霊界は存在する
霊界の存在
自観叢書第3編『霊界叢談』P.5、昭和24(1949)年8月25日発行
そもそも、人間は何がためにこの世に生まれて来たものであろうか。この事をまず
認識せねばならない。それは神は地上経綸の目的たる理想世界を建設せんがため
人間を造り、それぞれの使命を与え、神の意図のままに活動させ給うのである。原
始時代から今日のごとき絢爛(けんらん)たる文化時代に進展せしめたのも、現代の
ごとき人間智能の発達もそれがために外ならない。そうして人間なる高等生物は素
より、他のあらゆる生物否植物、鉱物、その他形体を有する限りのあらゆる物質は
霊と体の二要素によって形成されたものであって、いかなる物といえども霊が分離す
れば亡滅するのであるが、ここでは人間のみについて説明してみよう。そもそも人間
の肉体は老衰、病気、大出血等によって使用に堪え得なくなった場合、霊は肉体を
捨てて離脱し、霊界に赴き霊界人となり霊界生活が始まるのである。これは世界い
かなる人種も同様で、その例として第一次欧州大戦後英国において当時の紙価を
高からしめたオリヴァー・ロッジ卿の名著「死後の生存」であるが、その内容は著者
ロッジ卿の息子が欧州戦争に出征し、ベルギーにおいて戦死し、その霊が父ロッジ
卿に対し種々の手段をもって霊界通信をおびただしく贈った、それの記録であって、
当時各国人は争って読み、それが動機となって霊界研究は俄然として勃興し、研究
熱が盛んになると共に、優秀なる霊媒も続出したのである。また彼の有名なるベル
ギーの文豪青い鳥の著者故メーテルリンク氏も心霊の実在を知って、彼の有名なる
運命観は一変し、心霊学徒として熱心な研究に入ったという事は、その方面に誰知
らぬ者もない事実である。しかもその後フランスのワード博士の名著霊界探検記が
出版され、心霊研究はいよいよ盛んになったという事である。ワード博士に到っては
霊界探究がすこぶる徹底的で、同博士は一週に一回一時間位、椅子に座したまま
無我の境地に入り、霊界へ赴くのである。その際博士の伯父の霊が博士の霊を引
連れ霊界のあらゆる方面に対し、つぶさに霊界の実相を指示教導されて出来た記
録であるが、その際友人知己の霊も種々の指導的役割をなし、博士の霊界知識を
豊富にしたという事である。これはなかなか興味もあり、霊界生活を知る上において
大いに参考になるから、読者は一度読まれん事を望むのである。もちろん西洋の霊
界は日本とは余程相違のある点はやむを得ないが、私は最後において、日本及び
泰西(たいせい)における霊界事象を種々の実例をもって解説するつもりである。
十数年前、英国よりの通信によれば同国においては数百の心霊研究会が生まれ
て盛んに活動しつつある事や、心霊大学まで創設されたという事を聞及んでいた
が、その後大戦のためいかようになったか、今日の実状を知りたいと思っている。
さて霊界の種々相について漸次説いてみよう。
(注)
泰西(たいせい)、西洋諸国
悪いことをすると地獄に行く 悪人は地獄に行く
地獄界の続き
自観叢書第3編『霊界叢談』P.58、昭和24(1949)年8月25日発行
次に他の地獄界は総括的に書く事にする。
修羅道は、俗に修羅を燃やすという苦悩で例えば闘争に負け、復讐しようとして焦
慮したり、自己の欲望が満足を得られないために煩悶したりする心中の苦しみが生
前からあったまま持続し、修羅道界に陥るのである。これらは現界でも霊界でも信仰
によって割合早く救われるものである。
色欲道は読んで字のごとく色欲の餓鬼となったもので、男子にあっては多くの婦人
を玩弄物視し、貞操を蹂躙する事を何とも思わず、多数の婦人を不幸に陥れた罪に
よって陥るのである。このため地獄においては生前騙され、酷い目に遇った女性群
が責めたてる。その苦痛は恐ろしく、いかなる者といえども悔悟せざるを得ないので
ある。そうしてこの苦痛たるや、生前罪を造っただけの女の数と、その罪の量とを償
うのであるから容易ではないのである。これによってみても世の男子たるもの、自己
の享楽のため女性を不幸に陥らしむるごとき行為は大に慎しまなければならないの
である。右に述べたごとき罪は男子に多い事はもちろんであるが、稀には女性にも
あるので、自己の享楽または欲望のため貞操を売ったり、姦通をしたり、男性を悩
ましたりする事を平気で行なう女性があるが、これらももちろん色欲道に堕ち苦しむ
のである。
焦熱地獄は放火をしたり、不注意のため大火災を起こし、多くの人命財産を犠牲
に供する等の罪によって落ちる地獄である。
蛇地獄は無数の蛇が集って来るので、その苦痛たるや名状すべからざるものがあ
る。この罪は自己の利欲のため、多くの人間に被害を与える。例えば大会社の社
長、銀行の頭取等が自己利欲のため不正を行い、多数者に損害を与えたり、政治
家が悪政によって人民を塗炭の苦しみに陥したりする怨みや、戦争を起こした張本
人に対する犠牲者の怨み等々が蛇となり復讐をするのである。
蟻地獄は殺生の罪であって、例えば虫、鳥、小獣等を理由なきに殺生する。それ
が蟻となって苦しめるのである。それについてこういう話がある。その目撃者から聞
いた事であるがある時木の上に蛇が巻き着いていた。見ていると数羽の雀が来て、
その蛇を突っつき始めた。遂に蛇は木から落下して死んでしまった。そのままにして
おいたところ数日を経て、蛇の全身が無数の蟻になったのである。その蟻が群をな
して幹を這い上り、その巣の中のまだ飛べない何羽かの雀の子を襲撃した。もちろ
ん雀の子は全部死んだのであるが、実に蛇の執念の恐ろしさを知ったと語った事が
ある。
蜂室地獄は無数の蜂に刺される苦しみで、その例として左のごとき話がある。以前
私の弟子であった髪結の婦人があったが、その友達がある時霊憑りになったので、
ある宗教家の先生を頼んで霊査をして貰ったところ、こういう事が判った。その友達
の御得意であるある芸者が死んで蜂室地獄に落ちて苦しんでおり、救って貰いたい
ため憑ったというのである。その霊媒にされた婦人は、その頃某教の信者であった
からでそれに縋ったのである。霊の話によれば人間一人入れる位の小屋に入れら
れ、その中に何百という蜂群が、全身所嫌わず襲撃するのだそうで、その苦痛に堪
えられないから助けてくれというのである。この罪は芸者として多くの男子を悩まし、
大勢の妻君が霊界に入ってから嫉妬のため蜂となって復讐したのである。
次に地獄界は伝説にあるごとく、獄卒として赤鬼青鬼がおり、トゲトゲの付いた鉄
の棒を持って、規則に違反したり反抗したりする霊を殴るのであるが、これは肉体の
時打たれるより痛いそうである、何となれば肉体は皮膚や肉によって神経が包まれ
ておるからで霊ばかりとなると直接神経に当たるからで実に堪らないそうである。そ
うして地獄の幾多の霊がよく言う事に、何程苦痛であっても自殺する事が出来ない
ので困るそうである。なる程自分達は既に死んでいる以上、この上死にようがないか
らである。この点霊界は厄介な訳である。また地獄界を亡者が往来する場合火の車
に乗るのだそうである。地獄界の霊は自身の苦行または子孫の供養によって漸次
向上するのであるから、子孫たるもの供養を怠ってはならないのである。
私がある霊を救い鎮祭してやると、間もなく私に憑って来た。その霊いわく。「今日御
礼と御願いに参りました。御蔭で極楽へ救われ嬉しくてなりません。私の嬉しい気持
はよくお判りでしょう」という。なる程その霊が憑依するや、私は何とも言えない嬉しさ
が込み上げて来る感じである。次いで霊の御願というのは、「どうか再び人間に生れ
て来ないように神様に御願して頂きたい」と言うので、私は不思議な事を言うものか
と思いその理由を質(たず)ねると、「極楽は生活の心配がなく実に歓喜の世界であ
るに反し、娑婆は稼いでも稼いでも思うように食う事さえ出来ずコリゴリしたこと言う
のである。これによってみると、霊界行も満更悪いものではないらしく、死ぬのも楽し
みという事になるが、それには生きている中に善根を積み天国行の資格を作ってお
かなければならないという訳である。
次に人霊以外の他の霊の状態を概略書いてみよう。
人は人を咎めるな
人は人を咎むる勿れ
『救世』55号、昭和25(1950)年3月25日発行
時々人を咎(とが)める事の可否について質(き)かれるから、ここにかいてみる
が、実をいえば人を咎める権能は神のみが有せられるものであって、人が人を咎め
るという事は実は人が神の地位を犯す事となるのである、また別の面からみるも、
人を咎めた結果は良い事はまずない、大抵は逆効果となるものである。
私の事をいうが、私は人が間違った事をしてる場合、見て見ぬ振りをして放ってお
く、すると間違った事はいつか頭をブッつける時が来る、そこで自ら眼が覚め心から
悔改めるものである、これをたとえていえば、坂から大石が転っている際、それを止
めようとするようなもので、決して止まるものではない、もし無理に止めようとすると怪
我(けが)をするのがオチである、ゆえに落ちるのを待って落ちてから徐(おもむ)ろ
に上げればいいのである、といってもその場合そういう事をすると結局失敗するとい
う事は話してやった方がいい、それによって頭をブッつけた時、ハハアー以前言われ
た事はこれだなと早く悟るからである、以上のごとく人間が人間を咎め権力や何かで
無理に制えつけたり脅かしたり、また戒律などで縛るのは一時的で、いつかは必ず
反動があり、結局は面白くない、どうしても当人自身が非を悟って心から悔改めるの
でなくては本物ではないのである。
この事は医学にも当はまる、現代医療は病気に対し種々な唯物的責道具で、病気
を止めようとするがなるほど一時は止め得ても必ず反動が起って再発する、それが
初めの病気より悪質である、ゆえに吾らの神療法のごとく全然責道具など用いない
で、病人自身有する良能の力で自然に治させるゆえに、その良能力を増させる方法
こそ真の医術である。