子どもが約束を破った時、子どもに与えるべきは、『罰』ではなく、『愛』 | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

「子どもが約束を守らなかったから、約束通り、ゲームを禁止しました」

 

っていうこと、親子間でよくあるコミュニケーションの1つだと思います。

 

 

 

でも、この話を聞くたびに思うのが、親は

 

「約束を守らなかったから、ゲームを禁止にする」

 

っていうのに含まれている論理的な矛盾に気付いているんだろうか。

 

 

 

そして、子どもを論理的な矛盾でもって縛り付けることは、子どもの知性の1つである

 

「論理的思考力」

 

を著しく麻痺させる、っていうことも分かってやっているんだろうか、って。

 

 

 

 

 

「約束を守らなかったから、ゲームを禁止にする」

 

ここに重大な論理的な矛盾が含まれていること、分かるかしら。

 

しかも、僕が理解できる範囲では、2つあります。

 

 

 

ゲームでなくても、

 

「子どもが好きなことを禁止にする」

 

「子どもが好きなものを取り上げて、触れられないようにする」

 

っていう感じよね。

 

 

 

これが罰。

 

 

 

親が、

 

「子どもの好きなことを禁止する」

 

っていう類の罰を下す時、親側には決定的な論理的な欠陥があります。

 

 

 

まずは1つ目。

 

それは、

 

「子どもが好きなことを持っていなければならない」

 

っていうこと。

 

 

 

すなわち、

 

「何も好きなことはありません」

 

っていう子どもがいた場合、

 

「子どもの好きなことを禁止する」

 

っていう罰は使えなくなります。

 

 

 

「子どもの好きなことを禁止する系の罰」

 

をやり続けて、子どもに

 

「好きなことがあるから、罰を受けるんだ」

 

「好きなことを無くしてしまえば、親は罰の施しようが無くなる」

 

っていうことに気付かれてしまうと、

 

「子どもの好きなことを禁止する系の罰」

 

が使えなくなります。

 

 

 

子どもは、罰を受ければ、甘んじて罰を受け容れる子もいれば、

 

「何とかして回避できないか」

 

って考える子どももいます。

 

 

 

そう考えると、罰を受け容れていた子どもも、次第に

 

「何とかして回避したい」

 

って考えるようになります。

 

 

 

「好きなことを禁止する系の罰」

 

 

「回避したい」

 

ってなれば、子どもは

 

「好きなことを持たないようにする」

 

っていう状態に近づいていきます。

 

 

 

「罰を受けないように約束を守ったり、がんばればいいじゃないか」

 

「好きなことを禁止する系の罰を与えれば、子どもは罰を受けないようにがんばるようになる」

 

っていうのが大人側の論理だと思うのですが、たしかに、これでがんばれるようになる子どももいる。

 

 

 

罰を怖れてがんばるようになった子どもは、それはそれで心理面で苦しい信念を持ちがちなのですが、それは今回は置いておきましょう。

 

今回の論旨からは外れるので。

 

 

 

「好きなことを禁止する系の罰を与えれば、子どもは罰を受けないようにがんばるようになる」

 

っていう大人側の論理は、多くの場合、子どもはがんばる方向には流れていきません。

 

 

 

人の心は、川の流れのようなものです。

 

「罰を受けないようにがんばる」

 

くらいならば、

 

「がんばらなくても罰を回避できる方法」

 

を考えます。

 

 

 

「やりたくもないことをがんばらせようとする」

 

と、子どもの心は親の意図に反して、どんどん易きに流れていきます。

 

 

 

「子どもの好きなことを禁止する系の罰」

 

 

「がんばることなく回避する」

 

ためには、

 

「好きでいることをやめればいい」

 

ですね。

 

 

 

ゲームを禁止されたのであれば、ゲームを好きでなくなればいい。

 

ここで親が

 

「ゲームを嫌いになってくれたのであれば、結果オーライ」

 

って思うかもしれません。

 

 

 

でも、その実態は、

 

「子どもが物事を好きになる気持ちを弱体化させた」

 

っていうことです。

 

 

 

次、子どもが何かを好きになろうとしても、子どもの脳裏には、

 

「また悪いことしたら、禁止されてしまうんだろうな」

 

って思うようになり、

そもそも、最初から好きになろうとすることをやめます。

 

 

 

「最初から好きになろうとすることをやめる」

 

っていうことは、

 

「子どもが主体的に活動をすることをやめる」

 

っていうことを意味しています。

 

 

 

つまり、

 

「子どもが自分から行動を起こす機会が減っていく」

 

っていうことであり、その終着点は、

 

「子どもは自分からは何もしなくなる」

 

そして、

「子どもは親にどれだけ言われても、自分からは何もしなくなる」

っていう結末が待ちかまえています。

 

 

 

これが

 

「子どもの好きなことを禁止する系の罰」

 

をやり続けた後の自然の結末です。

 

 

 

約束を破ろうとも関係ありません。

 

それは大人側の論理です。

 

好きなことを禁止するっていうのは、

 

「やりたいことを減少させる」

 

っていう方向に子どもを連れていこうとしているわけです。

 

 

 

これで約束を守るようになれば奇跡で、大抵の場合、

 

「約束も守るようにならない」

 

し、

 

「苦労せずに罰を回避する方向へ流れていく(=好きでいることをやめる)」

 

っていう結末が待ち構えています。

 

 

 

これが

 

「子どもの好きなことを禁止する系の罰」

 

の重大な論理的欠陥の1つ目ね。

 

 

 

 

 

2つ目は、

 

「そもそも、その約束と、子どもの好きなことに関連性が無いケースが多い」

 

ってこと。

 

 

 

僕が冒頭に書いた

 

「論理的に矛盾しているよ」

 

っていうのは、こっちの方の話です。

 

 

 

「約束を守ること」

 

と、

 

「好きなことを禁止する」

 

との間に、明確な関連性があることはほとんどありません。

 

 

 

多くの場合、

 

「親が適切に子どもに理解してもらうために何をしていいのか分からず、

 

『とりあえず』

 

好きなことでも取り上げたら言うこと聞くようになるでしょう」

 

っていう安直な考えで、子どもの好きなことを禁止するわけですね。

 

 

 

親は、

「子どもの好きなものを取り上げれば、子どもが言うことを聞く」

と思っているわけですね。

 

 

 

親がやってほしいこと、守ってほしい約束。

 

それと、子どもが好きなものを取り上げる行為。

 

 

 

ここには、基本的には論理的な繋がりはありません。

 

親は、子どもに言うことを聞かせるためにやっている行為なので、論理的に繋がっているかどうかなんて、ほとんど気にしていない。

 

 

 

これを子ども目線から見れば、

 

「なんで、好きなものを取り上げられないといけないの?」

 

っていう疑問が湧いてきます。

 

 

 

そもそも、論理的に破綻している罰なので、子どものこの疑問には答えることはできません。

 

答えられたとしても、

 

「あなたが約束を破ったからだ!」

 

くらいの意味不明な回答しかできません(´Д`;)

 

 

 

「だから、そこが何でか聞いているんだけど・・・」

 

って話なんです。

 

 

 

 

 

例えば、子どもが門限を守らなかったとします。

 

この時、親の気持ちは

 

「子どもに罰を与えたい」

 

ではないですよね。

 

 

 

そして、

 

「子どもに門限を守ってほしい」

 

でもないはずです。

 

ここ、めっちゃ重要なとこよ。

 

 

 

子どもに門限を設定する時。

 

その親の気持ちは、

 

「子どもに門限を守ってほしい」

 

じゃない。

 

 

 

この時の親の気持ちは、

 

「子どもが無事で帰ってきてほしい」

 

「子どもが危険な目に遭わずに、安心して帰ってきてほしい」

 

なはずですよ。

 

 

 

子どもに守らせるために門限を設定するわけじゃない。

 

子どもの無事を、安心を守るために、門限を設定するんです。

 

 

 

だとしたら、子どもにやるべきことは、

 

「罰を与える」

 

ではなくて、

 

「どうして、門限が必要なのか」

 

「どうして、私たちが、あなたに無事で、安心でいてほしいのか」

 

っていうことを、子どもに伝わるまで、伝え続けることです。

 

 

 

つまり、

 

「あなたは、私たち夫婦にとって、かけがえのない、最も大切な存在なんだよ」

「あなたのことを愛しているから、大切だから、無事でいてほしいし、安心な気持ちでいてほしいんだ」

ということを伝え続けること

です。

 

 

 

それが親の本心でしょう?

 

門限が大事なんじゃない。

 

親の「子どもを想う気持ち」が大事なんでしょ。

 

 

 

だから、わざわざ時間を気にして、わずらわしい管理までして

 

『門限』

 

なるものを設定するんだよね。

 

 

 

子どもが門限を破るということは、

「親の気持ちが、子どもに伝わっていない」

ってことよ。

 

 

 

だから、親がやるべきことは、

「罰を与える」

ではなくて、

「子どもに本心を伝える」

ってことよ。

 

 

 

 

 

この話は、門限に限らないよ。

 

親がここを勘違いしているから、いつまで経っても、子どもは約束を守らないんです。

 

 

 

子どもからしたら、

 

「親がそこまで自分を大事に思ってくれているなんて」

 

って、真剣に伝えてくれないと知らないことも多い。

 

 

 

親の気持ちを知らないまま、なんかしらんけど、罰を与えられるから、子どもは怒るし、凹むし、性格がねじ曲がっていく。

 

本当は、愛しているからこその約束なのに、その

 

『愛』

 

を伝えていないから、子どもは、

 

「親は自分を縛り付けてくるから、自分のことなんてどうでもいいんだ」

 

「親は自分を愛してくれない」

 

なんて思うわけ。

 

 

 

ほんで、親がそのことに気付かないまま子どもが大人になった時に、

 

「どうせ私なんて大事にされない」

 

っていうことを潜在意識で信じるようになり、自分を責めたり、自分が傷つくことを厭わなくなる。

 

 

 

子どもを守ってくれるのは、

 

「約束」

 

ではなく、

 

「親の愛情」

 

です。

 

 

 

子どもが門限を破るならば、子どもに無事で、安心でいてほしいことを伝える。

 

子どもが勉強をしないならば、子どもに学ぶことの楽しさや、できるようになることの楽しさを伝える。

 

子どもが人に迷惑をかけるならば、子どもを大事にしている人の存在や、自分も他人も安心して過ごすことの大切さを伝える。

 

子どもが自分を傷付けるならば、子どもに寄り添い、子どもの存在が大事であること、子どものことを心の底から愛していることを伝える。

 

 

 

約束や、ルールで子どもを縛り付けるんじゃない。

 

子どもが自分で自分を守り、大切にし、楽しめるように育ってほしいのだ。

 

 

親が守るのも限界があるし、親が楽しませるのも限界がある。

 

だから、子どもは自分で自分を幸せにして、自分を守れるように育てていく。

 

 

 

親が与えるべきは、

 

「罰」

 

ではなく、

 

「愛」

 

です。

 

 

 

ここを履き違えてはいけない。

 

これが論理的な欠陥の2つ目です。

 

 

 

 

 

好きなものを存分に楽しんでもらう。

 

その上で、あなたのことを大事に思っている、っていうことを実感してもらう。

 

 

 

それが結果的に、子どもが親との約束を守るようにもなると思う。

 

 

 

 

 

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佐伯和也

神戸大学大学院修了

株式会社チームフローでコーチングを学ぶ

ゲーム歴30年以上

 

ゲームを1日10時間以上やっていたにも関わらず、

勉強にも取り組んできました。

 

そんな僕の育てられ方や、

ゲーマー視点を解説したり、

僕が学んできたアドラー心理学や

コーチングの考え方を使って、

「子どもが自分から勉強を始める親のコミュニケーション」

について発信しています。

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