地獄界の続き
地獄界の続き
自観叢書第3編『霊界叢談』P.58、昭和24(1949)年8月25日発行
次に他の地獄界は総括的に書く事にする。
修羅道は、俗に修羅を燃やすという苦悩で例えば闘争に負け、復讐しようとして焦
慮したり、自己の欲望が満足を得られないために煩悶したりする心中の苦しみが生
前からあったまま持続し、修羅道界に陥るのである。これらは現界でも霊界でも信仰
によって割合早く救われるものである。
色欲道は読んで字のごとく色欲の餓鬼となったもので、男子にあっては多くの婦人
を玩弄物視し、貞操を蹂躙する事を何とも思わず、多数の婦人を不幸に陥れた罪に
よって陥るのである。このため地獄においては生前騙され、酷い目に遇った女性群
が責めたてる。その苦痛は恐ろしく、いかなる者といえども悔悟せざるを得ないので
ある。そうしてこの苦痛たるや、生前罪を造っただけの女の数と、その罪の量とを償
うのであるから容易ではないのである。これによってみても世の男子たるもの、自己
の享楽のため女性を不幸に陥らしむるごとき行為は大に慎しまなければならないの
である。右に述べたごとき罪は男子に多い事はもちろんであるが、稀には女性にも
あるので、自己の享楽または欲望のため貞操を売ったり、姦通をしたり、男性を悩
ましたりする事を平気で行なう女性があるが、これらももちろん色欲道に堕ち苦しむ
のである。
焦熱地獄は放火をしたり、不注意のため大火災を起こし、多くの人命財産を犠牲
に供する等の罪によって落ちる地獄である。
蛇地獄は無数の蛇が集って来るので、その苦痛たるや名状すべからざるものがあ
る。この罪は自己の利欲のため、多くの人間に被害を与える。例えば大会社の社
長、銀行の頭取等が自己利欲のため不正を行い、多数者に損害を与えたり、政治
家が悪政によって人民を塗炭の苦しみに陥したりする怨みや、戦争を起こした張本
人に対する犠牲者の怨み等々が蛇となり復讐をするのである。
蟻地獄は殺生の罪であって、例えば虫、鳥、小獣等を理由なきに殺生する。それ
が蟻となって苦しめるのである。それについてこういう話がある。その目撃者から聞
いた事であるがある時木の上に蛇が巻き着いていた。見ていると数羽の雀が来て、
その蛇を突っつき始めた。遂に蛇は木から落下して死んでしまった。そのままにして
おいたところ数日を経て、蛇の全身が無数の蟻になったのである。その蟻が群をな
して幹を這い上り、その巣の中のまだ飛べない何羽かの雀の子を襲撃した。もちろ
ん雀の子は全部死んだのであるが、実に蛇の執念の恐ろしさを知ったと語った事が
ある。
蜂室地獄は無数の蜂に刺される苦しみで、その例として左のごとき話がある。以前
私の弟子であった髪結の婦人があったが、その友達がある時霊憑りになったので、
ある宗教家の先生を頼んで霊査をして貰ったところ、こういう事が判った。その友達
の御得意であるある芸者が死んで蜂室地獄に落ちて苦しんでおり、救って貰いたい
ため憑ったというのである。その霊媒にされた婦人は、その頃某教の信者であった
からでそれに縋ったのである。霊の話によれば人間一人入れる位の小屋に入れら
れ、その中に何百という蜂群が、全身所嫌わず襲撃するのだそうで、その苦痛に堪
えられないから助けてくれというのである。この罪は芸者として多くの男子を悩まし、
大勢の妻君が霊界に入ってから嫉妬のため蜂となって復讐したのである。
次に地獄界は伝説にあるごとく、獄卒として赤鬼青鬼がおり、トゲトゲの付いた鉄
の棒を持って、規則に違反したり反抗したりする霊を殴るのであるが、これは肉体の
時打たれるより痛いそうである、何となれば肉体は皮膚や肉によって神経が包まれ
ておるからで霊ばかりとなると直接神経に当たるからで実に堪らないそうである。そ
うして地獄の幾多の霊がよく言う事に、何程苦痛であっても自殺する事が出来ない
ので困るそうである。なる程自分達は既に死んでいる以上、この上死にようがないか
らである。この点霊界は厄介な訳である。また地獄界を亡者が往来する場合火の車
に乗るのだそうである。地獄界の霊は自身の苦行または子孫の供養によって漸次
向上するのであるから、子孫たるもの供養を怠ってはならないのである。
私がある霊を救い鎮祭してやると、間もなく私に憑って来た。その霊いわく。「今日御
礼と御願いに参りました。御蔭で極楽へ救われ嬉しくてなりません。私の嬉しい気持
はよくお判りでしょう」という。なる程その霊が憑依するや、私は何とも言えない嬉しさ
が込み上げて来る感じである。次いで霊の御願というのは、「どうか再び人間に生れ
て来ないように神様に御願して頂きたい」と言うので、私は不思議な事を言うものか
と思いその理由を質(たず)ねると、「極楽は生活の心配がなく実に歓喜の世界であ
るに反し、娑婆は稼いでも稼いでも思うように食う事さえ出来ずコリゴリしたこと言う
のである。これによってみると、霊界行も満更悪いものではないらしく、死ぬのも楽し
みという事になるが、それには生きている中に善根を積み天国行の資格を作ってお
かなければならないという訳である。
次に人霊以外の他の霊の状態を概略書いてみよう。
辛いものを避ける
辛いものを避ける
『救世』49号、昭和25(1950)年2月11日発行
よく医学では唐辛子や辛子、ワサビの類を病気に悪いとして止めるが、これは実
に滑稽(こっけい)である、もちろんこれらも味覚を助け胃の活動を促すに非常に必
要なもので、そのため神様が造られたものである、たとえば、刺身一つ食うにも山葵
(わさび)がなければ、いかに不味いかである、納豆にしても辛子がなければ味は半
減するであろう。
医学が右のような説を唱えたのは、痔疾の場合からであろう、痔疾は辛い物を喰
べると糞便に混じるから肛門を刺戟し痛む事がある、ただそれだけで外の病には何
ら影響がないから安心して食べていいのである。
右と同様今一つ面白い事がある、それは盲腸炎の原因が葡萄の種という説があ
る、私はその事を問われる毎にこう答える、葡萄の種くらいで盲腸炎が起るとしたら
柿の種など食うと即死するだろうといって笑うのである。
右の説の出所はこういう事らしい、フランスの某医師が盲腸炎手術の際たまたま
葡萄の種を見付けたのでこれが原因と思い、発表したのでそれから右の説が世界
中へ拡まったという訳であるから実にナンセンス以外の何物でもないといえよう。
罪を赦させ給うのが、観世音菩薩の大慈大悲の御心
それ故に、いかなる家、いかなる場所といえども、それ相応に、簡略に奉斎され得て、しかもいかなる願事を申し
ても、非礼の罪を赦させ給うのが、観世音菩薩の大慈大悲の御心であり、又、時所位に応じ円通自在、自由無
礙なる所以(ゆえん)であり、到るところ、救いの光を恵ませ給い一切衆生をして一人も漏れなく、慈光に浴せし
めん、有難き御本願であるのである。無礙光(むげこう)如来の御名こそ、まことに能(よ)く、それを表わし給うと
思うのである。
又現今、各宗教の祭神及び本仏は、外国系統が多いのであるが、それはほとんど、世人は気が付かないので
ある。日本人は、最優秀の霊格であるから、それに相応しない、外国の神仏を拝むのは、大いに間違っているの
である。今日これ程多くの宗教があり、それぞれ信仰をしているに拘わらず、病気や不幸が多い原因としては、
それらの点もすくなからずあるのである。