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北海道限定の鉄道ブログ

北海道の鉄道についてならどんな分野にも手を出す人のブログ。
乗り鉄・撮り鉄・Nゲージ・プラレール・廃線探訪など

北海道の鉄道好きなら大体みなさんご存じであろう、道の駅「あびらD51ステーション」。

 

冷静に考えれば、道の駅としては明らかに異色で、博物館クラスの保存車両を有しています。

 

用事で行くことが多く、弊ブログでは、保存車両に焦点を当てた回があったようななかったような状況なので、ここで全部取り上げておこうと思います。

 

まず、道の駅についたら目につくのがこちら。キハ183-214です。クラウドファンディングを行い、解体予定だった当車両をオホーツク色から国鉄特急色に塗り替えて安平に輸送されました。

 

以前の記事でも上げた、現役時代のキハ183-214です。キハ183-14→キハ183-214は、1990年代前半に、オホーツクの「キロ182→キロハ182(車販準備室の普通席可)」改造に対応して、車販準備室を備え付ける改造を行い、以後は「オホーツク」のほぼ専用運用となっていました。

 

2016/5/25の77D 特急オホーツク7号。現役からの復元措置として、客室窓の補強(ポリカーボネート板)の撤去、塗装の変更を行っています。

 

また、JNRエンブレムをどこからか調達してきて、当時キハ183系が付けていた位置に復元されています。

 

このほか、ヘッドマークはキハ183-214廃車当時につけていた「大雪」追加仕様の幕ではなく

実際に本線で走っていた方の国鉄色。「キハ183-1」or「キハ183-2」の幕を組み込んでいます。このため「北海」「おおとり」といった、国鉄色ならではの幕を見ることが出来ます。キハ183-214はエンジンは休眠状態ですが、電源については地上から引っ張ってきてほぼすべて使えているようで、ヘッドライト・室内灯の点灯、ヘッドマークの自動切り替えができています。

 

逆エンドです。ちょっと塗装がやられてきましたね…💦

こちらはオリジナルのキハ183-0ではなく、先の車販準備室設置に伴い、客室ドア横の小窓が埋められています。

 

キハ183-214は車内の一般公開や、列車旅風のイベントを行っており、乗ることができ、そのための階段が設置されています。イベントの方は、車内でお弁当食べながら旅行気分を味わえるはずです。

 

詳細はクラウドファンディングのページへどうぞ。結構いろいろイベントやっていたようです。2024年度の展示は、終わってしまいましたが2025年度もいろいろやっていただけると思います。

 

中に入ると追分駅旧駅舎風?の屋根と一緒に、D51が見えます。この感じ、理想がそのまま体現された感じがして非常に好きです。

駅舎の真ん中付近には、追分機関庫のジオラマが展示されています。追分機関区は、日本で最後まで現役蒸気機関車が配属された機関区ということで、非常に有名でした。ですが、その現役蒸気が役目を終え、機関庫で保存を待っているそのタイミングで、このジオラマに移っている扇形機関庫が火災で全焼、中で保存を待つ機関車もろとも燃えてしまいました…(逆に、当時最新鋭だった製造直後のDE10・DD51型ディーゼル機関車も燃えてしまいました…)

 

そんな、悲劇の機関庫…といっていいのでしょうか、そんな機関庫のジオラマが展示されています。ちなみに、通常はケース入れられての展示ですが、イベントの際には中のNゲージもターンテーブルも動きます。

 

pop1

…と、ちょうど今週ですね。Nゲージの大きいジオラマもあるので、良ければどうぞです。

 

そんなNゲージのブースの先には、保存されているキハ183系・燃えてしまった追分機関区や、廃線となった夕張支線に関する展示があります。それと合わせて

言うまでもなく本物の蒸気機関車。D51-320号機が保存されています。静態保存ですが、移動機械を利用して動くことができ、夏季シーズンの指定日に、道の駅の建屋から、キハ183系の横まで動く姿が見られます。石炭を燃やしていないとはいえ、この大きさの機関車が動く姿は大迫力です。

 

D51-320 は道南線区がメインの機関車。追分は1972年からの配属で、所属としてはわずか4年だけになります。

SL全廃後、追分の機関庫では「国鉄蒸気 本線最後の日」である1975年12月24日に運用に入り、保存予定だった機関車が全車保存されていましたが、これらの車両が1976年の機関庫火災で保存できずほぼすべて解体。追分に保存される予定だった機関車が、本線最後の貨物機だったD51-241だったかは筆者は把握しておりませんが、全焼となったSLの代わりに、廃車解体予定だったこのD51-320が保存されることになったのです。

 

ある意味、”亡くなった”みんなの気持ちを背負って、この320号機はきっと来年も動くのでしょう。

 

そんなD51の後ろには

屋外展示日にD51を出し入れするための機関車…入れ替え動車がいます。何気に北海道で数少ない動態保存の1台です。協三製の10tディーゼルですし、どこかの駅で貨車の入れ替えをしつつ、冬に除雪をしていたんだとは思います。どこの駅なんでしょうね()

 

さて、これで全車両かな?と思いきや、意外なところに保存車がいます。

キハ183系の真後ろ、D51建屋の裏に、貨車が編成を組んでいます。

ワムワムワムヨ という構成。国鉄貨車編成っぽくていいですね。

 

台車付き車掌車の保存も探せばその辺にいましたが、最近はみんな解体されちゃって見なくなりました…。

 

さて、この個体は…ってなんですかこれ!?車掌車なのに幌が付いてる…????

 

あ”!!!あれか!!

 

函館大沼号や冬の湿原号を中心に、現在も残るSL列車向け14系客車。いわゆる「すずらん号編成」の端っこに連結されていたこいつです。そういわれてみれば、SL冬の湿原号には連結されていませんでした。廃車になって保存されたのですね。

この車両は、SLの真後ろになると閉鎖されてしまいますが、車端部に乗ることが出来ました。SLのにおいが漂う、開放感あるデッキでのSL旅は格別で、指定席を買ったところで座ることがほとんどなかったほどです(笑)

 

今ですと、逆に人気が高すぎて取り合いになりそうですし、無くなって然るべき…なのかもしれませんね(´;ω;`)

 

後ろにはワムが連結されています。

ワム186959 + ワム186833 + ワム184336 (+ ヨ4647)という編成になります。全てワム80000型、いわゆる「ワムハチ」ですね。もともと、D51-320と一緒に、追分の鉄道資料館にありました。

 

ハワムと書いてありますが、形式はワム80000。ハは「パレット積み」からきているそうです。本当は「ハ」が小文字っぽいんですけどね💦

 

というわけで、再度になりますが、道の駅あびらD51ステーションの保存車両を取り上げてみました。総勢7台の保存車両を、良かったら見に行ってみてください。といっても、保存車両を見に行くなら次は4月末くらいになりますね…冬囲いされちゃった時期ですので。

 

ではまた次回です~('ω')ノ

[

初めて宮の沢駅まで行った際、東西線が2本並んでいたのですが、ちょっと意外な違いが。

 

東西線といえばこの感じ。ホームドアがある関係ですっかり車両が撮りづらいのは仕方ないですが、この南北線より角ばってなくて、東豊線のようにシュッとはしていない顔なわけですが。

 

わかりますでしょうか。今は行き先表示の部分がフルカラーに変わっています。しかも、デザインが変わっております。南北線でも行われていて、更新工事が行われたものと思われます。筆者も更新工事が行われたことは知っていたのですが、逆に未更新の車両が残っているのが意外でした。

 

南北線にも、フルカラーではない車両が残っています。いずれも、車内にLCDが装備されている車両のため、2010年前後に製造された最終グループが該当しているようです。1~17編成は1990年代後半製造ですが、18~20編成はその10年後に製造されているんですねぇ…。

 

更新された01~17編成の表示は、こんな表示です。背景が付いてカッコいい!

 

フルカラーLEDの行き先表示機の車両は、車内の電光掲示板も更新され、なんかカッコいいデザインになっています。LCDもいいですが、こちらもいいです。

 

ちょっとした、札幌市営地下鉄の話題でした。

 

ではまた次回です~♪

たまたま見た🚢特集です。函館は港町。大きい船がいることは特におかしいことではないのですが、それでもこのサイズは結構びっくりします。

 

今回寄港していた🚢は、香港を拠点とするノルウェージャン・スピリットらしいです。

この船が、どれくらいかって言う話をしますと

 

函館といえば青函連絡船、摩周丸が保存されています。この船の横が、クルーズ船の停泊場所になるわけですが…。

 

正面にちらっと映ってるのが、いつもは大きく感じている摩周丸です。この日だけは、摩周丸が漁船?って思えるようなサイズ。夕日をバックに、幻想的なクルーズ船を拝めました。こういうのに乗るのも楽しそうですね…(遠い目

 

 

 

次の船はこちら。護衛艦「みょうこう」です。

主砲・VLS装備の立派な戦闘艦…ってことでいいんですかね、前者と合わせてたまたま函館いたタイミングで寄港していました。一般公開中でしたので、せっかくだからお邪魔してきました。

 

といっても、機密情報の塊。CICやその他戦闘指揮所等が見れるはずもなく、艦橋と甲板くらいの公開でした。とはいえ、艦橋から見る函館山は絶景でした。双眼鏡からは、函館ドック近くに停泊中の「えのしま」「いずしま」がのぞけました。

 

主砲と函館空港へ着陸する飛行機をセットで。ちょうどアプローチコースと一致したため、乗り物大集合となりました。ふ頭にはキハ40もいましたし←

 

 

というわけで、予定外の乗り物をいっぱい見た函館となりました。

 

 

 

ではまた次回です~('ω')ノ

函館…函館貨物駅近くのふ頭に、以前キハ183系がいたかと思います。

 

 

これらの車両は、無事にカンボジア・ロイヤル鉄道への売却が出来たようで、現在塗装を変更したり変更しなかったりしながら準備が進んでいます。

 

一方で、その跡地は今どうなってるんでしょうか…

 

あれぇ…??

 

筆者、油断してびっくり 第2段。キハ40がずらりと待機していました。

そういえば、2024年3月ダイヤ改正で置き換えとなったキハ40が函館に集結し、7月くらいにふ頭まで輸送されていた…ような??

 

ということで、キハ40系 総勢10台が待機していました。圧巻です。

 

この日は、たまたま護衛艦「みょうこう」が来ていたので、高い位置からキハ40を拝めました。大変ラッキー。

 

というわけで、海側Aグループ・・・と名付けましょう。

よく見ると、種別表示幕が「回送」「修学旅行」「快速ワンマン」と、旭川からの廃車改造組は遊ばれております((

こちらの5台は

 

・キハ40-1792

製造時から廃車まで、生粋の函館車両

・キハ40-1762

2000年台は苫小牧配備、2021年に函館転属

・キハ40-1724

ワンマン化後は廃車まで旭川所属…元「キツネ」号ですね

・キハ40-1751

1990年代初頭から釧路の車両 = ヘッドマークステーあり、2022年の全廃後は旭川に転属

・キハ40-1740

製造当初からの釧路組、2022年の全廃後は旭川に転属

でした。以外にも函館廃車の車両は少なく、函館2台・旭川3台の配分。

 

続いて、陸地側5台 Bグループの紹介です。

 

・キハ40-1811

ワンマン化後、一瞬苗穂にいましたが、それ以降は函館の車両

・キハ40-1813

ワンマン化改造後、通して函館の車両

・キハ40-1804

ワンマン化改造後、通して函館の車両。元番号はキハ40-222

・キハ40-1704

製造当初から苫小牧所属ですが、初期配置はなんと「室蘭機関区」らしい

2021年のH100型投入時に、函館に転属

・キハ40-1771

ワンマン化改造後に函館→旭川にいましたが、1993年以降苫小牧の車両

1704と同じく、2021年のH100型投入時に函館に転属

 

の5台でした。元苫小牧勢が2台いるものの、Bグループの最終配置は全車函館ですね。

 

ということで、合わせると最終配置基準では、函館車が7台、旭川車が3台の構成となりました。

2000年代のメイン配属で見ると、釧路車が2台、旭川車が1台、苫小牧が3台、函館が4台でした。

 

Aグループ先頭列。キハ40-1792の横ショットです。函館車なので、ドアに「自動ドア」の文字が残るのが特徴…でしょうか。あとタイフォンは残っている組なので、屋根上の笛は設置されていませんね。

 

Bグループ先頭。キハ40-1811の外観。2000年代に函館にメイン配備されていた車は、先頭部のジャンパの受けが埋められているのが特徴です。

 

キハ40-1811の横ショット。1792との違いが…判りません(笑)

 

 

というわけで、函館ふ頭のキハ40でした。

今度はどちらに輸出されるのでしょうか??

 

ではまた次回です~~~(/ω\)

オホーツクエリアの保存車巡りは前回で終わりですが、名寄本線をたどっていくと名寄駅のギリギリ手前に保存車があります。有名なキマロキ編成ですね。

 

元々は別の場所…もっと東側の山側にあったようですが、名寄本線の廃止を機に、名寄本線のカーブ上まで移動されています。今ではヘッドライトも光るすてき仕様です。

 

キマロキ…正確にはキマロキヨですが

機関車・マックレー車・ロータリー車・機関車(+ ヨ ・・・ 車掌車)で構成された、当時最強の排雪編成になります。長さも迫力もあるせいか、保存されるに至りました。

 

先頭の59601は、9600型になります。生涯のほとんどを名寄機関区に所属していた、名寄ゆかりの機関車。状態もいい感じです。キマロキ編成は、ヨを除いて全車中に入れるのが魅力。蜘蛛の巣だけ気を付けてくださいませ。

 

次位はマックレー車「キ911」です。この車両だけ、一般の方にはわかりにくい車両かと思いますが…。

 

上興部駅保存のDD14-302のラッセルヘッド。この「羽」の部分に該当します。線路の左右の雪を線路によせるのが仕事です。当時は技術が今比較で未熟ということで、先頭部に羽根つきのロータリー除雪機を付けた車両を入れるのは不可能だったためか

 

①まずはラッセル車で線路上の雪を避ける(除雪)

②避けた雪が締まりすぎないうちに、キマロキを投入、①の雪をマックレーで寄せて、ロータリーで遠くに飛ばす(排雪)

 

という②工程で、雪かきを行っていたのです。

 

当然、マックレーの後ろにはロータリー除雪車。つまり線路に持ってきた雪を遠くに飛ばす排雪車が入ります。キ604になります。

 

マックレー] ー [ロータリー

の連結部です。一般的な自動連結器等ではなく、棒状の連結器?が付いています。

 

最後に、後ろから押すための機関車。こちらはD51が選ばれています。 D51-398です。一つ前のD51-397が士別のつくも水郷公園に保存されています。連番で保存されているのもちょっと面白いな…と思いました。

 

一番後ろはヨ4456ですね。川崎新規製造分のヨ3500に該当するようです。よくわかりません←

 

 

といった感じで、今回はキマロキ編成の1台毎を見ていきました。

 

編成で見るのが好きですが、こういった見方もまたよいものです。

 

 

ではまた次回です~ヾ(≧▽≦)ノ

今回の保存旅もいよいよラスト。キハ22系が2両編成となっているのは興部駅跡のライダーハウスと同じですが、こちらは比較的、首都圏色を維持しています。謎の緑ラインが入っていますが…。

 

場所はこちら。旧下川駅の若干北よりの場所に保存されているっぽいです。航空写真で照らし合わせる限りは、保存されている場所は名寄本線の線路が引いてあった場所ではなく、保存にあたって新たにひいた線路っぽいです。

 

遠軽側に保存されているのがキハ22-245になります。最終配置は旭川のようです。246からが200番台の後期型なので、200番台前期型の最終製造車両となります。要するに:後ろのやつと一緒ってことです。

貫通扉も非常口として扱うためか、台座が付いていて、先頭部が奇麗に見えません。残念…。

 

名寄側に保存されているのがキハ22-237です。緑の線は、廃止後にまかれたようです。キハ22-245と合わせて、名寄本線の廃線時に下川駅に留置され、廃車となりました。名寄本線はJR化後もわずかながら残っていた組。そのため、これらのキハ22には「JRマーク」が入っています。こちらも結構珍しい…気がします。幸福駅のキハ22-200にはJRマークはありませんでしたので。

 

連結面です。連結自体はされていますが、興部駅とは異なり幌はつながっていません。かつてはこの2台のほかに、200番台後期型のキハ22-264も保存されていたようなのですが、2000年には既に解体されていたようです。何があったんでしょうねぇ…。

 

ちなみに。この腕木式信号機とキハ22 2両以外は特にないです。下川駅に関する保存は特になさそうです。後ろの下川バスターミナルには、他の駅同様に鉄道資料館があるそうですが、この日は閉館日でした…日曜はだめみたいです。

 

というわけで、下川駅跡のキハ22でした。緑のラインが意外と似合ってますな。お座敷車は緑のラインをいれるんでしたっけ?

 

 

ではまた次回です~(*´ω`)

興部を出て西に向かいます。名寄本線を名寄方向に向かう感じです。

 

次の目的地は、旧上興部駅です。ちなみに興部から

 

興部駅北興駅→宇津駅→班渓駅→中興部駅六興駅西興部駅上興部駅

 

と、興部に関すると思われる駅が区間に6駅もあります。市町村区分でも、興部町の西は2024年でも西興部村となっています。合併してないんですよ~。

 

上興部駅には、キハ56系「キハ27-109」が保存されています。キハ56系の保存は大体が0番台で、200番台の保存は無し。100番台もキハ27が2台だけしか保存が無いはずです。

 

キハ22が保存されている場所は多いですが、キハ56系が保存されているところは多くなく、筆者としてはずっと見たかった保存車両の1台でもありました。

 

キハ27-109は、1990年廃車。JR北海道に引き継がれた車両の1台となります。

 

名寄本線の廃止が1989年なので、廃線後も多少運用に入っていた車両かもしれません。つまるところ、興部駅のキハ22とは異なり、廃線時には上興部駅におらず、廃車後にトレーラーで移送されたものと思われます。

 

最終所属は旭川区。検査も、当時あった旭川車両センターで行われていたようです。

 

保存状態はそこそこですね。

 

 トレーラーでの輸送だったためか、キハ27の駆動エンジン(DMH17)が付いていません。他にもあるであろう、何かしらの床下機器がすべてないようで、代わりにダミーの箱が付いています。車重や高さ制限なんかで輸送が難しく、床下機器をすべて外して台車だけ持ってきた…んでしょうかね。最近の保存では、特急型で重量もありそうなキハ183-0がエンジンごと移送されているので、現代では問題ないようですが…。

 

 一方で、JR北海道引継ぎ車両ということで、国鉄急行色に「JRマーク」が貼ってあるのが特徴です。北海道の保存車両は多くが国鉄時代に廃車になった車両のため、この「JRマーク」が結構珍しかったりします。

 

上興部駅にはもう1台…1台と言えるんでしょうか…

ロータリーラッセルの先頭部があります。

 

三笠鉄道村のですが…。DD14型ディーゼル機関車のラッセルヘッドですね。某wikiさんによれば、DD14-302の先頭部らしいです。正面から見るとカニさんみたいです。ちなみに、DD14-302も一部分が現存しているっぽいです。某所にございます。

 

 

上興部駅は、線路2本と駅舎が保存されています。駅舎の中はエンジン付きトロッコとか、トロッコとかが保存されています。あとは旭川車両センター解体時にくれたのか

 

こんなものとか、名寄本線の資料とかがいっぱい入っています。すごい。

 

線路については、ホーム端で線路が途切れていますが、車止めは律儀に設置されています。一方、線路上には踏切も刺さってます。ちょっとだけ詰め込み感がありますね💦

 

というわけで、上興部駅でした。

 

ではまた次回です~♪

無くなることがあったとしても、それまでに1度見てみたかったのがこちら。

名寄本線・興部駅跡に保存されているキハ22系2両編成です。ご覧の通り、「トワナントカエクスプレス」チックな塗装でかっこいいんですよ~~~。

 

RUGOSA EXPRESS(ルゴーサ・エクスプレス)の名前が付けられ、専用の塗装をされた上で休憩所・宿泊施設として使用されています。

 

場所もわかりやすいです。興部町の道の駅にあります。同所に前からライダーハウスとして使われているのがこのキハ22です。

 

ホーム側から撮った写真です。両ドアを開けて待機する姿はまるで現役車両のようでした。

 

こちらのキハ22は、2台とも200番台となっています。車両が置いてあるこの線路は興部駅1番線…かどうかは微妙ですが、このキハ22型2両は名寄本線廃止時に駅の側線に放置されていたことが最近ネットに上がった写真で判明しました。

 廃車時に運転所ではなく廃線の駅に置いておくことで、移動コストを抑えて保存を行うスタイル、今でもやってほしいくらいですが、最近は廃線と同時に廃車になる車両が出てきませんね…。

 

道の駅の建物側…名寄本線にして遠軽側に止まっている車両がキハ22-202になります。

 

 この2両のキハ22の車体番号は202と251であることネット上に上がっているのですが、意外にも、どっちがどっちなのかはネット上に上がってません。遠軽側の車両が251という情報もありましたが、実は見分ける方法があります。

 キハ22型は屋根上のベンチレータの数が製造時期によって異なり、200番台の場合は201~245が7個、246~が9個となっていて、こちらの車両はベンチレータが7個のため、遠軽側がキハ22-202であるとみて間違いないです。

 

こちらの車両は、サロン~憩いの場~と書いてあり、昼に開放している休憩場所となっています。今回訪問が昼だったのでこちらには乗ることが出来ました。

 

片列は原型のボックスシートを残しつつ、片方はカフェにあるようなイスとテーブルに変わっています。また、ボックス側も真中にテーブルが配置され、ご飯とかが食べやすくなっています。今では現役車両でもほとんどなくなった国鉄型ボックスシートで食べるご飯、ありですね。

 

今回は時間が無く、訪問まででしたが、次回はご飯とか食べたいですね~~。

 

 名寄本線の名寄側に止まっている車両が、ベンチレータが9個載っているため、キハ22-251になります。一応、ベンチレータが9個となった最終型のキハ22では、唯一の保存車になります。廃線当時は名寄側に202が止まっていたため、保存場所への移設時に前後が入れ替わったことになりますね。

 

こちらはホテル車両。いわゆるライダーハウスとして使用されていて、交通記念館で手続きをすれば無料で止まることが出来るそうです。近くにお店や先頭もあるうえ、車内に洗濯機も用意されているとのことで、かなり安心して夜を越せそうです。

 

畳の車両に毛布を敷いて、みなさん同じ車両で寝る、といったコンセプト。道の駅併設で奇麗なトイレもあるので、かなり安心です。鉄道車両で寝ることが出来る、今ではそれなりに珍しい施設じゃないかと思います。

 

コンセントもついているようで、さながらかつての急行はまなすのカーペットを思い出します。どっちかといえば、はなたび利尻のお座敷車両ですけど←

 

現役当時のものかはわかりませんが、このキハ22-251はトイレが現役らしいです。よって和式ですけど、当時のトイレが使えるのはかなり珍しいケースですね。

 

連結面。連結しているのはもちろん、幌がつながっています! 三笠や小樽以外ではかなり珍しいケースかも。

 

 

 

 

連結はされていますが、貫通扉は閉まっていました。まぁ、昼に開放しないホテルルームへの扉を開ける理由がありませんもんね💦

 

運転台は…まぁ埃をかぶってますね。

 

興部駅跡は他にめぼしいものはありませんが、動輪があります。

D51-365の動輪だそうです。チェックしたですがそれっぽい刻印は無く「たぶんそう/部分的」にそう くらいの判断しかできませんでした。

 

 

というわけで、興部駅跡のキハ22でした。

 

ではまた次回です~♪

渚滑線も終点…というか起点の渚滑駅までやってきました。

 

 

線路が開通したころは、渚滑村の中心駅となっていましたが、1957年の合併で紋別市になっています。地形上もほぼ紋別市の街はずれのような位置関係で、紋別市と渚滑で紋別都市圏のようになってるともとれます。ここにあった渚滑駅が、渚滑線と名寄本線の分岐駅になっていたわけですが、

北見滝ノ上駅に展示されていた時刻表を見る限り、始発終電以外は、紋別や遠軽に直通していたみたいですね。第1次地方交通線にありがちな、通勤通学時間帯と、帰宅時間帯だけの運転…。

 

そんな渚滑駅は、パークゴルフ場や食品加工センター等があり、駅は特に残っていないのですが、当時は2面3線の駅に何本もある側線や転車台…機関区?まである大きな駅でした。

 

そんな駅だった場所には9600型が1台保存されています…もともとは、紋別市運動公園の現在の自由広場のあたりに保存されていたのですが、2000年過ぎにこの渚滑駅跡に移設されています。

おそらく、同所のリニューアル工事を行うにあたって解体の話が持ち上がり、反対の声に対応して移設になった、といった流れなんじゃないでしょうか?

 

車内に入れるように階段まで設置されていますが、残念ながら立ち入り禁止。残念…。

 

数年前まで黒一色でしたが、現在は入れ替え機特有のゼブラ塗装が入っています。

 

渚滑駅跡への移設が2004年なので、レールは当時のものではなさそうですね。JRから調達したものでしょうか?

 

というわけで、この日3台目の9600型。軽くて末期まで使われた蒸気機関車のため、D51ほどじゃないかもですが、かなりの保存台数のある機関車です。

 

というわけで、渚滑駅跡の9600型でした。先述の通り、周囲にはパークゴルフ場と建物が建っているだけのため、後は特に…

 

・・・??

これ、もしかして車庫では…??

 

調べてみましたが、この車庫のほかに数戸の蔵が残っていて、一部は「屋内パークゴルフ場」として冬季のパークゴルフ愛好家に使用されているようです。なんとも意外な建物が残っていました。

 

 渚滑線現役時代には始発列車がある駅でしたので、この蔵もキハ22なんかを夜間停泊させるために使っていたのかもしれません。末期は駅舎側の1本の線路だけの使用となっていて、これらの蔵はまず使われていなかったと思うので、現存どころか現役で使われているのはすごいことかと思います。

 

ちなみに:今回は時間もなくて訪問できませんでしたが、近くの渚滑小学校には全国唯一の校内に線路があった学校ということで、復元線路があったり、このパークゴルフの休憩所は渚滑駅という看板があったりするそうです。次回訪問することがあれば、見てみたいですね。

 

ではまた次回です~((+_+))

あんまり廃線跡が無さそうな渚滑線ですが、途中の上渚滑駅はモニュメントがあります。

 

こちらです。線路と駅が残っている!…ように見えますが

 

地図をよーーーく見てもらえればわかると思いますが、渚滑線の跡に対して90°横を向いています。

つまり…この線路は渚滑線の線路跡…というわけではなさそうです。

 

渚滑線の線路を流用したのかはわかりませんが、後から作ったモニュメントのようですね。少なくとも、駅のホームっぽくなっている部分は、公園のために作ったもののようです。クオリティ高いな

 

どこからか持ってきた踏切と、エンジン付きの起動自転車が2台。なんか体験でもやってたんでしょうか…?

 

・・・と、これだけです。保存車両は無いので旅程としてはスルー予定だったのですが、個人的に気になったので予定を変更してちょっと寄ってみました。

 

ちなみに、駅跡の横の建物には渚滑線の資料もある、資料館?が併設されているのですが、なんと開館日が平日のみ…この日は休日だったので止む無く断念。

 

見るものも見たので、次へ向かいました。

 

 

ではまた次回です~♪