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北海道限定の鉄道ブログ

北海道の鉄道についてならどんな分野にも手を出す人のブログ。
乗り鉄・撮り鉄・Nゲージ・プラレール・廃線探訪など

たまたま見た🚢特集です。函館は港町。大きい船がいることは特におかしいことではないのですが、それでもこのサイズは結構びっくりします。

 

今回寄港していた🚢は、香港を拠点とするノルウェージャン・スピリットらしいです。

この船が、どれくらいかって言う話をしますと

 

函館といえば青函連絡船、摩周丸が保存されています。この船の横が、クルーズ船の停泊場所になるわけですが…。

 

正面にちらっと映ってるのが、いつもは大きく感じている摩周丸です。この日だけは、摩周丸が漁船?って思えるようなサイズ。夕日をバックに、幻想的なクルーズ船を拝めました。こういうのに乗るのも楽しそうですね…(遠い目

 

 

 

次の船はこちら。護衛艦「みょうこう」です。

主砲・VLS装備の立派な戦闘艦…ってことでいいんですかね、前者と合わせてたまたま函館いたタイミングで寄港していました。一般公開中でしたので、せっかくだからお邪魔してきました。

 

といっても、機密情報の塊。CICやその他戦闘指揮所等が見れるはずもなく、艦橋と甲板くらいの公開でした。とはいえ、艦橋から見る函館山は絶景でした。双眼鏡からは、函館ドック近くに停泊中の「えのしま」「いずしま」がのぞけました。

 

主砲と函館空港へ着陸する飛行機をセットで。ちょうどアプローチコースと一致したため、乗り物大集合となりました。ふ頭にはキハ40もいましたし←

 

 

というわけで、予定外の乗り物をいっぱい見た函館となりました。

 

 

 

ではまた次回です~('ω')ノ

函館…函館貨物駅近くのふ頭に、以前キハ183系がいたかと思います。

 

 

これらの車両は、無事にカンボジア・ロイヤル鉄道への売却が出来たようで、現在塗装を変更したり変更しなかったりしながら準備が進んでいます。

 

一方で、その跡地は今どうなってるんでしょうか…

 

あれぇ…??

 

筆者、油断してびっくり 第2段。キハ40がずらりと待機していました。

そういえば、2024年3月ダイヤ改正で置き換えとなったキハ40が函館に集結し、7月くらいにふ頭まで輸送されていた…ような??

 

ということで、キハ40系 総勢10台が待機していました。圧巻です。

 

この日は、たまたま護衛艦「みょうこう」が来ていたので、高い位置からキハ40を拝めました。大変ラッキー。

 

というわけで、海側Aグループ・・・と名付けましょう。

よく見ると、種別表示幕が「回送」「修学旅行」「快速ワンマン」と、旭川からの廃車改造組は遊ばれております((

こちらの5台は

 

・キハ40-1792

製造時から廃車まで、生粋の函館車両

・キハ40-1762

2000年台は苫小牧配備、2021年に函館転属

・キハ40-1724

ワンマン化後は廃車まで旭川所属…元「キツネ」号ですね

・キハ40-1751

1990年代初頭から釧路の車両 = ヘッドマークステーあり、2022年の全廃後は旭川に転属

・キハ40-1740

製造当初からの釧路組、2022年の全廃後は旭川に転属

でした。以外にも函館廃車の車両は少なく、函館2台・旭川3台の配分。

 

続いて、陸地側5台 Bグループの紹介です。

 

・キハ40-1811

ワンマン化後、一瞬苗穂にいましたが、それ以降は函館の車両

・キハ40-1813

ワンマン化改造後、通して函館の車両

・キハ40-1804

ワンマン化改造後、通して函館の車両。元番号はキハ40-222

・キハ40-1704

製造当初から苫小牧所属ですが、初期配置はなんと「室蘭機関区」らしい

2021年のH100型投入時に、函館に転属

・キハ40-1771

ワンマン化改造後に函館→旭川にいましたが、1993年以降苫小牧の車両

1704と同じく、2021年のH100型投入時に函館に転属

 

の5台でした。元苫小牧勢が2台いるものの、Bグループの最終配置は全車函館ですね。

 

ということで、合わせると最終配置基準では、函館車が7台、旭川車が3台の構成となりました。

2000年代のメイン配属で見ると、釧路車が2台、旭川車が1台、苫小牧が3台、函館が4台でした。

 

Aグループ先頭列。キハ40-1792の横ショットです。函館車なので、ドアに「自動ドア」の文字が残るのが特徴…でしょうか。あとタイフォンは残っている組なので、屋根上の笛は設置されていませんね。

 

Bグループ先頭。キハ40-1811の外観。2000年代に函館にメイン配備されていた車は、先頭部のジャンパの受けが埋められているのが特徴です。

 

キハ40-1811の横ショット。1792との違いが…判りません(笑)

 

 

というわけで、函館ふ頭のキハ40でした。

今度はどちらに輸出されるのでしょうか??

 

ではまた次回です~~~(/ω\)

オホーツクエリアの保存車巡りは前回で終わりですが、名寄本線をたどっていくと名寄駅のギリギリ手前に保存車があります。有名なキマロキ編成ですね。

 

元々は別の場所…もっと東側の山側にあったようですが、名寄本線の廃止を機に、名寄本線のカーブ上まで移動されています。今ではヘッドライトも光るすてき仕様です。

 

キマロキ…正確にはキマロキヨですが

機関車・マックレー車・ロータリー車・機関車(+ ヨ ・・・ 車掌車)で構成された、当時最強の排雪編成になります。長さも迫力もあるせいか、保存されるに至りました。

 

先頭の59601は、9600型になります。生涯のほとんどを名寄機関区に所属していた、名寄ゆかりの機関車。状態もいい感じです。キマロキ編成は、ヨを除いて全車中に入れるのが魅力。蜘蛛の巣だけ気を付けてくださいませ。

 

次位はマックレー車「キ911」です。この車両だけ、一般の方にはわかりにくい車両かと思いますが…。

 

上興部駅保存のDD14-302のラッセルヘッド。この「羽」の部分に該当します。線路の左右の雪を線路によせるのが仕事です。当時は技術が今比較で未熟ということで、先頭部に羽根つきのロータリー除雪機を付けた車両を入れるのは不可能だったためか

 

①まずはラッセル車で線路上の雪を避ける(除雪)

②避けた雪が締まりすぎないうちに、キマロキを投入、①の雪をマックレーで寄せて、ロータリーで遠くに飛ばす(排雪)

 

という②工程で、雪かきを行っていたのです。

 

当然、マックレーの後ろにはロータリー除雪車。つまり線路に持ってきた雪を遠くに飛ばす排雪車が入ります。キ604になります。

 

マックレー] ー [ロータリー

の連結部です。一般的な自動連結器等ではなく、棒状の連結器?が付いています。

 

最後に、後ろから押すための機関車。こちらはD51が選ばれています。 D51-398です。一つ前のD51-397が士別のつくも水郷公園に保存されています。連番で保存されているのもちょっと面白いな…と思いました。

 

一番後ろはヨ4456ですね。川崎新規製造分のヨ3500に該当するようです。よくわかりません←

 

 

といった感じで、今回はキマロキ編成の1台毎を見ていきました。

 

編成で見るのが好きですが、こういった見方もまたよいものです。

 

 

ではまた次回です~ヾ(≧▽≦)ノ

今回の保存旅もいよいよラスト。キハ22系が2両編成となっているのは興部駅跡のライダーハウスと同じですが、こちらは比較的、首都圏色を維持しています。謎の緑ラインが入っていますが…。

 

場所はこちら。旧下川駅の若干北よりの場所に保存されているっぽいです。航空写真で照らし合わせる限りは、保存されている場所は名寄本線の線路が引いてあった場所ではなく、保存にあたって新たにひいた線路っぽいです。

 

遠軽側に保存されているのがキハ22-245になります。最終配置は旭川のようです。246からが200番台の後期型なので、200番台前期型の最終製造車両となります。要するに:後ろのやつと一緒ってことです。

貫通扉も非常口として扱うためか、台座が付いていて、先頭部が奇麗に見えません。残念…。

 

名寄側に保存されているのがキハ22-237です。緑の線は、廃止後にまかれたようです。キハ22-245と合わせて、名寄本線の廃線時に下川駅に留置され、廃車となりました。名寄本線はJR化後もわずかながら残っていた組。そのため、これらのキハ22には「JRマーク」が入っています。こちらも結構珍しい…気がします。幸福駅のキハ22-200にはJRマークはありませんでしたので。

 

連結面です。連結自体はされていますが、興部駅とは異なり幌はつながっていません。かつてはこの2台のほかに、200番台後期型のキハ22-264も保存されていたようなのですが、2000年には既に解体されていたようです。何があったんでしょうねぇ…。

 

ちなみに。この腕木式信号機とキハ22 2両以外は特にないです。下川駅に関する保存は特になさそうです。後ろの下川バスターミナルには、他の駅同様に鉄道資料館があるそうですが、この日は閉館日でした…日曜はだめみたいです。

 

というわけで、下川駅跡のキハ22でした。緑のラインが意外と似合ってますな。お座敷車は緑のラインをいれるんでしたっけ?

 

 

ではまた次回です~(*´ω`)

興部を出て西に向かいます。名寄本線を名寄方向に向かう感じです。

 

次の目的地は、旧上興部駅です。ちなみに興部から

 

興部駅北興駅→宇津駅→班渓駅→中興部駅六興駅西興部駅上興部駅

 

と、興部に関すると思われる駅が区間に6駅もあります。市町村区分でも、興部町の西は2024年でも西興部村となっています。合併してないんですよ~。

 

上興部駅には、キハ56系「キハ27-109」が保存されています。キハ56系の保存は大体が0番台で、200番台の保存は無し。100番台もキハ27が2台だけしか保存が無いはずです。

 

キハ22が保存されている場所は多いですが、キハ56系が保存されているところは多くなく、筆者としてはずっと見たかった保存車両の1台でもありました。

 

キハ27-109は、1990年廃車。JR北海道に引き継がれた車両の1台となります。

 

名寄本線の廃止が1989年なので、廃線後も多少運用に入っていた車両かもしれません。つまるところ、興部駅のキハ22とは異なり、廃線時には上興部駅におらず、廃車後にトレーラーで移送されたものと思われます。

 

最終所属は旭川区。検査も、当時あった旭川車両センターで行われていたようです。

 

保存状態はそこそこですね。

 

 トレーラーでの輸送だったためか、キハ27の駆動エンジン(DMH17)が付いていません。他にもあるであろう、何かしらの床下機器がすべてないようで、代わりにダミーの箱が付いています。車重や高さ制限なんかで輸送が難しく、床下機器をすべて外して台車だけ持ってきた…んでしょうかね。最近の保存では、特急型で重量もありそうなキハ183-0がエンジンごと移送されているので、現代では問題ないようですが…。

 

 一方で、JR北海道引継ぎ車両ということで、国鉄急行色に「JRマーク」が貼ってあるのが特徴です。北海道の保存車両は多くが国鉄時代に廃車になった車両のため、この「JRマーク」が結構珍しかったりします。

 

上興部駅にはもう1台…1台と言えるんでしょうか…

ロータリーラッセルの先頭部があります。

 

三笠鉄道村のですが…。DD14型ディーゼル機関車のラッセルヘッドですね。某wikiさんによれば、DD14-302の先頭部らしいです。正面から見るとカニさんみたいです。ちなみに、DD14-302も一部分が現存しているっぽいです。某所にございます。

 

 

上興部駅は、線路2本と駅舎が保存されています。駅舎の中はエンジン付きトロッコとか、トロッコとかが保存されています。あとは旭川車両センター解体時にくれたのか

 

こんなものとか、名寄本線の資料とかがいっぱい入っています。すごい。

 

線路については、ホーム端で線路が途切れていますが、車止めは律儀に設置されています。一方、線路上には踏切も刺さってます。ちょっとだけ詰め込み感がありますね💦

 

というわけで、上興部駅でした。

 

ではまた次回です~♪

無くなることがあったとしても、それまでに1度見てみたかったのがこちら。

名寄本線・興部駅跡に保存されているキハ22系2両編成です。ご覧の通り、「トワナントカエクスプレス」チックな塗装でかっこいいんですよ~~~。

 

RUGOSA EXPRESS(ルゴーサ・エクスプレス)の名前が付けられ、専用の塗装をされた上で休憩所・宿泊施設として使用されています。

 

場所もわかりやすいです。興部町の道の駅にあります。同所に前からライダーハウスとして使われているのがこのキハ22です。

 

ホーム側から撮った写真です。両ドアを開けて待機する姿はまるで現役車両のようでした。

 

こちらのキハ22は、2台とも200番台となっています。車両が置いてあるこの線路は興部駅1番線…かどうかは微妙ですが、このキハ22型2両は名寄本線廃止時に駅の側線に放置されていたことが最近ネットに上がった写真で判明しました。

 廃車時に運転所ではなく廃線の駅に置いておくことで、移動コストを抑えて保存を行うスタイル、今でもやってほしいくらいですが、最近は廃線と同時に廃車になる車両が出てきませんね…。

 

道の駅の建物側…名寄本線にして遠軽側に止まっている車両がキハ22-202になります。

 

 この2両のキハ22の車体番号は202と251であることネット上に上がっているのですが、意外にも、どっちがどっちなのかはネット上に上がってません。遠軽側の車両が251という情報もありましたが、実は見分ける方法があります。

 キハ22型は屋根上のベンチレータの数が製造時期によって異なり、200番台の場合は201~245が7個、246~が9個となっていて、こちらの車両はベンチレータが7個のため、遠軽側がキハ22-202であるとみて間違いないです。

 

こちらの車両は、サロン~憩いの場~と書いてあり、昼に開放している休憩場所となっています。今回訪問が昼だったのでこちらには乗ることが出来ました。

 

片列は原型のボックスシートを残しつつ、片方はカフェにあるようなイスとテーブルに変わっています。また、ボックス側も真中にテーブルが配置され、ご飯とかが食べやすくなっています。今では現役車両でもほとんどなくなった国鉄型ボックスシートで食べるご飯、ありですね。

 

今回は時間が無く、訪問まででしたが、次回はご飯とか食べたいですね~~。

 

 名寄本線の名寄側に止まっている車両が、ベンチレータが9個載っているため、キハ22-251になります。一応、ベンチレータが9個となった最終型のキハ22では、唯一の保存車になります。廃線当時は名寄側に202が止まっていたため、保存場所への移設時に前後が入れ替わったことになりますね。

 

こちらはホテル車両。いわゆるライダーハウスとして使用されていて、交通記念館で手続きをすれば無料で止まることが出来るそうです。近くにお店や先頭もあるうえ、車内に洗濯機も用意されているとのことで、かなり安心して夜を越せそうです。

 

畳の車両に毛布を敷いて、みなさん同じ車両で寝る、といったコンセプト。道の駅併設で奇麗なトイレもあるので、かなり安心です。鉄道車両で寝ることが出来る、今ではそれなりに珍しい施設じゃないかと思います。

 

コンセントもついているようで、さながらかつての急行はまなすのカーペットを思い出します。どっちかといえば、はなたび利尻のお座敷車両ですけど←

 

現役当時のものかはわかりませんが、このキハ22-251はトイレが現役らしいです。よって和式ですけど、当時のトイレが使えるのはかなり珍しいケースですね。

 

連結面。連結しているのはもちろん、幌がつながっています! 三笠や小樽以外ではかなり珍しいケースかも。

 

 

 

 

連結はされていますが、貫通扉は閉まっていました。まぁ、昼に開放しないホテルルームへの扉を開ける理由がありませんもんね💦

 

運転台は…まぁ埃をかぶってますね。

 

興部駅跡は他にめぼしいものはありませんが、動輪があります。

D51-365の動輪だそうです。チェックしたですがそれっぽい刻印は無く「たぶんそう/部分的」にそう くらいの判断しかできませんでした。

 

 

というわけで、興部駅跡のキハ22でした。

 

ではまた次回です~♪

渚滑線も終点…というか起点の渚滑駅までやってきました。

 

 

線路が開通したころは、渚滑村の中心駅となっていましたが、1957年の合併で紋別市になっています。地形上もほぼ紋別市の街はずれのような位置関係で、紋別市と渚滑で紋別都市圏のようになってるともとれます。ここにあった渚滑駅が、渚滑線と名寄本線の分岐駅になっていたわけですが、

北見滝ノ上駅に展示されていた時刻表を見る限り、始発終電以外は、紋別や遠軽に直通していたみたいですね。第1次地方交通線にありがちな、通勤通学時間帯と、帰宅時間帯だけの運転…。

 

そんな渚滑駅は、パークゴルフ場や食品加工センター等があり、駅は特に残っていないのですが、当時は2面3線の駅に何本もある側線や転車台…機関区?まである大きな駅でした。

 

そんな駅だった場所には9600型が1台保存されています…もともとは、紋別市運動公園の現在の自由広場のあたりに保存されていたのですが、2000年過ぎにこの渚滑駅跡に移設されています。

おそらく、同所のリニューアル工事を行うにあたって解体の話が持ち上がり、反対の声に対応して移設になった、といった流れなんじゃないでしょうか?

 

車内に入れるように階段まで設置されていますが、残念ながら立ち入り禁止。残念…。

 

数年前まで黒一色でしたが、現在は入れ替え機特有のゼブラ塗装が入っています。

 

渚滑駅跡への移設が2004年なので、レールは当時のものではなさそうですね。JRから調達したものでしょうか?

 

というわけで、この日3台目の9600型。軽くて末期まで使われた蒸気機関車のため、D51ほどじゃないかもですが、かなりの保存台数のある機関車です。

 

というわけで、渚滑駅跡の9600型でした。先述の通り、周囲にはパークゴルフ場と建物が建っているだけのため、後は特に…

 

・・・??

これ、もしかして車庫では…??

 

調べてみましたが、この車庫のほかに数戸の蔵が残っていて、一部は「屋内パークゴルフ場」として冬季のパークゴルフ愛好家に使用されているようです。なんとも意外な建物が残っていました。

 

 渚滑線現役時代には始発列車がある駅でしたので、この蔵もキハ22なんかを夜間停泊させるために使っていたのかもしれません。末期は駅舎側の1本の線路だけの使用となっていて、これらの蔵はまず使われていなかったと思うので、現存どころか現役で使われているのはすごいことかと思います。

 

ちなみに:今回は時間もなくて訪問できませんでしたが、近くの渚滑小学校には全国唯一の校内に線路があった学校ということで、復元線路があったり、このパークゴルフの休憩所は渚滑駅という看板があったりするそうです。次回訪問することがあれば、見てみたいですね。

 

ではまた次回です~((+_+))

あんまり廃線跡が無さそうな渚滑線ですが、途中の上渚滑駅はモニュメントがあります。

 

こちらです。線路と駅が残っている!…ように見えますが

 

地図をよーーーく見てもらえればわかると思いますが、渚滑線の跡に対して90°横を向いています。

つまり…この線路は渚滑線の線路跡…というわけではなさそうです。

 

渚滑線の線路を流用したのかはわかりませんが、後から作ったモニュメントのようですね。少なくとも、駅のホームっぽくなっている部分は、公園のために作ったもののようです。クオリティ高いな

 

どこからか持ってきた踏切と、エンジン付きの起動自転車が2台。なんか体験でもやってたんでしょうか…?

 

・・・と、これだけです。保存車両は無いので旅程としてはスルー予定だったのですが、個人的に気になったので予定を変更してちょっと寄ってみました。

 

ちなみに、駅跡の横の建物には渚滑線の資料もある、資料館?が併設されているのですが、なんと開館日が平日のみ…この日は休日だったので止む無く断念。

 

見るものも見たので、次へ向かいました。

 

 

ではまた次回です~♪

丸瀬布から人っ子一人いないような道を30分だか1時間だか…もう時間の感覚もよくわからないくらい走ったところで、滝ノ上町に入ります。芝桜で有名な街ですね。

 

ここにも鉄道が走っていたわけですが、他の路線と違うのが、札幌から放射線状に伸びる線路ではなく、オホーツク海側から内陸…札幌方向に延びる線路なのです。現在は長距離バスが札幌から直通していますが、そのバスが走る札幌方向側には伸びていないのです。計画はあったそうですが

 

…というわけで、今回は渚滑線の終着駅。北見滝ノ上駅になります。北海道内で同名の駅がありましたが、2024年3月に廃止となった「滝ノ上駅」は、石勝線…夕張市の駅になります。向こうの開業が1897年、こちらが1923年開業で、後の開業となったためか、「旧国名+地名」の駅名となってしまいました…(向こうは当時から市町村が夕張だったと思うので、本来であれば逆が望ましいのでしょうけども…)

 

1985年に廃止となったわけですが、終着駅のこの駅は、滝上町の中心部だからなのか駅舎が保存されて資料館となっています。中には渚滑線に関するグッズがたくさんありましたが、待合室用の椅子は北海道博物館で開催されていた「みんなの鉄道」イベントに貸し出されていました。

手入れがされているようで、結構綺麗です。

 

そんな北見滝ノ上駅の裏に、ちっこい機関車がいます。いわゆる移動機械だと思うのですが、どこの何様だったんでしょうか…。意外と、この駅で使っていたりするのか 今回は調べておりません←

 

ふふっ ちっちゃいです。

ぶっちゃけ、近くに目的の車両が無ければ、保存車巡りの対象外にさせてもらってたくらい小さい←

 

そして、そんな線路の横に…ホームがありません。ここ駅跡なんですけどね…。

wikiさんによれば、廃止後に駅舎を山側に移動したとのことで、その際に駅舎を嵩下げしたんじゃないかと思います。この影響なのか、駅舎と線路の間が非常に狭くなっていて不思議な空間になっています。

線路は…おそらく当時のものと思われますが、旅客車両が入る本線ではなく、一番山側の側線だと思われます。なかなか特殊な保存形態ですねっ

 

 

…と、これだけでも渚滑線の歴史が十分学べる施設なわけですが、滝上町にはもう一つ、なんなら豪華な鉄道保存施設があります。

 

それがこちら、滝上町郷土館です!!!

 

 

・・・

 

 

 

入口の写真撮るの忘れてました…。

ちなみに:12時半に着いたのですが、こちらの郷土館は12時ー13時は昼休憩で休館しているので来訪の際は気を付けてください。あと入館料が150円/人のはずです。

 

 

全国的に…あるのかはわかりませんが、少なくとも北海道の各市町村に一つはあるであろう郷土館/資料館。鉄道がある街であれば、もちろん鉄道に関する資料があることも多く、隠れ鉄道施設ともいえる場所ですが、滝上町の郷土館にはなんと

 

SLが保存されています。しかも完全屋内保存です。マジか

今回の保存車両は9600型蒸気機関車の39628です。副灯付きで、デフにゼブラが塗ってあるのが特徴的ですね。

 

屋内保存というだけあって、きれいですが結構塗装がごてごてしてます。配管は赤いし、ロッドは青いです。意外だったのが、車内に入ることが出来ませんでした。加えて、屋内保存なのに、画像のホームっぽい部分しか出入りできません。ちょっとしょっぱい…けど、変なところ入られて怪我をされても郷土館さん側としては困りますね…。

 

テンダーの石炭を入れる部分嵩が増設されて高くなってます。屋内保存のおかげでここもきれいに残っております。

 

ちなみに保存車両はもう1台

ラッセル車、キ277です。降雪期の長い北海道ではさほど珍しいわけでもないラッセルの保存車両ですが、こちらも屋内保存ということできれ…いではりますが、塗膜が直射日光でボロボロになっております…。そのうちだれか塗ってくれる…んでしょうか。

 

ラッセルに至っては先頭部分が展示室側からは見ることが出来ません…外の窓ガラス越しに撮るしかなかった…。

 

地震等も多くないエリアだからか、連結してから何年経ったのかわからない連結部分もいい状態を保っておりました。何気に、屋内で連結状態の保存車両は、北海道ですとかなり珍しい気がします。というか…あれ、もしかして小樽のしづか号+開拓使号くらい…?

(移動機械との連結、であれば何例かある気もしますが…)

 

ちなみに、SLが保存されているこの郷土館の線路は渚滑線の廃線跡…というわけではありません。ただ、車庫の後ろ側を見ると、レールが伸びています。上の写真じゃ全然わかりませんが左の機械の先にちらっと見えます。こちらはSL搬入の際に使われたもの、ですかね。

 

ちなみに:他の展示物もやたら多くて、入場料150円があまりに安すぎました。ボリュームが半端ないです。なんか、メインの塔以外に2つも離れがあるんですよ←

 

滝ノ上町の芝桜シーズンなんかに、併せて行ってみてもいいかもですね。

 

 

それではまた次回です~(=゚ω゚)ノ

新得駅に行った…というか、新得駅が用事だったので、着いたところ…

 

(。´・ω・)ん?

 

キハ261系が放置されていました。

 

そのうち見られなくなるURLを貼っておきます。

 

 どうやら、10月11日の特急おおぞら1号が、トマム→新得間…すなわち石勝線区間(推定で串内→上落合間)で熊と衝突したものによる部分運休が原因のようです。同衝突で、キロ261-1121のATS車上子が破損し使用不能となったとニュースからは取れます。

 同日のおおぞら1号は、ATSを切った状態で新得まで走行し、その後打ち切りとなったみたいです。

 

…大変だなぁ…と思い作業を続けていましたが、なにやら「ピッ」っと警笛がなっていて、そういえば国鉄DLの警笛じゃね?と思ったら…

 

お?釧路からDE10-1661がやってきて、回収していきました。おおぞら1号はキハ261系の釧路車両所所属の運用ですので、釧路に持ち帰って修理となるものと思われます。

また、後続3両は特に損害を受けてないと思いますので、随時運用に戻ると思われます。

 

というわけで、編成は

DE10-1661 + ST1121 + キハ260-13?? + ST1221

でした。突然のことで中間車の番号をすっかり見落としてました…1345とかそんな感じだと思うんですけどね…

 

というわけで、また次回です~(*´ω`)