しつけとは「説明すること」だよ | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

子どもをしつけることを

 

何かを強制したり、

 

何かを制限したり、

 

怒鳴ったり、

 

無視したり、

 

脅したり、

 

監視したりすることだと思っていないかい?

 

 

 

しつけとは、

 

「説明すること」

 

です。

 

 

 

例えば、門限。

 

門限を18時に設定するなら、

 

「なぜ、門限を設定するのか?」

 

「それがなぜ、18時なのか?」

 

を子どもが分かるように説明をする。

 

 

 

お菓子を食べ終わったら、ゴミ箱に捨てることも、ちゃんと説明をする。

 

ゴミ箱に捨てさせるんじゃない。

 

「なぜ、ゴミ箱に捨てるのか?」

 

「なぜ、自分でやった方がいいのか?」

 

を子どもが分かるように説明をする。

 

 

 

「ルールだから」

 

「そういうもんだから」

 

「ダメなものはダメ」

 

って言って、子どもに言うことを聞かせたくなる気持ちも分かるけど、それは、

 

「親が説明するのがめんどくさがってるだけ」

 

だよね。

 

 

 

ちゃんと説明できていないことは、子どもも納得してないから、守るわけがない。

 

 

 

 

 

子どもがお菓子の袋をそこらへんの放置しているとするやんか。

 

それに対して、

 

「お菓子の袋を放置してると、虫が湧くことがあるから、ちゃんと捨てるんだよ」

 

って言ったとするよね。

 

 

 

そしたら、子どもが、

 

「だったら、お母さんが捨ててよ」

 

って言ってきたとする。

 

 

 

「お菓子の袋を放置してると、虫が湧くことがあるから、ちゃんと捨てるんだよ」

 

「だったら、お母さんが捨ててよ」

 

このやり取り、実は、筋は通ってる。

 

 

 

「虫が湧くことを気にしてるのは親なんだから、親が捨てる」

 

っていう論理です。

 

 

 

「お菓子の袋を放置してると、虫が湧くことがあるから、ちゃんと捨てるんだよ」

 

この説明が通用するのは、

 

「子どもが虫が湧くことが嫌な場合」

 

です。

 

 

 

子どもが虫湧くことが嫌だったら、

 

「それはたしかに嫌だな、ちゃんと捨てよう」

 

ってなる。

 

 

 

でも、虫が湧いてもあんまり気にならないなら、

 

「別に気にならないし」

 

ってなる。

 

 

 

「自分の部屋ならゴミをほったらかしにしててもいいけど、家族共通の場所であるリビングに放置されているのは許せない」

 

と思ったとすると、

 

「家族共通の場所だからキレイにしておかないといけない」

 

っていうのは、親の論理なんだよね。

 

 

 

子どもは「掃除するのはめんどくさい」って思ってるなら、

 

「自分も使うなら、汚くてもいい」

 

って思うのもありなはずよね。

 

 

 

家族共通の場所なのに、親の論理だけが採用されるのはおかしいやんか。

 

家族共通の場所なら、子どもの「掃除するのはめんどくさい」っていうのも考慮されないとおかしい。

 

 

 

親が、

 

「ゴミを片付けたい」

 

って思ってるんだから、親が片づけたらいいんだよ。

 

 

 

「お菓子の袋を放置してると、虫が湧くのが嫌」

 

だと思っているのは親だから、わざわざ子どもに捨てさせようとするんじゃなくて、親が気付いた時点で、即座に捨てたらいい。

 

 

 

親が、虫が湧くのが嫌。

 

親が、家の中を綺麗にしておきたい。

 

だったら、親が動くのが筋ってもんだよね。

 

 

 

そして、親がそうしたいんだけど、もう少し人手が欲しいから、子どもに手伝ってもらうようにするの。

 

「虫湧くの嫌だし、散乱してるゴミを片付けたいんやけど、片付けるのを手伝ってくれない?」

 

って言って、子どもを巻き込んでいく。

 

 

 

たとえ、子どもが散らかしたものであっても、

 

片付けたいのは親。

 

気になってるのは親。

 

だったら、まずは親が動く。

 

 

 

「親が虫が嫌いだし、家を綺麗に片付けていたい」

 

って思っているからこそ、親が動く。

 

 

 

親のその気持ちや想いを子どもに話すの。

 

これが「しつけ」です。

 

 

 

「子どもがそうする理由を、親が説明する」

 

のではなくて、

 

「親がそうする理由を、親が説明する」

 

んです。

 

 

 

 

 

以前、息子に、僕が皿洗いをする理由を話したんよ。

 

当時、彼は中3でした。

 

 

 

お皿を洗って、次に料理する時にすぐに使えた方がいい。

 

それを母親(僕の妻ね)だけに任せていたら、母親だけがたくさん洗わないといけなくなるし、自分は料理を食べていないのに、お皿を洗わせちゃうと、嫌な気持ちになっちゃうやんか?

 

だから、僕は誰が食べたのかを気にせずに、お皿を洗ってる。

 

なので、あなたもできる範囲でいいから、お皿を洗ってくれたら、とっても助かるし、母も喜ぶよ。

 

 

 

そんな話をしました。

 

こうやって説明をすると、

 

僕から行動を押しつけられているわけじゃないし、

 

彼が自分からお皿を洗う理由も話している。

 

 

 

僕は、

 

「他人が使ったお皿を洗うことになるのは嫌な気持ちになる」

 

「それを妻に味わわせたくない」

 

って思ってたし、それを彼に話した。

 

 

 

そして、それを子どもに押しつけない。

 

押しつけたとしたら、それは僕が、

 

「行動を強制されて、息子が嫌な気持ちになっても構わない」

 

って思ってることになるやんか?

 

 

 

僕は、息子に嫌な気持ちを味わってほしいわけでもない。

 

みんなが気持ちよく過ごせるようになってほしい。

 

その「みんな」に息子も入ってるから、息子が嫌な気持ちになるのも許しちゃいけない。

 

 

 

だから、僕は、息子に行動の強制をしない。

 

ただ、説明はする。

 

 

 

きっと息子だって、

 

「母に嫌な気持ちになってほしくない」

 

っていう気持ちはある。

 

 

 

んで、僕も、

 

「妻に負担をかけたくない」

 

っていう気持ちがあるから、

 

「自分が使ってもないお皿を洗うことになるのは嫌だよね」

 

っていう話をした。

 

 

 

僕がそう思ってるんだから、動くのは僕です。

 

なので、僕が率先して、お皿を洗う。

 

 

 

僕が説明をし、僕がお皿を洗う。

 

僕がお皿を洗っているから、僕が説明をする。

 

 

 

息子には行動を強制しない。

 

「もしよかったら、できる範囲でお皿を洗ってくれると嬉しい」

 

って伝えるだけ。

 

 

 

できる範囲でいいから、お皿を洗わなくてもいい。

 

息子に行動を強制していないから、そのことで落胆もしない。

 

期待をしないから、落胆も無い。

 

 

 

 

 

でも、行動を強制せずに説明をすると、子どもは動いてくれるんだよね~。

 

しばらくしたら、ちょくちょくお皿を洗ってくれるシーンを目の当たりにするようになったんよね。

 

 

 

息子がお皿を洗ってくれるのは、貢献という意味でも嬉しいし、子どもの成長という意味でも嬉しい。

 

だから、絶対に見逃さないようにしていた。

 

 

 

見つけたら、

 

「お皿洗ってくれて、ありがとう!」

 

って声をかける。

 

 

 

現場を見てなくても、

 

「お皿洗ってくれたんやな」

 

って分かれば、わざわざ部屋に言ってまで、

 

「お皿洗ってくれて、ありがとう!」

 

って伝える。

 

 

 

行動の強制はしてないけど、お皿を洗ってくれると、僕や妻の負担が減るから嬉しいことやんか。

 

だから、

 

「お皿洗ってくれて、ありがとう!」

 

って言う。

 

 

 

 

 

もし、お皿を洗うことが、自分の意思ではなく、

 

「親なので、お皿を洗わなければならない」

 

って思ってたら、

 

「お皿を洗うのが当たり前」

 

ってことなんだから、

 

「お皿洗ってくれて、ありがとう!」

 

っていう言葉は出てこなかっただろうなぁ、って思う。

 

 

 

「私はお礼なんて言われないのに、なんで子どもには言わないといけないの!?」

 

って拗ねてたと思う(笑)

 

 

 

僕は、お皿を洗いたい時は洗うし、洗いたくない時は洗わない。

 

そして、自分でも、

 

「なぜ、お皿を洗うのか?」

 

を考えて、お皿を洗ってたんよね。

 

 

 

自分なりに理由を考えて、その理由に従って動いてた。

 

自分の意思でお皿を洗ってた。

 

 

 

だから、息子がお皿を洗わなくても何も思わんし、自分で率先して、お皿を洗うようにしてた。

 

その考え方を息子にそのまま伝えただけ。

 

 

 

もう今では、必ず自分で食べたものは洗ってくれるし、時々、家族みんなの分も洗ってくれる。

 

嫌な顔一つしない。

 

彼が洗ってる途中に、お皿を追加しても、快く洗ってくれる。

 

 

 

 

 

 

 

しつけとは、行動を強制したり、制限することじゃない。

 

子どもに、親が考えていることを説明するだけ。

 

 

 

親の行動の理念、理想、思想を子どもに話す。

 

「なぜ、その行動をするのか?」

 

「なぜ、他の行動ではなく、その行動なのか?」

 

それを自分の中で掘り下げて考えて、まずは自分がその理由の通りに行動をする。

 

 

 

そして、自分がその行動をする理由を子どもに話す。

 

子どもに行動をさせることじゃないんだよ。

 

子どもがその行動をできるようにさせることでもないんだよ。

 

 

 

子どもが行動の裏にある思想や理念を理解し、自分の考え方として昇華させていくこと。

 

親の説明が筋が通っているなら、遅かれ早かれ、子どもは理解し、行動するようになる。

 

 

 

逆に、親の説明が筋が通ってないなら、それは「理不尽」だということだから、子どもは行動するようにならない。

 

その場合は、変えるべきは、

 

「親の考え方」

 

であって、子どもの行動じゃない。

 

 

 

 

 

「遊ぶ前に宿題をしなさい」

 

って言うなら、

 

「なぜ、先に宿題をしないといけないのか?」

 

「なぜ、先に遊んじゃいけないのか?」

 

を子どもにも分かるように説明をする。

 

 

 

子どもにそれを説明するなら、当然、親の子どもの頃だって、遊ぶ前に宿題をしてたわけやん?

 

しかも、それを

 

「親に言われたから」

 

ではなく、

 

「自分で考え抜いた結果として、その行動をするに至った」

 

わけやん?

 

 

 

親が自分で考えてたどり着いた結論を子どもに話す。

 

子どもに行動をさせるために話すのではなく、

 

「子どもに理念や思想を伝えるため」

 

に話す。

 

 

 

結果的に、子どもが納得すれば、行動はする。

 

子どもがどういう行動をするかは、子どもに任せる。

 

そこは親が干渉しない。

 

 

 

というか、干渉したとしても、子どもが納得してないなら、

 

「あえて、言うことをきかない」

 

「隠れてこっそりとやる」

 

っていうことをするようになる。

 

 

 

親が子どもの行動を完全にコントロールするなんて、不可能なんよ。

 

だから、子どもの行動をコントロールすることは端から諦めておく。

 

 

 

その代わりに、親が子どもに説明をする。

 

親が、なぜ、その行動をするのか?

 

親が、なぜ、それを大切にするのか?

 

をね。

 

 

 

 

 

 

門限であれば、

 

「18時までに帰ってきなさい」

 

じゃなくて、

 

「あなたのことが大切で、夜道で危ない目に遭ってほしくないから、18時までに帰ってきてほしい」

 

みたいなことを話す。

 

 

 

それでも、その門限を守るか破るのかは子どもが決めること。

 

行動のルールではなく、

 

「親の理念や思想の理解」

 

を求めるのであれば、

 

「もし、18時に間に合わない場合の約束事」

 

も決めておくといいよね。

 

 

 

ルールじゃないから、罰則とか、責めるとかない。

 

「18時までに帰ってきてほしい」

 

って伝えるだけ。

 

 

 

「もし、遅れるなら一言連絡が欲しい」

 

って伝えるだけ。

 

 

 

そうなると、必然的に、

 

「子どもにも、スマホを持たせておいた方がいい」

 

ってなるよね。

 

 

 

そこにGPSを入れておいたりしたら、もし、帰ってこなくても子どもを追える。

 

親が心配なら、連絡を入れることもできる。

 

 

 

子どもの行動を完全にコントロールすることはできないから、

 

「どうやったら、子どもを守れるか」

 

について考える。

 

 

 

子どもを責めたいわけじゃないよね。

 

子どもに罰を与えたいわけじゃないよね。

 

 

 

ただただ、子どもに安全でいてほしいし、自分たちが安心して過ごしたい。

 

子どもが大切だからこそ、子どもを守るためにできることをやりたい。

 

 

 

とはいえ、子どもを縛りすぎると、安全を守って、不幸になってしまう。

 

だから、門限は絶対的なルールにするのではなくて、

 

「どうやったら、子どもを守れるのか」

 

「門限を過ぎた場合のオペレーション」

 

を決めておく。

 

 

 

「18時を過ぎたら、電話をかけるね」

 

「20時を過ぎたら、GPSを頼りに探し始めるね」

 

みたいなことを決めておく。

 

 

 

親が子どもに伝えるのは、

 

「18時までに帰ってくること」

 

ではなく、

 

「あなたのことが大切で、安全でいてほしいんだ」

 

っていうこと。

 

 

 

親が子どもを想うからこそ、門限があるし、

 

「もし、約束してた時間を過ぎたら、こういう対応をする」

 

っていうルールを設ける。

 

 

 

このルールは子どもを縛るというよりも、

 

「親が子どもを守るためのルール」

 

です。

 

 

 

親が子どもを想うからこそ、子どもには、

 

「自分は親から大切にされているんだな」

 

って思ってもらいたい。

 

 

 

そして、自分でも自分を大切にしてほしい。

 

「自分は、親から大切にされるほどには、大切な存在なんだ」

 

って思ってもらいたい。

 

 

 

そう思ってもらうために、

 

「親は、ちゃんと言葉を尽くして、説明をする」

 

んです。

 

 

 

ちゃんと筋が通るように説明をする。

 

理由や論理が不足して、言葉が尽くされていないことを

 

「理不尽」

 

って言います。

 

 

 

「理を尽くさず(不)」

 

で、

 

「理不尽」

 

です。

 

 

 

理不尽なものは、しつけにはなりません。

 

言葉を尽くして、ちゃんと論理を通すからこそ、納得できて、子ども自身も守ろうとしたり、やろうとしてくれる。

 

自分で自分のことを大切にしようとしてくれる。

 

 

 

子どももアホじゃないので、親が諦めずに、ちゃんと言葉を尽くして、子どもに説明すると、案外子どもは分かってくれます。

 

 

 

 

 

 

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