八幡様の御本体 応神天皇である
八幡様の御本体――
応神天皇である。大先生とは御関係があり、最初民間療法として治療をお始めに
なった時の治療所名は応神堂とつけた。半ケ年位して警察に止められた。その当時
の当局の干渉は甚しいもので、神宮通りに支部が出来た時、神宮支部と命名した
が、それもとめられた。古い八幡様は彦火々出見尊、中途から応神天皇となった。
大黒様を祀ると金が入る
大黒様について――
私が信仰に入った時、二、三ケ月赤字が続いた。二十年位前である。すると一信
者の銀行員が、御入用ならばというので大黒様を持って来た。文 久何年かの作であ
る。すると、その翌日から金が入り赤字が消え、不思議に金が入った。それでその
後は心掛けて大黒様を探さした。そして段々数が殖えると共に収入も殖えた。そして
五十幾つか溜った。
レオナルド・ダ・ヴインチは偉いですね
――レオナルド・ダ・ヴインチはいかがでしょうか?
偉いですね、あの人はちょっと違いますね。日本で言えば聖徳太子です。しかしあ
の人はそれほど不幸ではないでしょう? たいへんな宗教家であり、芸術家、預言
者、発明家ですね。私はあれに似てるところがあるようにときどき思います。ダ・ヴイ
ンチの絵だって立派なもので、『最後の晩餐』や『マリア』は実によく描けてますね。飛
行機の原型や潜水艦なんかも、あの人が発明してますが、ともかくすばらしい天才で
すね。アメリカで言えばエジソンみたいな人ですね。……芸術家はなかなか複雑で、
その性格なんかこうとはっきりは言えません。北斎は貧乏していたし、尾形光琳は金
持ちの息子で、その作品にも豪奢(ごうしゃ)な風が現われてますからね。
芸術家は人格的にどうかと思われることはありますよ。雲右衛門は「浪花節」を今
日のようにした人ですが、ところがあれくらい不道徳な人はない。あれの師匠は浪花
亭重吉といったが雲右衛門は重苦の細君と関係して二人で逃げたのだが、これは
不道徳極まりないことです。弟子が師匠の細君をとってしまうのですから。で、東京
にいられずに大阪へ行き、それから九州へ行って琵琶をとり入れて雲右衛門節とい
うのを作ったのですが、重吉〔三河家梅車〕が死んだので東京へ帰って来たのです。
だからこのように、人格と芸術とは伴わないことはあります。雲右衛門の節はうまい
が私は大嫌いです。おもしろいことは、ほかの人の「浪花節」は私は大好きです。と
いうのは人格が芸術を通してみんなに働きかけるからで、雲右衛門を好む人は人格
が堕落します。それは声により霊線がみんなに働くからです。下村観山から聞いた
のですが、「絵は人格を筆と絵具で表わすものである」と言ってましたがその通りで
す。いままでは本当に人格を通して芸術をみんなに伝えることがなかった。これから
人格者が出るわけです。観音教団からすぐれた芸術家が出ることでしょう。……しか
し、なんですね、人格者というとふつうは道学者流に一夫一婦で酒も飲まぬ人という
ふうに考えがちですが、この考えは小乗であり、大乗的に見ればダラシのないような
人でも人格者はいます。武者小路実篤なんかは妻がありながら地方から出てきた娘
を愛し本妻を不遇にした人です。また島村抱月も人格者ですが、ただ単に表面だけ
見ると不道徳者です。抱月の奥さんは私も知ってますが、いわゆるオカミさん型で、
芸術や文学なんかにはまったく理解がなく、主人がきちんきちんと月給でももらってく
るような平凡な生活を喜ぶ人なんです。だから抱月とは丸っきり合いっこない。これ
では二人が一緒にいては両方ともに不幸です。そこへたまたま松井須磨子が現わ
れて二人が共鳴してしまったのはやむを得ないことです。『真実一路』の映画を見ま
したが、あれにもそんなのが出てますね。……一番いけないのは女さえ見れば手を
出して享楽の道具にすることです。これが非常にいけないのです。が、抱月や実篤
の場合はそうは言えない。これが大乗なんです。