすものだ.』

(「言志四録」佐藤一斎著/川上正光訳 講談社学術文庫)






<しの訳>

やるべきことを避けずに真っ先にすべきなのはわかっているが,

そうはいかないのが凡人の常である.

じゃあ,「なすべきことを避け」ないためにどうすればいいのか・・・?



考えてみればやるべきことにもいろいろあって,

ヒトから頼まれたことや,

期限付きの仕事や,

自分に課している勉強や,

自分の趣味的なことなど,

いろんな種類の物事が含まれていることに気付く.

そんなやるべきことそれぞれの意味というか「やるべき度」を,

まずはしっかりつかむことが先決である.

その際には,緊急度・重要度・自分の価値観などが具体的な物差しになってくる.

そうして計られた「やるべき度」を順位付けして行動していけば,

自然にやるべきことが片付いて,

順風満帆ライフが約束されるハズなのだが・・・

実はそんなに単純にはいかない.



ここに,

「サボりたい度」や,

「今日はまぁええか度」

などが絡んでくるのでやっかいになってくる.

それに加えて,

「今日すべきことは今日するな~論」とか,

「余計なことにも意味があるんじゃ~説」などの,

「扇動的タイトルや奇を衒って売れりゃあそれでよし」的な風潮が大手を振っている現代社会では,

我ら凡人の判断基準は右往左往しグラグラになってきていて・・・・・.



原点に戻って,もう一度味わってみたい言葉「なすべきことを避けるな」.

自分を甘やかしたり流行りや扇動に乗ることは,一斎先生的には「しなくともよいこと」なのかもしれん・・・・・.
長男の小6いっ君が,この4月から小学校で放送委員をしている.

昼休みや掃除時間などに「~~しましょう」と呼びかけたり,音楽をかけたりするのが主な仕事らしい.

音楽の選曲も任されているようで,給食中にかける新しい曲を探して,珍しく父を頼ってきた.

「お父さん・・・どんな曲がええ?」

「う~~ん・・・なんでもええんちゃう?」

「お父さんの持ってるクラシックのCDを貸してくれ」

「・・・クラシックか・・・あんまし持ってへんけど」

そう言いながら,それっぽい曲の入ったCDを選んでやる自分・・・.



食事時にかかる「それっぽい」曲と言えば・・・

やっぱゆっくりと落ち着いてしっとりとした雰囲気の曲が頭に浮かぶ.

たとえば「G線上のアリア」とか・・・「カノン」とか・・・

これらの曲のゆっくりとした規則正しい旋律は,どんなシチュエーションにもマッチしそう・・・

まさに「クラシック界のユーティリティー・プレイヤーや・・・」と言いたくなる.

しばらくCDを聞いていたいっ君,予想通りというか極めて常識的?に「G線上のアリア」が気に入った模様.

「よ~し,今度はこれできまりや」っと一人満足げである.



ここで父はふと疑問に思う.

なんでクラシックやねん?

もっと元気でるようなエネルギッシュなビンビンな曲でもええんちゃう?・・・と.

いっそのこと,たらこキユーピーの歌でもかけたれ・・・と父は言いたくなる.

っで,父問う,「なぜクラシックに限るか」と.

子曰く,「ふつうの(ポップスや歌謡)曲だと,低学年の子が踊りだして収拾がつかなくなる」と.

父再び問う,「その言は誰のぞ」と.

子曰く,「担任のこわ~い〇〇先生が言っていた」と.



“低学年の子が・・・云々”という理由はきわめて説得力がないが,

今時の先生的苦しさがにじみ出ていて,とても批判する気になれない.

そんな苦し紛れを知ってか知らずか,

給食時間的シチュエーションにおけるBGM選曲で,

クラシックの選曲が「当たり前」で「常識」じゃん!・・・とするいっ君は,

大人になりつつあるのか,子どもらしさを失いつつあるのか・・・・・
「凡そ人と語るには須らく渠をして其の長ずる所を説かしむべし.我に於て益あり.」

『人と話す際には,相手の長所を話させるがよい.自分に益するところがある.』

(「言志四録」佐藤一斎著/川上正光訳 講談社学術文庫)






<しの訳>

会話が弾んで勉強になったし,有益な時間を過ごせた・・・って思える語り相手としては,ホントにしゃべりがうまいタイプと,聞き上手なタイプがいるように見える.

しかし聞き上手なタイプを観察していると,話題の取り上げ方・その深め方・話題転換の仕方などが結構絶妙で,聞いているだけではなく結構しゃべっている.

一方しゃべりがうまいヒトも,実のところ会話相手の興味の方向性・嗜好性をよく汲み取ったうえでしゃべっているワケで,相手との会話のやりとりがしっかりとある.

結局は,どっちのタイプかっちゅうのは混在するものであって,あまり意味がないように思える.

それよりも,会話相手のことにいかに興味を持って,会話内容をいかに深めていくか・・・

そんな姿勢というかスタンスがポイントなんだろう.



どんな人にも長所をはじめとして得意領域・専門領域・こだわりなどがある.

そんな所を突かれたら,誰もがそれを伝えたくて会話にのめり込むハズ.

それを好奇心と興味を持って聞き,質問をしたりして深めていけば,必ず自分に還元できることが見つかってくる.

要は何事も勉強になるんであって,それを意識しているか気づいているかが問題なんだろう.
シノ家の妻は意外に信心に篤いが,

自分はそんなことにまったくの無頓着ときている.

最初はお寺参りなど面倒くさくって正月だけでええんちゃう?・・・って感じだったのが,

神社仏閣をめぐることが年とともにだんだんと好きになってきた.

まずなんと言っても,

精神的におごそかでおだやかで落ち着いた気持ちに誘われるのがいい.

静かに目を瞑って頭を垂れて手を合わせると,

自分が戻ってくるような気がする.

それに神社仏閣と一言で言っても,

その実はいろんなところにいろんなものがあるワケであって,

それぞれにいろんな味があって,

巡っても飽きないしおもしろい.



先週末には,

「注連縄や古いお守りなどを納めに」お寺参りということで,

「左義長,済んじゃったから」ということで,

「サギチョウって・・・何それ?」って感じで,

「サギ鳥?サギ蝶?詐欺長?それとも次郎長の子分?」って感じだったらば,

「注連縄の処分法も知らんの~アホッ」って妻にこき下ろされた.

まぁ・・・・・何事も勉強with我慢&辛抱である.



久しぶりに来たお寺でお参りを済ませ,

本堂の裏手にも廻ってからさあ帰ろう・・・となった時,

矢印の形をした看板が,裏手のさらに奥を示して「〇〇池・不動明王はこちら」と立っていた.

「お不動さんにも行ってみようか」と向かった先には・・・・・

リュックを背負ったおじさん(推定65歳)が道端にポツンと一人.

スタイルからすると「休日は一人で自然満喫ウォーキング」タイプか・・・

すれ違い際に「お不動さんはあそこ」と教えてくれたそのおじさんは,

単なるヘンで変わってるだけではなくこれまたえらくおしゃべりソーマッチで・・・.

問わず語りに,

このお寺の古い歴史と現状と課題をガイドさながらに教えてくれる.

さらに,

事情通しか知り得ぬお寺の舞台裏からフトコロ事情に至るまで詳細に語ってくれる.

はては,

昔あそこに見える池に自殺死体が浮いとって・・・とか,

ここの坊さんその脇を通っても手も合わさん!・・・とか,

周辺の大木を切りまくってばっかでけしからん・・・とか,

そのうちバチが当たるにそれ見とれ・・・とか,

どうとかこうとかああとかへえとか・・・.

こちらは彷徨える煩悩具足の身,

たとえ歴史と由緒ある霊場と言われても,

そんなことを聞かされた日にゃ,

もう二度と来たくはなくなるもので・・・・・.



ひょっとしてそれが狙いか?ヘンなおじさんよ・・・と思ったが,

お寺の裏手でまばらなヒトを捕まえては「悪行を説く」やり方は,

草の根と言えばあまりに根っこのちぎれた極小片に過ぎずで,

ネガティブキャンペーンとして効果的とはとても思えない.

まったく正体不明意味不明のこのおじさん,

このお寺の変革を望むドンキホーテというよりは,

むしろ寺内新勢力に追放され夢破れた老僧にも思えてくる.

いずれにしても,

ふとしたハズミに,

なかなか味のあるおじさんのなかなか味のある話が聞けたワケであって,

こんなまわり道もいいもんで・・・・・.