私が感じているコト、伝えていることは全部哲学の世界だったのかもしれない。

 

🌀「哲学」とは、「人はなぜ生きるのか?」「何が本当に正しいのか?」など、
誰もがふと考える“根本的な問い”に向き合う学問・思考・姿勢のことです。

世の中や人生について、表面的な答えに満足せず、「本当はどうなんだろう?」と問い続ける行為。

 

哲学は、特別な学者や賢い人のものじゃなく、
「悩む人」「考える人」「生きる意味を問いかけたくなった人」すべてのもの。

たとえば――
・夜、眠れない時に「なんで生きてるんだろう」と思った。
・ニュースを見て「これは本当に正しいのかな」と疑問に思った。
・自分の心の中にある矛盾に気づいた。

これ、全部「哲学のはじまり」です。

 

モヤモヤを「深い問い」に変えることで、自分を責めなくなる

 

ADHDと哲学の世界

 

私がADHDだからなのか?哲学の世界がとても楽しく感じてしまう。

「ADHDの人が持つ価値観」は一人ひとり違って当然ですが、共通しやすい傾向や、大切にしていることがあるのも事実です。
ここでは、ADHDの特性から生まれやすい価値観を、ポジティブな視点からわかりやすくまとめてみます👇

 

  🌱 ADHDの人が持ちやすい価値観(傾向)

 

🎨 ①「ワクワク」や「興味のスイッチ」を重視する

  • 「おもしろいと思えるかどうか」が最重要。

  • 退屈が苦痛だから、「意味があること」より「今おもしろいこと」を選びがち。

  • 好奇心をエネルギー源にしている。

💡 ②「柔軟さ」や「自由」を大切にする

  • 固定されたルールや長期計画は苦手。

  • 瞬発力で動ける環境や、変化に富んだ毎日が心地いい。

  • 型にはまるより、自分らしくいたい。

🧍‍♂️ ③「正直さ」や「本音」を尊ぶ

  • うわべのやりとりや建前が苦手。

  • 嘘をつけない。思ったことがすぐ口から出ちゃう(だからこそ、信頼される)。

  • 感情がフラットじゃない分、「本当の気持ち」に敏感。

🌈 ④「多様性」や「ユニークさ」への共感

  • 自分も「ちょっと変わってる」と思うからこそ、他人の“変”を受け入れやすい。

  • 「みんな違っていい」と心から思える。

  • ルールや常識より、「その人らしさ」を重視。

🔥 ⑤「意味より感覚」「論理より感情」

  • なぜかではなく、なんとなくで動くことが多い。

  • 理屈より「それ、楽しい?やりたい?」という直感ベースで判断。

  • 感情の波が大きい分、人に共感する力も強い。

📌 注意:これらは“特性から生まれやすい価値観”であって、全員がそうとは限りません!

 

🔁 ADHDの価値観が合いやすい環境

  • 型にハマらない自由な仕事(クリエイティブ、営業、起業家など)

  • 興味や好奇心を尊重される学校や職場

  • 「ルール」より「意図」や「目的」を大事にしてくれる人間関係

  • ちょっと抜けてても許し合える空気感

  🔍 なぜADHDの人に哲学が合うのか?

 

①「当たり前を疑う力」
ADHDの人は、世の中のルールや空気を“そのまま”受け入れるのが苦手だったりします。

  • なぜ学校ではじっと座ってなきゃいけないの?

  • なぜ9時から5時まで働かないといけないの?

  • なぜ人と違ってはいけないの?

これらはすべて「哲学的な問い」でもあります。

哲学者ソクラテスは「当たり前」にこそ疑問を持てと説きましたが、ADHDの人たちは、それを自然に体感しているのかもしれません。

 

②「感覚や直感から問いを立てる力」
哲学は「頭」だけの営みではなく、
「なんかモヤモヤする」「違和感がある」という“感覚”から始まります。

ADHDの人は、感情や感覚に敏感だからこそ、

  • なぜ人は孤独を恐れるのか?

  • なぜ私はこの世界にいるのか?

  • 人間の価値はどこにあるのか?

…など、答えのない「根源的な問い」に強くひきつけられることがあります。

 

③「自由で飛躍する思考」
ADHDの人は、発想が広がりやすく、ジャンルを横断しながら思考する力があります(=拡散思考)。哲学もまた、境界線を飛び越える探究です。

  • 「愛とは何か?」から「宇宙に目的はあるのか?」へ

  • 「人間とは何か?」から「AIに心はあるか?」へ

こうした連想や展開が、ADHDの人には自然にできたりするんです。

  📌 哲学は、ADHDの人に「許し」を与える

 

ADHDという特性は、ときに社会で「うまくいかない」と感じさせられるけど、
それは「世界が今の形に最適化されているから」かもしれません。

 

でも、哲学は「最適化」より「問い続けること」を尊びます。
だからこそ、ADHD的な感性は、むしろ哲学の世界では武器になります。

 

 

哲学は「こうあるべき」にとらわれることから、自分を解放する方法です。

  • 集中できない日があってもいい

  • 意味がわからないまま進んでもいい

  • みんなと違っても、そこにちゃんと“在る”理由がある

哲学は、“生きづらさ”を“問い”に変える力をくれます。

 

自分の生きづらさが、そのまま「問い」となり、
その問いが、他の人の人生を照らす“光”になることもあるのです。

  🌿 ADHD的哲学セルフケア:3つの実践

 

☕ ①「問いノート」:頭の中を整理し、自分の軸をつくる

 

やり方:

  • モヤモヤしたとき、頭に浮かんだ疑問をそのままノートに書く

  • 例:「なぜこんなに急かされるのが苦手なんだろう?」
       「私はどんなときに『生きてる感覚』がある?」

  • 答えは出さなくてOK。「問うこと」が目的

効果:

  • 感情の言語化 → スッキリ

  • 自分なりの価値観が見えてくる

  • 問いを通じて「自分はOKなんだ」と思えるようになる

🧘 ②「意味を求めすぎない」:実存主義から学ぶ「今を生きる」

実存主義では「人生に意味はあらかじめ存在しない。自分で選び、つくるもの」とされます。

  • ADHDの人は「飽きっぽい」「続かない」と思われがち

  • でもサルトル的に言えば:
     →「人は、行動することで“意味”を後からつけていく存在」

✔ 今日やることに意味がなくてもいい。
✔ 「今、これをしたい」と思ったら、それが今の正解。
✔ 明日変わってもいい。生きることに“流動性”があっていい。

📓 ③「違和感メモ」:世界とのズレを“問いのタネ”にする

ADHDの人は、社会のルールや習慣に違和感を持ちやすい。
その「ズレ」は、自分だけの哲学的問いの原石です。

たとえば:

  • 「なぜ働くことが“正義”なんだろう?」

  • 「私は誰かに“正しい私”を演じていないだろうか?」

  • 「“普通”って誰が決めたの?」

この“ズレ”を否定せず、「自分の感性=問いの源泉」として大事にすると、
他人の評価ではなく「自分との対話」ができるようになります。

 

モヤモヤを「深い問い」に変えることで、自分を責めなくなる

  🎁 最後に:ADHD的哲学セルフケアの言葉たち

 

ADHDの人が自然に惹かれやすく、自分を理解するヒントにもなります。

  • 人間はなぜ自由を求めるのか?

  • 集中できない私に「意味」はあるか?

  • 他人と違うことは悪なのか?

  • 私の「本当の自分」とは何なのか?

  • 今ここに存在しているだけで十分だろうか?

  • なぜ、普通であることを求められるのか?

  • 愛とはコントロールなのか、自由なのか?

  • 世界は本当に「こうあるべき」なのか?

はい。

大抵失敗します。

突撃します。

撃沈します。

 

分かってます。ハイリスクなのは・・・メリットを探すのも大変な時もあります。

友人が止める時だってもちろんあります。

 

無理だって言われます。やめとけって言われます。

でも、やりたいんです( ̄▽ ̄)

止められません。

 

後悔?シャー!バッチ来い!

失敗の数と後悔の回数なら負けねーよ!

 

やってみてから考えるからダメなんよ。

考えないわけじゃないです。

沢山考えるんだけど、好奇心に負けてしまう。

 

勢いに任せているわけじゃないつもり・・・

後先考えていないわけじゃないつもり・・・

ちゃんとリスクは分かっているつもり・・・

 

でも、やってみたい!が勝ってしまう。

 

基本的に運が無い。

運に頼る時に、良い結果が出たことが無い・・・・。

センスも先見の明も無いから、波乱だけが待っていることが多い。

 

例えばさ

自転車で遠出した時があった。

友人たちが無理だと言っていて、車で一緒に言ってくれるって人までいた。

全部無視して、1人で自転車で出かけた結果・・・帰りは自転車を何度捨てようと思ったことか・・・

 

ヒッチハイクで旅に出る!って出掛けた時なんか・・・

家に帰れなくて、泣く泣く友人に助けの電話をしたのを覚えてる。

本当に申し訳ない。

 

美味しい儲け話?もちろん乗ってしまう。

自己破産することになったのは良い思い出。

 

もうね、数えきれないし、書ききれない。

リスクがある事は、分かってる。上手くいかないのは、私の考えが甘いから。

今だって、絶賛危険な流れの中に居る。分かってる。やめたら良いのは・・・

 

それでも、良い経験だって思ってしまうのは私の悪いトコロかもしれない。

  波乱も楽しいと思ってしまうのは悪い癖

 

失敗って言うと、きっと自分が悲しい想いをする時だろう。

悲しい想いも大切な気持ちだよね?

 

そこで私は、波乱な自分を何故か悲観しない。

波乱の中でも、特別何も感じない。

淡々とするべきことをしてしまう。

 

そして、波乱の中でも楽しいって感じてしまう。

余裕なんて全くないし、一緒に居る人にはとても迷惑かけてしまう。

自分では何とかなるって思っているけど・・・多分何ともなっていないんだろうね。

 

波乱を楽しいって思ってしまうのは、波乱こそが非日常で特別な経験だと感じてしまうから。

ありふれた日常を大切にしていなかった私には、

非日常で、異常事態が刺激の一つと感じてしまうところがある。

 

失敗も沢山したし、後悔も沢山ある。

全部出来れば必要ない経験だから、もう二度としたくないし出来れば遠慮したい。

 

でも・・・これから新しく体験する波乱は、まだ私がしたことが無い経験。

まだない経験をしていくことは私には最高に楽しいことに感じてしまう。

 

内容がどんな形になったとしても、私には大切な経験の一つになっていくんだろう。

 

いや、辛いよ?赤字がいっぱいだと気持ちはブルー

誰かに負担を掛けたら申し訳ない気持ちになる。

 

それでも、最後に誰かと一緒に笑えたら最高の思い出になるって私は信じてる。

だから私は笑うんだ!

誰かの為に笑うし、私の為に笑う。

それで、波乱も楽しいって感じてしまうから、リスクを無視して進んでしまうのは私の悪い癖。

  何でも勉強だと思って、行動して、経験にしていく。

 

一回きりの人生。

出来ない事なんて沢山ある。

出来なかったことを数えたら、きっと素敵な気持ちにはならないだろう。

 

だから、行動しないことを選びたくないって思っている。

どんなことでも、チャレンジしないと分からない。

少なくとも、私は誰かの感想や結果を見たからって、自分が経験したかのように感じることは出来ない。

むしろ、誰かが経験していることを聞いてしまったら、私も体験してみたいって思ってしまう。

仮に誰かに迷惑を掛けたんなら『ごめんなさい』

他人に危険が及ぶことや、自分以外が危険なことになるようなことはさすがに選ばないけれど

自分だけで収まるんだとしたら、それは勉強で経験だと思う。

 

分かったうえで、次からは違う選択をしたら良いと思ってしまう。

何度でも、終わるまで繰り返して見たら良いと思う。

 

自分の目の前にある、手を伸ばせば届きそうなものを掴もうとするのは必然じゃないかな?

ほんの少しジャンプすれば届きそうなら、ジャンプしたくなるでしょ?

まったく届かないとか、見えていないモノなら何も思わないだろうけど

チャンスがあるなら掴みたいって思う。

 

結果がどうなるか?なんて、ジャンプする前に考えても仕方ない。

着地に失敗するかもしれない?

届かないかもしれない?

誰かが見て笑うかもしれない?

それは、出来ない理由にはならないよね?

やらない理由にはなるかもしれないけれど、出来るんだよ?

だとしたら、やってみたいじゃないか!

 

迷ったら、両方を選びたいし

悩んだら、行動する

 

失敗を沢山積み重ねても、私は楽しいって思ってしまうし

失敗談を話すことが出来る分、私には価値がある時間になる。

「行動しない方が良かった」っていう話は、他人からしたら笑い話になるんだから。

私も同じように笑い話だと思っても良いじゃないか!

 

どうせ、勝負したって勝てないし、運は無いんだし、もう散々失敗したんだから

今更、失敗の一つや二つ増えたっていいでしょ?

 

もしね・・・誰かが立ち止まった時にさ

私の失敗談を聞いてくれて、その人の選択肢の役に立ったら素敵じゃん?

 

そして、最近は目的論とか自由意思論って言うのがお気に入り。

原因論とか決定論は好きじゃない。

スピリチュアルも、自己啓発も、マインドフルネスもお腹いっぱい。

次に行くよ!

 

私は、私の意志で目的をもって進むんだ!って思っている!

それが私の価値観。

 

環境を買えるなんて簡単に出来ることじゃない。

 

仕事を変えるなんて、若い時は出来るかもしれないけれど・・・

歳を重ねると転職先を探すのは大変になる。

 

引っ越しなんて、得られるメリットに対して、引っ越しに伴うリスクが大きすぎる。

住む環境を変えるより、『住めば都』慣れる方が簡単だ。

 

人間関係は選べない。

職場の上司は自分ではどうしようもないし、隣近所だって住んでみないとどんな人かは分からない。

親は生んでくれてありがとう。

友人は、選べるほど交友関係は広くない。

恋人?頑張って選んでらいいよ。

 

環境と変え続けたい。変わり続けたい。

 

自分で選べる環境で居たい。

束縛されることを拒絶しているわけじゃないけれど、可能なかぎり自分で選んだ道を進みたいと思っている。

 

行動しなかった心残りの後悔を積み上げるより

行動した結果を受け入れる選択をしたい。

 

上手くいくことも、全然だめで最高に残念な気持ちになることだってある。

 

それでも、その時々の自分の気持ちを優先していくことが

私の生き方なんだと思っている。

 

自分の思い通りの結果にならないと、嬉しくない気持ちになる

どれだけ頑張っても、頑張った対価を得られるとは限らない

 

理想と現実の差に苦しんで、自分のことがダメな人間に見えてくることもあるだろう。

自分を簡単に変えることは出来ないし、世界を変えることは難しい。

 

だから、私は環境を・・・仕事を夢を住む場所を変えていくことで、気持ちを切り替えて

自分らしさを追い求めることを選んだ。

自分らしさを追い求める為に、願いを叶えるために環境を変えていくんだ!

 

私の価値観は、自分は簡単には変わらない。現実は自分が望んでいるから出来ている。

だから、嫌なら全部変えてしまうことを選んでしまう。

  常に不安はある。葛藤は終わらない。でもさ・・・

 

人にはそれぞれ事情がある。

大抵の場合は人間関係になるだろう。

家族や友人や仕事の付き合い、関係があるせいで簡単に自分の環境を変えようなんて出来ない。

 

家族が居れば、守る必要と支える必要があり

逆に家族が居るから支えられて、頑張れて、現状を生きていくことが出来るようになるんだろう。

 

友人や同僚だって同じことだ、関係があるから今を生きていけるんだろう。

 

だから、それを失う可能性がある引っ越しや転職って言うのは簡単には出来ない。

私だって、多かれ少なかれ不安や葛藤がある。

 

まったく知らない環境選んで進もうとするんだ。

自分に出来るのか?今より悪い環境や状況になるんじゃないか?

今を維持していく方が良いんじゃないか?

って、思うこともある。

 

でも、同じように・・・

常に新しい場所へ、自分を知らない人たちがいる場所へ行きたいと思うし

今の現実から逃げ出したいし、投げ出してやめてしまいたい気持ちになる。

 

全てネガティブな気持ちばかりが、私の中をぐるぐるして、立ち止まって何も出来ずに

日々の流れの中に身を置いてしまう。

 

決して間違いじゃないんだと思う。

多くの人が同じ日々を繰り返して、その中に楽しいや好きを見つけて「幸せ」を探しているんだから。

維持して、積み上げていくことを否定することは出来ないし、

本当はとても大切な力だろうし、成功っていうモノには一番いい選択なのかもしれない。

でも、私はいつでも・・・どんな時でも・・・

変えることに魅力を感じてしまう。

 

  行動することを選びたい!やりたい事リストがある!

 

維持して継続していくことの重要性は分かっている。

私だって、続けていることもあるし、積み上げているモノがある。

 

その中に、同じ仕事を継続することが入っていなくて

同じ場所に住み続けることが入っていないだけ。

人間関係だって、ずっとつながっていることなんて無いだろう。

 

だから、環境を変えていくことへの抵抗は少ない。

環境を変えることで何が変わるのか?

 

例えば、仕事が変われば、人間関係は変わってしまう。

仕事の関係に関わらず、友人だって仕事の時間に合わせられる付き合いになってくるだろう。

休日が合わなければ必然的に疎遠になって、時間が合う仲間が出来る。

 

住む場所が変われば

買い物をするお店が変わって、食生活も変わるかもしれないし、

周辺の環境によっては、交通手段が変わって生活リズムも変わってくるだろう。

 

なにより、新しい環境になることで行動的になることが出来る。

新居の周辺の散策もするだろうし、新しいお店には行ってみたいだろうし

観光地が近くにあれば行ってみるだろう。

そして、新しい刺激を受けることがあって、新しい目標が出来て意欲もわいてくる。

 

逆に、目標や目的に合わせた環境にすることが出来れば、

目標達成も目指しやすくなるだろうし、出来ないと諦めていたことを挑戦できるようになる。

いや、出来るようにする為に環境を変えるんだし

目指しているからこそ、その目標や目的に合わせた環境を選んで進んで行く。

 

自分のやりたい事リストがあって、目標や目的があるんだったら

より目指せる環境を自分から追い求めるのは必要な選択だと私は感じている。

 

選べることにも制限はあるし、何でも自由に身勝手に生きていけるわけじゃない。

だから、出来る範囲では自分の気持ちを優先して行動出来る環境を作り続けたいと思っている。

 

必ず、誰もが夢や希望を持った時に『出来ない理由』『やらない理由』を作って叶えようとしない。

その『出来ない理由』『やらない理由』は自分の環境が原因であって、自分は悪くないっていう言い訳をしてしまう。

原因論って言うやつだ。

 

私は、『出来ない理由』『やらない理由』を作らない。代わりに『やらない選択』をすることはある。

やりたい事リストで優先順位が上位に来ない時にその選択をする。

 

やりたいなら、出来る方法を考えて行動する。

結果がダメだったとしたら、違う方法を試すだけのコト。

色々な方向から試してみて、それでもダメなら受け入れて別のコトを目指す。

その時にさ、簡単に割り切って諦めるなんて出来ないし、気持ちを切り替えたいって思う時には

環境を変えることで全部を切り替えるキッカケになるって思っている。

 

私は今独立がしたい。

目的は開業、自分のペースで自分の選択で出来る仕事をしたい。

その為に環境を変えながら、方法を変えながら、いろいろ挑戦しながら行動を続ける。

何がしたいとか、何をするかなんかは決まってない。

上手く行ったことで進んで行くだけ。だから色々手を出して経験を積み上げる。

良いでしょ?

私の生き方は、私が決めて進んで行ってさ

見方を変える方法

見方を変えるのは難しいことかもしれない。

今の自分の現実は、自分にとってはそれが全てて、自分が感じていることが事実。

 

他の誰に何を言われても、自分が感じている感情や感想が

自分にとっては正しくて、他の誰かの感想や価値観は自分には理解できない。

 

人は見たいモノを見てしまうから

自分が望んだ形で物事を捉えてしまう。

それは、今までの生きて来た時間が原因になっているし、これからの自分が目指している目的がそうさせている。

 

でも、原因と目的は常に別の意味や理由を持っている。

 

見方を変える方法の一つとして両方を知って、自分にとって有意義な選択が出来るようになると

きっと柔軟に世界を楽しめるようになるんじゃないかな?

 

 

目的と原因は同じ事柄に対して別の見方をする。

 

  完璧主義をテーマに目的と原因から掘り下げ

 

完璧主義は私達に植え付けられている、「間違ってはダメ」の一つ。

自分を縛る鎖であるだろうし、周囲に求める理想にもなってしまう。

自分が望んだ結果が得られれば素敵なコトだろうけれど、いつも望んだ結果が得られるとは限らない。

 

手放すと楽になれるかもしれないけれど、手放すことにもメリットデメリットがある。

🎭 テーマ:「完璧主義って悪いこと?手放すべき?」


🟦【原因論】:

完璧主義ってさ、たいてい育ってきた環境が原因だよね。
たとえば、親や先生が「100点以外はダメ」みたいな教育してたら、「ミス=価値がない」って思い込むのも無理ないよ。


🟥【目的論】:

そうかもね。でも今の自分が完璧を目指してしまうのは、「失敗して評価を落としたくない」とか、「誰よりも優れていたい」っていう目的があるからじゃない?
つまり、完璧主義は“評価されたい”とか“安心したい”ための戦略なんだよ。


🟦【原因論】:

たしかに。でもそれって、自分で選んでるようで、実は“選ばされてきた”反応じゃない?
「ダメな自分は見せちゃダメ」って思い込んだ背景があるから、無意識に完璧を目指してしまうんだよ。


🟥【目的論】:

うん、でもその「完璧でなければダメ」って考え、今の自分にとって本当に役立ってる?
本当は「安心したい」「認められたい」っていう目的のために完璧を追ってるけど、逆にしんどくなってない?


🟦【原因論】:

なるほど。でもその“しんどさ”にも気づくには、やっぱり「なぜこうなったのか?」を振り返ることが大事だよ。
いきなり手放そうとしても、根っこを理解しなきゃまた同じパターンに戻っちゃう。


🟥【目的論】:

うん、だから原因を理解して、目的を選びなおすっていうのが一番いいね。
完璧じゃなくても「心が楽になる道」を選べたら、それってちゃんと目的を果たしてることになると思うよ。


🟦🟥【2人で】:

「完璧じゃないとダメ」なんて誰が決めた?
“ちゃんと生きたい”気持ちがあるだけで、もう十分がんばってるよ。



✅ 完璧主義のメリット・デメリット

✅ メリット:

  • クオリティが高くなる

  • 信頼されやすい

  • 努力家として評価される

  • 細部まで気がつける

❌ デメリット:

  • 自分に厳しすぎて疲れる

  • スタートできない(完璧じゃなきゃ始められない)

  • 他人にも厳しくなりがち

  • 「達成しても満足できない」ループに陥る


🌱 完璧主義を手放すと得られること

  • ミスを許せるようになる → 成長が早くなる

  • “まあいいか”が言える → 心の余白が生まれる

  • 人と比べなくなる → 自分のペースを大切にできる

  • 挑戦しやすくなる → 行動力が上がる

  • 失敗もネタになる → 人間関係も柔らかくなる


🎯完璧主義は、「安心したい」「認められたい」という気持ちの“クセ”でしかない。
その目的が叶う別の手段が見つかれば、手放すのは怖くない。


 

  人に頼れない」をテーマに目的と原因から掘り下げ

 

人に頼りたくない気持ちがあるのに、誰かに助けて欲しいって言う思いもある。

自分で全部抱えて苦しんでいる時は本当に辛いけど、解決する糸口も見つからない。

頼る頼らない以前に、実際に誰かが助けてくれるなんてことは滅多にない。

 

気軽に頼れて、助けを求められる人が居たら素敵なコトだけど、そんな出会いに恵まれることは少ない。

だから、最初から頼ることを放棄してしまうこともあるだろう。

 

でも、気軽に誰かに頼ることが出来たら・・・

もしかしたら生きやすい現実って言うのを見付けられるのかもしれないね。

 


🎭 テーマ:「どうして人に頼れないのか?」


🟦【原因論】:

「“人に頼れない”のは、これまでの経験が原因なんだよ。
過去に“頼ったら裏切られた”とか、“迷惑そうな顔をされた”とか、
そういう記憶が積み重なって、『頼るのは怖い』って思うようになったんだ。」


🟥【目的論】:

「わかる。でも、“頼らない”っていう行動を選んでる時点で、そこには目的があるんだよ。
例えば、“失望されたくない”とか、“自分でやってる方が安全”とか。
つまり、頼らないことで何かを守ってるんだよね。」


🟦【原因論】:

「とはいえ、その“守る”っていう選択だって、過去の体験が引き金なんだよ。
『人に頼ったら嫌われた』『弱いって思われた』って、
そういう“傷”が無意識に今の行動を決めてる。」


🟥【目的論】:

「でもね、その“傷”をかばうために“自立してるふり”をしてたり、
『頼らない私』を演じることで“価値を感じたい”っていう意図もあると思うんだよ。
“頼れない”じゃなくて、“頼らないことで得られる何か”を選んでる可能性ない?」


🟦【原因論】:

「確かに。でもそれって結局、“そうしないと安心できなかった過去”があるからじゃない?
『頼ったら自分がダメになる』って思わされてきたから、今も“頼れない”って反応が出るんだよ。」


🟥【目的論】:

「じゃあ逆に聞くけど、今のその“頼れない”って行動、本当に役に立ってる?
本当は“助けてほしい”って思ってるのに、“頼らない”を選んでることで、
かえって孤独になってない?」


🟦【原因論】:

「うっ…たしかに。それでも、過去の自分は“それで生き延びてきた”んだよ。
だから責めたくない。原因をちゃんと理解して、癒す時間も必要なんだ。」


🟥【目的論】:

「もちろん。だからこそ、“なんで頼れないのか”を自分で理解して、
“じゃあ今はどうしたい?”って未来を選び直せたら、一歩踏み出せるよね。」


🟦🟥【2人で】:

「人に頼れないのは、甘えじゃない。
過去の傷を守るために選んだ、大事な生き方だった。
でも今、自分の目的が変わったなら、
違う行動を“選び直す”ことだって、できる。」


🧠 まとめ:

  • 原因論 →「なぜ頼れなくなったか?」を理解する力

  • 目的論 →「今なぜ頼らない選択をしているか?」を問い直す力

  • 頼れないあなたは、悪くない。でも、もう頼ってもいいかもしれない。


 

 

 

同じ意見を言うのが嫌

みんなとはちょっと違うことを言いたい

同じ音楽を楽しめない

人とは違った曲で楽しみたい

誰かと同じものを持つのは嬉しくない

個性的で珍しいものを見付けたい

 

みんなと同じになるのが、どうしても面白く思えない。

でも、誰かが美味しいと言ったものは食べてみたいし

楽しいって言った場所には行ってみたい

 

同じは嫌だけど、同じものを知っていは居たいって思ってしまう。

 

そんな私はきっと問題児

 

自分だけの感性で、誰かとの違いを楽しみたい

 

職場の会議やミーティング

どうしても人とは違った目線と見方の意見を言いたくなってしまう。

なんとなく、みんなが賛成している雰囲気の時には、反対したくなってしまう。

 

別に変なことが言いたいわけでもないし、

話し合いを長引かせたり、周囲を振り回したいわけじゃない。

 

ただ、何も考えない。何も感じないで、人の意見に流されていくのが面白く無い。

 

今、流行りのファッションやお店

わざわざ人気のない商品を探しに行ってしまう。

流行りのお店にはとても興味はあるけど、流行りが落ち着いたころに自分だけで行きたいって思ってしまう。

 

話題に乗り遅れて、話しに着いていけない時もある

自分だけ違うモノを持っていて、浮いてしまう時もある。

 

でも、何も気にならない。逆にお勧めしたいくらいだよ私が見つけた魅力をね!

 

私はいつもマイノリティ

誰かと同じになることが、どうしても良いことだと思えない。

天邪鬼で、困ったちゃんの性格を持っているのは重々自覚しているけど、

それが私の個性だって自信を持って言うことが出来る。

 

誰かとの違いに悩まずに、誰かとの違いを楽しめるのが私の感性で、価値観なんだって思ってる。

 

 

根本的に、集団行動が苦手

人が集まる場所が嫌いなんじゃなく、集まるっていう行為が出来ない。

 

仕事や付き合いの上で、時間を合わせたり予定を合わせたりすることはよくある。

もうね・・・ストレスです。

ちゃんと時間を守る為に行動します。

間に合うように準備して、その他の用事を時間通りに終わらせたり、調整したり

 

正直私もそんなに暇じゃない。

やることも、やりたいことも山のようにある。

 

それでも、誰かとの予定を楽しむために必死に準備して用意する。

嫌じゃない。

でも、負担が無いわけじゃない。

 

友人たちとの食事はとても楽しい!

共通の話しも盛り上がるし、くだらない会話で笑い合うのは最高の時間だと思う。

人と行動することが、嫌いじゃないけど、負担が無いわけじゃない。

 

どんなに仲が良くて、気の置けない間柄だったとしても・・・

気を使ってしまうし、言葉を選んでしまう時がある。

勢いに任せて行動したり、発言をして後から後悔することが多い。

だからどうしても距離を作りたいって思ってしまうのは、自分を守るためだし、周囲と上手く過ごして行く為の方法だと思っているからだろう。

 

なにより、みんなと違う目線で物事をとらえたいと思っていて、

人の持つ感想とは違う感想を探しているから、共感出来なくて価値観が合わない。

楽しい会話でさえ、盛り上がる内容を選ぶから楽しい時間を過ごせるだけで、

自分が本当に興味がある内容・・・

今書いているブログの話しや、自己啓発や自分を大切にする生き方について話したって

友人たちには関心が無いし、興味が無い。

投資や自転車、神社について話したって共感なんか得られない。

 

自分の好きな話題を選んでしまったら、楽しい時間を過ごすことなんて出来ないんだから

一緒に居る相手に合わせた話題と行動で、素敵な時間を作る。

 

きっと、それは私に限った話じゃないだろう。

相手だって、私に合わせた会話をしてくれているだろうし、私が話せる内容を選択してくれている。

 

正直、それが面白く無い。

私に気を使う必要なんかない。好きにしてくれたらそれでいい。

合わないなら、離れていくだけで・・・私にはなんの問題もない。

 

この価値観が、きっと一人って言う環境を作っていくんだろうね。

 

 

誰かに分かって貰おうなんて思ってない。

同じものを見て、同じ感想を持って、同じ言葉を言う。

私にはそれが耐えられない。

 

同じの良さが分からないし、同じである事のメリットを見いだせない。

嫌、分かるよ?

共感から得られる安心感とか

同じ感想を持つ仲間を見つけて、意気投合して盛り上がる楽しさとか

同じ境遇・同じ環境でお互いを励まし合うとか

凄く分かる。言葉としてね。

 

私には、必要性を感じないだけなんだろう。

 

シンプルフレーズはいつも伝えている。

誰かに伝えなくても良いんだって、

自分が分かっていればそれで良いし、自分の中には建て前の自分と本音の自分がいるんだから、

本音の自分が分かっていればそれで良いんだって伝えてる。

 

自分のメンタルは自分でケアしないとダメで、誰かに吐き出したいような問題や障害は

見方を変えて、捉え方を変えて、細かく分けて考えることで問題だけを排除する方法を探す。

 

1人で抱え込んでしまうようなネガティブな気持ちは、

時を変え、場所を変え、環境を変えることで、気持ちの方向性を変えていく。

 

私は1人で解決する方法をいつも探しているし、実践している。

だから、共感も共有も求めていない。

誰かと同じ感想や、同じ行動することで得られる安心感や心の安定は私には必要ない。

人と違う感想を持つことで、周囲から奇異の目線を貰うこともある。

空気を読んでいるけど、場の雰囲気に合わせないで、雰囲気を壊すような行動をしてしまう。

変な人だと思われている自覚はある。

 

他人に何を思われて、何を言われて、どんな評価をされても気にしない!

それで私にどれだけの不利益があったとしても、私はそれを受け入れるし、乗り越えられる!

自分のコトは、自分だけが分かっていればそれで良いって思っているから、

他人の評価や感想の為に、自分を否定する理由は無い。

 

人と同じになるくらいなら、違う目線で物事を捉えて、違う感想を持って

違う意見を言いたい。

わざわざマイノリティーを選んでいるのは、同じが楽しくないし面白く無いって私の心が言っているから。

 

違うことが楽しいわけでも、面白いわけでもない。

違う意見と感想を持つことに意味があると思っている。

違うからこそ見つけられる素敵があって、違うからこそ気付ける魅力がある。

世界中の全ての人が否定しても、私にだけ分かる魅力があれば私はそれを大切に出来る。

 

その、私にだけ分かる素敵と魅力を見付けたいって思っているから・・・

私はいつでも違った目線で生きていく。

そんな私でも、最低限のラインは合ったりする。

身だしなみと清潔感。

これは感想とか感性や価値観なんて関係ない。

私が出来る最低限のマナーでモラルだと思っているから、気を使っている。