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北海道限定の鉄道ブログ

北海道の鉄道についてならどんな分野にも手を出す人のブログ。
乗り鉄・撮り鉄・Nゲージ・プラレール・廃線探訪など

さて、今回は道北エリアを攻めていくわけですが…

 

取りこぼしである神居古潭を除くと、1つ目に想定されたのは丸瀬布の大池いこいの森です。

ここには森林鉄道の蒸気機関車「雨宮21号」が動態保存され、牽引する客車に乗ることが出来ます。ちなみに、大人800円小人400円と、値段だけ見るといいお値段ですが、走る距離が非常に長いので、十分楽しめます。遊園地のアトラクションよりコスパいい気がします。

こんな感じ。かわいい機関車です。

ちなみに、北海道開拓の村に保存されている森林鉄道機関庫の車両と同じく、762mmのナローゲージです。

 

…というわけで、初訪問になります。やっと来る事が出来ました…。

筆者のイメージとしては、三笠鉄道村や小樽総合博物館のように、機関庫があって、客車は本線に置きっぱなし、もしくは1本だけ車庫線があるものかな?と思っておりました。

 

・・・?なんすかここ????

普通の営業鉄道の車庫みたいな規模で車両基地があるんですが…?

 

ちょっと筆者の想像とずれておりました。聞いてないですこんな話

広大な車両基地に、数多くの客車や機関車が保存されています。もしくは運転列車の予備車として待機しています。

 

いくら線路幅が狭いナローとはいえ、規模が桁違いです。ちなみに、動態保存車両用の客車は合計で3台。この日は1台にトロッコ風の客車が2台つながっていて、2両はヤード待機となっていました。

 

 奥の2両は、衣笠鉄道ホハ13とホハ19と呼ばれる客車のようですが、みんな大好き西武山口線「おとぎ列車」の客車として転用されて、同線の廃止まで活躍。その後も保存されていたようですが、1993年に丸瀬布に引き取られたようです。

 状態もいいようで、多客期には動く姿が見られるそう。予備車ですね←

 

手前の客車も同じく衣笠鉄道で、ホハ18らしいです。こちらはも西武山口線上がりですが、状態が良くないらしく、動態保存線路上ではあるものの静態保存となっています。余裕やさらなる多客等が見込める場合には、動態復元工事が行われたりするかな?

 

ちなみにこの日の客車はこちら。後述する多くの車両と同じく、北見で活躍した後に長野に転属、森林鉄道の多くが廃止となったあたりで、丸瀬布に引き取られて戻ってきた車両です。ですから、これも立派な当時ものの動態保存車です。

 

続いては、緩急車。いわば「ヨ」といったところでしょうか。

 再現新造したものなのでだいぶきれいなご様子。森林鉄道列車の走行再現をするためにか、別途用意されたもので、乗ることはできないと思われます。

 そして、後ろの車両が森林鉄道の主役ともいうべき、木材運搬車です。開拓の村にも1台ありましたね。こちらは動態保存されていて、イベント時なんかには連結されて園内を走っているそうです。すげぇ…

 

さっきの緩急車のベースとなったのがこちらの車両。ちっちゃくてかわいいです。こちらの1台は当時のオリジナル緩急車で、軽便の緩急車としては唯一の当時もの、らしいです。本線とつながるレールには載っていますが、状態的に動かすとまずいからか、先の走行用複製車を用意の上で、静態保存扱いとなっている模様です。

 

続いては、北見滝ノ上エリアで使われていたらしい10tディーゼル機関車。

重量だけで言うならば、北海道開拓の村に保存されている両運転台機関車と同格になります。

長野に転属後、廃線ののちに保存されていたもので、後年 丸瀬布で引き取った車両になります。動態復元を目指しているらしいですが、果たして…?

 

現在の丸瀬布いこいの森は、機関車の動態保存は2両となっています。1台は言うまでもなく雨宮21。もう1台は森林鉄道の機関車ではなく、鶴居村営鉄道の6tディーゼル機関車…いわゆる「簡易軌道」の機関車です。

動態保存機関車は上の写真の車庫が待機場所。この奥にいるのでズームすれば撮れなくもないですが、整備士さんが写ってしまうので今回は見送り。まさかのところで再履修案件が出てしまいました←

 

あとは、ここの主役である雨宮21号。こちらはずっと丸瀬布にいた車両らしく、武利意森林鉄道で廃止まで使われたのちに一度静態保存されました。その後、北海道ではおなじみ札幌交通機械によって導体復元されました。今でも本物の石炭で動いていて、北海道は3つある石炭系SLの1台となります。(三笠鉄道村、SL冬の湿原号、丸瀬布いこいの森 …ちなみに小樽のアイアンホースは軽油?を燃やしているそうです)

 

給炭用の車両…一般的なSLでいう「テンダー」ですね。こちらはwikiさんによれば北炭のエンブレムがあるそうですが、まさか炭鉱で石炭運んでた貨車なんですか…????(無知が過ぎて疑問しか湧いてきません…)

 

気になって上砂川の鉱車の画像を引っ張ってきました。

うーん、似ているようなそうでもないような。

 

 

あとは、軌道自転車(エンジン付き)とトロッコとか、後ろにすっかり取り忘れていますが、貨車入れ替え機がいます…とにかく、この施設保存車がそこら中にあって、把握が困難でした()

 

もう1度、今回で得た知識も確認したいので、行ってみたいですね。

 

 

次回は丸瀬布いこいの森にある狭軌…1067mm軌道の保存車両を見ていきます。

 

ではまた次回です~(*ノωノ)

さて、まーた軽自動車で650km/日のドライブに出てしまいました。

今回の行く先は、紋別市です。え、近所でしたっけ…?

 

・・・と、以前の道央ツアーではクマが出て立ち入り禁止となったところに行きます。

 

函館本線、深川―旭川間にある難所「神居古潭」。ここは、鉄道や道路がつながる前からの難所で、船で通ることになる石狩川の流れが、例え急ではないとしても厄介なのだそうです。

陸路も、難所で山が非常に険しく、石狩川の川岸をくねくねしながら通る険しい場所でした。

 

現在は、函館本線は4kmを超える神居トンネルを中心に、国道12号線は神居古潭トンネルや春志内トンネルである程度直線化が行われています。

 

そんな「神居トンネル」が出来る前の旧線にあった駅が「神居古潭駅」でした。

ちなみに:神居トンネルは非常に工事が難航していて、これが原因で北海道で最初の国鉄線電化区間が「小樽-"滝川"」となったそうです(本来は小樽ー旭川で想定していたそうです)

 

そんな神居古潭駅は、廃線後にサイクリングロードとなり、横に蒸気機関車が保存されています。

今回のお目当ては、こちらの蒸気機関車。なんと3台もいます。

 

1台目は9600型蒸気機関車の29638。とりわけ一般的な9600型だそうです。この機関車だけ最近塗装されたのか、ずいぶんと奇麗な見た目になっています。

 

ちなみに、テンダーの中等には入れません。ざんねん。

 

9600型の後ろには、C57がいますが、こちらは結構な特徴機のようです。

保存されているのはC57-201号機。なんとC57型蒸気機関車のラストナンバー…最終製造機になります。また、C57製造の最後の11台(190-201)は、4次型とよばれて、形状が大きく異なります。

 

比較対象、岩見沢市に保存されている144号機です。全体的にそこまで変わってる感じはしませんが、ところどころ形状が違いますね…?(塗装が違うのは、保存後のお話なのでまた別です)

 

最前部のスノウプロ―上が、144号機では丸いのに対して、201号機では四角くなっています。

 

そんなこんなで、従来型に比べて、今時の言葉でいうところの「ゴツくなっている」ため、C57の愛称であった「貴婦人」は、この4次型では用いられず、なんなら蔑称なのか「山男」と呼ばれていたそうです。

 

一方で、この力強い見た目がいいなんて話もwikiさんには載っていますが、真相はいかに…。

 

そんな最終期である4次型のC57蒸気機関車は、全国でもここにしか保存されておらず、貴重な個体のようです。

 

3台目は、みなさんご存じデゴイチ。D51-6になります。

言うまでもなくナメクジの初期型で、道内では再若番の個体となります。

 

1次型で開放キャブの個体ですが、後ろ側のヘッドライトの位置が北海道機特有のキャブ中寄りになっているため、ニクイ1台です。

 

余談ですが、某位置情報ゲームの元ネタは、どうやらこの車両のようです。一番奥にいるので、クマさんとかに出会わぬようお気を付けください…。

 

あとは、廃線跡をちらっと見てみましょう

札幌よりです。トンネルがしっかり残っていて、サイクリングロードになっているようです。が、つい最近クマが出たってことなので、深追いはしません←

 

旧神居古潭駅、駅舎側の1番線です。駅舎本体が改修工事中の為なのか、ロープが張られていました。ホームには駐輪用のアレが置いてあるように見えます。サイクリングロードだからですかね?

 

2番線。何両入るのかわかりませんが、長編成用ホームが丸ごと残っている廃駅は、結構珍しいかもしれませんね。本線級の廃線自体あまりないっちゃないですし…(つい最近ありましたが…

 

入口から登ってくるところと平行に、沢があるのですが、橋と橋の跡がしっかり残っています。手前から2番線用、道路になっているのが1番線用

 

…あれ、じゃあこれなんでしょう。SLが乗っかっている線路はここと思われ、橋台も残っていますが、この線路ホームにぶつかっちゃうとおもうのですが…

 

よくわかりませんね…。

 

ちなみに、神居古潭は非常に風景がいいところのため、鉄道好きより風景を写真におさめに来るおじいちゃんがいっぱい来ていました。割と賑わってます。

 

いろいろあった場所ですが、それでもこの奇麗な風景はみなさんに見てほしいなと思いました。

 

一方で:クマさん出没地域故、SLや駅周辺の散策はくれぐれもお気をつけて…。

 

 

 

ではまた次回です~(+o+)

 今年は特別展「みんなの鉄道」があったことで、鉄道関係の方からの認知も上がったと思われます、北海道博物館。北海道の全体的な歴史を学ぶのに大変向いている場所じゃないかと思います。無論、北海道の歴史には石炭の採掘から始まる鉄道の歴史も含まれますので、多少ですが鉄道展示物もあります。開拓の村シリーズラストは、こちらを見ていきたいと思います。

 

一応場所を説明しますと、開拓の村のほぼ近く。最後に右折する道路を直進した先にあります。

けっこうな山の中です。東の方は原生林のはずですし…

 

入口の写真。みんなの鉄道展は、おそらくいろんな方が取り上げたと思いますので、私のブログではノータッチで行こうかなと思います。とか言ってこの後書いてたりして…

 

先ほども書いた通り、北海道の歴史で鉄道といえば、やっぱり炭鉱が一番に上がると思います。日本遺産に炭鉄港が選ばれたくらいですし。

というわけで、採炭の様子。上砂川とか夕張とかで見たことあるような図ですね。

 

というわけで、北海道博物館唯一の保存車。バッテリーロコ BLです。以前特集した三井砂川炭鉱で使用されていたものとのこと。

あちらにも同じくバッテリーロコはいました。あちらは屋外保存のため、補修されつつ劣化が進んでおりましたが、代わりに単車を繋げた編成での保存となっていましたね。

 

こちらはバッテリーロコ単体の保存ですが、屋内…というか室内保存のため、当時の状態のまま非常にきれいに残っています。

 

なぜかデフなしの9600型によるキマロ()がありました。名寄に保存されている実物はデフありの9600型先頭でしたね。

 

 

後ろは、皆様おなじみ義経号+開拓使号。橋も当時っぽい木製のものが再現されていました。

 

個人的に驚いたのはこちらですね。客車の中が再現されていて、イメージ的には確か札幌から余市・倶知安方向に向かう列車…だったような?(違うかも…

 

保存されていた客車を解体して使ったのかというほどの完成度ですが、どうも新規で作製した再現物っぽいです。

客車の車番も適当に書いたかかと思いきや、ガチの番号が…。ダブルルーフの小窓となると、ナハ23800といったところでしょうか…?いつからの展示なのかにもよりますが、津軽鉄道オハ311(現:鉄道博物館展示)がダブルルーフでほぼ同型なので、そのあたりを参考にしてなら作れる…のかも?

 

いずれにしてもクオリティが高くてびっくりでした。

 

あとは意外なもの。こちらの「はまなす」ヘッドマークは、急行はまなす廃止後に寄贈された…わけではなく、1990年の寄贈です。現役バリバリで予備を渡す余裕なんてあるんかとツッコミを入れたいですが、おかげさまでかなり状態のいいヘッドマークが展示されています。

 

下には、今は亡き深名線のサボ。こちらは廃線後に寄贈されたものです。

この2つは、鉄道コーナーにはありませんが、常設展示ですのでいつでも見ることができるようです。

 

あとは、定山渓鉄道に関する資料が多かったですね。時刻表とかプレートとか、いろいろありました。全部載せてしまうといったときの楽しみが無くなってしまいますのでこのあたりで…。

 

 

開拓の村とセットで行くとお得です。是非行ってみてください。

 

 

ではまた次回です~(-ω-)/

今回は保存車両…とアトラクションの中間くらいのものになります。

前回に続き、開拓の村です。

 

開拓の村の鉄道要素というと、どちらかといえば前回の森林鉄道よりこちらを思い浮かべると思います。

この、メインストリートにある線路…路面電車でも走るのかな?という見た目をしておりますが…

 

動力は電気でも石油でもなく、馬です。日本では既に消えた馬車鉄道の再現になります。営業運転をするものとしては、日本で唯一だそうです。結構本格的で、複線区間の両端の区間…だいたい0.3kmを5分かけて走ります。

 

馬車軌道の軌間幅は、ナローから狭軌、1200mm台のものまでいろいろあったと思いますが、開拓の村で運転されている馬車軌道は762mmのナローゲージになっています。

 

2024年度は、前年度比で区間が短くなっていて、以前は入口である札幌停車場のあたりから、単線区間になった先、駅逓所付近まで、約0.6km乗ることが出来ました。特に札幌停車場側は、2018年に延伸されたばかりで、今後区間短縮での運転が続いてしまうと数年(2年?)で使われなくなった悲しい路線となってしまうのですが、再びこの区間に戻ることはあるのでしょうか…?

 

さて、そんな馬車鉄道の車両ですが、こちらはどこかの馬車軌道の車両の保存ではなく、日本車両にて新造したものになります。とはいえ、開拓の村の開村と同時に運転を開始しており、客車は1982年製だそうです。1982年といえば、既に全車廃車となったキハ183系の0番台が製造されたころですので、この客車は再現新造とはいえ、かなりのレトロ車両になっていますね。

 

ちなみに、単線区間の先端に車庫があります。こちらは開拓の村特有の歴史的物件…ではないようで、レトロっぽい見た目ではありますが、業務用の普通の車庫らしいです。

客車を引っ張ってくれる馬は、旧ソーケシュオマベツ駅逓所の馬を留める場所で寝泊まりしているようです。

ちなみに:複線区間になる部分に2か所、車庫に1か所、分岐器がありますが、複線区間については弾性ポイントとなっており、必ず左側通行となるようになっています。

 

さて、ここからはおまけです。

開拓の村の入り口にあるデカい建物。こちらは先々代の札幌駅舎になります。ただ、原寸大というわけではなく。3/4の大きさにスケールダウンしての再現となっているようです。それでもめちゃくちゃデカい!

内部は受付と事務所なので、あまり入れるところが多くはありませんが、入村受付の建物自体も再現建築なのは雰囲気があっていいなと思いました。

 

そして、これいいな と思った点

傘の貸し出しがあります。1度目の訪問の際、途中で雨が降ってきて、傘を持ってくればよかった~とか思っていたので、これの存在に気付いていれば…となっておりました。入場料の支払いをして、いよいよ入村となる、旧札幌駅舎の改札出口付近にあります。

 

ベビーカーもありました。

 

というわけで、開拓の村でした。鉄道以外の建物も当然ながら、いろんな物件に入ることが出来て、楽しめます。車で行きやすい場所である他、新札幌駅・森林公園駅からバスで行くこともできますので、良かったら行ってみてください。友達ともデートでも家族ででも楽しめると思います。

 

ではまた次回です~(*‘ω‘ *)

お久しぶりです。今回も保存車をめぐっていきます。

 

今回行くのは、札幌からは近所である、北海道開拓の村 です。18世紀~19世紀の建築物を移設、もしくは設計図をもとに再建築した建物が並び、また郊外地区にも物件がある広い施設です。道外だと、明治村なんかと同じジャンルになると思います。

 

そんな、開拓の村には、国鉄系統の鉄道車両こそありませんが、通な人には外せない保存車が…

というわけで、お目当てはこちら。🌳森林鉄道機関庫🌳です。(開拓の村で振られている建物番号は50でした)

 

ちなみに、逆側はこうなってます。すぐに谷です←

 

こちらは、1961年まであった、置戸森林鉄道の置戸の機関庫を再現したものだそうです。1990年に開拓の村に再築されたとのこと。実に30年ぶりの復活…だったのでしょうか?中の車両は、道内各地の森林鉄道で実際に使われていたものとのことで、ここで展示される前は別の場所で保存されていた…のでしょうか?

 

 置戸森林鉄道、筆者も全くの専門外の上に、資料も本気で探さないと出てこなさそうなのでざっくりですが、1920年に開業し、1961年に廃止となった、国鉄置戸駅…今でいうところの"ふるさと銀河線旧置戸駅"を起点としていた鉄道です。森林鉄道という名の通り、原生林へ線路を繋げつつ、周囲の木を伐採して、国鉄線の駅がある街まで運ぶ、というのが大体のあらましです。

 特徴として、国鉄線の軌間幅である1067mmに対して、いわゆるナローゲージといわれる762mmの軌道であることが挙げられます。軌間幅が狭い分、予算が小さく済むとかメリットがあるんだと思います。

 

森林鉄道の北海道での保存は、珍しい…とは思いますが、他でもあります。そちらはいずれまた…

 

というわけで、この機関庫内に保存されている車両を見ていきましょう。蔵内での保存ということで、いずれも、それなりに状態はよさそうです。

森林鉄道といえば、ちっこいSLかこの形のディーゼル!っていうのが、個人的偏見です。

こちらは野村組立製作所製の5トンディーゼル機関車。説明欄にはプリモス型とあります。製造元は、今の野村製作所…でいいんですかね…?

 

エンジンは、まさかのいすゞ製です。43型とのことで、排気量4.3Lくらいでしょうかね…?

ちっこいディーゼルがけなげに走る感じがカワイイ…はずですが、こうやって実物を間近で見ると、普通にゴツイですね…(-_-;)

 

後ろはこんな感じです。蔵の中なので、これ以上の後ろからは撮れないです。

 

説明書きには、下夕張・大夕張のあたりで使われた、と記載がありました。例のシューパロダムに沈むあの有名な鉄橋もわたっていたりするんですかね~?

 

運転台はこんな感じです。やや計器が無くなっていますが、まずまずの残り具合。機械式変速機なのか、レバーが映えていて、右のブレーキ?ハンドルと合わせて車の運転席のような運転台になっていますね。…ちなみに、運転台はこの方向にしかありません。戻るときは、車両ごと方向転換をするか、後ろを見ながら運転することになりそうです。

 

続いては、一番目立つこのディーゼル機関車。簡易軌道クラスの762mm軌道とは思えないデカい図体をしております。愛知・酒井製作所製造のF42型という名前だそうです。先ほどの小型ディーゼルの倍のサイズ、10トンディーゼル機関車となっています。

 

こちらは見かけのサイズに恥じない立派な運転台があります。ハンドルは、ノッチなのかブレーキなのかわかりませんが、機関車であることを考えるとブレーキでしょうかね…?

状態は先ほどの5トンディーゼルと同じくらい。

 

逆エンド・逆サイドの様子。ドアもエンドごとに用意されていて、相当立派な機関車なんだろうと思われます。

 

機関庫入り口側の運転台です。こちらもそこまでかわらない状態でした。

 

あともう2台ほど保存車両があります。

まずはこちら、トローリーって書いてますが、エンジン付きの軌道自転車みたいなもんですかね。1067mmの鉄道でも似たようなものをよく見ますが、比べると先頭部がしっかりしているので、虫とかが顔に飛んでこなくて、ちょっと安心感があるかも?

 

とはいえ、椅子はこんな感じ。小学校の椅子より小さいんじゃないですかね…。

 

ラストはこちら。森林鉄道ですから。当然原木を運びます。この貨車ですね。ナローゲージの小さい車体とは裏腹に、載せるものはびっくりするほど大きいです。これで脱線とかしないんですか…💦

 

この貨車が保管されている例は思ったよりないので、レアではあります。まーこれ目的でどこかに行くって人は稀かもですけどハッハッハ

 

さて、この森林鉄道機関庫。置戸のものを再現したと冒頭に記載しましたが、内装までしっかり再現しようとしているのが特徴です。まー実物を知らないので、あってるかもそうじゃないかもわかんないんですけど←

 

その一つがこちら。おそらくSLの排煙を蔵の外に出すものと思われます。ちなみに弁の開け閉めをする機会まで再現されていて、だいぶ驚きました。10トンディーゼル側の線路に一つ設置されています。

 

続いては車両点検用の溝です。車両点検なんかもする車庫ですから、当然、再現元の実物には合ったと思いますが、まさかのここまで再現されています。出入り口側に「入ってはいけません」とあったので、入らずに、階段の部分に手を伸ばして撮ってみました。 まぁ…ここに入る勇気は私にはないですね…。

 

 

また、枕木・レールの予備や、積み下ろした扱いの丸太なんかも近くにあり、とにかく当時の雰囲気に近づける工夫がいっぱいでした。

 

ちょっと森の中なので、虫の少ない春先~初夏や、秋終わり以降がお勧めです。

 

ではまた次回です~('◇')ゞ

 

 

前の記事でも紹介した通り、旧函館本線上砂川支線の旧上砂川駅舎と保存車両は、現在補修中のため見れませ…

 

あれ…?もう塗り終わってました…?というわけで、スユニ60-218です。鋼帯化改造をした客車で、元はナハフ25000形らしいです。たぶん1926年製…って、下手なSLより古いですな(;'∀')

 

車両番号は書いていないようですが、この後書き足したりするのでしょうか…いづれにしても、もともとだいぶ日に焼けて白くなっていたので、このお色直しは嬉しい限りです♪

 

駅舎側から。ちなみに、上砂川駅は路線廃止後に駅舎が移動していて、この車両も駅舎と平行に見えますが、廃線となった線路と90°ずれる形となっています。

 

一方で、おそらく上砂川駅の側線の1本を流用した…かは怪しい、駅舎と垂直にささる線路にの買っているのがヨ8055です。こちらもお色直しされてつやつやです…が、車号は塗られてないですね。

 

テールライトがしっかり残っているのがポイント高いです。ちなみに乗っかっている線路は、昔は倍くらい(といっても15mくらいですが)伸びていたのですが、なぜか切り取られて、車両の下だけになっています。

 

ちなみに:忘れられがちですが、上砂川支線の廃線は1992年と、かなり新しい(といっても32年経過…)のため、JR北海道の駅名票があります。人によってはちょっと違和感かも?(笑)

 

 

そんな上砂川駅でした。

 

 

ではまた次回です~(*‘ω‘ *)

炭鉱跡の記念館…というと、夕張に残る石炭記念館や、赤平の住友赤平立坑なんかが、有名なような気はしますが、それ以外にもいい施設が結構あるわけで…

 

道道135号開通記念でいろいろめぐったついでで行ってみました。「かみすながわ炭鉱館」

あ、歌志内の「ゆめつむぎ」は最近行ったので今回はスルー。

 

その時の記事はこちらです。

 

 

というわけで、かみすながわ炭鉱館は、旧上砂川駅のちょっと先、旧三井砂川炭鉱中央立坑…という長い名前の立坑の向かいにあります。ホッパーがあったあたり…かな。

 

というわけで、今回は保存車番外編です。

この、かみすながわ炭鉱館には、三井砂川炭鉱で使用されていたと思われる、単車が、短めとはいえ編成で保存されています。線路も炭鉱から持ってきたものじゃないでしょうか。

 

先頭は…なんとパンタグラフ付き。電気機関車でした。トロリーロコっていうそうです。

次位に単車が2台。後ろはおなじみ、バッテリーロコでした。

 

炭車。かわいい。

 

鉄道系以外にも、炭鉱で活躍してた車や、水圧の掘削機械?まであり、結構ボリュームがございました。というか、石炭を掘るのって水圧のもあるんですね…。流石に最後の頃にピッケル使ってるとは思ってませんでしたが、もっとドリル的なものしかないものと思ってました…。

 

中の展示物も坑道を模した入口があったり、立坑を模した建造物があったりと、見ごたえがありました。このあたりは、道路のつながりもよく、上砂川~歌志内~赤平と、一般の方でも苦労なく見ることが出来る、ライトな炭鉱施設があるので、まとめて行ってみてはいかがでしょうか。

 

折角なので、一覧にまとめてみます。

↑北側

☆住友赤平立坑☆

 月曜・火曜休館、祝日の場合はずれ込み 上記URLのカレンダー参考

 →施設見学は無料 立坑は敷地外からなら見れます(内部は下記見学ツアーで)

・立坑内部・自走枠工場見学 ①10時スタート ②13時30分スタート 90分

 →有料 赤平市民以外は大人800円ですが、

   機械・廃墟・炭鉱が好きな方なら充分価値ありますとだけ

 

☆歌志内市郷土館ゆめつむぎ☆

・10時00分~17時00分 … 月曜日休館

 入場無料

 空知炭鉱の立坑は脇道に1.5kmくらい進むとあります

 敷地外から多少は見えます。

 

☆かみすながわ炭鉱館☆

・10時00分~16時00分 5月~10月の土日祝日・お盆のみ開館

 入場無料

 →近くに残る三井砂川中央立坑は、敷地外からのみ見学可能

  JAMICが実験センターとして使用し、2003年廃止。今どこが所有しているのでしょう…?

↓南

 

 

こうして書き並べてみると、10時前に赤平について、立坑見学ツアーに参加し、見終わってお昼を食べてから、歌志内→上砂川とめぐっていくと、いい感じに1日で制覇できそうですね。

 

 

 

ではまた次回です~(=゚ω゚)ノ

 

 

既に朝日駅は探索済みですが、筆者はなぜか朝日駅に行くたびにB20が見れていません。

 

存在を疑ってしまうレベル←

 

 

というわけでやっっっっっっっっっっっっっっっっと見てきました。

 

保存場所は万字線、朝日駅の本線ホームになります。実は万字線とB20型蒸気機関車とは関係性が一切ないはずです。もともと、岩見沢市内の公園で保存されていたものが移設されたと聞いています。

 

それにしても、朝日駅のホームの残り方は本当に謎ですね…。調べてみましたが、やはりSL側に残る仮設にも見えるホームは、現役当時のもので、中間部分のみ撤去されているみたいです。

 

さて、本題のB20ですが、確か小樽築港の機関区で入れ替えを行う機関車として使われていたと思います…ちょっとwikiさんに調べに行ってみましょうか…。

 

あってました。これ以上書くことが無いです…((

 

ただ、元々は貨車の入れ替えを想定していたっぽいですね。戦時設計でいろいろ劣悪らしく、機関車の入れ替えでしか使われないことが多かったようです。このB20-1も、小樽築港のC62なんかの検査時に入れ替えを行っていたものと思われます。

 

しっかりと屋根付きの保存ですが、機関車が小さいせいか、屋根も低い気がします。気のせい?

 

ちなみに、紹介欄にはこの機関車をグロテスクと評しているのですが、そんな変な見た目なんですかね…?

 

ではまた次回です~(-ω-)/

いい加減、近くで行われているのに行かないのももったいないかな…と思いまして…

 

炭鉱の記憶推進事業団ってところが毎年ゴールデンウィークとお盆に行ってくださっている、三笠市の奥地、元幾春別駅に隣接する形となる奔別炭鉱の公開…というと語弊があるんですけど、近くに行ってみることが出来るイベントに参加してみました。

立坑って奴です。真中のタワーになっているのが、エレベータの本体部分とも言えます。あの部分から真下に700mほど穴が開いているのです。もちろん、コンクリートでふさがれているうえ、おそらく水没しているので転落みたいなことは無いと思いますが、怖いですね…。

 

左右の大きな建物部分は巻き上げ室と言って、本体のエレベータの動力が設置される場所です。立坑のエレベータを上下させるためのロープが、中央の滑車を経由して左右の建物にゆきます。

 

手前の部分が骨組みだけになっていてカッコいい!と見えますが、実はここが骨組みだけになっているのは事故が原因となっています。閉山時に先の通り、坑口をふさいでいたのですが、その最中にガス爆発が起きて、建屋の一部が吹っ飛んだため…とのことです(ツアーに参加して初めて知りましたが、建屋の外壁全部が飛んだわけではなく、中途半端に飛んだ見た目が微妙( or 強風で飛ぶことを懸念?)ということで、閉山時に生き残っていた外壁を人の手ではがしたそうです。)

 

そんな建屋をよく見ると、エレベータの実態…かごでしたっけ?が見えました。残っていたんですね…。このあたりは遠くから見ると気づけないので、驚きでした。

 

さて、一般開放だけでなく、ツアーにも参加してきたため、裏側も見てまいりました。

 

裏側です。裏側ですね。

 

建物が一つありました。石炭が取り出せそうですが、なんの用とか聞きそびれました…。

 

そのに。午前中だというのにクソ熱くて、若干このあたりの記憶が怪しいです…。

 

さて、鉄ちゃんてき本編はこちらでしょうか。正真正銘鉄道遺構。奔別炭鉱ホッパーです。

2年くらい前に雪が降り過ぎて屋根が倒壊してしまいました…。が、そのおかげで一つわかりやすくなったことがあります。奥の方はなぜか屋根が生き残っていますが、実はそちらは後年の増設部分。初期は屋根が崩れている部分だけが建っていたそうです。

 

こちらはホッパーの終端側出口から見た様子です。この通路1本あたり1本の線路が通り、石炭貨車が出入りしていました。

 

ホッパーから、線路終端側を見てみます。…なんもないですね。

1966年の航空写真を見る限り、50mくらいは線路が伸びていると思われるのですが、ホッパーのとこの草むらで高さも異なっており、跡が見られる感じではなさそうです…。

 

続いて、幾春別駅側から見た様子です。

 

気になる方は航空写真等を見たらよくわかりますが、奔別炭鉱への専用線は、幾春別駅の先にあるわけではなく、幾春別駅から少しバックしつつ、北方向に線路を伸ばしていました。

 

入口には、作業中の誤進入をふさぐためでしょうか、扉があり、これだけでも来る価値を感じさせるしっかりとした遺構になっていました。

 

幾春別駅側から覗いた様子。中線です。レールはもちろん撤去されています。

 

ラストは、ホッパーから幾春別駅方向を見てみます。草むらではありますが、線路跡の部分のみ木が生えていないため、今でも線路跡を確認することが出来ました。

 

貴重な体験をさせていただきました。閉山が1971年と、このあたりでは早いため、奔別炭鉱専用線の入れ替え機も、SLの時代だけで終わっているかなと思います。開業が先である幌内でさえ、DE10牽引の石炭列車が走っていました故…。

 

スケールの高い建物でした。

 

 

ではまた次回です~(=゚ω゚)ノ

お久しぶりです。少し報告し忘れたことがありました。

 

去る7月19日のこと、岩見沢駅にいたら妙な車両が…

 

こちら。キハ54です。512号車なので旭川所属の車両ですね。

2024年3月のダイヤ改正で、キハ54系の旭川車は、留萌本線・函館線の石狩沼田ー深川ー旭川間と、宗谷本線の(旭川ー)名寄ー稚内間のみの運用となっています。以前の運用範囲から石北本線が丸ごと消えた感じです。

 

そんなキハ54が岩見沢に来ていました。現在、岩見沢ー旭川間の普通列車運用、滝川行きの1本がキハ40系、留萌線送り込み便がキハ54系なのを除いて、H100型と737系のみで運用されています。つまり、この区間にキハ54系は来ないはずなのですが…??

 

以前、キハ40系に連結されて行われていた、札幌の苗穂工場・札幌運転所への送り込み回送は考えられますが、それだとしたら岩見沢に停泊せず直通で行くと思います。

 

 

…なんでしょう、岩見沢運転所絡みってことなんですかねぇ…(;´・ω・)

 

 

ではまた次回です~('◇')ゞ