『しのゼミ』 -60ページ目

『しのゼミ』

日常で出会った「気付き・笑い・学び」を綴っています

朝6時・・・・・

 ~♭  あるこー あるこー 私はー元気ィー  ♭~

ちー(長女)とみー(二女)の合唱で目が覚める。

ご存知ジブリアニメで流れるこの曲は,「さんぽ」という題名らしい。



 ~♭  歩くのー大好きィー どんどん行ーこーうー  ♭~

昨夜は深酒したので,もう少し寝かせてくれっちゅうねん。

ええ曲やけど朝っぱらから聞かされると・・・・・

早よ起きろーどっか連れてけーって言われとるようでどうもなぁ。



 ~♭  坂道ー トンネルー くさあったらー にっぽん橋にー でこぼこじゃーりー道ィー  ♭~

オイオイなんやそれ?くさあったらーにっぽんって。

トンネルが腐って通行禁止なので,にっぽん橋に向かったらでこぼこってか?



 ~♭  くもの巣くぐってぇー くじゃり道ィー   ♭~

もう我慢ならん・・・・・

父「オイオイくじゃり道ってなんやねん,みー?」

みー「ぐっちゃぐちゃな道あるやん,それ」

ナルホド・・・・・おかげですっかり目が覚めました,おはようございます。
新人技師Oさんが「薄切がつらい・・・・・」と言う。

薄切は病理技師さんの仕事であり,

パラフィン蝋に埋まった固定組織をミクロトームという装置を使ってうす~く切る作業のこと。

そのうす~く切った組織を染色して顕微鏡で覗き診断してるワケで,

言わば薄切は病理診断の「土台」。



冷やしたパラフィン組織をミクロトームにセットして,

たった4μmの薄さに切れるようにステージをコツンコツンと上げて,

メチャメチャ鋭い刃でもって一気にスパッと切ればええだけで,

誰でもできるやんと思えるが・・・・・・・・・・・・・・

それがメッチャ大変!



その理由としてはいろいろあろうが,

やっぱ薄切の向こうに喜びが見えにくいことが挙げられるだろう。

けっこううまく切れたのに,

うすく切るのは当たり前っちゅっか・・・

せっかく苦労して切ったのに,

うすく切れてないとはどういうこっちゃっていうか・・・

そんな感謝なし笑顔なし的な雰囲気があるから,

みなぎるやる気がだんだん色あせていくのか?

それとも,

「厚い!」だの「面出てない!」だの「空気入っとる!」だの「しわよっとる!」だの,

やかましいことばっか言う病理医に嫌気がさすのか?



とにかく,

百個前後を毎日切らなきゃいかんので,

食事をするように,

排泄するように,

呼吸をするように,

毎日薄切するワケで・・・・・・・・

薄切には大袈裟な「意味」などないとして,

適当な質でこなせばいいのかもしれんし,

イヤそうでなくって限りなく重要な「意味」があって,

毎日がこれ挑戦!ってな気合いでやるのもひとつだし・・・・・・・・



薄切って人生そのものに思えてくる。
「凡そ人を諌めんと欲するには,唯だ一団の誠意,言に溢るる有るのみ。苛くも一忿疾の心を挟まば,諌は決して入らじ。」

『人に忠告しようとするには,熱誠が言葉に溢れてくるようでなければだめだ。かりそめにも,腹を立てたり,憎むような心が少しでもあれば,忠告は相手の心に入るものではない。』



「諌を聞く者は,固と須らく虚壊なるべし。諌を進むる者も亦須らく虚壊なるべし。」

『忠告を聞く者は,わだかまりのない心で聞かなければいけない。また,忠告をする人も,誠心誠意をつくし,少しもわだかまりの心があってはならない。』

(「言志四録」佐藤一斎著/川上正光訳 講談社学術文庫)






<しの訳>

忠告するあるいは忠告されるのは,できるなら避けたいと誰しもが思うが・・・・・・・そうはいかないのが社会の常である。

忠告の場合に大切なのは,「自分(あるいは相手)にとって良かれ」という姿勢と「すぐに反応しない」態度だろう。

心の底から忠告を嬉しがるヒトはいない。

時と場合が悪ければ,ムカっ腹が立つかもしれない。

・・・・・うるさいなあ・・・・・えらそうに・・・・・わかっとるって・・・・・じゃあやってみーって・・・・・

凡人が忠告された時に感じることと言えば,まぁだいたいこんなところ。

忠告されてるなぁ・・・と感じたら,ひとまずはじっと黙って聞きに徹するのが一法。

すぐに感情的に反応して醜態を晒すのが避けられるし,とりあえず相手の言い分が全部聞ける。

虚壊になるには修業が要りそうだが,黙っていることはできそうだ。

それから冷静になって,自分に不足するところ,益することはなにか・・・と考えていく。

なかなか素直に聞けない忠告から,少しでも学びつかむものがあれば儲けものである。
とある某偉い先生系の祝賀パーティー会場にて。

これまた某偉い先生が会場の隅っこでふらふらっとなって倒れたのが始まり。



さすがに医療関係者の集まりだけあって,キャーとかウワーというような悲鳴はない。

すぐさま近くで談笑中の循環器内科先生が駆け寄って「〇〇先生!」って呼びかけるも意識がない。

「脈触れん?」と某総合病院救命救急部部長先生。

「すぐ心マや」と心臓マッサージを始める循環器内科先生。

「AEDしたらどや?」と某総合病院副院長先生。

「息子(=外科医)に知らせたれ」と消化器外科先生。

「頭も打っとるぞ」と某総合病院院長先生。

「頭部CT取らなアカンな」と某総合病院脳神経外科部長先生。

「体勢が悪いからそっちへ動かそか」と某総合病院救命救急部部長先生。

「どうやら心房細動みたいや」と某総合病院循環器部長先生。

「AEDはあるんか?」とAEDにこだわる某総合病院副院長先生。

「うちの病院へすぐ運びます」と近くの某総合病院院長先生。



突然出くわした「ER」さながらの救命救急の場面。

すぐさま心臓マッサージしちゃうとこなんかスゲェ~ってな感じで。

でもちょっと肩書きの立派な主役級が多すぎ。

坂口憲二と唐沢寿明と江口洋介と織田裕二が一人の患者を手術するみたいな。

こりゃあまとまらんわ~みたいな,右往左往っていうかドタバタ感があった。



「ヘルツ(心臓)の問題で意識障害きたした患者・・・・・・救急搬送願います」と某総合病院院長先生直々の冷静な119番電話があって。

そんな電話のあと程なくして駆け付けた救急隊員に,これまた寄ってたかって的確な指示が出されて。

このころには意識を回復していた某偉い先生は,「どうもすいませんでした」と一言残されて某総合病院へ搬送された。

こんなすげ~メンツが揃った場所で倒れることができて,ある意味良かったんかもしれん・・・・・
「才は猶お剣のごとし.善く之を用うれば,則と以て身を衛るに足り,善く之を用いざれば,則ち以て身を殺すに足る.」

『才能は,剣のようなものだ.これをよく用いれば立派に身を衛る.しかし,よく用いないと(悪い方面に用いると)かえって,我が身を殺すことになる.』

(「言志四録」佐藤一斎著/川上正光訳 講談社学術文庫)






<しの訳>

才能に溢れていても,結局は大成しないヒトがいる.

「才」の使い方を間違えてるんちゃう?と思うこともある.

まぁどんなふうに使ってもええやん自分のもんやからという声も聞こえてくるが,余計なお世話焼きをしてみると・・・



「剣」は手入れを怠らず,毎日素振りをすることが大事.

まず,常日頃からその才能に磨きをかける必要がある.

具体的には,知見吸収の「勉強」と実地演習の「継続」ということになろうか.

経験積みながら勉強を続けなさい!ってこと.

そんな「磨き継続」をしないと,どんな「溢れる才能」であってもたちまち太刀打ちできなくなる.



それから,その「才能」X「磨き継続」を正しい方向に向ける必要もある.

その方向性の正しさを決めてくれるものは,そのヒトの「志」であり「人徳」である.

ゆるぎない「立志」があってはじめて,「磨き継続」が長持ちするとも言える.



要は方向性がしっかりしたベクトルという概念で考えていかないと,大成には覚束ないということか・・・・・