シングルママと不登校児のまいにち -8ページ目

出会い探し

倫太郎君、友達と遊ぶのが大好きなのです。 社交的というわけじゃないんですが、仲の良い子とだったら毎日でも遊びたくてしょうがない人なんです。


ところが最近、遊んでくれる人がいなくて...


近所に同じく不登校の友達R君がいて、今まで週に何回かはお互いの家に遊びに行っていたのですが、ここ2ヶ月くらい、ほとんど遊んでくれなくなりました。 理由は...、あんまり良く分かりません。 元々身体が弱い方なようなので調子が悪いのかもしれないし、もしかしたら友達と遊ぶよりは一人で過ごす方が性に合ってるタイプの子なのかもしれないしなーと思います。 

もう一人の友達T君は学校に行っているので今まで土日しか遊べなかったのが、ソフトを始めてしまったので土日もあまり遊べなくなってしまいました。


一人で部屋にいて本を読むとか、一人の時間を楽しめる子だったらまあ放っとくんですが、なんか毎日のように友達に「遊べる~?」と電話しては断られている倫太郎を見ていると、どっかで別の友達と出会えるような場を探してやってもいいのかなぁと思うのです。


で、私も実を言うとこのブログに書いてるようなことをぶっちゃけて話せるような友達が近所にいればいいのになーと思ってて、それで、ちらっと考えたんです。 例えば不登校の子と親が数人集まって、親は親どうしお茶しながらおしゃべりしてて、子供は子供でそのへんで勝手に遊んでるみたいな会を作れないかなぁーと。


実はなんか「親の会」の元代表の方が以前にそんなようなことをやっていたと聞いたので、先日親の会に行ってそれがどういうものだったのか聞いてきました。


それによると、それは市の施設の中にあるだだっ広い会議室を借りて、週に一度、午後の2時間程度、親と子合わせて30人くらいで集まってやっていたのだそうです。 親はお茶会しながら雑談、子供はその側で勝手に遊んでるという感じで。


私のイメージと近いのですが、私が思っているのはもっとこじんまりしたものなのですよね。


私はどうも、公共施設の会議室ってのが嫌いだし(リノリュウムの床とか、グレーの壁が嫌)、親子合わせて30人もいたら私も倫太郎も絶対引いてしまいます(^^;


そういうんじゃなくて、なんかもっと自宅で遊んでるのと近いような雰囲気で少人数で出来ないかなぁと。


場所として一箇所思い浮かぶのは市の相談センター(笑) あそこの施設は良いのですよ。 子供が遊ぶものは揃っているし、広めのリビングルームみたいな感じでね。 あそこ借りれたら良いなぁー。 でもああいうところって、職員に監視されるかな。 だいたい相談センターってところは不登校の子を学校に戻す役割を担ってる場所だから、コンセプトが相反しちゃってるもんね。


でもなんかそういう場所づくりって出来ないもんでしょうかね。


親も子も、友達と出会えるような場所が欲しいなぁ。 


いや、本音は、私も倫太郎も別に定期的に集まれる場所が欲しいんじゃなくて、気兼ねなくいつでも会えるような友達が一人いたらそれで十分なんですけどね... 

生命の底力

最近私はすごくガーデニングに興味を持ち始めて、自分でもバカじゃないかと思うほど花に夢中になってます。


ガーデニングといっても小さなベランダと、庭と呼ぶのもはばかられる日当たりの悪い物干しスペースがあるだけなのでたいしたことが出来るわけではないのですが、それでもそのスペースを耕して小さな花木を植えてみたり、ベランダにバラの鉢植えを置いてみたり、玄関前を寄せ植えで飾ってみたり、イギリスから花の種を取り寄せてみたり、とにかく毎日植物の世話をして様子を見るのが楽しくてしょうがないのです。


図書館で園芸に関するめぼしい本は片っ端から借りて来て目を通しました。


まだ植物と関わって日も浅い私ですが、植物を見ていて面白いなぁと思うのは、植物というのは「か弱そうでいながら実は生きようとするエネルギーに満ち溢れている」ということです。


先月なんて私はバラの木をばっさりと剪定したのですが、丸裸で枝も短く切られ、なんとも哀れな姿になったバラが、数日後には何も無かった場所から新しい芽をふくらませ始めるのです。 「切られたっていくらでもまた出てやるぜ」と言っているような、したたかさも感じるし、冬枯れたような姿からは想像出来ないけれど、植物の内部ではいつもいつも、伸びてやろう伸びてやろうとするエネルギーが力強く流れていることも感じました。


それともう一つ面白いと思うのは、植物は、病気になったりした時には葉を落とすのですが、それが自衛手段のひとつだというのです。 葉が落ちたら死んじゃうんじゃないかと思いますが、生きるために自ら葉を落とし、よけいな蒸散を抑えて養生するのです。 そんな時、私達人間が慌てて薬を与えたり、肥料をやったりするとよけいに弱って枯れてしまうのだそうです。


それって人間とも似てるんじゃないか?と思いました。


例えば不登校?


学校に行けなくなったり、病気のような症状になるのが自分を守ろうとする自衛手段で、植物が葉を落とした状態なのだとしたら、周りが「病気なんじゃないか!」と慌てて病院に連れて行ったり薬を与えることは、弱った植物に強くなれ強くなれと薬をやったり肥料をやったりしてよけいに疲れさせるのと同じことなんじゃないかな?


人間だって植物と同じように見た目からでは中にどんなエネルギーが隠されているかもわからないもの。 以前「子供というのは、よけいなプレッシャーをかけなければ、本来上へ向かって伸びようとする力を持っている。」と言った人がいるけれど、その言葉は本当だと思います。 毎日ゲームばっかりやって、家にいたら成長しないかって、そんなことはないんじゃないかな。 目には見えないエネルギーが子供の中で活動していて、一日として同じ子供ではないのじゃないかと思うんです。


もし不登校の子で、子供の精神状態のまま大人になってしまう子がいたら、それはその子の中にエネルギーが無かったんではなく、まわりからの有言無言のプレッシャーがその子の伸びる力や、希望を持つ余力を奪ってしまったからじゃないでしょうか。


誰だって強いプレッシャーの中で心を健康に保つのは難しい。


植物の種というのは、中には干からびた皮だけじゃないか?と思うのもあるのですが、そんな種からある日「え?」と思うようなかわいい双葉が出て来るのです。 それがやがて1メートルを越す植物になるというのだから信じられません。


干からびた種からどんな花が咲くか想像出来ないように、その子が大人になってどんな花を咲かせるかなんて、誰にも分からないんですよね。


そう考えるとやっぱり私は、親に出来ることは、子供の内部にある力を信じてあげることではないかと、それ以外のことをしてはいけないんではないかと思います。 どんな人生だっていいんだし、何が幸せかを決めるのは何と言っても親ではなくて子供自身だから... あの裸の木の内部で生命が脈打っているように、人間の中にも生きる力はあるに違いないのです。


子供のしあわせ


私は、子供がしあわせであるためにはまず母親が幸せでなければいけないとつくづく思います。


幸せじゃない母親の元に生まれた子というのは、もうそれだけで人生の不幸を半分しょったようなものじゃないですか?


私の母親っていつも疲れた顔していて、自分が不幸なのを夫のせいにして夫の悪口を子供である私にいつも愚痴っていました。


今でもそう... こないだは、もう食事の支度が整ったところに父が帰って来て、テーブルの上に夕食が揃っているというのにいきなりお菓子の入った引出しからおせんべやら何やらを出してバリバリ食べ始めたというのです。 母はあまりの行儀の悪さに気味が悪くて見ていられなかったと。


私もそういう話を聞くと気味が悪いなと思います。 他にも、父は庭に鳥が来るように餌台を作っているんだけど、自分が好きじゃない鳥が食べに来たら空気銃(のようなもの?)でその鳥を撃ち殺したというのです。 人間としてどうかと思うような残酷な行為。


しかし、そういう人といつまでも一緒に暮らして愚痴を言いつづけている母がまた私には理解出来ないのです。


何年か前、もう本当に離婚しようという話になったのですが、父が離婚に際して母に財産を一銭たりとも渡さないというので離婚することが出来ませんでした。


私は法律相談なりなんなり専門家に助けてもらうように母に言ったのですが、母は争い事になるのは嫌だからといって相談にも行きませんでした。


父は別に暴力を振るったりするわけじゃないですが非常に好き勝手に生きている人で、家に生活費もろくに入れないのです。


でもそういう男を選んだのは母だし、なんで私が延々と愚痴を聞かされ続けなければいけなかったのか。


母には、いい加減に独立した考えを持って欲しいと思います。


ろくでもない夫をあてにしているから愚痴らなきゃいけないわけで、そういうのはもうやめて、自立して欲しい。 ちゃんと自分の権利を勝ち取って、一度でもいいから一人で自由に生きてみたらどうかと思う。


そしたらどんなにか私も楽か。


親は子供が嬉しそうにしていれば嬉しいけど、子供だって親が楽しそうな顔してくれてた方が嬉しいんですよね。 それはなんか、子供のために無理して笑ってくれってことじゃなくて、心から自分の好きなことして生き生きしていて欲しいんです。


離れて暮らしていてもそうだから、一緒に暮らしていたらどんなにか。 「おかあさん」って、家の中で太陽のようなものだと思います。 その太陽がいつも陰っていたら、子供が生き生きと輝けるわけないんじゃないかと思う。 無理に笑えってことじゃないんです。 そんなの疲れちゃうだけだし。 自分のしあわせのこともっと真剣に考えて欲しいんです。


ホルスの大冒険

私の趣味のひとつは英語なんですが、その趣味の一環で昨日は英検準1級の面接試験を受けてきました。 


面接ですよ。 英語で! 自分で決めたこととはいえ、試験会場に着くまでが嫌で嫌で!


誰も近くを歩いてないのをいいことに、「あーっ!受けたくないよう!!」と独り言を言いながら歩いてしまいました。


落ちたら落ちたでまた受ければいいだけの話なんだけど、1回受けるのに6000円もかかるもんで、「絶対落とせない!」みたいな(笑) 


でもなんか「面接試験」というのがものすごく久しぶりだったので、終わってしまえばなんだか新鮮な体験でした。 喉元を過ぎるとすぐ熱さを忘れるわたし(^^;


そして午後は市のイベントで、市民会館で「太陽の王子ホルスの大冒険」を上映するというのでそれを見に行って来ました。


「太陽の王子ホルスの大冒険」ってご存知ですか? 私が4才の時に作られたアニメ映画で、子供の頃、私の中にとても強い印象を残した映画なのです。 中でも私が強く惹きつけられたのは、お話の中に出てくる「ヒルダ」という少女でした。 ヒルダはすごく影のある子で、ミステリアスで、ダークなパワーを持った子なのです。 自分がほんの小さい子供の頃にそういうヒロインに惹かれたというのはどういうことなんだろうと、すごく考えます。 私の中に、既に4才の頃に暗黒なパワーに憧れるものがあったんだなと思うんです。 でも一方で、ヒルダというのは今見てもすごく魅力的な子です。 単なる明るくて優しいだけのヒロインじゃなく、ヒルダのような子を好きになった自分が誇らしくもあるんですよね。


この映画を見たのはたぶん上映された当時以来だろうと思いますが、テーマ曲がかかった瞬間、「そうだ、こういう曲だった!」と思い出したのにはびっくりしました。 「♪太陽を呼べ!太陽を呼べ!ゆけ、走れ、ホルス!僕ら君とー♪」という曲です。 一度上映を見ただけで覚えてるわけないので、もしかしたらソノシート付きの絵本でも買ってもらったのかも。 上映が始まる前は、「昔のアニメだからきっと今見るとストーリー展開ものほほんとしてるのかもな、最初はきっと平和~な風景から始まるのかしら。」 なんて思いながら見始めたのですが、冒頭でいきなり少年が斧一つでオオカミの群れと戦うシーンから始まるのにもびっくりしました。 テーマ曲のなつかしさと、映画の思いのほかの出来の良さに涙を流しながら見てしまいました。 まあこのアニメを泣きながら見る人は私くらいだと思います(笑)


にしても会場に来たお客さんはまばらでした。 みんな子供連れてたけど。 宮崎駿と高畑勲がこの頃からこういう素晴らしいアニメ製作に携わっていたという点でも必見ですので、見てないかたどうぞ一度ご覧ください。


 

優しさ

「優しさ」ってなんなのかなぁ...?


と、最近思うんです。


「優しい人」ってどういう人だろう...?って。


普通に考えると、他人の痛みが分かること、人の気持ちを思いやることが出来るのを「優しい」っていうのかな。 


でも私は時々優しさって「エゴ」かなって思ったりするんです。 困ってる人がいたとして、その人が苦しんでいるのを見ていられなくてつい手を差し伸べたりする。 でもそれって、実はその人を助けたいのじゃなくて、苦しんでいる人を見てつらくなっている自分を助けたいんじゃないのか? と思ったりして。 苦しんでいる人を助けてあげて、自分がほっとしたいだけなんじゃないの? とか。


人の痛みを自分の痛みのように感じてしまう人って、「優しい人」だとは思うけど...


本当に優しい人ってどういう人のことを言うんだろう。


見知らぬ町で、見ず知らずの人に親切にしてもらった時、とても暖かい気持ちになれますよね。 そんなふうに、他人の気持ちをポっと温かくするような優しさって、小さいけれど確かにある力を持っているなと思うんです。 そう考えると、誰にでも分け隔てなく、多くの人にそのポッと暖かくなるような気持ちを与えてあげられる人が優しい人... なのかな?


けどさ、その優しさを延長して、赤の他人にどれだけ優しくしてあげられるかっていったら限界があるでしょう。


見たこともない、発展途上国の子供達が予防接種を受けられるようにと寄付をするのも優しさ... かなぁ。 でも全財産を投げ打つ人って(めったに)いないよね。


本当に優しい人なら、寄付するだけじゃなくて、自分も何かしなくちゃと考えて現地へ行ってボランティアに参加するんだろうか... ? じゃあ、海外でボランティアとして働いている人は全員「優しい人」なんだろうか。


考えていると、本当の意味で「優しい」とはどういうことなのか分からないんです。


こういう場合は極端な例を考えて、例えば、神の領域に近い人だったらどうなのかなって、マザーテレサとかだったら? マザーテレサは、インドで、道端で誰にも見取られずに病気で死んで行く人達を放っておけなかったんですよね。 そういう人達のために生涯を捧げた人。 その優しさって、私が苦しんでいる人を目の前にしていたたまれなくなるあの気持ちと同じところから発してるのかな、それとも別のもっと高次元なものなのかな。


もっと究極な例で、神様だったら? なんとなく、神様ってそういう感情的なものを超越しちゃってる気がする... その人のためならば、残酷なことでも顔色ひとつ変えずに出来る人な気がする。 それが優しさの究極体?


私はやっぱり「優しさ」って分からないです...


スピリチュアルな話

みなさん、スピリチュアルなことって興味あったりします? 守護霊とか、前世とか。


私はね、う~ん、実際自分が体験したり見たりしてないのでなんとも100%信じる気持ちにはなれないという感じでしょうか。 かといって絶対無いとも言い切れないし。 ああ、あるのかもなぁ...って感じ。


去年の秋頃、友達がね、自分の前世をある人に見てもらったとかで、その子とスピリチュアルな話をするようになったのです。


それまでに私は江原啓之の本を1冊だけ読んだことがあったので、その本を読んで疑問に思ったこと(沢山ある)なんかをその子と話してたの。 


そんな話をしてるうちに自分でもまた興味が湧いて、江原さんの他の本を読んでみたり、スピリチュアル関連のブログを読んだりしてたんですが、守護霊とか前世とかの存在はともかく、スピリチュアルなことに基づいた人生哲学の部分はすごく納得出来るなぁと思いました。


というか、結局のところ私がすごく感銘を受けた「7つの習慣」と一致してるんだもん。 「7つの習慣」はビジネス書であってスピリチュアルなこととは無関係なんだけど。


「7つの習慣」では「インサイドアウト」という言葉を使うけど、結局人生は、環境がどうあれ、自分がそこでどう考え、行動するかにかかっているということなんですよね。 困難な状況にあった時こそ、物事を良くするチャンスだと捉えるんです。 スピリチュアルな人生哲学でもそう。 苦しい時、自分で考え、行動し、それを克服した時に魂のレベルが上がる(魂が磨かれる)んだって。


スピリチュアルな考えで面白いなと思ったのは、その困難を克服しなければ、何度でも同じようなことが起こるというのです。 例えば、う~ん、何か悪いことが起きて、それを他人のせいにしたりして、ずっとその人を恨んでたりしてね、そうするとまた他でも同じような目に会っちゃうというのです。


ああ~、なんかそれって思い当たるなって思っちゃいました。


私でいったら、一番は自分の家族との関係かな。 特に母や妹との関係って私のダークサイドな部分で、未だに克服出来ないでいるんだけど、確かに、こんなに大人になった今でも、そのことで傷つくようなことが起きるのです。


それって、スピリチュアル的には、今生で私が克服すべきテーマなんだって、今生で勉強しなければいけないことなので、克服しない限り何度でも起きるんだって。


なるほどなーっ。


それから職場の人間関係なんかもそう。 スピリチュアルな考えでいけば人間関係に恵まれないのは自分の魂のレベルが低いから、同じレベルの人が引き寄せられて来るんだそう。 まずは自分を見直しなさいってことだそうです。 それもやっぱり「インサイドアウト」と同じことですよね。 環境のせいにするのでなく、自分に何が出来るか考えろってことですね。


今生で克服出来なかったことは、来世に引き継がれるらしいですよ。 冗談じゃないですね(笑)


クリスマス騒動

今年もサンタさんを信じている倫太郎。


ニンテンドーWiiが欲しいと言うのです。←実は私も欲しいんだけどー(^^;


で、発売日の1ヶ月くらい前に近所のゲーム屋さんで予約したんですが、発売日(12月2日)を過ぎても全く入荷したという連絡がありません。 問い合わせたらまだ必要数が入荷されておらず、いつ引き渡せるかも分からないというのです。


しょうがないのでギリギリまで待ったけど、入荷しそうにないし、これは今年は「クリスマスの朝起きると枕もとにプレゼントが。。。!」というお楽しみはあきらめてもらうか...


とも思ったのですが、なんかせっかくここまで騙しおおせているものを、あきらめきれない。 っていう単なる私の意地 でどうにか手に入れられないものかとギリギリになって頭を悩ませ始めたのでした。


23日にトイザラスで販売するという広告が入っていたんだけど、なんでも前回の販売の時に並んだ人の話じゃ、朝6時半に並んでぎりぎりだったので確実に欲しければ4時前から並ばないとダメかもしれないというし、そんなこの寒いのに何時間も並んでられるかい!


となるともうオークションでしょう。 ヤフオクを見たら、31000~32000円で取引されてる様子。 なんか、夜明け前から並ぶくらいだったら払ってもいいかというギリギリの値段だったので、もうここで買っちゃえと思ったんですが、これがまたなかなか自分の思った値段で落札出来ないのです。


ヤフオクで落札するコツは、オークション終了間際に入札することですよ。 でも人気商品なだけに終了間際に入れてもすぐ高値更新されてしまってあきらめなきゃならなかったり(そこまで払えるか!っていう値段がついちゃう)、なんか最近はイタズラ入札が多いみたいで、そういう人に妨害されたりとか。


やっぱあきらめるか~と思ったその時、(既に23日の午前中だった)即決価格で出している人がいて、即落札。 その日のうちに発送してもらって24日に届けてもらいました。


で、無事に今年もサンタの役をやりおおせたわけです。 ほんっと、今年のサンタさんは大変だったよ。


お姉ちゃんのふうちゃんには「もう中学生になるとサンタさんは来ないから、お母さんが何か買ってあげる。」と言って本人の希望を聞いてPSPを買っておきました。 それでもふうちゃんは半分は「もしかしたらサンタさんが来るかもしれない!」と思ってたらしくて、私が一応気分を出してあげようと、倫太郎と同じように夜中にプレゼントを枕元に置いておいてあげたら、朝、「やっぱりサンタさんが来たんだ!」と思ってびっくりしたなどと言っていました。


お母さんからのプレゼントはてっきり25日になってから手渡されると思っていたので、枕もとにあるのはサンタさんからだ!と思ったらしいのです。 でも包みを開けてみて、「なーんだ、お母さんが買ったやつか」と分かってがっくりきたんだそうです。


倫太郎は倫太郎で、24日の夜にちゃんと「あ、サンタさんにお願いしてこなくちゃ。」とか言って自分の部屋に行って夜空に向かってお願いしてたみたいだし、君たちどうしてそんなにいつまでも信じてられるの?(^^;


てか、まあ半信半疑なんだろうなぁ... 私が白状しない限りは。


んで、いまふうちゃんと倫太郎は東京のおばあちゃんちに泊まりで遊びに行っちゃってるので、Wiiは私がひとりで「ゼルダの伝説トワイライトプリンセス」をやってます(^^; 倫太郎がいないうちに進めておかないと、すぐ追い付かれるからね!(笑)


重曹にはまる

うちは倫太郎のお肌が敏感だったせいもあって、自然と合成洗剤よりもせっけん中心のエコ生活をしていたのですが、最近そこに「重曹」という新たな仲間が加わりました。


「重曹」って今までもよく年末大掃除の時期になると雑誌なんかで「エコロジー大掃除」なんて特集組まれたりして着目されてたのは見てたんですが、なんとなくめんどうそうなのでちゃんと見てなかったのです。


ところが最近友達に「入浴剤としても使えるんだよ。」「洗濯する時に重曹も入れると黄ばみが取れるよ。」などと聞かされて、早速図書館に行って「重曹生活のススメ」という本を借りてきて読んでみると...


う~ん、面白いんです。 なんかもー早速「重曹生活」してみたくなってその本に書いてあることいろいろ試してしまいました。


キッチンで

使った食器を重曹入りのお湯にぼちゃんとつけておくと汚れを取ってくれる。その後食器洗い機に入れて洗剤も重曹に。

高温で洗うので「食洗機専用洗剤」なんていちいち買わなくても汚れが落ちる。

換気扇・・・重曹+せっけん+ビネガーで作ったクリームクレンザーでたまった油汚れがピカピカに。

コンロ・・・重曹入りのお湯につけといたら油汚れが落ちてつるつる。 料理した直後には重曹水をスプレーしておくと熱で油汚れが浮くのでさっとふくだけ。

オーブンレンジ・・・加熱調理したあとに重曹水スプレーすると面白いほど汚れが浮いてくる。

かなり黒ずんでいたやかんも重曹でこすってきれいになったー。

冷蔵庫・・・口の広いプラスチック容器に重曹を入れておいておけば脱臭剤に(これだけは以前からやってるんだけど効きますよ)


お風呂で

入浴剤として重曹を入れたあと、残り湯にイスや桶をつけておくと湯あかがつかない。


洗面所で

重曹で洗面ボウルをみがいたらピカピカ。

重曹を入れたコップを用意しておいてハブラシを頭からつっこんでおく。使うときはブラシについた重曹に少しはみがきを足して磨く。重曹で磨くと歯が白くなるらしい。

洗濯する時、せっけんを入れる前に重曹を入れて洗濯機をまわす。汚れ落ちが良くなるほか、洗濯層にカビがはえるのを防ぐ。


玄関で

重曹をお皿に入れて置いておくと脱臭剤に。 下駄箱の中にも紙コップに入れた重曹をいくつか置いておくとこれも脱臭剤になる。


トイレで

トイレにも紙コップに重曹を入れて脱臭剤としておいて置く。 便器のお掃除も重曹で。 


まだ初心者なのでこれくらいしかやってないんですが、本にはもっといろんな使い方が載ってます。 本当は重曹とビネガーをセットで使うと良いらしくて、私もビネガーを試してみたんですが、もービネガーの匂いがどうにもこうにも私はダメで... キッチンの匂い消しにもビネガー水をさっとスプレーすると良いと書いてあるんですが、ビネガーの匂いがかなり長いこと残るもんで、私には到底使えません。 殺菌作用もあって、二度拭きがいらなくて、いいらしいんですけどねー。 


重曹がなんでこんなにはまるかと言えば、たぶん「手でさわってもへいき」な素材だからじゃないかと思うんです。 例えば強力に油を浮かす洗剤とかって手で直接さわれないじゃないですか。 そうなると手袋したり、さわらないようにしなきゃなんないし、きつい匂いがしたり、洗い流す作業も大変な感じ。 なんか気分的にしょっちゅうはやりたくない感じなんですよね。


でも重曹だと手でさわれるお手軽感がいい。 安全だし、洗い流してパイプを通って行く間にもパイプをきれいにしてくれるんだって、そういうふうに聞くと見えない部分も毎日使ううちにきれいになるかと思って気分が良い。 一つで何通りにも使えるからトイレはトイレ、お風呂はお風呂なんてふうにあれこれ別の洗剤を用意する必要がないのもいいですよね。


試しにスーパーで買ってきた重曹をすぐ使いきってしまったのでネットで大量に買ってしまいました。 5.4kg入りを4袋...(^^;ばかでっかいです。

重曹生活、みなさんもいかがですか。



重曹


岩尾 明子
重曹生活のススメ


マフラー

英語学習ブログのお友達kumtinさんに触発され、マフラーを編んでみちゃったんですが、いかがでしょうか!?


カギ針はほとんどやったことがないので、毛糸屋さんで編み図をもらい、編み記号はネットで調べて作りました。 分からない部分は想像で作りました(^^; 色は気分で。


棒針だったらセーターとか編んだことあるんですけど...若かりし頃。


このマフラーを作っている最中、倫太郎が「オレは虹色のマフラーがほしい。」などと言うのです。 「は?虹色!?しかもホントにマフラーなんてするのかぁ?」と思ったのですが、虹色のボーダー柄のマフラーを想像したら、なかなかオシャレなものが出来そうな気がしてきて、いっちょう作ってみるかという気になっています。


果たしてかっこいい虹色マフラーが出来るのか、こうご期待!


マフラー


仕事ができない人

私、お仕事していてよく「仕事ができない人」に出会うのですよ。


私はプログラマーなので、だいたい仕事で接する人というとSEさん達なのですが、出来る人と出来ない人を見ていて、その顕著な違いというのは「自分から情報を取りに行ける」かどうかだといつも思うんです。


一つ典型的だなと思ったのは、ある取引先の会社には会社の建物内に図書室というのがあって、いろいろな技術書籍やら技術雑誌(買うと高い)が置いてあるのですが、出来ないSEさんはその図書室に一度も入ったことがないと言うのです。 図書室の他に社内のWEB上にも知識庫のようなものがあっていろいろなノウハウが蓄積されているのですが、そういうのも検索したことがないのです。 だから何か困ったことがあるとそこで行き詰まってしまって、誰かが助けてくれるのを待っているという感じです。


このタイプの人が、すーごく多いのですよ。


私はこれって学校教育の弊害じゃないかなぁーとつい考えてしまいます。


日本の学校では、自分で何かを調べたり自分から知識を取りに行くという作業が全くないでしょう。 いつもその日何を勉強するかはあらかじめ先生が決めていて、与えられた教科書に書いてあることを覚えてさえいれば進学出来ちゃうでしょう。 考えるといっても、テストの問題を考えるだけで、本当の意味で考えるという作業ってなくないですか。


私自分のことを考えてみても、本当に勉強するってどういうことか、ずっと最近まで知らなかったなと思うのです。


だって大学でだってそうなんですもん。 先生が「これ読みなさい」って言った教科書を読んで、覚えて、テストにその通り書くという勉強をしてました。 大学3年生の時、研究室に入るわけですが、その研究室で先生に「君、何がしたいの?何でも好きなことしていいよ。」と言われてものすご~く困っちゃったんです。 「は?何がしたいかなんて考えたことなかったよ。しかもこの学部に入ったのだって、第一志望の学部に落ちちゃったから入っただけだしさ。」という具合でした。 そんななので卒論のテーマだってすごく適当に決めてしまいました。


会社に入ってからも同じでした。 最初の3ヶ月間は研修期間で、必要な基礎知識は全て教えてもらいました。 最初に配属された部署で担当の先輩社員から分厚いプログラム言語の専門書を渡されて、「これ一週間で読んでおいて。」と言われたのですが、その本の内容がさっぱり分からないのです。 一応読むには読みましたが、一週間後に先輩からその内容について質問されて全く答えることが出来ませんでした。


今思うと本当にバカです。 難しい専門書が分からなければ、先輩にもう少しやさしめのはないか聞いてみるとか、巷にはもっと初心者向けのガイド本があふれているのに、そういうのを探しに行こうとせずに、ばかみたいに渡された本を意味もなく一週間めくっていたのです。


私は、与えられた知識の中だけで物を考えるという習慣が相当刷り込まれていたんだなぁーと思います。


もちろん、当時は自分ではそんなこと思っていなかったのです。 本屋さんに行けば役に立つ情報が山と積まれているというのにそんなことには気付きもしないで、与えられた専門書を読んで「社会人って日々勉強なんだなぁ。」なんて思ってたのです。


たぶんあの意識が変わってきたのは、一度専業主婦になってから5年後に再び仕事をしようと思ったあたりからではないかと思います。 コンピュータ業界で5年ブランクがあるというのはすごいことです。 浦島太郎です。「5年ブランクがあるので一から教えてくださーい。」なんて言えるわけがありません。 自分で本を買ってきて勉強するしかありませんでした。 仕事を始めてからも、分からないことや壁にぶつかったらまず自分でとにかくありとあらゆる手段で解決策を探り、それでもだめな時にその分野に詳しい人を頼るというふうになりました。


そうやって手探りで自分から知識を取りに行く時の知識量というのはすごく膨大なのです。 最初から人に教えてもらう時の比ではないのです。 


今私の周りにいる仕事の出来ないタイプの人達というのはきっと、私が社会人2~3年生の時に無意識に持っていた「仕事や勉強は先輩や先生が教えてくれるもの」という意識をいまだに持ち続けてしまっている人達なのかもなぁと思うのです。


この前ちらっとテレビに学級崩壊したクラスの担任の先生が出ていましたが、その人は崩壊したクラスを目の前にして自分はどうしたらいいか、どうしたら解決出来るのか、本を読んで先人の知恵を探るなり、沢山の先輩に相談してみるなり、何も自分からは解決策を探ろうとせずに職員室の自分の机にあと何日でその学年が終わるかというカウントダウンカレンダーを作って貼っていました。 ああいうのも同じかなという気がします。


不登校の子を持つ親御さん達を見ていても、最初は誰でもパニックになるわけですが、割とすぐに意識変革して楽になれる人はまず本をよく読んでるなぁと思います。ただ知識を得るだけでなく、そこから自分を見つめ直したり、どうにかして危機脱出すべく自分変革にまで乗り出している。 すごいなぁと思います。 何年も何年も悩み苦しみ続ける人はどちらかというと人に頼りがち。 学校の先生になんとかしてくれとか、カウンセラーとか心療内科医とか、戸塚ヨットスクールとか... 人に話しを聞いてもらったり、同じ経験をもつ人の話を聞いたり、そういう意味で人を頼るのはもちろん良いけど、誰かに解決してもらおうと期待するのは、やっぱりそれも元をたどれば学校教育の弊害?かも... なんて思ったりするのです。


分からないことや困難なことに出会ったときどうしたらいいか考える力って生きる力ですよね。 そういうの、今の学校制度の中で口先だけで「生きる力」なんて言って農業体験やらなんやら「上から与え」てもそんな力養われるわけないよなぁと思うのでした。