自分たちの家庭が、特殊な家庭であることに気付くと変わる | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

こんにちは!

 

佐伯です。

 

 

 

前回は、

 

「子どもの先行きに関する情報が不足すると不安になりやすい」

 

っていう話をさせてもらいました。

 

 

 

色んな親子の話を聞いていると、僕自身もそうなんですけど、

 

「自分たちの家庭で起こっていることが、他の家庭でも起こっている」

 

って考えちゃうんですよね。

 

 

 

自分たちの家庭は、普通なんだ、って。

 

でも、全然そんなことなくて、むしろ、変態な家庭ばっかりです(笑)

 

 

 

僕もまさか、

 

「子どものゲームを制限する親」

 

が実在しているなんて、思いもよらなかったですもん(笑)

 

あと、ドラえもんで、のび太くんがママにテストの点数で怒られるシーンがよく流れますけど、僕にとっては全然リアリティがありませんでした。

 

 

 

僕にとっては、

 

「子どもは自由に思う存分遊べる」

 

が普通だったし、

 

「親は子どものテストとか成績とかチェックしない」

 

「ましてや、子どもの勉強しているかどうかもチェックしない」

 

がスタンダードでした。

 

 

 

他の家庭もそうだと思っていました。

 

いや、マジで。

 

 

 

でも、大人になって、色んな親子の話を聞くようになると、全然そうじゃなかった(笑)

 

自分の家庭が特殊な家庭だと気づいたのですが、特殊なこと自体は全然おかしいことじゃないです。

 

むしろ、特殊であることが普通というか。

 

 

 

子どもが学校に行かなくなった時に、不安になったり、何とか学校に戻そうとする親がいる一方で、子どもを学校に行かさないようにする親もいます(笑)

 

それは憲法の義務教育の条項には反してはいるんですけど、それは今は置いといて、色んな親がいるんです。

 

子どもが学校に行っているか否かを気にしない親もいますね。

 

 

 

そういう「よその家庭の様子」が知れると、

 

「あ、うちだけじゃなかった!」

 

っていう安心感に繋がるし、

 

「え!そんな考え方、アリなの!?」

 

っていう気付きや発見にも繋がります。

 

 

 

他の親子、他の家庭がどうしているのかを知ることって、めちゃくちゃおもしろいし、自分たちの親子関係や、家庭環境も、より洗練されていきます。

 

ただ、これが

 

「○○さんとこの家庭はこんなに素晴らしいのに、うちはこんなにダメ・・・」

 

ってよその家庭をスタンダードだと思っちゃって、劣等比較(相手を下に見る)や、優等比較(相手を上に見る)をし始めると、話がおかしくなっていきます。

 

 

 

あくまでも、よその家庭の様子を知るのは、

 

「自分の視野を広げ、より自分のことを理解するため」

 

です。

 

よその家庭と比較するためじゃないです。

 

 

 

ずっと井戸の中で生活し続けるんじゃなくて、井戸の外に出て、大海を見に行ってみよう、っていう感じです。

 

親子関係の苦しさは、こういう井の中の蛙状態で引き起こされることが多いんじゃないかと思うんですね。

 

 

 

東京のある地域では、中学受験をするのが当たり前、っていう地域があるそうです。

 

でも、そんなのその地域を出てしまえば、全然当たり前じゃなくなりますよね。

 

他の地域、他の家庭のことを知っておくと、井の中の蛙状態で起こる不安をわざわざ抱かなくてもよくなります。

 

 

 

「そういう地域もあるよね」

 

で済ませられるわけですね。

 

 

 

 

 

 

 

よその家庭のことを知ると、自分の家庭の文化に対する理解が深まります。

 

例えば、

 

「みんな揃って夜ご飯を食べる」

 

っていう文化を持っている家庭の場合ね。

 

 

 

「どうして、夜ご飯は家族揃ってないとあかんの?」

 

って聞くと、

 

「夜ご飯に家族揃っている時に、子どもたちや、家族みんなで会話をするんです」

 

って言うんですよね。

 

 

 

でも、それって、見方を変えれば、

 

「夜ご飯の時以外は、子どもたちや、家族とコミュニケーションが取れていない」

 

っていうことですよね??

 

 

 

夜ご飯の時以外にコミュニケーションが十分に取れていないから、夜ご飯の時に必死になって、家族みんなを集めようとする。

 

家族の誰かが集まらないと、その人に怒りが向けられる。

 

子どもが遊んでいても、無理やり中断させられて、夜ご飯の場に集わされる。

 

お腹が空いていなくても、夜ご飯の時間になったら、集まって、ご飯を食べないといけない。

 

 

 

このことも、

 

「夜ご飯の時にも、家族みんな揃わないことがある」

 

っていう家庭のことを知れば、

 

「あれ?うちの家庭、おかしいんかな・・・」

 

って気付けるし、

 

「うちの家庭では、なんで夜ご飯の時にみんな集まるんやろ?」

 

っていう疑問にも繋がる。

 

 

 

夜ご飯の時にしか会話が無い。

 

夜ご飯の時以外には会話が無い。

 

この状態で、いかにがんばって夜ご飯の場にみんなを集めたところで、けっこうヤバい家族なのではないか?って思ったりするんですよね。

 

 

 

「いやいや、夜ご飯に限らず、他のタイミングでも話したらええやん!」

 

って思うねん。

 

 

 

思わん?

 

 

 

「会話は夜ご飯の時にしなければならない」

 

っておかしいやんか。

 

 

 

そうなると、

 

「夜ご飯に、家族みんなが揃わないといけない理由」

 

って謎なんよな。

 

 

 

ゲームやってたら、

 

「今の試合が終わってから」

 

「セーブポイントまで行ってから」

 

なんてことはザラにあるし、

 

「お腹空いていない」

 

なんてこともあり得る。

 

 

 

ぜんっぜんそういうことある。

 

夜ご飯を中心に、個々の生活や、家族が回っているわけではないと思うのね。

 

 

 

よその家庭のことを知ることで、相対的に自分たちの家庭のことを知ることができる。

 

そして、おかしいところや、素晴らしいところを再発見し、自覚して、自分たちの家庭のあり方を洗練し、より良い家庭、より過ごしやすい家庭環境にしていくことができる。

 

 

 

 

 

あんまり家族間交流が無いと、自分たちの家庭で起こっていることが、家庭の外でも同じように起こっていると思っちゃう。

 

「社会のルールを学ばせるために、まずは家庭でのルールを守らせなければならない」

 

みたいな謎の発想にも至って、子どもを親が作ったルールでガチガチに縛っちゃったりするんよな。

 

 

 

「子どもにはルールが必要だ」

 

っていう発想はほんまに謎やな、って思う。

 

 

 

んで、家族間交流があったとしても、

 

「よそに比べて、うちは・・・」

 

って比較を始めてしまって、よその家庭を見下したり、自分たちの家庭を見下したりし始めちゃう。

 

 

 

それはそれで不健全よね。

 

「うちはうち、よそはよそ」

 

「うちのええとこは伝えるし、よそのええとこは取り入れる」

 

くらいでいいと思うねんな。

 

 

 

うちを、よそにしようとしなくてもいい。

 

よそを、うちにしようとしなくてもいい。

 

けど、いいとこ取りはしたらいいと思う。

 

 

 

そうやって、家庭を発展させ、親子関係も洗練していく。

 

そういうことを僕はやっていきたいな、って思うんです。

 

 

 

 

 

そのためには、共通の目的に向かっているコミュニティを作る必要があるのね。

 

なんでもかんでも、人を集めて情報交換すればいい、っていうもんでもない。

 

 

 

例えば、

 

「人の話を聞かずに、すぐにアドバイスをする」

 

っていう人を集めちゃうと、ちょっとめんどくさい。

 

 

 

アドバイスは、一見すると善意に見えるけれど、実は、

 

「相手の価値観を否定した上で、自分の価値観を押し付ける行為」

 

になりやすい。

 

 

 

「コンサルタント」

 

っていう仕事があるように、人にアドバイスをするっていうのは、かなり専門性の高いことやと思うねんな。

 

ゴールを明確にし、緻密な分析に基づいて、今、必要なことを指摘し、実行に移すわけよ。

 

そんなん素人がやろうと思ったら、けっこうムズイ。

 

 

 

素人がアドバイスをやろうとすると、

 

「ただの人の話を聞かん人」

 

に成り下がってしまうだけやし、そうなると、自由に発言するのが難しくなってくる。

 

 

 

だから、コミュニティを作っていく場合は、

 

「誰でも入ってOK」

 

みたいな無法地帯にするんじゃなくて、

 

「ここに入るからには、ちゃんと人の話を聞こうね」

 

みたいなグランドルールみたいなものは必要なのね。

 

 

 

それはメンバーのことを縛ることになるんやけど、その代わり、メンバーがコミュニティ内で安心して過ごせるようにもなる。

 

前回も書いたように、情報が不足すると不安になりやすいから、情報はなるべく共有した方がいいと思うのね。

 

今回書いているように、自分たちの家庭の様子を話してみたり、よその家庭の様子を聞いてみたりすると、発見や気付きが多く、自分たちの家族がより洗練されていく。

 

 

 

その情報交換をするためには、

 

「人の話を最後まで否定とかアドバイスとかせずに、黙って聞く」

 

みたいなことは大事になってくるのね。

 

 

 

そして、もちろん、

 

「人の話を最後まで否定とかアドバイスとかせずに、黙って聞く」

 

っていうのは、子どもとのコミュニケーションでも非常に重要です。

 

 

 

これができるだけで、子どもとの関係の75%は改善されると思ってます。

 

75%は適当な数字です。

 

何の根拠もありません。

 

 

 

 

 

 

でも、イメージは伝わるんじゃないかな。

 

コミュニティをルールでガチガチに縛るつもりはなくて、メンバーが心地よく過ごせるようなルールね。

 

そして、それは家庭というコミュニティにも導入してみると、それぞれの家族が過ごしやすくなってくる。

 

そういう代物です。

 

 

 

 

 

親子のこととか、子どものこととか、家庭のこととか。

 

そういうのを学ぶ時には、

 

「自分一人だけで学ぶ」

 

よりも、よその家庭のこととかも教えてもらったりして、情報交換しながら学んでいった方が圧倒的に良い。

 

 

 

やから、

 

「コミュニティの中で学ぶ」

 

ってやった方がいいのね。

 

 

 

「自分たちの家庭は、特殊な家庭なんだ」

 

って気付くと、そこから家庭を発展させられるし、よその家庭に情報提供して、役に立つこともできます。

 

 

 

そして、何よりも仲間ができる、っていうのも大きい。

 

そういう学び方をしていくのが大事なのではないかな、って思います。

 

 

 

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