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ブログの方では、違う角度からもう少し書いてみます。
僕が学習塾で働いていた時に出会った中3の男の子の話。
この子は、マレーシアに長く住んでいた日本人で、いわゆる帰国子女でした。
彼の通うインターナショナルスクールには、インド系の子や、中国系の子が多く、受験戦争を勝ち進んでいくような子ばかり。
彼自身も、当時は、偏差値が60を超えていて、かなり勉強ができたようです。
日本に来てから、僕が働いていた塾に来たんですが、まー、全然勉強しないし、コミュニケーションがやたらと暴力的。
他の先生たちもぶっちゃけお手上げ状態。
僕が塾で働いていた目的は、子どもの話を聴くためだったので、彼が勉強をしないことは、ぶっちゃけどうでも良かったんです。
それよりも、彼の気持ちを知りたいし、彼が何を考えているのか知りたかった。
色々と話を聴いていくと、どうやら、両親との仲があまりよろしくないようです。
毎日のように、父親と、母親と喧嘩をして、それで勉強がどんどん嫌になっている、っていうことが分かってきました。
彼の趣味は、読書で元々は学ぶことは好きなようでした。
しかし、両親と衝突した直後はモチベーションが下がる。
両親は勉強をさせたかったけれど、その両親のコミュニケーションの取り方が彼を勉強から遠ざけていたわけです。
彼の話を聴いていると、僕は子どもとのコミュニケーションの取り方に関する重要な示唆をもらいました。
それは、
「親は、子どもの好きなものを取り上げれば、言うことを聞くと思っている」
というもの。
ある時、彼が話してくれたのが、バドミントンをやり始めた、っていう話。
親にバドミントンのラケットを買ってもらって、すごく嬉しそうだったんですね。
しかし、数日して、イライラした彼が塾にやってきました。
話を聴けば、
「勉強しなかったから、父親がラケットを取り上げやがった」
って言うんです。
「勉強しなくて、ラケットを取り上げた」
ということは、彼の父親の目的は、
「彼に勉強をさせること」
だし、思惑としては、
「好きなことを取り上げて、罰を与えれば、好きなものを取り返してほしくて、がんばるだろう」
みたいな感じです。
しかし、彼の話を聴けば聴くほど、その思惑も、目的も、見当違いな方向へ行ってしまっているのが分かります。
すなわち、父親への不信感、そして、勉強への嫌悪感を高めている、っていうこと。
好きなものを取り上げたら、やりたくないことのモチベーションが上がるわけではないんです。
好きなものを取り上げたら、好きなことのモチベーションすら下がるんです。
ということは・・・
ここからめっちゃ大切な話です。
好きなものを取り上げても、やりたくないことのモチベーションが上がらない。
好きなものを取り上げたら、好きなことへのモチベーションも下がる。
つまり、子どもの全体的なモチベーションが下がるということ。
ということは、
『子どもの好きなものを取り上げる』
という罰を与えると、子どもは少しずつ毎日の生活から潤いを失い、果ては生きる希望すら失っていく、っていうこと。
子どもを褒めたり、罰を与えたりする教育のやり方を
『賞罰教育』
って言います。
実際、彼の父親や、母親がやっていた関わりによって、彼は塾に来ている間、ずっと両親への不満を爆発させ続けていました。
授業中は両親に対する愚痴をこぼして怒り続けたし、休み時間は先生や、友達、関係なく、蹴ったり、殴ったりしていました。
塾側としては、子どもも、両親もお客さんなので、そんなことは両親に報告できませんから、両親の知るところではないでしょう。
親本人に向かって、
「親の愚痴をこぼして、その憂さ晴らしを先生や、友達にしていますよ」
とはなかなか言えませんよねぇ。
塾の営業成績にも関わりますし。
『親は、子どもの好きなものを取り上げても、子どもは言うことを聞くと思っている』
ゲームに関して、親VS子ども、という対立構造も、結局はこういうことです。
ゲームを制限したり、取り上げたりして、子どもに言うことを聞かせようとしたり、子どもに勉強をさせようとしても、逆効果ですよ、っていうこと。
だから、
「子どもにはしっかりと勉強をしてほしい」
と願っていることを目的として捉えれば、
「ゲームの時間を制限する」
とか、
「ゲームを取り上げる」
とか、
「ゲームよりも宿題や、勉強をするように言う」
っていうのは、間違ったコミュニケーションの取り方だ、って言えるわけです。
逆に言えば、
「子どもには一切、勉強させたくない」
って願っている場合、
「ゲームの時間を制限する」
「ゲームを取り上げる」
「ゲームよりも宿題や、勉強をするように言う」
っていうコミュニケーションの取り方が正解だ、っていうことです。
どっちを選ぶのかは、僕が決めることではなく、親自身が決めることです。
つまり、子どもが勉強するようになるのも、子どもが勉強をしなくなるのも、親次第、っていうことです。
今朝のメルマガに書いたことも、
「子どもをゲームの世界に押し込めているのも、親のコミュニケーションの結果ですよ」
っていうことね。
そして子ども自身は、基本的には学ぶことが大好きなので、あんまり手出し、口出ししなくても、勉強はするようになります。
その『勉強』が、学校の勉強である、とは限りませんけどね。
そして、子どもの好きなものを尊重して、自由にし続けている限り、子どもが生きる希望を持ち続けます。
だって、毎日が楽しいことばかりなんだから!!
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