そういえば、7月ぐらいに応募していました。
で、結果が最近出たようなのですが・・・・・・うん、落選。
想像通りというヤツです。
ただ、箸にも棒にも引っかからなかったわけではなく、
箸のかな~り端っこにはひっかかっていたみたいです。
選考会の選考途中
の候補にはあがっていたようなのです。
上のリンク先の「空気女」てやつ(ペンネーム「雑種」。うん、適当につけました)ですが、このまま読み進んでいくとちょこっと作品についてのコメントが書かれています。
そのコメントが・・・・・・「漫画に似たオチの話があるよ」
その漫画自体知らなかったけれど、コメント見たら凹みました。
まぁ、誰かが考えたことがあるオチ、ということはまだまだオリジナリティが不足していたのでしょう。
ガンバロ。
いやはや、研究がギリギリで2週間以上ブログ放置していました。
久しぶりのブログチェック・・・・・・気づかないうちに初コメントが~!!
メッチャ放置しまくってて申し訳ありませんm(_ _)m
ものすごいマイペースな更新なので、ご勘弁を。
実はまだギリギリ状態を脱出したわけではなく、9月いっぱいは続きそうです。
精神的にもけっこうヤラレちまいそうですが、気晴らしに怖い話でも書きつつ乗り切りたいです。
久しぶりのブログチェック・・・・・・気づかないうちに初コメントが~!!
メッチャ放置しまくってて申し訳ありませんm(_ _)m
ものすごいマイペースな更新なので、ご勘弁を。
実はまだギリギリ状態を脱出したわけではなく、9月いっぱいは続きそうです。
精神的にもけっこうヤラレちまいそうですが、気晴らしに怖い話でも書きつつ乗り切りたいです。
S村の海は枯れていた。
隣のT町までいくと網ですくえるぐらいに魚が泳いでいるのだが、S村近辺はまるで何かに呪われたように、魚がいない。そこで村の有権者たちが集まり、打開策とし て作り上げたのが「見返りさん」だと言われている。
何に近いかと言われれば、人身御供がたぶん一番近い。
けれど今の時代、さすがに人が一人いなくなると何かと不都合が多いので、代表になったものが身体の一部を差し出すという具合に取り決めがなされた。
『こんな大事なものを捧げたのだから神も自分たちに何かしてくれるべきだ』という真に自分勝手な理論から作り出された神は、やがて名前も「見返りさん」という何のひねりもないものに落ち着いた。
人身御供と異なるのは、神が見返りを求めるのではなく、人が求める点だ。
偶然かどうかはわからないが、「見返りさん」の効果はあった。
指の見返りにサンマを。
足の見返りにカレイを。
眼の見返りに鮭を。
効果があったと知れば、より多くを求めるのが人間である。
やがて、S村に熊が現れるという噂が流れた。
現在、熊に食われたと報告された人間は30人ほどになり、村の特産品に蟹が加えられた。
隣のT町までいくと網ですくえるぐらいに魚が泳いでいるのだが、S村近辺はまるで何かに呪われたように、魚がいない。そこで村の有権者たちが集まり、打開策とし て作り上げたのが「見返りさん」だと言われている。
何に近いかと言われれば、人身御供がたぶん一番近い。
けれど今の時代、さすがに人が一人いなくなると何かと不都合が多いので、代表になったものが身体の一部を差し出すという具合に取り決めがなされた。
『こんな大事なものを捧げたのだから神も自分たちに何かしてくれるべきだ』という真に自分勝手な理論から作り出された神は、やがて名前も「見返りさん」という何のひねりもないものに落ち着いた。
人身御供と異なるのは、神が見返りを求めるのではなく、人が求める点だ。
偶然かどうかはわからないが、「見返りさん」の効果はあった。
指の見返りにサンマを。
足の見返りにカレイを。
眼の見返りに鮭を。
効果があったと知れば、より多くを求めるのが人間である。
やがて、S村に熊が現れるという噂が流れた。
現在、熊に食われたと報告された人間は30人ほどになり、村の特産品に蟹が加えられた。
年の瀬を迎えるころに、よく町内会などで歳末助け合い運動が行われることがあります。
福祉施設を回ったり、募金をしたり、「みなで支えあう」ことをスローガンに精力的に活動を行います。
友人のSさんが住んでいる町もそのような歳末助け合い運動を行っていたのですが、いつの頃からかその内容が少々変わったものになってしまったそうです。
それは、「助け合い」という部分を強調したために起こったものではないか、とSさんは推測していました。
つまり、ただ「助ける」のではなく、「助け合わなければならない」のです。
誰かに助けられたら、代わりに他の誰かを助ける。
言葉ではとても美しく聞こえるのですが、そう語ってくれるSさんの顔は少し青ざめていました。
Sさんは昨年ある男性に「助けて」いただいたそうです。
飛び出してきた自動車にぶつかりそうなところを、男性はSさんを突き飛ばして身代わりとなってくれたといいます。
ただ、実際のところ、身代わりは言いすぎだという意見もあります。
目撃者の証言では、そのまま自動車が通り過ぎたとしても、Sさんにぶつかるようには見えなかったというのです。
けれども、事実として男性は飛び出し、さらにかなり不運の持ち主だったようで結局帰らぬ人となってしまいました。
不思議なことに、男性のお葬式は湿っぽさよりも安堵感が場全体に漂っていたそうです。
Sさんが男性の家族にお詫びに行った時も、皆まるで何か憑き物が落ちたような顔をしていたといいます。
その原因は程なくわかりました。
一昨年、男性の妻が川で溺れていたところをある青年に助けられた、というのです。
助けあげた後、青年はそのまま力尽き流されていってしまいました。
ちょうど歳末助け合い運動の時期にあったこともあり、それと絡めて新聞・町内の会報などで青年は英雄的に扱われました。
ただ、その扱いとは反対に、男性家族は追い詰められました。
他の人をどれだけ助けても、命をかけた青年には到底追いつくはずがありません。
けれども、「助けられた命」という言葉は、町のどこにいてもついて回りました。
男性にとってその言葉を払うには、青年と同様の方法をとるしかなかったのです。
Sさんは「馬鹿らしい話だ」と笑っていましたが、目はとても真剣でした。
そして、ふっとカレンダーに目を向けました。
カレンダーには12月31日に大きく丸がついていました。
あと半年もすれば、また歳末助け合い運動の時期になります。
福祉施設を回ったり、募金をしたり、「みなで支えあう」ことをスローガンに精力的に活動を行います。
友人のSさんが住んでいる町もそのような歳末助け合い運動を行っていたのですが、いつの頃からかその内容が少々変わったものになってしまったそうです。
それは、「助け合い」という部分を強調したために起こったものではないか、とSさんは推測していました。
つまり、ただ「助ける」のではなく、「助け合わなければならない」のです。
誰かに助けられたら、代わりに他の誰かを助ける。
言葉ではとても美しく聞こえるのですが、そう語ってくれるSさんの顔は少し青ざめていました。
Sさんは昨年ある男性に「助けて」いただいたそうです。
飛び出してきた自動車にぶつかりそうなところを、男性はSさんを突き飛ばして身代わりとなってくれたといいます。
ただ、実際のところ、身代わりは言いすぎだという意見もあります。
目撃者の証言では、そのまま自動車が通り過ぎたとしても、Sさんにぶつかるようには見えなかったというのです。
けれども、事実として男性は飛び出し、さらにかなり不運の持ち主だったようで結局帰らぬ人となってしまいました。
不思議なことに、男性のお葬式は湿っぽさよりも安堵感が場全体に漂っていたそうです。
Sさんが男性の家族にお詫びに行った時も、皆まるで何か憑き物が落ちたような顔をしていたといいます。
その原因は程なくわかりました。
一昨年、男性の妻が川で溺れていたところをある青年に助けられた、というのです。
助けあげた後、青年はそのまま力尽き流されていってしまいました。
ちょうど歳末助け合い運動の時期にあったこともあり、それと絡めて新聞・町内の会報などで青年は英雄的に扱われました。
ただ、その扱いとは反対に、男性家族は追い詰められました。
他の人をどれだけ助けても、命をかけた青年には到底追いつくはずがありません。
けれども、「助けられた命」という言葉は、町のどこにいてもついて回りました。
男性にとってその言葉を払うには、青年と同様の方法をとるしかなかったのです。
Sさんは「馬鹿らしい話だ」と笑っていましたが、目はとても真剣でした。
そして、ふっとカレンダーに目を向けました。
カレンダーには12月31日に大きく丸がついていました。
あと半年もすれば、また歳末助け合い運動の時期になります。
教室でセロハンテープを顔にあちこち貼り付け清水アキラばりのモノマネをしていたら、彼女に大受けした。
まぶたも貼り付けたからまばたきもできず、ずいぶん苦しい。
けれど彼女に「友だちにも見せたいから、そのまま待ってて」
と言われ、仕方なく窓の外を眺めていた。
3分ほどすると、窓の外を落ちていく彼女と目があった。
セロハンテープを剥がすと、少し涙が出た。
どこかで大音量で流しているラジオから「核弾頭」という単語が聞き取れた。
まぶたも貼り付けたからまばたきもできず、ずいぶん苦しい。
けれど彼女に「友だちにも見せたいから、そのまま待ってて」
と言われ、仕方なく窓の外を眺めていた。
3分ほどすると、窓の外を落ちていく彼女と目があった。
セロハンテープを剥がすと、少し涙が出た。
どこかで大音量で流しているラジオから「核弾頭」という単語が聞き取れた。