子どもがどう生きるかは、何をさせたかではなく、どんな思い込みを持っているかによる | 子どもはみんな天才だ!佐伯和也 公式ブログ

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子どもが学校に行きたくない、行く理由が見つからないということが増えてきました。その時に、親はどうすればいいのか、子どもにはどう接してあげるといいのか。親向けのメンタルコーチとして活動しています。

こんにちは!

 

佐伯です。

 

 

 

 

前回は、

 

「自分たちの家庭で当たり前だと思っていることは、よその家庭から見たら特殊なこと」

 

っていう話をしました。

 

 

 

「夜ご飯は家族揃って食べるもの」

 

っていう家庭の文化があったとしても、その適用範囲は、自分たちの家庭内だけだったりするんですね。

 

 

 

だから、自分が当たり前だと思っていること、自分の生まれ育った家庭で当たり前だったことに気付いて、それを疑ってみるのは大事なことだと思います。

 

「それがおかしいことだ」

 

っていうよりも、

 

「それは自分たちだけの特殊なことだ」

 

と捉え直してみることです。

 

 

 

親から教えられたことも同様に当てはまります。

 

生まれ育った家庭の文化も、親から教えられたことも、僕らはそれを

 

「真実」

 

 

「事実」

 

だと思って、自分にインストールして、子どもにも伝承していく。

 

 

 

「・・・でも、それって、本当にそうなの?」

 

って1つ1つ疑ってみて、より抽象度の高い視点から眺めてあげると、

 

「それが成立するのには、実はかなり特殊な条件が必要だった」

 

っていうことに気付くことも少なくありません。

 

 

 

自分や狭い範囲でしか適用されないことを

 

「これは自然界の法則ですよ」

 

「これは人間社会のルールですよ」

 

って思いながら子どもに伝えていくと、子どもは人生のどこかでそれが足かせとなっちゃうことも少なくない。

 

 

 

そのことがダメだと言いたいわけではないんだけど、親が気付いて、親が対処できることであれば、わざわざ子どもの人生の道中にさ、

 

「躓かせるための石ころ」

 

を設置する必要はないと思うんだよね。

 

 

 

親が知らんかったり、親が自分でコントロールできんことなら、それはしゃーないことやと思う。

 

でも、知って済む話や、親が自分で対処できることなら、そんな石ころを設置するのはやめてあげようぜ、って思う。

 

そしたら、躓く時間が減るんやから、子どもはもっともっと自分の人生を先まで進めていける。

 

 

 

「わざと転んで失敗する経験」

 

にはそんなに価値は無いと思うんや。

 

 

 

「子どもには厳しくしないといけない」

 

とか、

 

「そんな甘ったれた考えじゃ生きていけない」

 

って親が判断して、わざと厳しくしたり、意地悪したりする必要はないはず。

 

 

 

それって、きっと自分自身が

 

「私は、人に優しくされるはずがない。厳しくされるに違いない」

 

って思ってたり、

 

「こんな楽に上手くいくはずないし、楽して成功するのは間違っている。だから、もっと厳しく、もっと辛くないと上手くいってはいけない」

 

って思ってたりするから。

 

 

 

これは、以前、少しの間だけ関わらせてもらってた中島芭旺くんのお母さんから教えてもらった話なんやけど、

 

「人生はチョロいと思ったっていいんだ」

 

っていう話。

 

 

 

「人は私に厳しい」

 

も、

 

「社会で生きていくには、もっとがんばらないといけない、もっと厳しいのを乗り越えないといけない」

 

も、どっちも事実じゃない。

 

 

 

『思い込み』

 

に過ぎないわけで。

 

でも、その『思い込み』が僕らが直面する現実や、出来事、現状を創っていく。。

 

 

 

であれば、逆に、

 

「人生なんてチョロいもんよ!」

 

っていうのも『思い込み』なわけで、この『思い込み』が現実を創っていく。。

 

 

 

僕らが今直面している現実は、僕らが今まで持ってた『思い込み』によって創られた。。

 

っていうことは、子どもも同じで、今持っている『思い込み』がこれから先の未来を創っていくことになる。

 

 

 

 

 

「勉強をしないと、子どもの将来が不安」

 

で子どもに勉強をさせようとしても、すでに、子どもに、

 

「そんな甘ったれた考えじゃいけない!」

 

と思って厳しくしつけてきていて、なおかつ、すでに子どもが、

 

「人生って、厳しいんやな・・・」

 

って思ってたら、子どもはちゃんと自分の生きていく人生に厳しい現実を創っていく。

 

ちゃんと自分が厳しく、辛く感じるような生き方をしていく。

 

 

 

もちろん、子どもの思い込みの全てが親によって創られたものではないです。

 

けれど、そうは言っても、子どもの思い込みは、親の教えによって創られたものはめちゃくちゃ多い。

 

 

 

僕は、子育ての究極形は、

 

「親が、親をやめること」

 

だと思っててね。

 

 

 

「親が親であることをやめて、一個人として関わるようになること」

 

つまり、僕で言えば、

 

「父親であることをやめて、佐伯和也として関わること」

 

これが子育ての行き着く先なのではないかな、って思ってるのね。

 

(あくまで僕個人の考え方です、はい)

 

 

 

親が、親であろうとする限り、そこには、

 

「親の教える正しさ」

 

はどうしても介在する。

 

 

 

親って、そういうもんでしょ?

 

だから、

 

「親だから、ちゃんとしなきゃ」

 

が生まれてきて、実はけっこうポンコツ人間な人が、柄にもなくがんばっちゃって、

 

「私は完璧な人間なので、私のようになればいいのです!」

 

って言わんばかりに、上から目線で、子どもに『しつけ』と称する関わり方をするのね。

 

 

 

「人に何かしてもらったら、『ありがとう』って言わなければならない!」

 

みたいなことを形式だけで教えてしまう。

 

 

 

んで、こういう「親が、親として教えたこと」ってのが、子どもの中に『思い込み』を作りやすい。

 

親が、親として教えたことは、明確な規範意識や、絶対的な正義や、正しさを含んでるから、子どもが反発してきたら、腕力や、権力でねじ伏せてしまうのね。

 

 

 

叩かれたら信じるしかないし、ご飯を作ってもらえなかったり、おもちゃを買ってもらえなかったり、家から追い出されたりしたら、子どもは信じるしかないやんか。

 

親がそういうことができる時、それは親の個人的な怒りっていうよりも、

 

「絶対的強者としての親の怒り」

 

なんだと思うんよね。

 

 

 

個人対個人・・・例えば、友達に対して、そんなことはせぇへんやん?

 

それができるのは、自分に絶対的な力があると無意識的に実感していたり、意識的に自覚している時なんやと思う。

 

そういう実感や、自覚がある時、親は、まるでカボチャや栗を裏ごしする時のように、グッと「親の教え」を子どもに押し込むわけね。

 

 

 

やから、僕は、

 

"子どもに自分の人生の主人公として、主体的に生きてほしいのであれば"、

 

なるはやで、親が親としての玉座から降りるべきやと思ってるのね。

 

 

 

そしたら、自分の考えを、絶対的な真理ではなく、

 

「あくまでも、一個人の考え」

 

として伝えられるようになるんやと思う。

 

 

 

この時、ツッコミどころがあれば、子どもはバシバシツッコミを入れてくるようになる。

 

子どもがツッコミを入れられる、っていうことは、親の話が「一個人の考え」になっている、っていうこと。

 

 

 

ほんでもって、自分が親としての玉座から降りることができれば、自分の親に対しても、

 

「あいつは王じゃない」

 

「ましてや神でもない」

 

って気付くことができるんとちゃうかな、って思ってる。

 

 

 

自分の親に対して、

 

「親は、王であり、神だ」

 

っていう意識がどっかにあるから、

 

「親になった自分にも、同様の権力が備わっているはずだ」

 

って思うようになるのではないかと思うわけです。

 

 

 

一個人として振る舞えるようになれば、子どもと対等に議論ができるようになります。

 

子どもと対等に議論ができるようになるということは、

 

「自分の考えも、子どもの考えも、家族全体の考えも、議論を通じて洗練していくことができる」

 

っていうことです。

 

 

 

その議論の中で気づいたことは、ちょっとやそっとじゃ忘れません。

 

しかも、実生活にすぐに活かしやすい。

 

腑に落ちやすいからね。

 

 

 

「親と子」が、「一個人と一個人」に降りることで、子どもとはグッと関わりやすくなります。

 

いや・・・権力を振りかざす方が楽やから、こっちの方がしんどいし、めんどくさいかもしれん。。。笑

 

 

 

 

 

 

 

でも、人生や、社会に対する思い込みを押し付けにくいし、思い込みをアップデートしていきやすい。

 

それは自分に対しても、子どもに対しても。

 

 

 

そして、親子として、より良い人生を歩みやすいのではないかな、って思ってます。